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水面下の戦争

 サイバー攻撃によりサイトで接続障害が発生したため、執筆中だったものを急遽バックアップして投稿したのがこちらになります。





「ラスプーチンが死んだ、か」


 空中戦艦パンゲア艦内、艦首下部に位置する薄暗い艦橋の中。


 壁面や床、天井に刻まれたスリットから漏れる紅い光に照らされた薄暗い空間には、しかし何とも儚いピアノの旋律が響いている。


 プツプツとレコード特有のノイズを交えて聞こえてくるのは、ベートーヴェンの『月光』―――彼女たちの世界から見れば異世界の、遥か昔に生まれた音楽だ。転生者によって持ち込まれた異世界の文化は、彼女たちの世界にも深く根を下ろしている。


 艦長席に深々と腰を下ろし、大きなアームレストに肘を立てるセシリアの顔に、しかしラスプーチンの死を惜しむような表情は見られなかった。ゲームのアイテムを使い切ったから代わりのものを探そう、あるいはスマホのバッテリーが切れたから充電しよう……そんな些細な感覚なのであろう事は、彼女の目の前に立つミリセントにも分かる。


 ラスプーチンというホムンクルスは、あらゆる意味で異質な存在だった。


 他の同期のホムンクルスと比較するとどこまでも弱く、本当であれば落第していたであろう出来損ない。しかしそんな男でも登用されたのは、ひとえに話術に長けていたからだ。テンプル騎士団が求める力ではないものの、政治工作の面で優位に立てると判断した事から、シェリルやラスプーチンの同期であり、()()()()()()()()()()()()ミリセントがスカウトしたというわけである。


 そもそも戦力としてではなく、政治工作要員としての活躍を期待していたわけであり、今回のラスプーチン暗殺も別に驚くべき事案とは言えなかった。むしろラスプーチンは()()()()()()()()()()()()()()()と評価するべきであろう。


 彼はイライナの、ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフの恨みを買い、その注意を一身に集めてくれた。そしてその暗殺のために、血盟旅団のリソースを割いてくれた。


「ミリセント」


「はい、こちらに」


 背後へやってきた黒騎士から酒杯を受け取り、酒を注いでからセシリアに手渡した。


 自分の分も酒を注ぎ、静かにセシリアの酒杯と突き合わせる。


「ラスプーチンに」


「ラスプーチンに」


 そして【ハヤカワ家100年の理想】のために―――。


 暗殺方法は予想外だったが、ラスプーチン暗殺自体は予想された事だ。


 酒を飲み干すなり、セシリアは酒杯を傍らの黒騎士に預けた。


「で、イコライザーの再整備は」


「既に完了しました。弾頭は既にICBM(トーポリM)にセット、最終調整中です」


 あとは、と言葉を続けようとしたミリセントは、ぴたりと言葉を止めた。


 暗闇の中―――悪魔のような笑みを浮かべるセシリアに、彼女は心を奪われたのだ。


(ああ、やはりそうです。同志団長……あなたは……)


 それこそが、絶対的な力で敵を蹂躙していく”魔王”としての姿こそが、貴女のあるべき姿。


 その力を知っているからこそ、血も涙もなく、情け容赦もない絶対者としてのセシリアを知っているからこそ―――祖国クレイデリアを絶望のどん底から引き上げ、世界最強の軍事大国へと成長させた彼女の姿を見て来たからこそ、多くのホムンクルスたちはセシリアに憧れた。セシリアに忠誠心を抱いた。そしてセシリアの背中に英雄の力強さを見た。


 ニュースで見たセシリアの姿に憧れた。


 祖国解放の凱旋パレードで、まだ少女だったミリセントはセシリアに花束を渡した。


 あの時の事はよく覚えている―――駆け寄る警備兵を手で制し、屈んでミリセントと目線を合わせて「ありがとう」と言いながら花束を受け取ってくれた()()()()()()()()姿()は、未だにミリセントの脳裏に焼き付いている。


 だからこそ。


 セシリアを、彼女の気高い姿を知っているからこそ、今の祖国(クレイデリア)が許せない。


 彼女の手で今の平和を勝ち取り、繁栄を謳歌し、祖国を取り戻したというのに、その上に胡坐をかいておきながらセシリアの偉業を非難し否定しようとする輩の事が、ミリセントはどうしても許せない。


 私の団長を否定するな、私のセシリアをそれ以上穢すな―――その一心で、ミリセントはここまで計画を進めてきた。


 セシリアの守らんとした強い祖国を、そして祖国の英雄たるセシリアをこれ以上、何人たりとも穢させないために。


 だから目の前に居るセシリアは、ミリセントたちが憧れたあの時のセシリアだ。()()()()()()()()()()()()()


「団長、もうすぐです」


「ああ」


 既に”イコライザー”の再整備は済んだ。


 発掘した弾頭はICBMにセット、現在はミサイルの最終調整と、空中戦艦パンゲアに搭載されたタンプル砲内部への装填作業を行っているところである。


「殲滅条件は」


「ホムンクルスの遺伝子を持つ人間全員、です」


「想定加害範囲は」


「地球全土。しかし次元の壁を隔てたこちらの世界に影響はありません」


「発射可能になるまでの想定時間は」


「あと72時間といったところですね」


 イコライザーが発射されれば、クレイデリアは―――いや、彼女たちの世界は大混乱に陥るだろう。


 過去の大戦や大災厄、二度に渡る世界大戦に冷戦、フィオナ博士の叛逆……一連の戦災を経て、あの世界の人口は大きく狂った。特にクレイデリアが顕著となっており、国家人口のおよそ9割がホムンクルスとなっている(ホムンクルスと他種族の混血も含めれば9.8割にも達する)。


 イコライザーが次元の壁を超えて着弾すれば、世界人口の実に8割が死滅する計算だ。世界経済も滅茶苦茶に破壊され、地球全土は無秩序の混沌に包まれる。


 今のテンプル騎士団が彼女ら叛乱軍の恫喝に屈しないというのであれば、致し方ない。望み通りに世界を破壊し、生き延びた人間を暴力で統率する。


 そうすることで地球上から”外敵”は一掃される―――地球全土が争いのない揺り籠(クレイドル)と化し、ハヤカワ家100年の理想は達成されるのだ。


「それまでに、タンプル塔に最後通告を突きつけておくとしよう」


「ハヤカワ団長がそれに応じるとは思えませんが」


「だろうな」


 にっ、と笑みを浮かべながら、セシリアはそっと自分の白い首を撫でた。


「むしろ、”斬首作戦”を発動し打って出てくるであろうよ」


「……ですね」


 斬首作戦―――テンプル騎士団の切り札、【特殊作戦軍(スペツナズ)】を投入したセシリア及びミリセント、テンプル騎士団叛乱軍指導者をターゲットとした暗殺作戦。


 それこそが、彼女たちにとっての最後の関門だ。



 

















 同時刻



 次元の壁の向こう 異世界 クレイデリア連邦



 首都『アルカディウス』郊外 タンプル塔



 テンプル騎士団本部








 紅い凶星が瞬く星空の下、弾薬箱から取り出した7.62×39mm弾の連なるクリップを用いて、黒いプラスチック製マガジンに弾薬を装填していく。


 マガジンに押し込まれていく弾薬の抵抗と、収縮されるスプリングの感触。訓練課程で何度もやった事だ―――それこそ身体が覚えるまで、何度も何度も繰り返した。団長の息子だから、そしてあの”ウェーダンの悪魔”の息子だからと特別扱いはされなかった。彼も一緒に、同期の訓練生たちと血反吐を吐いた。夢の中でも悪夢にうなされた。起床時間に流れるサイレンに脅え、ベッドメイク不十分で腕立て伏せを連帯責任でやったりもした。


 全てはこの時のため。


 この身を盾とし、祖国の人民を、その命を、財産を、そして未来を守るため。


 軍隊とはこうあるべきだ。人民の盾となり、剣となるべきだと。決して侵略のための暴力装置であってはならないのだ、と。


 チェストリグにマガジンを押し込み、亡き父が愛用していたものと同型の大型カランビットナイフを鞘に収めた。AK-15をスリングで背負い、サイドアームのPL-15をホルスターへと収めて立ち上がる。


 外では作戦に参加する特殊作戦軍(特戦軍)の黒服の兵士たちが慌ただしそうに駆け回っていた。ドタドタという足音に警報、天井のスピーカーから聴こえてくる放送。まるで戦時中のような喧騒だが、実際そうなのだろう―――既に戦争は、水面下で始まっていたのだ。


「お待ちください同志団長!」


 聞き慣れた声に、しかし彼は振り向かずにそのまま歩いた。


 ガッ、と肩を掴んでくる大きな手の感触。


 団長専属護衛官の”ユーリ”だ。褐色の肌と長い耳が特徴なハーフエルフの男性で、彼の父もまた特戦軍(スペツナズ)の優秀な兵士として、ウェーダンの悪魔―――速河力也と共に戦った強者であったという。


「これは特戦軍の作戦です、何も団長自ら現場にいかなくても―――」


「―――ユーリ隊長、これは俺の母の言葉だ」


 足を止め、彼の顔を見上げた。


「―――”人間の始めた戦争は、人間が終わらせなければならない”。だから俺は母の、セシリアの息子として、母の始めた戦争を終わらせに行く」


 文句は許さん、反論もだ―――言外にそう滲ませながら告げると、ユーリは降参するかのように溜息をつき、手を離す。


「……こうなったあなたは、もう止められませんね」


「意志の強さは両親譲りでね」


「何もこういう時にまで……いや、こういう時だからこそなのでしょうね」


 そうでなければ、珍しい穏健派でありながら実力至上主義の組織であるテンプル騎士団の熾烈な内部争いの中で生き延び、次期団長として選出される事もなかっただろう。


 能ある鷹は爪を隠す―――リキヤ・ハヤカワⅡ世という穏やかな青年にも、しかし爪はあるのだ。


 既に空中戦艦の格納庫には黒服の兵士たちが集まっていた。皆、作戦用の装備に身を包み、後は空中戦艦に乗り込むばかりとなっている。


 整列する特戦軍の兵士たちに敬礼で出迎えられ、リキヤは敬礼で応じた。


「―――同志諸君。今、我らが祖国に未曽有の危機が迫っている」


 穏やかで、しかし危機感と決意の強さを滲ませた声だった。


「この災厄を招いたのは我らの父であり、我らの母だ。これから俺たちは親の、親たちの世代で生じた罪を清算しに行く」


 すう、と息を吐く。



「今一度諸君らに問う―――諸君らは何者だ!?」



『『『『『我らはテンプル騎士団特戦軍!!!』』』』』



「何のためにここに来た!?」



『『『『『祖国を、人民を、未来を守るためだ!!』』』』』



 我らテンプル騎士団特戦軍―――その存在意義は人民のために在り。



 特戦軍のベテランの兵士たちは、確かに見た。



 彼らを率いる団長の姿―――その中に、ウェーダンの悪魔こと速河力也と先代団長セシリアの姿を。



 両親の意思は、しっかりと息子にも受け継がれていたのである。











  テンプル騎士団特戦軍、斬首作戦を発動



  異世界PD-663へ特殊作戦軍を派遣
















 




 1889年 11月16日



 某所 世界のどこか






 カン、カン、と階段に足音が響く。


 この貸家もだいぶボロボロだな、と思いながら、最近お疲れの様子の裏方への差し入れを手に目的の部屋を目指した。


 302号室―――俺たちのセーフハウスだ。


 ノックを3回、続けて2回。


 ドアノブに鍵を差し込むと、回していないのに勝手に鍵が開いた。


 ドアを開けるや途端に冷たい空気が流れ込んだ。


 部屋の中にいたのはこの部屋の主、マレーバクの獣人だった。


「寒い寒い、早く閉めて」


 いかにも不健康そうな部屋のゲーミングチェアに座り、こちらを向く事もなくモニターに向かって何かを打ち込んでいる。


 ドアは閉じると勝手に鍵がかかる仕様となっていて、無駄にセキュリティのしっかりしたセーフハウスだと来る度に感心させられる。


「お、それ好きなんだよね。一息入れよう、コーヒーは棚の上だよ」


「……チッ」


 思わず舌打ちをした。


 何度もコイツには助けられているし、一時は相棒だとも思っていたが……俺はやっぱりコイツの事が嫌いだ。


 なんでもかんでもやる事なす事、挙句の果てには言う事までもを予知夢で先回りして当てられるとさすがに気味の悪さを感じる。


 湯を沸かしてコーヒーを淹れ、ケーキと一緒に持ってくると、このモノクロの世界にいる獣人はまだモニターに向かっていた。


 マレーバクの獣人―――ロスの前にケーキとコーヒーを置き、俺は片付いているとはお世辞にも言えない部屋の隅に腰かけてコーヒーに口をつける。


「すまんね、いただきまーす」


 フォークでケーキを切り分けて食べるコイツに釣られて、俺もケーキを頬張る。クリームの自然な甘みとイチゴの酸味が、苦いコーヒーに程よくマッチした。


「……少しは片付けろよ」


「これでも片付いている方さ」


 普段どれだけ汚いんだ、と心の中でツッコむ。一瞥するにゴミとかはなさそうだが、いかんせん部屋の大きさに対して物が多すぎ、全体的にごちゃごちゃした印象を与えている。


 大量の無線機に数枚のモニター、大きなサーバー、そして作業用のデスクにキーボードとマウス。更には長短2挺の銃。


 全てがゲーミングチェアに座ったコイツから手の届く範囲に置かれているのが、またさらに散らかり様を想像させて嫌になる。


 口に残ったケーキの甘さをコーヒーで流しながら、俺はロスに話しかけた。


「……呼びつけたのはケーキ食うためじゃ無いだろ」


「あ、そうそう。本題ね」


 コーヒーのカップを置きながら、ロスはモニターに何かを映す。


「他の”レンズ”たちからの情報を統合し精査した結果だ」


 そのモニターに映し出されているのは―――他でもない、この世界の裏側で暗躍を続けるテンプル騎士団に関する情報、そして写真の数々。


「お前……!」


「大丈夫、”レンズ”はまだ割れてないさ。一枚もね」


 そんな圧倒的情報量の資料が、PDFに50枚ほど。俺も知らない情報もあれば、知っている情報もある。


「で、アンタの資料で完成するってわけ」


 なるほど、今回の俺の仕事はこの資料に記載された情報の裏取りだった、という事か。


 それを先に癒えよと思いつつ、俺は無言のままポケットからUSBメモリを取り出して渡す。


 ロスはそれを受け取るとPCに差し込み、ファイルを開いた。


「……USBのファイルがウイルスだったらどうするんだ」


「そんなわけ無いだろ」


 これも予知夢なのだろう―――ロスは予知夢で全てを見透かしている。何とも気味が悪いが、そんなものを見分けるのにも有効なようだ。


 PCの画面を凝視していたロスの顔に、何とも楽しそうな笑みが咲いた。


「……っくく……ははは! これで裏が取れた……君たちは本当に優秀なレンズだ」


「そりゃどーも……で、この資料をどうするんだ?」


「”餌”さ」


 くるりと椅子を回転させてこちらを振り向き、立てかけてある銃を手に取るロス。


 M870MCS、それもサプレッサー付きだ。引き出しから赤いシェルを掴み取るや薬室へと素早く入れ、薬室を閉鎖する。


「この資料を血盟旅団の連中に渡せば、これを餌に奴らは喰い付く」


 シュコ、シュコ、と小気味良い音を発しながら、マガジンにもシェルを装填していく。


「お前、前にも言っただろ。銃に弾を―――」


「そこで連中(テンプル騎士団)をこうして叩くのさ」


 ロスが振り向き、窓に向かって引き金を引いた。


 銃声と共に窓が割れ―――()()()()()()()()が地面に崩れ落ちる。


 更にロスは玄関に向かって発砲、玄関に散弾の穴が槍衾のように空き、外で人が倒れる音がした。


「お前、何して―――」


「見てくれば?」


 IWBホルスターから拳銃を抜いてすぐに玄関に向かう。


 相手が敵対勢力の戦闘員や諜報員ならばまだしも、これが通行人だったら事だ。


 ドアを開けて見てみると、倒れている人影の正体は通行人とは程遠い、”拳銃を持った不審者”だった。手にしている拳銃はロシアのPL-15K、そして流れている血は人間の血ではなく安っぽい塗料のような半透明の人工血液。


 コイツはまさか、と思っている間に部屋の中からもう一度銃声。ロスが窓から身を乗り出して、下に向かって発砲し最初に倒した不審者に向かってトドメを刺している。


 俺もグロックにサプレッサーを装着、不審者の頭に2発撃ち込んでトドメを刺した。


 部屋に戻ると、ロスは得意気な顔をしていた。


「-1秒ってところかな? どうだい、予知夢の制度もなかなかだろう?」


 頭を掻きながら大きくため息を吐いた。


「……追手がいるって事は、セーフハウスがバレてるって事だ。移動しなきゃマズい」


「いいや、あと3時間は平気。データは全部これに移した、クラウドにバックアップも取ってある」


 ロスはキーボードを操作すると、突然PCの電源が落ちた。


「無線機の暗号化も済んでる。後は敵がPCを操作したり、キーを押そうとすると()()()


 指をパチンと鳴らしながらイタズラっぽく笑うが、俺はそんな気にはなれなかった。


「さて、少し出掛けてくるよ。戻ったら脱出だ」


「出掛けるって……どこへ?」


 テンプル騎士団の追手が迫ってるというのに、と思いながら問いかけると、ロスは得意気な笑みを浮かべた。


「ん、競馬場。今日は3連単でとんでもない倍率になるからね。まあすぐ戻るさ」


 カバンを掴んで出掛けるロス。


 俺がコイツに怒りを抱いた事は数えきれないほどあるが、今回は本気でコイツを殴りたいと、そう思った。



 



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― 新着の感想 ―
シェリルが次席で首席は誰かと思えばミリセント、それも同期でしたか。そして子供の頃のセシリアへの憧憬から、戦後世界に馴染めずについに狂った…多分そういう批判ができる自由こそ、老いたセシリアが許容し、何よ…
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