凶星来たる
ラスプーチン「シェリルぅ~結婚しよ☆」
泣きシェリル「いやです」
ラスプーチン「ん~嫌がるキミも素敵d」
ガチムチボグダン「 そ こ ま で だ 」
ラスプーチン「死」
《こちら”スカーミッシャー”、空中給油体勢に入る。後方より接近されたし》
「こちらウォーロード、了解した」
Mi-26のでっかいコクピットにどこかぎこちないイライナ語での通信が入ったかと思いきや、間もなくマズコフ・ラ・ドヌー上空に差し掛からんとしていた俺たちのMi-26の左側を、もう1機のMi-26が追い抜いていった。
夜空に溶け込む事を想定した真っ黒な塗装。俺たちのMi-26と同じく、Mi-24じみた大型のスタブウイングを搭載しているが、そこに吊るされているのは対戦車ミサイルやロケットポッドといった重火器ではない。一見すると投下型爆弾のようにも見えるが、それは燃料を満載した増槽である事が分かる。
やがて俺たちの目の前で機体を安定させたスカーミッシャーの機体右側、スタブウイングに搭載されていた大型の増槽、その後端部からラッパ状のノズルを備えたプローブがするすると伸びてくる。空中給油用のホースだ。あれとこちらの給油口をうまくドッキングさせる事で空中給油を行うのだ。
今回のラスプーチン暗殺作戦は、リュハンシクから帝都モスコヴァまでの長旅となる。片道の時点でMi-26の航続距離を過ぎている事は明らかであったため、暗殺してから帰還するまでの往来ができるよう、作戦を遂行するウォーロードとは別に空中給油用装備を満載したもう1機のMi-26を用意しておいたのだ。
既にコクピットに備え付けられたアナログな燃料計の針は危険域へと突入している。このまま無補給で飛行を続けていれば、ギリギリイライナ領に入るか入らないかのところで燃料が付き、ウォーロードは雪原の中へ墜落する事となるだろう。
任務を達成し帰還するのみ、となったところで燃料切れで墜落するなど笑い話にすらなりはしない。それも祖国の僅か数㎞手前で、ともなれば猶更である。
《速度が速すぎる。減速を》
スカーミッシャーの給油管制官から減速するよう指示が飛んでくるが、パヴェルはそんな事は百も承知といった感じだった。指摘されるよりも先に機体を原則、スカーミッシャーとウォーロードの相対速度を上手く調整し、夜風の中で揺れている給油プローブへと機体を近づけていく。
やがて、ガゴン、と重々しい金属音と共に給油プローブとドッキングを果たした。
「ふう」
「さすがだなパヴェル」
副操縦士の席に座りながら言うと、パヴェルは前を向いたままこっちに親指を立ててみせた。
「これもテンプル騎士団の訓練の賜物か?」
「いや、リュハンシク城の地下に自作のシミュレーターを造ってな」
「ファッ!?」
「そこで飛行訓練してた。今回の給油はぶっつけ本番だ」
「嘘だろオイ」
空中給油ってシミュレーターこなしてからのぶっつけ本番でできるもんなのか……それともパヴェルが異常なだけなのか。きっと後者だとは思うけども。
というかこの人、陸軍……というか”特殊作戦軍”という部署の陸戦担当の人だった筈だ。なのになんでその生活圏を空にまで広げてるんだろうか。こんなヒグマみたいな体格で空を飛ぶのクッソ怖いんだが……なにこれトビヒグマ? イライナトビヒグマなの?
そのうち深海にも生活圏を広げそうだ。何なんだこの全環境適応型ヒグマは。
「とりあえず勝手に人をヒグマに分類せんでもろて」
「おっふ心読まれた」
顔に現れやすいのか、それともミカエル君の思考回路はこのキュートな頭から駄々洩れなのか、あるいは俺以外全員が思考回路を読む能力でも習得しているのか、はたまた軽いノリのギャグシーン補正なのか。
とりあえず副操縦士の席に座って空中給油を見守るミカエル君。操縦系統や操縦に必要な計器類は全部パヴェルの座る操縦席に集約されてしまっている(元々コレ全部1人でやるつもりだったらしい。AIの補助も無しでだ)ので、隣に座ったところで格納庫よりも眺めの良い特等席でしかないのだが。
燃料計の針が満タンの方へ振れていき、無線機から《給油完了》とスカーミッシャーの操縦を担当する戦闘人形のパイロットの声が聴こえた。
ゆっくりと減速し給油プローブを外すパヴェル。するすると引っ込んでいくプローブを眺めているミカエル君の視界に、紅い輝きを放つ凶星を頂く夜空が広がる。
今日はやたらと凶星が見える。血のように紅い輝きを放つ星……イライナでは大昔から不幸の象徴とされている禍々しい星。
幼少の頃、星空に凶星が瞬いていると母さんは慌ててカーテンを閉じて俺に早く寝るように促してきたものだ。母さんも凶星の話を信じていたのだろう。科学という概念が浸透していない地域の人間というのはそんなオカルトじみた迷信を信じがちだ。
……まあ、オカルトと断じる事も出来ないのが実情ではあるのだが。実際にミカエル君も幽霊とかとエンカウントしたし。
しかし凶星ねぇ……。
キャノピー越しに見えるだけで1つ、2つ、3つ、4つ、5つ、6つ……あとは……ああ、あれもか。7つ……7つか。
まるで凶星のプラネタリウムのようだ。
こんな数の凶星を見てしまったら、一体どんな不幸が訪れるというのだろうか。
何気なくそう考えたその時だった―――ブーブー、と唐突にビープ音がコクピットでけたたましく鳴り響き、等間隔に響くそれに混じって《Попередження, вас освітлює радар(警告、レーダー照射を受けています)》というイライナ語での女性の音声が流れ始めた。
「なっ―――」
「クソが、尾行られたか!」
操縦桿を倒してMi-26を急旋回させるパヴェル。超大型のソ連製ヘリコプターが、その巨体に見合わぬ軽やかさで右へと進路を変更、それと並行して機体左右と後方からチャフ、フレアをばら撒き始める。
《Наближення ракети. Уникайте, уникайте цього(ミサイル接近。回避せよ、回避せよ)》
ボフ、ボフボフボフ、とチャフやフレアをばら撒くMi-26ウォーロード。大型スタブウイングに重火器を満載した大柄な、しかしサイズほど鈍重さを感じさせない重攻撃ヘリの後方から迫ってきたミサイルはチャフやフレアによる欺瞞を受け誘導を失うや、星空の中に複雑怪奇な白煙の模様を描いたのちに雲の中に飛び込み爆散、炎の華を芽吹かせた。
今のは空対空ミサイルか、と思いレーダーを覗き込んだ。副操縦士の席にも用意されているレーダーの画面を食い入るように見るが、しかし画面には何も映っていない―――緑色の蜘蛛の巣状のレティクルと、黒い背景がそこにあるだけだ。
ギュオッ、とMi-26ウォーロードのすぐ傍らを高速で何かが通過していった。そいつが残していった衝撃波にMi-26の巨体が揺れ、再びビープ音がけたたましく鳴り響く。
「何だ今の、戦闘機か!?」
「いや……そうかもしれんが」
パヴェルの頬を、一筋の冷や汗が滴り落ちる。
「ミカ、今敵は見えたか?」
「……いや、何も」
認めたくなかった。
何かの見間違いであってほしかった―――任務で蓄積した疲労のせいで強めの幻覚でも見たものだと、そうだと信じたかった。実際にそうであったならばどれだけ気が楽だった事か。
確かに”何か”が通過していったのは分かった。そしてその”何か”がミサイルを撃ってきたのは分かった。けれどもこちらを追尾し、ミサイルを撃ってきた”何か”が至近距離を通過していったというのに、何も見えなかったのである。
「レーダーは?」
「何も反応なし」
「……」
《こちらスカーミッシャー、ロックオンされている》
イライナ方面へと進路をとっていた空中給油装備のスカーミッシャーにも、姿なき襲撃者は牙を剥いたらしい。
狙いをつけられているにもかかわらず淡々としたパイロットの声。通信越しに《Наближення ракети. Уникайте, уникайте цього(ミサイル接近。回避せよ、回避せよ)》というビープ音混じりの警告メッセージが聴こえ、ぶわっと脂汗が浮かぶのが分かった。
チャフ、フレアを散布し回避を試みるスカーミッシャー。さながら天使が降臨したかのようにフレアが左右へと散布され、発射されたミサイルが見事にそれに騙されてあらぬ方向へ逸れていく。
レーダーを見たが、やはり反応は無い―――そんな馬鹿な事がある筈がない、とミサイルが飛来した方向を見てみるが、やはり何もなかった。無数の星が浮かぶ夜空があるだけで、こっちにレーダー照射をかました敵戦闘機の姿はどこにもない。
「パヴェル」
「―――ラウラ・フィールドだ」
間違いない、とパヴェルが唇を噛み締めるように言う。
ラウラ・フィールド。
微細な氷の粒子を散布することで周囲の光の屈折角を偏向し、文字通り”透明になる”テンプル騎士団謹製の光学迷彩システム。名称のラウラとは、この光学迷彩を氷属性魔術で編み出した大昔の魔術師、ラウラ・ハヤカワに由来するものであるという。
また消す事が出来るのは姿だけではない。
初期型では姿のみ消す事が可能な光学迷彩であったが、後期型からは氷の粒子にナノマシンを添加することで、そのナノマシンにより”レーダーの電波と真逆の位相の電波をぶつけて相殺する”という芸当まで可能になったらしく、これを用いた対象は正真正銘の透明に、この世に存在するが存在しない姿なき襲撃者へ変貌するという。
このMi-26にもそれが搭載されている。機首にくっついている複合センサーみたいなデバイスがそれだ。
よもやそれを、襲撃者は戦闘機にまで搭載してきたというのか。
なるほど―――ラスプーチンを消し、文字通りテンプル騎士団最大の脅威となった俺たちを是が非でもここで亡き者にするつもりか。
ちらりとスマホを見た。画面をタップしマップを開くが、Mi-26ウォーロードはもう少しでマズコフ・ラ・ドヌー上空に差し掛かる……というところだ。リュハンシク州まではもう一息という距離だが、迂闊に戦闘機の緊急出撃を要請し越境での作戦行動が明るみに出る事は避けたい。
しかしこっちは火力支援を前提とした対地攻撃用の装備であり、自衛用の空対空ミサイルの類すらない。
辛うじて役に立ちそうなのはスタブウイングの12.7mmガンポッドと、ドアガンとして用意されている74式車載機関銃。しかし相手の機種が何であるにせよ、こんな豆鉄砲で戦闘機を撃ち落とせるものだろうか。
せめて20mmは欲しいな、と苦い表情をしていたところに、更なるビープ音が響き渡る。
《Наближення ракети. Уникайте, уникайте цього(ミサイル接近。回避せよ、回避せよ)》
「クソ、2機目か!?」
「1機だけじゃ……ない……!?」
みぞおちに、重々しい絶望が沈み込む。
謎の透明戦闘機―――その数、少なくとも2機。
「ふざけやがって」と悪態をつきながらMi-26を急旋回させるパヴェル。さっきの回避時と比較するとあまりにも角度が急で、ミサイルの警報に加えて失速警報まで鳴り響く。
カチ、とパヴェルが操縦桿にある赤いボタンを押し込んだ。
ヴヴヴヴヴ、とスタブウイングに備え付けられたガンポッドが盛大に火を吹いたかと思うと、急旋回して180度急速反転を成し得たMi-26ウォーロードの機首が接近中の空対空ミサイルを睨んだ。
曳光弾混じりの12.7mm弾の豪雨が、追尾してくるミサイルへ伸びていく。
カッ、と紅い炎の華が吹き荒れた。
爆炎が衝撃波に突き抜かれる。円形に切り取られた衝撃波のトンネルを凄まじい速度で何かが突き抜けるや、急速反転とミサイル迎撃という離れ業をやってのけたMi-26ウォーロードの右側を通過。ギャォッ、と引き裂かれる空間の断末魔が耳を聾し、背筋に冷たい感覚が走る。
《メーデー、メーデー、メーデー》
警報交じりの淡々とした声。
ハッとしながら周囲を見渡すや、キャノピー越しに火達磨になった大型ヘリの影が星空に浮かんだ。
増設されたスタブウイングには燃料を満載した増槽がある。
スカーミッシャーだ。俺たちに空中給油をしてくれていた味方のヘリが、被弾し火達磨になっているのだ。
《こちらスカーミッシャー、被弾した。墜落する、墜落する。当機は墜落する》
パイロットは戦闘人形だ―――だからなのだろう、インプットされたプログラムに従って淡々と規定通りのタスクをこなしているだけで、人間のパイロットのような焦りや恐怖はその声からは感じられない。
だが―――機械であるとはいえ、味方が死んでいこうとしている光景は、俺の心に大きな爪痕を刻んだ。
被弾し火達磨になったスカーミッシャー。給油用の残燃料か、あるいは自身の燃料タンクに引火でもしたのだろう。より一層身に纏う炎の勢いを強くするや、伝承に残るサラマンダーのような業火を閃かせて雲の中へと沈んだ。
大きな爆発が生じたのは、その直後だった。
「……!」
「……スカーミッシャー、ダウン」
苦味を含んだ声で、パヴェルが告げた。
クソが、と吐き捨てて席を立ちあがる。そのままキャビンへと向かうや機体左側のドア付近にある転落防止用ベルトをハーネスに装着、フックをしっかりと固定したのを確認してからドアを開け放つ。
フレキシブル・アームにマウントされた74式車載機関銃を掴んだ。銃口を機外へ晒しコッキングレバーを引いて初弾を装填、押金に指を押し付ける。
「Давай, сволота! Пошлю вас до біса!(かかってこいよクソ野郎! 俺が地獄に落としてやる!)」
叫び、押金を押し込んだ。
凶星
紅い輝きを放つ星の総称。ノヴォシア、ベラシア、イライナなどの国や地域において、夜空で血のように紅い輝きを放つ星は不幸の象徴、あるいは凶事の前触れであると大昔から考えられており、特にイライナでは『凶星を見た者は早死にする、あるいは無残な死を迎える』と信じられている。




