領主の帰還
ガチムチヴォロディミル「 国 の お 金 を 使 っ て は い け ま せ ん 」
土下座アナスタシア「すみませんでした」
アナスタシア「……なんか私のヒエラルキー段々と下がってきてない?」
ヴォロディミル「気のせいでしょう」
意識が飛んでいた。
身体中にどっと押し寄せる疲労感と、緊張の糸が切れた事による安心感。睡魔が堰を切ったように押し寄せて、意識を微睡の底へ引きずり込んでいったのはさぞ一瞬であったのだろう。
今どこだ、もうリュハンシクについたのだろうか―――まだ瞼にのしかかる微睡の残滓を指で払い除け、あくびをしながらキャビンの窓の外を見た。
窮地を救ってくれたシャーロットのJ-20の他に、更に2機のJ-20がMi-26ウォーロードの左右を飛んでエスコートしてくれている。鈍重なヘリに、中国の最新型ステルス機が速度を合わせるのもなかなかしんどいだろうに、よくやってくれるものだ。
窓越しにJ-20をまじまじと見た。
黒を基調とした機体には、しかしところどころにスリットのようなものが刻まれ、そこから紅い光が漏れている。おそらくは装甲のインナーに賢者の石を加工したプレートを搭載しているのだろう―――賢者の石はそれ自体が優秀な装甲であり、同時に半導体の代用としても利用可能なまさに戦略物資だ。戦車や戦闘機の装甲に、そして現代戦には欠かせないハイテク兵器を制御する基盤に。多くの魔術師たちが喉から手が出るほど欲した最強の物質をあんなにも贅沢に使うなんて、リュハンシクを守る兵力のためでなければまず許されまい。
シャーロット機に随伴する2機のJ-20は、どうやら無人機か、あるいは機械の兵士―――戦闘人形を機体の制御ユニットとして搭載したものであるようだ。キャノピーはガラス張りではなく装甲で覆われていて、表面では紅い複眼型センサーが獰猛な光を放っている。
「目を覚ましましたか」
「ああ、シェリル」
キャビンの椅子から起き上がると、肩の骨がパキって音を立てた。
キャビン内は正直言ってかなりうるさい。
それもその筈である―――Mi-26は軍用機であり、軍用機というのは実用性が第一に考えられる。だから多くの乗客を乗せる旅客機や民間機と比較すると機体の乗り心地とか快適さとか、居住性といった戦闘に直接寄与しない要素は二の次にされがちだ。
だからなのだろう、キャビン内の椅子の座り心地はあまり良いとは言えなかった。列車で旅をしていた頃に何度も座った、自分の寝室や食堂車の椅子と比較すると随分と座り心地が固くて、何時間も座っていたらお尻が痛くなってしまいそうである。
おまけに頭上から容赦なく響いてくるメインローターのエンジン音。これ何とかならんのか、という文句よりも、こんなバチクソに劣悪な環境でよく爆睡できたものだという自分への感心のほうが先に来てしまう。
シェリルが持ってきてくれたマグカップを受け取った。
中身はコーヒーではなくミルクティーのようだ。
「ありがとう」
「いえいえ。隣、失礼しますね」
よいしょ、と淡々とした口調で隣に座ってくるシェリル。いつもよりなんか近いな、とは思ったが、まあキャビン内の椅子はそれなりに狭い。完全武装した兵士がぎゅう詰めになる程だし、このMi-26ウォーロードはパヴェルの手によって内部容積やペイロードの大半が武装に割かれているから、居住性がより劣悪になっているところに非常にソビエトを感じずにはいられない。
いつでもどこでも、隙あらばそこにソビエトは存在するのである(???)。
窓際へと詰め、シェリルの座るスペースを確保するミカエル君。だけども気のせいだろうか、シェリルがやたらと近くに……オイ待てお前、もっとそっちに座れるだろお前、ちょ、おまっ……詰めろ、詰 め ろ 。ミカエル君ぺしゃんこになっちゃうだろ。
ちら、と彼女の顔を見上げると、爬虫類を思わせる形状の紅い瞳と目が合った。
ああ、クラリスと同じだ。
こういう時に彼女も、そしてクラリスやシャーロットもホムンクルス―――いわゆるクローンなのだという事を痛感させられる。特定のオリジナルの遺伝子を基に製造された一種の人造人間、造られた生命。
短命が約束された人生であれど、願わくばその人生が実り多いものである事を祈らずにはいられない。
「……あなたには、お礼を言わなければなりませんね」
「え」
「今回の任務の件です。アイツ、本当に嫌いでした」
「シェリル……」
「何度嫌いと言っても本当にしつこくて……はぁ、軽いトラウマだったのかもしれませんね」
てっきりいつもの彼女のノリなのかと思いきや、今回意外とシリアスだったからな……特に後半から。
確かにそうなのだろう、シェリルにとってラスプーチンの愛は重すぎた……というより、キモ過ぎた。誰が別に好きでもない男を、それも人のリコーダーをベロベロ舐め回し裏声で自分にとって都合の良いシェリルを演じるやべー奴と結ばれなければならないのか。
彼女の言う通りだ。ラスプーチンよりも、三葉虫の方が経済的価値がある。間違いない。ミカエル君が太鼓判を押すのだから間違いない。
脳内の二頭身ミカエル君ズも満場一致でこの決定を支持しています。一匹お昼寝始めちゃったけど。
「けれども、もう悩む事もありません」
「良かったな」
「ええ。あなたのおかげですよ、ミカ」
ちょっとびっくりした。
シェリルだけ俺の事をフルネームで呼んだりミカエルと呼んだりと、呼び方が安定していなかった。ただ一貫して”ミカ”という愛称で呼んでくれる事は無く、まあそういう人なのだろうなと思っていたのだが……初めてだ、彼女に”ミカ”と呼ばれたのは。
びっくりしながら顔を上げると、そこには微かに笑みを浮かべるシェリルの顔があった。
あのいつも冷淡で、感情を表に出さない(そして出した時に限ってポンコツモード)あのシェリルが……笑った?
見間違いじゃないよね、と思った次の瞬間には鼻腔にふわりと鼻の香りに似た甘い匂いが満ちていて―――。
ちゅ、と押し付けられる柔らかい唇の感触。
自分よりも身体の大きな少女に抱きしめられ、包み込まれる優しい温もり。
頭の中がバグりそうだった。
有り得ない事の連続で、頭の中がエラーの大洪水。どんなエンジニアでも匙を投げ、マッハで帰宅しアルコールを生命維持限界まで摂取したくなるレベルの大惨事に目を丸くしていると、頬にキスをしたシェリルがそっと顔を離した。
「本当にありがとう」
「ぁ……ぁぇ……」
声にならない声、とはこの事か。
え、え、と陰キャ丸出しのリアクションに終始していると、シェリルはそんな俺のリアクションを楽しむかのように身体を預けてきた。
「ああ、そうですね。お礼と言えば50万用意しなければ」
なんだっけ50万って、と先ほどのキス(頬にだよ、口にじゃないよ)の衝撃から頭が再起動しないミカエル君の思考回路が火花を散らす。
そういえばアレだ、アレだった。ラスプーチンをリコーダーで殺したら追加報酬50万、という話。
思い返してみれば確かにトドメはリコーダーだったと思う。ユニバーサル・ランチャーに乗せたリコーダーをラスプーチンの眉間に突き立ててそのままレーザー誘導爆弾諸共投下、大爆発という爆発オチだった……って待て、トドメこれリコーダーじゃなくて爆弾なのでは???
まあいいや。
「……いや、その、いいよ」
「え」
それでは何でお礼をすれば、と言いながら寄りかかってくるシェリル。頭の上ですんすん聞こえてくるけどコイツ人のケモミミ吸ってやがる……待って鼻息が、鼻息が敏感なケモミミに……ひゃん。
「……50万よりすげえもの貰っちゃったし」
「……そうですか」
それにしても、だ。
元々敵同士だった彼女にキスをされるような関係にまで発展するとは、昔では思いもしなかった。
敵対していた頃はラノベとかアニメとかによく出てくる、冷徹で任務遂行のためならば手段を選ばない謎の組織の女幹部みたいな感じだったシェリル。今では上官の死と組織への不信感から血盟旅団に身を寄せているが、まったく世の中何があるか分からないものである。
「ですが私の唇に50万の価値があるとは思えませんね」
「あのね、君みたいに綺麗な子からキスされたら50万なんて霞んで見えると思うんですけども」
「……」
その辺どーなんですか、と意思を込めて彼女の顔を見上げると、ぷい、と恥ずかしそうにシェリルは目を逸らした。
「ですが私が満足できません。なにかこう、別のお礼を用意しなければ……ハッ、キスで不十分なら身体を使って―――」
「待て待て待て」
「大丈夫です、諸々同人誌で学びました。女の子の扱いも慣れているつもりです」
「そもそも俺男なんですけども」
「???」
「いや首傾げられても」
「まあいいですから服脱いでください」
「馬鹿お前やめ……や、やめろって、これR-15だから!」
「大丈夫ですどうせ謎の光で見えなかったりそういうシーンは円盤に収録されたりするものですから」
「 怒 ら れ る で し ょ ! ! 」
服を脱がそうとするシェリルとミルクティー片手に全力で抵抗するミカエル君。しかし残念ながら、ハクビシン獣人VS竜人ホムンクルスでは筋力というか単純な力の差があり過ぎて、あっという間にシェリルの手に掛かって身に纏うパイロットスーツが脱がされそうに―――。
「ミカ、そろそろ着り……く」
ガラッ、とキャビンのドアを開けて中に入ってきたカーチャ。格納庫での損傷部位の応急処置と装備の固定作業が終わったところなのだろうが……何ともタイミングの悪い事だ。キャビンの休憩スペースの中、上から覆いかぶさりながら服を脱がそうとするシェリルと押し倒さればたつくミカエル君という構図は完全にその……ね。
信じられないものを見た、というか遠い目をしながら一歩後ろに下がるカーチャ。
「……ええと、はい。お邪魔しました」
「 平 成 の ラ ノ ベ か ! ! ! 」
こういうやりとりすっげー既視感あると思ったらアレだわ、転生前ミカエル君が学生の頃よく読んでたラノベ的なノリだわコレ。懐かしい、すっげー懐かしい。中学生の頃初めて買ったラノベ、まだ部屋の本棚に大事に並んでるのよね……ってそんな事はどうでもいい。今はとりあえず、俺の名誉が著しく傷つけられているし、何 よ り 貞 操 が あ ぶ ね え 。
虚空からハリセンを召喚、バチンとシェリル目掛けて振るうや「あぁんっ」と変な声を出してシェリルは気を失った。
ギャグシーン補正を受けているハリセンは強いな……さすがだ、チートが過ぎる。困ったらこれかハンマーだ。
窓の外を見た。
リュハンシク城のヘリポートは、もうすぐそこだった。
「おかえりなさいませ、ご主人様」
城の中に入るや、一番最初にクラリスが出迎えてくれた。
メイド服のロングスカートの裾を両手で摘まみ上げ、お辞儀するその姿は相変わらず様になっている。仕事を何でも完璧にこなす最強のメイドと言っていいだろう―――黙って仕事をしている間は。
「ただいま」
「お疲れでしょう。お風呂の準備が出来ております。それからお食事も」
お食事、と聞いて背筋が凍り付いた。
まさかクラリス、お前が作ったわけじゃないよな……と嫌な汗が背中を伝う。リガロフ家の屋敷に居た頃から、クラリスの料理のヤバさには定評があった。どんなにレシピを徹底しても、分量を正確に測っても、火加減を守っても、プロの料理人が見張っても全てが徒労に終わるのだ。
食材を鍋にぶち込み、蓋を閉め、再び蓋を開けると中から出てくるのは紫色のペースト状の何か。強烈な刺激臭と腐臭、そして何故か溶け始める鍋の蓋。どれだけプロの料理人が調理を指導してもダメで、『クラリスにだけは料理を作らせるな』というのが屋敷では暗黙の了解だったという。
「ちなみにお食事はどなたが?」
「シャーロットが用意した料理担当の戦闘人形ですわ」
神様ありがとうございます。
死なずに済んだ幸運を神に感謝しながら、とりあえずは自室へ。さすがにパイロットスーツ姿のまま夕食を食べに行くわけにはいかないし、着替える必要がある。もちろんAKやグロックも武器庫に預けなければならない(その前にメンテか)し、第一それよりも先に影武者をお願いしてた”メカエル君”(※仮名)から何かあったか報告を受けなければならない。
自室に戻るや、パパっと着替えを済ませた。ところでなんで俺の胸元には裸になると謎の光が現れるんですかね? 俺男なんですけど……もしや世界そのものにも男として認識されていないのでは?
「ところでご主人様」
「ん」
上着に袖を通しながら返事を返すと、後ろでパイロットスーツを畳んでくれてたクラリスがこっちに寄ってきた。
なんだろう、さすがにシェリルよりもさらに大きくて胸もGカップで腹筋も割れてるアスリート体系のデカ女に間近に迫られると迫力が違うというかなんというか。
するとクラリスは何を思ったか、すんすんとミカエル君の臭いを嗅ぎ始めた。
「ちょ、え、なに?」
「すんすん」
「な、なんだよもう」
あれ、何かコレにも既視感が。
あ……まってコレあれだ、家で飼ってた猫がしばらくぶりに実家に帰省した俺に最初にやる匂いチェックだコレ。友達の家に遊びに行ったり泊まって返ってくると毎回にゃんにゃん鳴きながら寄ってきて、匂いチェックするなり猫パンチかましてから去っていくウチの三毛猫……ミケちゃん元気だろうかと言いたいが、転生前の時点でもう10歳だったからなぁ……今頃俺の後を追ってるかもなぁ……。
あれ拾った猫だったんだよな、などと前世で飼ってた猫の事を思い出していると、すんすんと匂いチェックをしていたクラリスが俺の両肩に手を置き、そのまましゃがんで目線をミカエル君と合わせた。
ついぶるんぶるん揺れるOPPAIに目線が行ってしまうが多分今それどころじゃないと思う。
「ご主人様」
「はい」
「……なんだか、随分とシェリルの匂いがしますね?」
「……い、一緒に出撃したからじゃないかな?」
「頬の辺りから彼女の唾液の匂いが」
「ぴえ」
何コイツの嗅覚警察犬並みなの?
「キス、されましたね?」
「……ぴえ」
危機を感じぴょこりとケモミミを立てるミカエル君。しかしクラリスに追い詰められて一歩、また一歩と後退り、最終的に壁際まで追い詰められてしまう……待ってナニコレ、喰われるの俺?
「ご主人様」
「ぴゃい」
「クラリスも留守番を頑張ったのでご褒美を頂きたいのです」
「ぴゃい」
「ご主人様不在の中、ずっとご主人様の事だけを思って待っていました。ご主人様は無事なのかな、とか、ご主人様に手を出す不届き者はいないかな、とか、ご主人様はいつになったら襲ってもいいのかな……とか」
「それ少なくとも今日ではないのでは?」
「ごめんなさい想像したらもう我慢できなくなりました襲っていいですかご主人様いいですかいいですね」
「なんだよもぉぉぉぉぉぉぉぉ!! またかよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」
壁際に追い詰められたミカエル君、必死の咆哮。
しかしそんな抵抗も虚しく袖を通したばかりの上着は早くも脱がされそうになり、色々とピンチ……には、ならなかった。
「 ご 飯 、 冷 め ま す よ ? 」
いつの間に部屋のドアが開いていたのだろうか。
入り口の前に立つ、修道服姿のシスター・イルゼ。手には”100t”と刻まれたスレッジハンマーが握られていて、顔には笑みがあるけれども全身からはどす黒いオーラが迸っている。
見間違えでなければ、背後には般若の幻影が……待ってアレ何?
「「あっハイ……すぐ行きます」」
シスター・イルゼの威圧感には、勝てなかった。
賢者の石(天然)
地球上に存在する物質の中で、唯一『魔力損失0%』を誇る物質。魔術師の魔力増幅装置の役目も持つ触媒に用いるにはこれ以上ないほど最適な素材であり、それゆえにその希少価値の高さにも関わらず多くの魔術師たちが喉から手が出るほど欲しがるという。
天然の賢者の石の鉱脈は”隕石が落下した地域”に限定されており、その組成が地球上のどの鉱物とも一致しない事、地球上では観測されない未知の有機物を含んでいる事から【隕石に乗って地球へとやってきた地球外物質】であるという説が有力である。
なお、人間や魔物などの生命体を材料として製造される人工タイプに対し隕石の落下地点から採取されるものは便宜上”天然”と呼ばれているが、シャーロット博士の解析により”何者かの手により人工的に生み出された痕跡”が確認されており、この解析結果が正しければ【地球外生命体の手により製造された物質】である可能性が示されている。
あの星の海の向こうには、いったい何が存在するというのだろうか。




