夫婦喧嘩レベル9999
パヴェル「ほい飯」
リキヤ「あ、カレー!」
リキヤ「いただきまーす」
リキヤ「……母さんの味だ」
パヴェル(え……あのセシリアが……!?)
セシリア「むふー」
『ねえねえお母さん』
『んー?』
机の上にノートを広げ、そこにクレヨンを走らせていたリキヤの呼ぶ声に、セシリアは洗濯物を畳んでいた手をぴたりと止めた。
『どうした?』
『お父さんって、強かったんでしょ?』
『ああ。そりゃあとっても』
夫―――今は亡き速河力也という男の実力は、セシリアが一番よく知っている。
速河力也……『ウェーダンの悪魔』、『血濡れのテディ』など、様々な異名を持つテンプル騎士団最強の兵士。今までに受賞した勲章の数は数知れず、ついには与えられる勲章が無くなってしまい、新たに彼のために勲章を用意しなければならなくなったほどだ。
そして第一次、第二次世界大戦で彼が挙げた戦果は、交戦国であった”ヴァルツ帝国”が戦時中に被った損害の”2%”は力也1人によるものだった、という調査記録も明らかになっている。
敵からすればまさに悪魔であり、テンプル騎士団の兵士たちからすれば憧れの英雄であり―――セシリアからすれば、されど1人の夫であった。
まさにその通りだろう。息子のリキヤからすれば腹違いの姉であり、過去に爆弾テロで死亡したシズルの面倒を見る彼の姿は決して悪魔などではなく、1人の父親であり、それ以前に1人の人間であったのだから。
プロパガンダ映像を通して彼を知る民衆とはまた別の角度から見た身として、セシリアは知っている。
力也の本当の姿を。
さらに詳細な、解像度の高い彼を。
『じゃあさ、お父さんとお母さんが戦ったらどっちが強いの?』
『そりゃあもちろん―――』
私だ、という言葉をセシリアは呑み込んだ。
実力的に考えれば、セシリアの方が上である。
そもそも力也は身体の欠損した部位を機械で補ったとはいえただの人間であり、その身体能力は常人の域を出ないのに対し、セシリアは生まれつき戦闘に最適化された種族【キメラ】、それも幼少期から戦うための訓練を受けていた根っからの兵士である。
スタートラインがあまりにも違い過ぎるのだ。
普通に考えればそんな問いを投げること自体が愚問であり、セシリアが圧勝するに決まっている―――万に一つも負ける道理がない。
しかしそう言い切れない”何か”が、彼にはあった。
もしかしたら、その万に一つを手繰り寄せる力が彼にはあったのではないか。
セシリアには―――亡き夫にそんな力があったように思えてならない。
ヂッ、と火花が散った。
光すら呑み込み、歪め、照り返す事も無い艶のない刀身。振るわれたそれに両断された7.62×54R弾がナイフで切り裂かれるチーズさながらに両断され、セシリアに命中する事なくどこかへと吹き飛ばされていく。
彼女のために用意された黒い刀『禍津大蛇』が縦横無尽に舞い、弾丸は彼女に傷をつける事すら叶わない。
「撃て、撃て! とにかく面で攻めろ!!」
スペツナズの兵士たちに向かってそう叫びながら、力也は自身もAK-15のフルオート射撃でセシリアの迎撃を試みた。
テンプル騎士団の兵士たちは、訓練課程において必ず”対転生者戦闘”の教育を必修科目として履修する。
転生者の多くはチート能力を持っているが、それ以前にその高すぎる身体能力は、最新の武装を装備した兵士でさえも対処を難しくさせる要因となっていた。
一番の理想は『転生者には転生者をぶつける』というものであるが、所属する転生者の数にも限りがあったテンプル騎士団においては現実的とは言えない選択肢であり、武装した一般部隊での対処が課題となっていた。
そこで考案されたのが、”対転生者戦闘ドクトリン”と呼ばれる戦術である。
『一対一での戦闘は避ける』、『フルオート射撃を推奨』、『最低でも一個分隊に機関銃手4人』、『支援砲撃、空爆をいつでも呼べる万全のバックアップ体制』、『機甲部隊との連携』を基本とし、大量の銃弾と爆薬を用いた飽和攻撃で転生者の戦闘力の封殺を試みたものだ。
結果、第一次世界大戦、第二次世界大戦におけるテンプル騎士団一般部隊の転生者撃破数は右肩上がりに伸び、以降は同軍の基本戦術として、更には機関銃を中核に据えた攻撃的なドクトリンへの発展を見せるに至ったのである。
それを―――1人でも多くの兵士を無事に生還させるべくパヴェルや部下たちが考案、実証したドクトリンを、複製とはいえ自分の妻の姿をした相手に実施するとは何たる悪辣な冗談か。
ガガガ、と7.62×39mm弾の強烈な反動を右肩で受けながら、パヴェルは憤る。
もしこの残酷極まりない運命というシナリオを書いているのが神だというのならば、いくら何でも殴りたくなるレベルで笑えない。
最愛の妻が、セシリア・ハヤカワという女がどういう苛酷な人生を辿ってきたかはパヴェルも知っている。そしてそんな彼女の過去も出生も何もかもを愛し、伴侶として受け入れた。
表面上はあまりにも強く、されど歪で脆く、いつ崩れるかも分からなかったセシリアの心。そんな自身に鞭を打ち、なおも歩み続け、そして1人の母として子を立派に育て上げた。
だからこそ、この仕打ちが許せない。
妻の苦労を、彼女の本当の素顔を知らぬ上辺だけの第三者に、妻の尊厳を踏み躙られるのが気に食わない。
そしてその結果が、夫婦で苦労してやっと授かった1人息子を死に追いやる恐るべき計画に結び付くのであれば、まさに万死に値する暴挙である。
歩兵部隊への接近を阻むべく、スペツナズのドローンオペレーター(パヴェルが現役の頃はドローンが普及していなかった)の操縦によるサポートドローン隊が立ち塞がる。
大量に在庫を抱えた旧式装備なのだろう、機体の胴体下部にドラムマガジン装備のPPSh-41をぶら下げた攻撃的なドローンたちが前に出るや、ドラムマガジン内の7.62mmトカレフ弾を景気良くぶちまける。
重量とサイズという欠点と引き換えに、貫通力の高い弾丸を超高速でばら撒く事が可能な攻撃的SMGとして仕上がったPPSh-41の一斉射撃は、近距離戦闘における悪夢の一つと言っていいだろう。とにかく、あんな土砂降りのようなフルオート射撃に晒されれば生きた心地がしないというものであり、ベテランの兵士でも心を折られかねない。
だがしかし、セシリアの辞書に”恐怖”という言葉は存在しないようだ。
より一層密度を増した弾幕にもお構いなしに飛び込むや、赤子の手を捻るように刀を縦横無尽に振るい、3機のサポートドローンをPPSh-41もろとも瞬く間に寸断してしまう。
ドン、と雪が舞い上がる程の勢いで地面を蹴った彼女の背後で、3機のドローンが爆発し紅蓮の華を咲かせた。
「下がれ!」
空になったマガジンを新しいマガジンで弾きそのままリロードしながら、パヴェルは叫ぶ。
空になったマガジンはダンプポーチに突っ込んで回収するのが鉄則だが、よりにもよってセシリアクラスの転生者が相手ともなるとそんな余裕はない。0.1秒の僅かな時間が生死を分ける状況と言っても過言ではなく、ほんのミスが自分の、あるいは自分以外の誰かの死を招く。
GP-46の発射スイッチを押し、グレネード弾を発射。面での制圧に加え砲撃での接近阻止を試みるが、しかし複製とはいえ相手はセシリア―――パヴェルの、力也の知る限り最強の相手である。
走る勢いを殺さずに刀を振り下ろすセシリア。ヂッ、と一瞬だけ火花が生じるや、漆黒の刀が40mmグレネード弾の弾頭部を正確に両断してしまう。
ドドン、と背後で生じる2つの爆発。
大きく跳躍するセシリアに、スペツナズの機関銃手たちがPKPブルパップのフルオート射撃の矛先を向ける。ガガガガガ、とコンパクトな機関銃からフルサイズのライフル弾が土砂降りのように放たれ、5発に1発の割合で仕込まれている曳光弾がその射線をセシリアへと伸ばしていく。
しかし、止まらない。
合計18人の弾幕を真っ向から受けてもなお、セシリアは止まらない。
「ッ!」
迎撃を続行するべきか、と一瞬悩みかけたパヴェルは、隣でAK-15のフルオート射撃をしていた息子の肩へ反射的にタックルをかましていた。
いくら鍛えているとはいえ、右隣からいきなり体当たりされればさすがのリキヤもたまったものではない。雪の上に倒れ込むや「いきなり何をするのか」と言わんばかりに見開いた目をパヴェルへと向けてくるが、その直後に刀の切っ先を向けながら急降下してきたセシリアの攻撃で舞い上がった雪と蒸気を受け、抗議しようという気も失せてしまう。
助けられたのだ、父に。
もしあのまま射撃を継続していたら、今の攻撃の回避が遅れていたであろう事は言うまでもあるまい。
(今の攻撃……衝撃波とか、ただの剣による攻撃では―――)
ゆらり、と雪煙の中で立ち上がるセシリアの影。
彼女が手にする刀の異様さに、リキヤは気付いた。
雪煙越しに見えたセシリアの刀。
艶のない漆黒に染まっていた筈のそれが、いつの間にかうっすらと朱い光と……熱を帯びているのである。
(発熱機能……いや)
弾丸を切り裂くほどの速度で振るわれていた刀だ―――音速どころか熱の壁を突破するほどまでに加速していた可能性は十分にある。
結果、断熱圧縮熱に晒された刀身には熱が蓄積され、結果として赤熱化するほどの熱量を纏うほどになった―――常人では有り得ないが、しかし自分の母であるならば有り得ない話ではない、とリキヤは断じる。
(断熱圧縮……さっきの加害範囲の広さはそれが雪に接触した事による水蒸気爆発か……!?)
それをあの一瞬で見抜いたのか、と早くも立ち上がり射撃を始めつつ散開して自分に注意を引きつけようとする父親の姿を見てリキヤは驚愕した。
自分自身も訓練は受けた。実戦も経験した。だがしかし、それは世界大戦を二度も経験したベテランの兵士たちからすれば児戯にも等しいものなのだろう。訓練に割ける時間が多いとはいっても、訓練だけでは限界がある。実際に命を極限状態に晒した実戦で得られるものも、また存在するのだ。
「これが……ベテランの戦い……」
ウェーダンの悪魔―――父は、かつてそう呼ばれ恐れられた。
そして彼は部下たちを、その生涯において1人も戦死させなかったという。
なるほど、その理由があの素早い判断力と危険な役割を積極に買って出る自己犠牲にあるのだろう。ああやって最大の脅威を自分に向けさせ部下たちのリスクを限界まで減らしつつ、敵の襲撃を素早く察知して友軍へ退避を促す判断力と人間離れした直感。それこそがパヴェルが部下を全員生還させた最大の武器なのだ。
「カバー!」
AK-15のマガジンを交換するや、部下たちに叫んで父の援護を命じるリキヤ。
世界大戦を戦い抜いたベテランの戦いを見せつけられ、しかし彼もまた対抗意識を燃やす。
せっかく次元の壁を超え、父との再会を果たしたのだ。
とても無様なところは見せられない。
ボッ、と斬撃が頭のすぐ上を突き抜けていった。
振るった刀から飛んできた、熱を帯びた斬撃は雪の積もった大樹を直撃するや、その幹を大きく切り欠いて倒壊へと追いやってしまう。バランスを崩し、枝に降り積もった雪をぶちまけながら倒れていく大樹の幹に飛び乗ったセシリアを銃口で追うパヴェルだったが、しかし落下してくる雪の塊と枝のせいで狙いも何もあったものではない。
当てずっぽうで一発でも当たってくれる事を祈りながら頭上へ7.62×39mm弾を連射。弾切れになったマガジンを交換し、75発入りのドラムマガジンを装着してからコッキングレバーを引く。
ぞくり、と背筋に走る冷たい感覚。
理屈では説明できない危機感に足を止め、右へと飛ぶパヴェル。直後、彼の上を取ったセシリアが投げ放った漆黒のクナイが断熱圧縮熱を纏いながら雪に突き立てられるや、小規模な水蒸気爆発を起こして雪煙を舞いあげ、一瞬ではあるが彼の視界を奪った。
拙い、と姿勢を低くしながら後方へと飛び退くパヴェル。
セシリアの事だ、飛び道具主体での攻撃は仕掛けてこないだろう。彼女の十八番は刀剣を用いた白兵戦であり、事実多くの転生者がその凶刃を前に斃れている―――戦時中の転生者討伐数では現役の頃のパヴェルが依然としてトップであるが、しかしセシリアの戦闘力を考慮すればそれを塗り替えるのも時間の問題だ。
彼の読み通り、雪煙の中へとダイブする格好で二振りの刀を逆手持ちにしたセシリアが急降下してきた。断熱圧縮熱によりうっすらと朱い色に染まった刀身が雪に触れるや水蒸気爆発が生じ、またしても雪煙が舞い上がる。
「―――そこだな」
「ッ!」
咄嗟にAKから手を離し、ナイフの柄へと手を伸ばす。
そこから先は半ば賭けに近かった―――抜きはらった大型カランビットナイフ『初月』を構えてガードを試みた彼の刃に、セシリアの薙いだ刀が激突して激しく火花を散らす。
圧倒的な膂力に押し込まれそうになりながらも、パヴェルは渾身の力で耐えながらセシリアを睨んだ。
この戦い、負けられない。
息子が見ているのだ。
次元の壁を超えてやってきた我が子に、父の無様な姿は見せられない。
セシリア「今日の夕飯何がいい?」
リキヤ「ええとね、カレー!」
セシリア「カレーか……よし」
セシリア「ええと、確かこの辺に力也が遺してたレシピが……ああこれだこれだ」
セシリア「ふっふっふ、練習の成果を見せる時が来たぞ……ふふふ」
パヴェル「……上達したんだな」
セシリア「むふー」




