姿なき死神
ラスプーチン「シェリルのリコーダー! シェリルのリコーダー!!」
セシリア「 な に あ れ 」
ミリセント「 知 り ま せ ん よ 」
ホムンクルス兵には、製造時期によって”フライト”と呼ばれる区分が存在する。
軍艦や戦車、戦闘機と同じだ。
身近な例で言うと、初期生産型の個体群に属するウチのクラリスは”フライト1”に分類される。
テンプル騎士団のホムンクルスはオリジナルの遺伝子を基に細胞を培養、そこから胎児を作り出し培養液の中で赤子の状態まで成長させてから装置の外に出して、そこからは育成担当のホムンクルスの元に預けられ普通の人間のように育てられる。
なぜこんな人間らしさを重視した育成方法なのかというと、彼女らの祖国クレイデリアでは【全てのホムンクルスは人間であり、基本的人権を保障されるべき存在である】と憲法で規定されているからなのだそうだ。まあ確かにそれはその通りで、素手で金庫の扉をぶち抜いたりサキュバスをワンパンで月まで吹っ飛ばすホムンクルスを奴隷のようにこき使い、反感を買って反乱でも起こされたらたまったもんじゃない。
基本的人権という権利を持っているからこそ、道具としてではなく同じ人間として尊重しよう―――そんな社会的な認知もあって、最初期のホムンクルス兵は製造に際し遺伝子操作などを一切行わずに生産されていたという。
タクヤ・ハヤカワという個人を雛形としたホムンクルスであるがゆえに、ある程度能力にはまとまりがあったが、それでも遺伝子操作を一切行わない事によって能力には大きなばらつきがあったらしく、クラリスのように身体が大きく戦闘に適した個体もいれば、気弱で不器用、まるで戦闘に向かないホムンクルスまでさまざまだったそうだ。
人権という観点で見れば、軍事利用を前提に遺伝子を弄り回すなど言語道断でありご法度、それこそ宗教次第では神の領域に足を踏み入れる冒涜的行為として糾弾されもするだろう。
しかし軍事的な面から見れば、到底満足いくものではない。
冒涜的な表現である事をお許し願いたいが、軍という巨大なシステムの中で最も高価な部品は人間だ。装備、訓練、実戦に出るまでの衣食住すべてに出資を強い、それでいて戦闘になればあっさりと命を刈り取られる兵士たち。積み上げてきたコストが一瞬でゼロに、そしてその積み上げが負債になっていく。
特に基本的人権が重視される先進国では、戦死者の多発は厭戦に繋がりやすく忌避されるものである。
だから軍が求めるのは『ある程度能力が高く』、『喪失しても替えが利き』、『それでいてなるべく個体差によるばらつきが少ない』兵器だ。
そういう意味で、初期生産型のホムンクルス兵は満足いくものではなかったのだ。
その結果、セシリア・ハヤカワが実施した権力の中央集権化と権威主義体制の元で憲法が改正され、遺伝子操作を解禁した世代が世に出るに至った。
こうして生まれたのがフライト138に属するシャーロットと、安定を何よりも求めたフライト140に属するシェリルである。
ラスプーチンもシェリルと同じくフライト140に属するホムンクルス兵だ。遺伝子操作による能力の均一化と高水準化という処置を受けていてもなお、同じフライト140の個体群の中では落ちこぼれで周囲には置いて行かれるという哀れな出自だったそうだが……しかし。
なぜだ。
なぜノビチョクが効かない?
『うひゅ、ひゅひゅひゅひゅ……シェリルってばそんなに喜んじゃって可愛いねぇ』
《ヴ゛ォ゛ッ゛》
《パヴェル、シェリルがまた!》
《馬鹿お前もう下がってろ、死ぬぞそのままじゃあ!》
《い、嫌です……死因が嘔吐なんて》
あークソ、と何かを拭き取る音に続き、《ごめんミカ、急遽オペレーター交代だわ》とパヴェルの声が聴こえてきた。なんだろうこの安心感。
「お、おう……それよりアレ」
《うわきっしょ死ねばいいのに》
「だから殺しに来たんだろォん???」
いやそうじゃなくて。
「パヴェル、ノビチョクが効かない」
《馬鹿な……原液だぞ》
数量でも人間にとっては致死量となる世界最強の毒ガス、ノビチョク。そんな代物をラーメン啜りながら作るパヴェルももうちょい安全意識を持ってほしいところだが、それはさておきコレはどういう事なのか。
ノビチョク入りのプチフールをパクつき、あまつさえノビチョクの原液を塗り込んだリコーダーをベロベロ舐め回しても未だに効果が表れる素振りがないのである。
「何か抗体でも持ってるんじゃないのか」
《いや、そんな筈はない》
《そうよ、同じホムンクルス兵なら私もノビチョクで討伐してるもの》
それはそうだ。
何かしらの抗体を持っている、という可能性はそれで明確に否定される。特にフライト140は最初期の個体群以来の問題であった「個体差の大きさ」の是正、及びシャーロットが属するフライト138の反省点を生かした「技術的冒険の徹底回避」をコンセプトに、”能力の高水準化及び均一化”を目指して製造されている個体群である。
限りなく均一に、それでいて高水準にという調整を受けて生まれている以上、都合よくアイツだけが何かしらの抗体を持っているなんて事は……。
「……いや」
もう少し、頭を柔らかくして物事を考えろミカエル。
シェリルの話を思い出す―――ラスプーチンというホムンクルス兵が、彼女らの世代の中で嘲笑の的になる程の劣等であった、という事を。
―――能力の均一化を徹底した個体群で、そこまで落ちこぼれるものか?
そう、辻褄が合わないのである。
確かにホムンクルス兵もまた機械ではなく人間。兵器である以前に兵士であり、兵士である以前に人間なのである。どれだけ生まれる前から遺伝子を弄り回しても必ずどこかで個体差は生じるものだ(それが極端に小さいのがフライト140と解釈するべきだろう)。
そんな個体群の中、突出して能力が劣る個体が生まれ落ちた。
実はラスプーチンはフライト140ではない―――いや、それはない。
製造工程で何かしらのエラーが生じた規格外個体―――可能性としてあり得るのはこれだろう。
遺伝子調整のミス、あるいは何らかのエラーで偶然生まれてしまい、他の兄弟姉妹とは不利な状態で、スタートラインのかなーり後方から兄弟姉妹の背中を追う事を余儀なくされた規格外個体。おそらくはそれがラスプーチンなのだ。
その際の調整ミスか何かで、偶然にも何らかの抗体を手にしていたのだとしたら?
「シェリルは?」
《まだ吐いてる》
「シェリルに”過去に製造工程のエラーで生まれた個体が特殊な能力を手にした事例はあるのかどうか”、確認してくれ」
《分かった》
これしか考えられない。
しばらくして、苦しそうなシェリルの声が聴こえてきた。
《ミカエル》
「大丈夫か」
《過去……そのような事例は僅かに2回だけ。記録ではフライト121で異常に腕力が発達した個体が、フライト111で一切の毒を無効化するほどの抗体を持った個体が誕生しています》
事例はあるのか。
なんてこった、と悪態をつく。
もしこの推測通りならば、神様は慈悲深い存在なのだろう。
何も持たず、嘲笑の的にされていた哀れなホムンクルス兵の少年を哀れんだ神様が彼に与えた、たった一つの贈り物。
世界最強の毒ガス、その原液すらも受け付けないほどの抗体―――状況は限定されるが、しかしこういった局面ではこれ以上ないほど厄介だ。もしラスプーチンにもそんな抗体があったのだとしたら、毒殺は選択肢から除外される。
クソッタレ、結局は自分で手を下す事になるのか。
「……確認しておくが、ラスプーチンの実力はそんなに強くはないんだよな?」
《はい……カールグスタフ無反動砲を担いで100㎏行軍する程度で息が上がる落ちこぼれです》
「十分化け物じゃねえか」
弱いだの落ちこぼれだのボロクソに言われていたラスプーチンだが、結局それは周りが化け物ぞろいであっただけであって、普通の人間の兵士として見れば普通に優秀なレベルであると考えるべきだろう。
毒殺は通用しない……ならば直接手を下す事になるが、しかしここはマイカ宮殿のど真ん中。馬鹿正直に真っ向から挑めば警備兵を呼ばれるし、万一顔を見られたら面倒なことになる。
まさか自分の顔が外交問題に発展する事になるとは夢にも思わなかったよ2年前のミカエル君は。もし過去に戻る事が出来るなら、ASMRの如く教えてやりたい。『ざぁーこ♪ お前の顔は2年後国際問題になる顔だゾ☆』って。どんな顔だよ(こんな顔だよ)。
スマホを取り出し、セットしていたタイマーを見る。
火焔爆弾起爆まであと5、4、3、2、1……。
《着火》
シェリルの冷静な声が聴こえてから3秒ほど経過した後。
パリンッ、と何かが割れるような音と共に、ごう、と炎が一気に燃え上がる音が聞こえた。ここからでは外の様子を窺う事が出来ない……と思っていたところでカーチャが気を利かせてスマホにドローンからの映像を転送。四方から火の手が上がるマイカ宮殿の姿が夜のモスコヴァに浮かぶ。
庭を警備していた警備兵たちも慌てふためいたようだ。消防署に通報する者、主であるピュリコフ公爵を救出するべく果敢にも宮殿へ突入する者。パニックに駆られてこそいたが、各々がやるべき事をしっかりとこなしているように見えた。
優秀だな。騎士団上がりの兵士をスカウトでもしたのだろうか。
感心しながらも、ピュリコフ公爵を連れた兵士が出てきたタイミングでスマホをポケットに戻した。
息を吸う。
ホルスターからナガンM1895を引っ張り出し、サプレッサーを装着。
《ミカ、ウォーロードは宮殿上空に大気中―――いつでも呼べ》
息を吐き、短く返事を返す。
べろべろとリコーダーを舐め回しているラスプーチンは、未だに外の惨状に気付いていない(オイオイ嘘だろ)。
音を立てないように通気ダクトの金網を取り外し、狙いを定めた。
テンプル騎士団の腐れ外道、地獄に落ちろ。
殺気を出さず、淡々と引き金を引く。
重いトリガープルの後、撃鉄がシリンダーへと潜り込んだ。リボルバーには珍しい7発入りのシリンダーの一角に収まっていた7.62×38mmナガン弾、その雷管を思い切り殴打された事により、装薬が急激な燃焼を開始する―――それと同時にシリンダーが前進、ガス漏れの原因となっていた銃身とシリンダーの間にある隙間を完全に埋めた。
発射ガスを100%受け取った弾丸が、しかし銃口に装着された専用のサプレッサーによって発射ガスを逃がされ減速。本来発するはずだった派手な銃声を9割がた取り上げられた状態で飛び出した弾丸は、気配を完全に消した見えざる暗殺者からの一撃となってラスプーチンの頭部―――リコーダーを犬みたいに舐め回すアホ面の側面、ちょうど側頭部を撃ち抜いた。
『シェ り゛っ』
ぶつり、と恍惚的な声が途切れる。
バラクラバとその上から装着した防弾プロテクターで素顔を隠した状態で、俺はやっと狭苦しい通気ダクトから飛び出した。足音を立てずに着地し倒れ伏したラスプーチンの傍らに向かうや、死体を検める。
側頭部には銃弾で撃ち抜かれた傷口があり、そこからは赤ワインみたいな血が流れ出ていた。
いくらホムンクルス兵といえども、外殻を展開していない時は常人とそう変わらない。多少骨格の密度と筋肉の強靭さに違いがあるだけの、ただの人間だ。
頭をぶち抜かれていれば得意な話術も、ホムンクルス特有の外殻による戦車並みの防御力も関係ない。
とはいえ念のため、確実に消しておく。
右足の爪先で死体を押し、仰向けに寝かせる。
そのまま1発、2発。心臓のある辺りにナガン弾をぶち込んだ。パスパスッ、と銃らしからぬ空気の抜ける音と共に胸板に穴を穿った弾丸たち。被弾に合わせてラスプーチンの身体が揺れ、半開きの口の端からは一筋の鮮血が溢れ出る。
シェリル、シェリル……こと切れてもなお、片思いの彼女の名を連呼する声が聴こえてきそうな、何度も不気味な死に顔だった。
「……終わった」
《……清々しました。ありがとうミカエル》
「50万はナシか……懐が寒くなるな」
《よく言うよ。とりあえずお疲れ様だミカ。通気ダクトを通って早く逃げろ》
さもないと満漢全席にされるぞ、と物騒な事を言うパヴェル。確かにまあ、暗殺に成功したところで終わりではない。家に帰るまでが遠足であるように、祖国に戻るまでが暗殺作戦である。
とっとと戻ろう、と通気ダクト目掛けて跳躍
むくり、とラスプーチンが起き上がった。




