乾坤一擲
成長後サリエル「あれ、この薄い本の表紙って兄さん……?」
ミカエル「見゛ぢ゛ゃ゛い゛げ゛ま゛ぜ゛ん゛!!!!!(6000㏈)」
いったいどれだけ撃ったのだろうか。
数えるのも億劫になるほどの銃声にうんざりしながら、しかし力也は刻一刻と迫る弾切れに焦燥感を募らせていた。
対転生者戦闘の基本は飽和攻撃である。圧倒的な身体能力とチート能力を持つ転生者を相手に、まともに戦っていては命がいくつあっても足りはしない。だから転生者が、自分の能力でカバーしきれないほどの物量と火力を真っ向から叩きつけ、相手の土俵では決して戦わない―――それを基本としてドクトリンという形で体系化したのが対転生者戦闘ドクトリンである。
それの採用以降、テンプル騎士団では一般部隊であっても転生者の討伐が記録されるようになり、以降は一般兵が転生者に対抗するためのスタンダードとして定着していく事となるが、しかしそれが実現できたのはひとえにテンプル騎士団という組織の並外れた物量、分厚さに分厚さを重ねた徹底的な兵站があるからこそできる大量消費であり、並大抵の国では決して真似など出来まい。
だが、しかし。
それだけの大火力を、テンプル騎士団の最精鋭たる陸軍スペツナズ第一分隊と共に投射しているにもかかわらず、一向に勝ち目が見えてこないセシリアという女は、やはり怪物なのだ。
何度目になるかも知れぬ7.62×39mm弾のフルオート射撃を射かけながら、力也は叫んだ。
「アクーラ3、アクーラ5、交代しろ! アクーラ7は2人をカバー!」
ガガガ、とAK-15を連射しながら叫ぶ。
アクーラ3とアクーラ5―――スペツナズの第一分隊内において機関銃手を担当しているのだろう、PKPブルパップで武装し背中に弾薬箱をいくつも背負った精強なホムンクルス兵たちは、セシリアとの白兵戦に付き合わぬよう後退を始める。
背を向けて一目散に離脱するアクーラ3。そんな彼女を支援しようと、アクーラ5が果敢に7.62×54R弾をセシリアに射かける。
かつての最強、テンプル騎士団の力の象徴―――複製とはいえオリジナルと寸分違わぬ戦闘力を誇る相手に、その殺気に気圧されず反撃する気概は良い。
が、それは無謀というものだ。無謀と勇敢は違うのだ。
「馬鹿野郎、アクーラ3のカバーなどやってる場合か!!」
セシリアの接近を阻むべく、GP-46の狙いを定め発射スイッチを押し込んだ。構造の簡易化のため3本指のマニピュレータとされたそれが発射スイッチを押し込むや、西側規格の40mmグレネード弾が薬室の中で目を覚ます。
ポンッ、と破壊力の割に気の抜けた音を発しながら飛んでいった40mmグレネード弾は、セシリアの目の前の雪に着弾するや即座に起爆。爆炎と爆風、散弾のような破片を至近距離で浴びせかけた挙句、雪煙を派手に舞い上げて彼女の視界を奪う。
これで止まってくれればいい―――だがしかし、パヴェルはよく知っている。かつて自分が愛し、そして誰よりも恐れた絶対強者セシリアは、たった一発のグレネード弾程度で止まってくれるほどヤワな女ではない、と。
そして”あれ”が彼女の複製である以上、その恐ろしい部分もそっくりそのまま受け継いでいて然るべきなのだ、と。
「とっとと後退しろ!」
「しかしアクーラ3を!」
「バカモン、貴様のヘタクソな射撃など穴埋めにもならん!」
「ですが大佐!」
「分からんのか!!!」
現役の頃を思い出しながら、パヴェルは怒鳴りつけた。
「セシリアの突進は75㎞/hだぞ!!」
ドン、と空気が激震する音と共に、雪煙の壁に穴が穿たれた。
ぶわり、と膨れた大気の悲鳴―――ちょっとした衝撃波が生じたのだ、と理解した頃には、PKPブルパップによる射撃を中断して退避に移ろうとしていたアクーラ5へと刀を手にしたセシリアが迫っていた。
セシリア・ハヤカワの走る速度について、正確にどの程度の速さなのかという正確な記録は存在しない。
しかし一度、若き日のパヴェルはセシリアたちと行った山中での行軍中に彼女が見せた驚きの速さを目撃している。
約75㎞離れた目的地へ、完全装備で1時間で到達した―――それも乗り物には乗らず、自分の足でである。
おまけに行軍の訓練を行ったのは足場が悪く、それでいて峻険な山岳地帯である。
記録がない以上は推測するしかないのだが、その記憶に従って考えるのであれば、少なくともセシリアの走る速さは75㎞/h―――しかしこれは不整地でのタイムであり、かなり甘く見積もった場合と考えるべきだ。
今の彼女は明らかにそれ以上、推定で130㎞/hは出している。
(あれが人間の足で出せる速度なのかよ……!?)
とんでもない女と結婚して子をもうけたものだ、とパヴェルは嫁の恐ろしさを改めて痛感する。
その時だった。ズバン、と強烈な、しかしサプレッサーで少しは減音されたと思われる銃声が響くや、銃弾を防ぐべく刀を振るったセシリアが頭を大きく揺らしたのである。
スペツナズの1人が、装備したライフルの狙撃でセシリアの頭に命中弾を叩き込んだのだ。
やや右斜め下へと傾いた特徴的なマガジンの角度から、それがソ連製アサルトライフル”AN-94”の真骨頂、西側の銃には決して真似できない超高速2点バーストによるものだと理解した。
最初の2発のみを超高速で、それこそ1発分の銃声にしか思えないほどの速度で発射するAN-94。AKに代わる新たな矛として期待を寄せたそれの2点バーストは、セシリアにも見切れないものであった。
1発目には反応した―――結果として先に放たれた5.45×39mm弾はセシリアの振るう刀に弾かれ明後日の方向へ飛び去る事となったが、しかし後続の2発目はセシリアがセミオート射撃と誤認した事も手伝い、そのまま彼女の眉間を直撃。
キメラの堅牢な頭蓋を撃ち抜くや頭の中でタンブリング(※弾丸が横転する事)を引き起こし、持てる運動エネルギーの全てを動員してセシリアの脳を見事に引き裂いた。
残った右目から血涙を、鼻からは鼻血を、耳からも出血し天を仰ぐセシリア。
火力を集中しろ、と命ずるまでも無かった。今が攻め時だと判断するや、スペツナズの全員がセシリアに火力を集中したのである。
AK-15が、PKPブルパップが、AK-12が、AN-94が吼え、7.62×39mm弾、7.62×54R弾、5.45×39mm弾の弾雨がスコールさながらにセシリアという女に、あるいは彼女の残滓へと叩き込まれていく。
無数の弾丸に身体を貫かれて、セシリアの身体は何度も揺れた。肩が弾け、胸板に風穴が開き、暴力的なフルサイズライフル弾の弾幕に耐え兼ねた引き締まった腹が裂けて臓物が飛び出す。
真っ白な腕が千切れ、脚が折れ、キメラの特徴でもある角が砕け、彼女の大きな眼帯が千切れ飛ぶ。
そこから覗いた白濁した左目と、一瞬だけ目が合った。
やはり違う、とパヴェルは断じる。
本物のセシリアは左目を失った後、すぐに摘出手術を受けていた。簡単な詰め物こそしていたが義眼のようなものは移植しておらず、負傷が原因で壊死し機能しなくなった左目はその眼孔には残っていない。
あれは偽物だ、と断じる事は容易かった。
あれは偽物であり、自分の愛した女ではないのだ、と。
ただ彼女と同じ姿で、同じ記憶を持ち、同じ声で話す物の怪の類なのだ、と。
……でも。
……それでも、自分の手で最愛の妻を、最愛の妻の姿をした相手を撃つというのは、水面下でじわりじわりとパヴェルの心を苛んでいた。
マガジンを交換、コッキングレバーを引きAK-15の引き金を引く。
ちらり、と横目で息子の姿を見た。訓練通りの射撃姿勢でAK-15を構え、若き日の母と同じ姿をした物の怪へ弾丸を撃ち込んでいく自らの息子に迷いはない。
それも無理のない事だろう、とは思う。
実際に彼はその目で、母が、セシリアという女が老いていく過程を見守り、その最期を看取ったのだろうから。
家族の最期を見届けたからこそ、割り切れる。
あれは母ではないのだ、と。
有史以来、人間は何度も死者の蘇生を試みた。死者の世界に捕らわれた魂を、現世に呼び戻そうと幾度も愚行に愚行を重ね、しかし純粋な愛から来るそれらの努力が実る事は決してなかった。
どれだけ科学技術が進歩しても、錬金術がついにフラスコの中の生命を生み出すに至っても、”死”という摂理だけは決して克服できはしない。
それはきっと影のように、全ての生命に寄り添うものだから。
それをよく理解しているからこそ、彼は割り切れている。
(なんて情けない)
己の甘さを、パヴェルは恥じた。
セシリアは死んだ―――もう、この世界のどこにもいない。
あの時、死者たちが集う酒場で確かに見たのだ。天寿を全うしたと思われる、年老いた妻の姿を。
迷いは完全に捨てた。
AK-15が沈黙する―――サバイバルキット内に用意されていたマガジンは、これで全部使い果たした。40mmグレネード弾もない。
鈍器にしかならなくなったライフルを投げ捨て、ホルスターからRSh-12を引き抜くパヴェル。ロシア製の50口径リボルバーを片手で構えるや、無数の弾丸をその身に浴びて人間の形をどんどん崩しつつあるセシリアに向けて引き金を引いた。
12.7×55mm弾―――口径は重機関銃並み、されど薬莢は短縮され近距離戦闘向きに調整されたそれを装填した大型拳銃が豪快に火を吹いた。ドラゴンのブレスさながらに派手なマズルフラッシュを発し、放たれた12.7mm弾がセシリアの喉元を無慈悲に撃ち抜く。
5回引き金を引き、角張ったシリンダーをスイングアウトしながら、ミロのヴィーナスってあんなのだったよなと何気なく思ってしまう。とはいえそこに芸術的価値など見出す事は出来ず、あるのはただただ運動エネルギーに嬲られ続け、破壊の限りを尽くされた女の死体……いや、”残骸”としか呼べない程の無残な何かだ。
シリンダーに弾丸を装填し、再びセシリアに銃を向けるパヴェル。
彼の目の前で、残骸と化したセシリアは―――されど、まだ生きていた。
折れた足の傷口が塞がっていく。断面から伸びた骨が、筋肉繊維が互いに結びつき、絡み合い、再結合して元通りになったかと思いきや、周囲に散らばる自らの身体のパーツを引き込み、取り込み、呑み込んで急激に再生を始めた。
裂けた腹も塞がり、飛び出した内臓はまるで吸い込まれていくかのように腹の中へ綺麗に収まっていく。吹き飛んだ腕も断面から新しい腕が生え、胸に開いた風穴も、ライフル弾に砕かれた頭も塞がっていった。木っ端微塵になった脳味噌も元通りになっていくや、それはすぐに急激な細胞分裂により復活した頭蓋の中に取り込まれ、頭皮が、頭髪が、そしてキメラの特徴である角が元の形を取り戻していく。
再生を終えた身体の表面をテンプル騎士団の軍服が覆い尽くすや、元通りに再生したセシリアは息を吐きながら刀を拾い上げた。
「……なるほど、特戦軍を名乗るだけはある。この私を殺すとは」
刀を拾い上げ、くるりと回してからセシリアは構えた。
「それでこそ、戦い甲斐があるというもの」
「……物の怪め」
通常火器でセシリアは殺せない。
だが、”隠し玉”は用意してある―――問題はそれを、いつお見舞いするか。
かかって来い、と目を細めたその時だった。
ごう、と風が哭く。
全員が視線を真上に向けた。
朝日が昇り始め、段々と明るくなりつつある未明の空。
太陽を背に、周囲にダイヤモンドダストのような輝きを纏った1隻の空中戦艦が、凄まじい速度で頭上を通過していった。
アバルキン艦長の空中戦艦ベガ―――特戦軍の母艦が、ついに作戦展開地域に突入したのである。
「進路そのまま、最大戦速」
「進路そのまま、軸線固定!」
何ともバカげた計画だ、と内心で思いながらも、しかしアバルキン艦長は昔を思い出していた。
最近は何とも退屈な作戦ばかりだ。物資の輸送に人員の回収、発展途上国への食糧支援に海外派遣部隊の送迎―――兵器の平和利用は尊いものであり、砲火を交えぬ事こそが文明人としてのあるべき姿である、という事は言うまでもないのだが、しかしハイエルフとの混血といえど彼もまたホムンクルス兵の端くれだ。戦いに対する欲求は、平和を望む心の裏側で今でも静かに燃え続けている。
これでこそ戦いだ、これでこそテンプル騎士団だ、とは決して口には出さない。
しかしこういった作戦に参加できるのだから、異世界まで遠征に来た甲斐があるというものである。
「敵艦発砲、敵艦発砲」
「魔力防壁、艦首集中展開―――」
「いや」
限界まで加圧、拘束した魔力を用いた不可視の防壁―――”魔力防壁”。
それを用いて艦を護ろうと操作パネルに手を伸ばした若手乗組員の背中に、アバルキン艦長は待ったをかける。
「このまま突っ込む」
「しかしそれでは……」
「魔力防壁は外側への指向性を持つ魔力の塊だ。そんなもので敵艦を押したら軸線がズレて、変な角度でイコライザーを発射させる事になる」
だからそのまま突っ込む必要があるのだ―――文字通りのノーガードで、である。
艦首下部のスラスターを噴射し、艦首を真上へ―――天空へと向けようとばたつくパンゲア。
しかし、やはりというべきだろう。戦闘で受けた度重なる損傷が祟ってか、仰角45度を超えた辺りから動きが鈍化しているのが分かる。艦尾のスラスターも噴射、空中でバランスを崩さぬよう非常に細かい姿勢制御を行っている事が分かるが、やはりパンゲア単艦ではそれが限度らしい。
シャーロットの言葉を信じたのは、やはり正解だった。
(あの小娘め……)
ベッドの上が世界の全てと思っていた、あの哀れな少女を思い出す。
度肝を抜かれたものだ。数多の障害を抱えたホムンクルスの少女が、しかし類稀な知能を結集させて機械の身体を作り、首から上をそっちに移し替えてしまったのだから。
(この老骨を使うとは、物好きなものだ……まあいい)
声を掛けられたならば、最後まで付き合ってやろう―――そう思えば口元にも笑みが浮かぶ。
パンゲアの船体下部に搭載された20.3㎝連装砲が火を吹いた。主に対艦、対地攻撃用途に用いられる主砲。それから放たれた徹甲弾が接近中のベガの艦首左側を初弾から捉えた。ずん、と重々しい振動に遅れ、艦橋内に警報が響き渡る。
「艦首左舷に被弾!」
「喰らった、喰らいました!!」
「狼狽えるな!!」
実戦を知らぬ若手を叱責しつつ、アバルキン艦長は現役当時と変わらぬ鋭い声で続ける。
「”戦艦”が簡単に沈むか!!」
「パンゲア衝突まであと30秒!」
「艦首区画乗員、退去完了!」
これでいい―――いくらパンゲアに20.3㎝砲が搭載されているとはいえ、対するベガも同等の500m級。パンゲア級の後発という事もあって防御区画も見直され、ダメコン能力も含めた防御力はこちらが数段上である。
そして何より全長500mという質量が、その辺の生半可な水上艦艇とは別格の存在であるという事を声高に主張していた。
2発、3発……パンゲアの主砲が徹甲弾を立て続けに命中させてくるが、しかしベガは止まらない。
「下げ舵15、5秒後に高度戻せ」
「下げ舵15!」
ボウ、と艦首上面のスラスターが噴射。黒い装甲から蒼い噴射炎が迸り、全長500mの空中戦艦が頭を押さえつけられたかのように高度を落とす。
1、2、3、4、5―――航海長の「もどーせー!!」という号令と共に、今度は艦首下部のスラスターが焼き付かんばかりの勢いで全力噴射。沈み込み、峻険なアラル山脈の岩肌に腹を擦り付けそうなほど高度を下げた船体を、今度は逆に一気に押し上げていく。
それはまるで、獲物にトドメを差さんと喉笛に喰らい付く虎を想起させた。
「 ぶ ち 当 て ろ ォ ! ! ! 」
ごしゃあっ、と全長500mの戦艦同士が―――激突した。




