出口のない心理戦
クラリス「先生、実は最近眠れなくて……どうしてもご主人様と性欲剥き出しの○○○○をする事を想像してしまって全く寝付けませんの」
医者ミカエル君「とりあえず頭のお薬処方しておきますね???」
「はぁっ、はぁっ、はぁっ」
通路の曲がり角で立ち止まり、壁に背中を預けながらナガンM1895を取り出した。ローディングゲートを開けてエジェクターを操作、シリンダーの中に残っている7.62mmナガン弾の空薬莢を1発ずつ排出していく。
キンッ、と小さな金属音を発して床に落ちた薬莢が、瞬く間に錆びた粉末へと姿を変えていった。薬莢に塗布されているメタルイーター(※金属などの特定の物質を食い荒らし錆びさせる微生物)が活性化した事によるものだ。
ベルトのホルダーから7.62mmナガン弾を取り出し、ローディングゲートから1発ずつ装填。マグチェンジでは到底味わえない緊張感を楽しみつつも、あのラスプーチンとかいう化け物を何とかするために頭を回転させてみる。
まず、何故アイツがあれだけの攻撃を急所に受けて生きているのか、という事だ。というか問題はそれに尽きる。
ノビチョクを舐めても体調を崩す素振りすら見せず、弾丸を頭と心臓に複数発叩き込まれてもピンピンしているのは何故か?
ホムンクルス兵の外殻で弾いたわけではあるまい。あれはあくまでも表皮を瞬時に単分子構造の外殻へと硬化させる事で物理的なダメージから身を護るためのものであり、被弾したラスプーチンには外殻を展開している様子はなかった。
普通に被弾し、身体に穴を穿たれて血を流していたのである。常人であればとっくに死んでいる程の傷を受けて……それ以前に世界最強の毒ガスとして悪名高いノビチョクの原液をベロベロ舐めて、なにゆえピンピンしているのか。
特異体質……にしては異常が過ぎる。毒でも銃撃でも殺せないのならばどうしろというのか。
ジリリリリ、と火災警報装置のけたたましい音が鼓膜を殴り続ける。早く脱出しなければ、やがてここにも火の手が回ってくるだろう。そうでなくとも火災の際に恐ろしいのは煙や一酸化炭素中毒、酸欠だ。一酸化炭素を盛大に吸い込んで意識を喪失、その間に上手に焼けましたではシャレにならない。
脱出を優先するべきか、それともラスプーチンの暗殺作戦を継続するべきか。
判断に迷いつつも移動しようと頭を通路に晒そうとしたその時だった。
ゾッ、と背筋を冷水が流れ落ちていくかのような悪寒。どういう理屈かは分からないが、このまま飛び出したら危険なのではないかという気がして、咄嗟に前に出した右足を踏ん張って踏み止まる。
ヒュン、と顔を出していたのならばきっとそこにこめかみがあったであろう空間を、黒塗りの投げナイフが通過していった。
戦場に長く居ると、時折自らに迫る死の気配を感じる事がある……かつてテンプル騎士団特殊作戦軍に身を置き、数多の特殊作戦に従事してきたウェーダンの悪魔ことパヴェルはそう語る。死神の気まぐれか、あるいは死に触れる事でいわゆる第六感が研ぎ澄まされているのか、はたまた限定的な未来予知などというオカルトじみた要素がなし得る事なのかは定かではない。
彼はその感覚を”戦場の声”と呼んでいる。
今のもきっとそうだ。キュートなミカエル君の死を惜しんだ死神がこっそり教えてくれたのかもしれない、などと変な事を考える一方で息を呑んだ。
「おや、気配は消したつもりでしたが」
コツ、コツ、と床を鳴らす硬質な足音。
ラスプーチンだ―――俺を追っていたあの野郎が追い付きやがったのだ。
「その鋭敏な危機察知能力に先ほどの身のこなしから推し量るに、イタチかアナグマ……あるいはジャコウネコ科のいずれかの獣人ですね。そして銃を持っているという事は九分九厘転生者の関係者か転生者そのもの」
限定的な情報をどんどん展開させていき、真相に近付いていく―――とんでもねえ洞察力の持ち主だ、と思う。その才能をこんな悪事ではなく探偵とか憲兵として治安維持に生かしてくれれば、警察組織も事件を迷宮入りさせる事なく腐敗もせず、民衆からの支持を確固たるものにしていただろうに。
「その条件を前提に、今ここで私を討たなければならない立場にあるのはイライナの関係者。そしてその小柄な体格……もう私には、あなたの正体がおおよそ見当がついていますよ。ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフ公爵」
バレてら。
やっぱりコイツの目の前に身を晒したのは失敗だったか(とはいえそれは標的がノビチョクでも銃で撃たれても死なないというイレギュラーが発生したからやむを得ない事ではあるのだが)。
コツ、コツ、と足音が近づいてくる。意を決して飛び出すべきか―――眉間にナイフが飛んでこない事を神様にお祈りして、息を吐いてから飛び出した。
それと同時に時間停止を発動。曲がり角から通路へ躍り出た俺のすぐ目と鼻の先には、艶のない黒で塗装された投げナイフの切っ先が3つ、散弾の如く扇状に撃ち出されたコースで佇んでいた。
それらの切っ先から逃れたところで時間停止の効果時間が終了。ビュンッ、と空気を割く鋭利な音をこれ見よがしに響かせ、通路の壁に深々と突き刺さる投げナイフたち。
「おや、また」
化け物め、と胸中で悪態をつきながら引き金を引いた。
プスプスッ、とナガンM1895から2発の弾丸が飛び出して、ラスプーチンの左肩と首に喰らい付く。
被弾した長身痩躯のラスプーチンは身体を揺らしたが、やはり倒れる素振りは見せない。傷口からはじわりと血が滲み、確かに弾丸がその柔肌を食い破った事を雄弁に証言しているのだが……なぜこれだけ被弾しても死なない?
「無駄ですよ」
音もなく僧衣の長い袖口からナイフを取り出しつつ、ラスプーチンは左手の人差し指でメガネを押し上げた。
「怪僧ラスプーチンに死という概念は存在しません」
そんな筈はない。
不死のホムンクルス兵など聞いた事が無い―――いや、むしろ彼らほど死を明確に突きつけられた存在も無いだろう。オリジナルよりも遥かに短いテロメアを持ち、それ故に生まれながらにして短命が約束された儚い生命たち。
その因果を捻じ曲げ永遠の命を手にするなど、そんな事が果たして可能だというのか?
舐めるなよ、と時間停止を発動。制止した時間を攻撃に転用するべくナガンリボルバーの引き金を二度引いた。
薬室を飛び出した弾丸が、1発、2発とサプレッサーの外で立て続けに静止する。時間が凍結した空間に囚われた弾丸たちは、しかし1秒というあまりにも短い時間停止の効果が切れるや再び運動エネルギーを取り戻して、躊躇なくラスプーチンへと飛び込んでいった。
2発の弾丸がラスプーチンの胸板―――それもほとんど同じ場所へ立て続けに着弾。1発目の弾丸が彼の胸板に牙を突き立てるや、後続の弾丸が1発目の弾丸の背中を更に深く押し込んだ。
2発の弾丸を用いた、鉛弾のビリヤード。
被弾しても痛みを感じる素振りを見せなかったラスプーチンも、しかしさすがにこれは耐えかねたらしい。眼鏡の奥の紅い瞳をカッと見開くや、きつく噛み締めた唇の隙間からやっと紅い血を滴らせ、左手を胸の傷口へと当てる。
他の傷口よりも大量の血が、どくどくと溢れ出る―――血に混じって何か、飴の欠片のようなものも流れ出た。
あれはなんだ?
「……ぁぁぁぁあ、血が」
ラスプーチンの声から、先ほどまでの余裕がかすれ始めた。
「―――血が出たじゃあないですかァ!!!」
自らの血でべっとりと濡れた左手を、左から右へと力任せに薙ぐラスプーチン。その瞬間、手のひらに付着していた大量の血糊が遠心力で剥離して―――さながら散弾銃の掃射の如く拡散、こっちに向かって飛んできやがった。
間髪入れず時間停止を発動、曲がり角に身を引っ込めてそのまま走り出す。
時間停止が終わるや、背後からドガガガガガッ、と機銃掃射をお見舞いされたかのような音が聴こえてきた。当たり前だが振り向く余裕もなく、そのまま突っ走り続ける。
明らかに雰囲気が変わった。
先ほどお見舞いした弾丸のビリヤードがそんなに効いたのか―――1発の弾丸で効果は無くとも、2発の弾丸を同じ部位に叩き込んで通用した。これは何を意味するのか。
「パヴェル」
《ああ、見てた……何だアレは》
「分からん……2発の弾丸を同じ部位に撃ち込んだら効いたようだが」
《一発目のダメージを無効化ないし半減させるスキルでもあるのか?》
《いえ、ホムンクルス兵にそのようなスキルはありません》
「いずれにせよ多段ヒットで攻める」
《了解、だが無茶するな……引き際は見極めろよ》
「了解」
ドンッ、と目の前の壁が弾け飛んだ。
まるで反対側に設置されたTNT爆薬でも一斉に起爆したような吹き飛び方。濛々と立ち昇る煙の中から何かが勢いよく飛び出してきて、俺は咄嗟に時間停止を発動しながら頭を右へ振るようにして回避する。
ヂッ、と頬を焼くような痛みが走る。時間停止を発動した時点で既に攻撃は当たっていたらしい―――薄く裂けた頬から血が滲む。
静止した時間の中、飛来した攻撃に目を向けた。
そこにあったのは、棘のように伸びた赤黒い……人間の血だった。
そう、血だ。
血を固めて棘にしたかのような物体が、そこに浮かんでいたのだ。
血、というよりは瘡蓋と評するべきだろうか。すっかり凝固したそれは間違いなく、擦りむいた膝とかによくできる瘡蓋のそれだ。
先ほどの反撃といい、この瘡蓋みたいな物体を投射する攻撃といい……もしやラスプーチンは血を武器にしているのか?
時間停止が解除されると同時に、AK-12SKに持ち替えて前方の空間へと連続射撃。相手の姿が見えないので命中は期待できないが、とにかく弾丸をばら撒いて相手を牽制、ダメージを与えられれば儲けもの程度の考えで撃ちつつ、今しがたぶち破られた壁の穴へと飛び込んだ。
そのまま足を止めずに全力疾走。うっすらと焦げ臭い空気が充満する中を走り、広間へと出る。
《今のは……血、か?》
《ミカ》
「カーチャか」
《ラスプーチンの奴、もしかして”血属性魔術”を使ってるんじゃ……?》
ホムンクルス兵が魔術を使う?
有り得ない事ではないが……と思っている間に、立ち直ったシェリルが言う。
《確かに、有り得ない話ではありません。我々ホムンクルス兵はこの世界からすれば異世界人ですが、それでも適性さえあればこの世界の魔術は使えます》
そう、理論上は不可能ではないのだ。この世界の魔術を使う条件はあくまでも先天的な適性を持っているか否かが全てであり、生まれがどの世界とか、そのような要素は魔術を使うための条件に全く絡んでこないのである。
「シェリル、奴が魔術を修めたという話を聞いた事は?」
《申し訳ありません、あんなゴミムシみたいな奴と関わりたくなかったので距離を置いてたものですから》
「……そうか」
《その節はシャーロットにも協力してもらい、”全自動ラスプーチン検出器”や”ラスプーチン撃退システム”などの発明品を製作していただいて全面的に隔離を》
「シャーロット有能過ぎない???」
気のせいだろうか、窓の向こうの星空にシャーロットの姿が浮かぶやウインクしながらブイサインで「ぴーす」なんて言ってる姿が一瞬見えた気がするのだが……。
まあそれはさておき、だ。
血属性の魔術となると色々と厄介なことになってくる。
血属性魔術はその名の通り、血を操る事が可能な魔術である。自分の血を斬撃にして飛ばしたり、ああやって凝固させて血の弾丸にしたり、あるいは剣に塗りたくって相手に対するデバフを付与したりと使い道は様々だ。
しかし自傷行為が伴う事や、血属性魔術を取り扱う宗派の多くが宗教独自の儀式や祈祷に生贄を使う事も珍しくないなどの事から、多くの宗派から邪教やら黒魔術の認定を受けている。
先ほどラスプーチンの傷口から鮮血と一緒に流れ出てきた、何かの破片のようなものを思い出す。
―――なるほど、そういう事か。
道理で銃撃が通用しないわけだ。
それでただ銃弾を撃ち込むだけでは通用せず、されど弾丸のビリヤードで2発を同じ部位に撃ち込んで効いたわけか。
「―――なんともまあ、ちょこまかと」
コツ、と足音を響かせながら広間へやってくるラスプーチン。
彼の背後にある窓の近くでは炎が揺らめいており、周囲の壁やカーテンにも燃え移っているところだった。鼻腔へと流れ込んでくる空気の焦げ臭さが一層濃くなり、マイカ宮殿全焼という最悪の結末がいよいよ現実味を帯び始めた事を訴えてくる。
一瞬だけ、視線を真上に向けた。
外の惨状も知らず、ラスプーチンの頭上には瀟洒なシャンデリアが悠然とぶら下がっている。
「しかし解せない。貴方がミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフならば……キリウの軍事パレードに出ている彼女は何者なのか。まあ大方影武者なのでしょうが、よくもまあ瓜二つの人材を見つけ出して―――」
おしゃべりに付き合うつもりなど毛頭ない。
セレクターレバーを弾き、AK-12SKをフルオートに。
そのまま腰だめで銃口を上へと向け、シャンデリアへと発砲する。
その直後だった―――ラスプーチン目掛けて、特大サイズのシャンデリアが落下していったのは。




