ダンジョンに迷い込んでしまったようです
問1、ダンジョンに迷い込んでしまった場合の有効な対処法を応えよ。なお、迷い込んだ対象者はか弱い13歳のキュートな獣人ミカエル君、冒険者の資格は無いものとする。
そんなもの、決まっている。とっとと黴臭いここから逃げ出して、温かいボルシチでも腹いっぱい食べてぐっすり寝る、それが一番だ。あ、その前にシャワー浴びたい……。
レギーナ、心配してるだろうな……夕飯前には何事もなかったかのように屋敷に戻りたいものだが、そうもいかないだろう。
ただでさえ構造が分からないダンジョン、仮に首尾よく脱出したとしても下水の構造がいまいちわからない。下手したら一生ここで過ごす羽目になるのではないかと嫌な事を考えつつ、頭上の大穴を見上げた。
下水道へと繋がる大穴。もちろん、ここを上って脱出……なんてできるわけがない。高さはいったい何十メートルあるかも想像すらできないレベルだ。我ながら、よくここから落ちて無傷で済んでるなと感心する。やるじゃんミカ君。
「……それにしても、ここは」
いったいなんだ……?
いや、何なのかは分かる。ここはダンジョン―――120年前、この世界から忽然と姿を消した人間たちの遺した遺構、それがダンジョンとして指定されている。
なぜ人類の遺構がダンジョンに指定されているか。それにはいろんな理由がある。内部の警備システムがまだ生きていて迂闊に入り込めない場合や、魔物が住み着いて危険地帯と化している場合……いずれにせよ、獣人たちの侵入を拒むような環境となっており、非常に危険な場所であるためダンジョンに指定されている。
そんな危険地帯を渡り歩き、人類の遺したオーバーテクノロジーを持ち帰るのが冒険者の役目だ。
人間だけが姿を消した世界―――遺された獣人たちは彼らの文明や社会をそのまま受け継ぎ、今の世界を維持している。とはいってもその恩恵は人間が遺した高度な文明に依存しているところが大きい。
憲兵隊が使っているマスケット銃や、富裕層にのみ普及している自動車がその一例だ。この世界の技術水準は、前世の世界で例えると概ね1800年代後半から1900年代前半くらいと見ている。まあ、明らかにそれよりも進んだ技術もちょくちょく見受けられるのだが。
文明だけ進んで、しかし人々のモラルや社会は中世の頃と変わらない……なんともアンバランスな世界だ。
さて……さっき見つけたプレートにも記載されていたが、どうやらここは遺伝子研究所のようだった。
クッソ暗い、まともな光源も無い空間。腰にぶら下げた自作のランタンだけが唯一の光源という、暗所恐怖症の人だったら発狂不可避な状況の中で、俺は確かに見た。
3mくらいの高さがある、巨大なガラスの柱。どろりとした培養液に満たされたその中に浮かぶのは、人間と動物を融合させたような、何ともグロテスクな代物だった。
一見すると獣人のように見えるが、明らかに違う。顔の右半分が狼で左半分が人間のものとなっている被験体や、人間の身体に直接動物の身体を繋ぎ合わせたような被験体。こんな非人道的な実験が許されていたと思うと、120年前の人類、つまり獣人の創造主たちに対する憤りが募ってくる。
しかし……妙だ。人類が姿を消したのは120年前。この研究所はその当時から、ほぼそのままの状態でキリウの地下に隠されていた筈だ。まともにメンテナンスもされていない筈なのに、培養液にも、そしてその中に浮かぶ被験体たちにも腐食や腐敗が進行している様子が見られない。
まるで時間が止まってしまったかのように……当時の忌々しい実験の痕跡を、こうして俺の目の前に晒し続けている。
「これは……一体」
恐る恐る、ガラスの柱の表面に触れた。うっすらと埃が付着したそれに手形を刻む。ガラスの柱の中で気泡が浮かび、どろりとした培養液の中を上へ上へと昇っていった。
何だろ、異世界転生したのになんかホラゲっぽい雰囲気になってるんだが……。
ハクビシンの遺伝子ゆえか―――空気の流れの変化を、身体が敏感に感じ取る。空気に流れもなく、ただただ淀んだ空気。その中に何の前触れもなく流れが生じたとすれば、それは異常事態に他ならない。
何事かと考えるよりも先に、身体が動いていた。ジャコウネコ科特有の瞬発力で駆け出し、クッソ暗い部屋の中をとにかく突き進む。それから1秒ほど遅れて、背後で硬い何かが床に叩きつけられるような金属音が轟き、こうして逃げに転じたのは正解だったと確信する。
「くそっ、何なんだ!」
悪態をつきながら振り向き、AKMの銃口を向けた。
腰のランタンの灯りが弱々しく照らす闇の中―――床にめり込んだ巨大な鉄パイプがそっと持ち上げられ、その得物を抱える主が姿を現す。
オリーブドラブの、体毛もない肌。しかしその肉体は先ほど目にしたゴブリンの比ではなく、がっちりとした体格に覆われた格闘家……いや、成熟したヒグマのような、筋骨隆々の肉体だった。身長は2m以上に達するだろうか。耳元まで裂けた口の中にはダガーのようなサイズの大きな牙が幾重にも生え、そこからは食欲を押さえきれなくなった肉食獣の如く、どろりとした涎が溢れ出ている。
耳はお伽噺に出てくるエルフのように尖っていて、髪の毛1つ無い頭には大きな古傷―――剣で切り付けられたような傷だ―――が残っている。
「エルダー……ゴブリン……!?」
―――エルダーゴブリン。
ゴブリンたちの一種で、その中でも長い年月を経て成長した個体の事をこう呼ぶ。通常のゴブリンよりも遥かに巨大で強力な個体とされており、群れを統率するリーダー、あるいは群れの長老のような存在であると考えられている。
無論、長い年月を生きているが故に知能も普通のゴブリンより優れており、たかがゴブリンと侮った騎士団や冒険者たちの裏をかくことも多いと聞く。
エルダーゴブリンがいるかいないかで危険度が大きく跳ね上がる、とまで言われているほどだ。
その威容に圧倒されつつも、自分を奮い立たせAKMの引き金を引く。この世界にも銃は存在するが、前装式のマスケットが主流。立て続けに連発でき、尚且つ無煙火薬によるパワーを約束された自動小銃は未知の武器であろう。
7.62×39mm弾がエルダーゴブリンの分厚い胸板を穿った。ヒグマみたいなサイズのエルダーゴブリンがうめき声を上げ、歯を食い縛りながら突進してくる。
ぎょっとしながら右へと大きくジャンプ。そのまま肩を床に打ち据え、自分でジャンプした勢いを殺し切れずに床をごろごろと転がってしまう。
「……っく、ぁ……!」
さすがにこの程度では死なないか……何だあいつ、熊か? 岩手の山にも熊は出るが、北海道ほどヤバくはない。つーか何だ、北海道の人ってそんなヤバい生物の脅威に晒されてるのか。
左手で胸の傷を押さえながら、エルダーゴブリンがこっちを振り向いた。不意打ちで受けたダメージに怒り狂っているのか、さきほど出現した時よりも怒り狂っている……ような感じがする。
「あ、あはは……ゴブさんゴブさん、落ち着きましょうよ。ぼっ、暴力反対。ね?」
暴力反対、憲法九条……平和を謳う都合の良い言葉を頭の中に思い浮かべつつ、それとは裏腹にセレクターレバーを中段へ。
『ゴアァァァァァァァァァァァァ!!』
「ぬいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!」
何とも間抜けな声を発し、飛びかかろうとするエルダーゴブリン目掛けて、手加減ナシ、慈悲ナシのフルオート射撃。マガジンの中に残った弾丸を全て撃ち尽くす勢いで、とにかくこのヒグマみたいな化け物を仕留めようと足掻く。
コッキングレバーが激しく前後し、シュカカカッ、とサプレッサーに殺された銃声が響く度に、エジェクション・ポートから熱々の薬莢が躍り出る。派手な銃声がしないからか、薬莢が床に落ちる金属音の主張がやけに強く思えた。
アイアンサイトの向こうで、エルダーゴブリンの巨躯に7.62×39mm弾の弾雨が次々にめり込んでいった。さすがに弾道を見抜いて回避などというバケモノじみた動きはしなかったが、果たしてこれで仕留めきれるか……?
ガギンッ、とAKMが沈黙し、連続射撃で熱を持ったサプレッサーがうっすらと白い煙を立ち昇らせる。
その向こう、眉間や胸板をとにかくズタズタにされたエルダーゴブリンが、ぐらり、とその巨体を揺らした。人間の頭など容易く捻り潰してしまいそうな手から、得物だったフランジ付きの鉄パイプ―――というよりアレ普通に配管では―――が零れ落ち、大きな金属音を響かせる。
うつ伏せに崩れ落ち、動かなくなるエルダーゴブリン。微動だにしないのを確認し、エルダーゴブリンの討伐に成功したことを確信する。
「よし……よし!」
これでリーダーを潰した。後は烏合の衆だ。
―――などと、甘い事を考えた直後、身体を背後から思い切り突き飛ばされた。
「あぐっ!?」
床が急に目の前に迫ってくる。そのまま頭を床に打ち付けたようで、意識が一瞬ばかり遠退いた。脳味噌が頭蓋骨の中でシェイクされ、何も考えられなくなる。
一体何が―――その答えは、背後から聴こえてきた子供のような声が教えてくれた。
『キキキキィ!!』
―――ゴブリンだ。
棍棒も何も持たぬ、矮小なゴブリン。リーダーを殺されて怒り狂っているのか、それとも隙を見せた標的に一撃を喰らわせたことに狂喜しているのか。
AKMを咄嗟に向けるが、引き金を引いてもそれは俺の意志には応えてくれない。そうだ、エルダーゴブリンを仕留めるためにマガジンの中身を使い切ってしまったのだ―――その間にもゴブリンは迫ってきて、その鋭い爪を突き立てようとしてくる。
避け切れない。ならばせめて、と左手を爪の前に突き出し、盾代わりにする。
「ッ、ぐぁ……ッ!!」
ドッ、と肉にナイフが突き立てられるような嫌な音。右ストレートを受けたような衝撃から若干遅れて、その鋭い痛みはやってきた。左腕に突き立てられたゴブリンの爪。肉を深々と抉られた激痛にうめき声を発しつつも、辛うじて致命傷は回避できた。
右手をAKMから放し、ライフルの保持をスリングに任せてホルスターへ。マガジンの中身を使い切ったライフルに代わって引き抜いたのは、こういう時のために用意しておいたサイドアーム―――ソ連兵のお供、トカレフTT-33。
安全装置を持たぬそれをゴブリンの腹に押し付け、何度も引き金を引いた。サプレッサー未装着ゆえに派手な銃声が響き、ボディアーマーすら穿つ7.62×25mmトカレフ弾が、華奢なゴブリンの腹に風穴を開ける。
『ギィィィィィィィッ!!』
「こんっ……のぉっ!!」
口から血を吐き出し絶叫するゴブリンの腹を思い切り蹴飛ばした。刺さっていた爪が抜け、傷口に更に激しい痛みが走るが、そんなことに構っていられない。マガジンの中身をまたしても使い切ったトカレフTT-33をホルスターに戻し、AKMのマガジンを引っこ抜く。それをダンプポーチの中に突っ込みながら走り、とにかくこの場を離脱する。
後ろからは他のゴブリンたちの咆哮が迫ってくる。こいつら、やはりリーダーを殺されて怒り狂っているようだった。いやいや、知らんよそんな事。だったら最初からキリウの地下に巣なんて作ろうとするなよな。おいどん不法移民は許さんぜよ。
出血したおかげで頭に昇った血が……そんなわけないか。とにかく、どういうわけか頭の中が少しクリアになった。相変わらず左腕の傷はいつまでも痛み、その存在感を脳へと主張してくるけれど。
新しいマガジンを装着し、コッキングレバーを引いた。合わせてセレクターレバーを下段へと弾き、セミオートへ。
「はぁっ、はぁっ……」
暗い通路を逃げ回り、辿り着いたのはまたしても広大な空間だった。ここにもさっきのように巨大なガラスの柱がいくつか置かれているが、そのほとんどは中身がない。培養液もなく、ただただ透明なガラスの柱と化しているばかりである。
中心に鎮座する、ただ1つを除いては。
「……?」
部屋の中心にある、巨大なガラスの柱。
半透明の蒼い培養液に満たされたそれの中に眠るのは―――蒼い髪を持つ、綺麗な女の子だった。
人間かと思ったが、どうやら違う。培養液の中で踊る頭髪の中からは、まるでダガーのような……イタリアに伝わる”チンクエディア”と呼ばれる短剣、その刀身を思わせる形状の角が伸びている。それは根元ばかりが黒く、先端部に向かうにつれて蒼く染まっているという、随分と変わった色合いだった。
異常なのはそればかりではない。
腰の後ろからは蒼い鱗で覆われた、ドラゴンの尻尾のようなものが生えているのである。
何だこの女の子……竜人……?
少なくとも獣人ではない。だが、人間と竜の遺伝子を組み合わせた竜人なんて聞いた事も……。
『ギギィ!!』
「クソッタレが」
部屋の入口へ銃を向けた。既に入り口には大量のゴブリンが集結しており、次々に部屋の中へと突入してくる。
もう、逃げ場はない……奴らを全滅させるか、こっちが全滅させられるか。状況は絶望的だった。
ちらりと女の子の方を見る。意識はないようだ、死んでいるのか?
でも……あんな綺麗な、妖精みたいな娘の前でカッコ悪い死に様は見せられないよな……。
それにせっかくの二度目の人生だ。せめて足掻いて、足掻いて、全力で抗おう。現実がどこまでも残酷だというのならば、持てる力の全てを以て抗ってみせよう。
それでもなお死神が俺の命を狩ろうというのなら、その鎌を振り下ろすというならそれでいい。全力を尽くして死んだなら、それはそれで納得できる。
だが―――何もせず、抗う事もせずに死ぬのだけは御免だ。
「来いよ……焼きゴブリンにしてやる」
AKMを構え、強がったその直後。
―――背後のガラスの柱が、唐突に割れた。
「―――え」
砕け散るガラスの破片と、舞い散る培養液の雫。
暗い、暗い、闇の中。
ボロボロの布一枚を身に纏った彼女が―――目を覚ました。
人間が姿を消してから120年、ずっとここで眠っていたであろう竜人の少女が。
舞い散る培養液の飛沫の中、俺は確かに見た。
爬虫類、というよりはドラゴンの瞳を思わせる彼女の紅い瞳が、こちらを向いていたのを。
俺が覚えているのは、そこまでだった。