帝都潜入
【セッ……しないと出られない部屋】
ルカ「は???」
ミカ「は???」
装備品の入ったコンテナからAK-12SKと予備のマガジンを取り出し、一式をダッフルバッグへと詰め込んだ。
ネックフォーマーを上げ、ウシャンカをかぶり、眼球保護用のゴーグルを装着してもなお浸透してくるこの寒さ。まるで全裸で冷凍庫の中に閉じ込められたかのように身体中の表皮という表皮が悲鳴を上げる。
冬季封鎖中のノヴォシアの寒さは伊達ではないのだ。
かつて遥か昔、ノヴォシア全土の占領を夢見たフランシス共和国のナポロン将軍もこの冬には勝てなかった。
血で血を洗う凄惨な死闘となった”ヴォロディーノの戦い”で辛くも勝利したフランシス軍だったが、しかしそこが彼らにとっての限界となった。多くの兵員と装備を失い、物資の備蓄も尽きかけたそこでノヴォシアの冬が始まり、この国の苛酷極まりない冬を知らないナポロン将軍たちは雪原の真っ只中に放り出される羽目になった。
周囲の村や街から略奪しようにも、立ち寄る事が出来た村や居住地は徹底した焦土戦術で焼き払われ、凍てついた井戸には毒が投げ込まれた。
そうしている間にナポロン将軍の兵士たちは1人、また1人と落伍していった。体力を限界まで消耗し、怪我や空腹で苦しむ兵士たちは一度雪に沈もうものならば自力で立ち上がる事が出来ず、大抵はそのまま雪の中で来春まで冷凍保存されたとされている。
結局のところ、ナポロン将軍は敵地を占領できてもこの過酷な冬までは占領できなかったのだ。
現在では”祖国戦争”と呼ばれているフランシスとの一連の戦争は、ノヴォシアでは未だに成功体験として語り継がれている。
なるほど、この寒さであれば精強極まりないフランシスの兵士たちが次々に脱落していく理由も頷けるというものだ。寒さ対策に防寒着を重ね着し、ヘリから降りる直前まで暖を取り、温かい紅茶で身体の外側も内側も徹底して暖めてきたつもりだが、今となっては全てが無意味だ。
まるで氷の浮かぶ水風呂にダイビングしたような冷たさがある。
《ウォーロード、上昇する》
幸運を、とパヴェルの声が聴こえてきて、重装備のガンシップと化したMi-26がその巨体に見合わぬ速度で上昇していく。やがて吹雪の中でラウラ・フィールドを展開したようで、黒く塗装された大型ガンシップの巨体は瞬く間に見えなくなった。
腕で吹雪から顔を庇いながら、ポケットから取り出したスマホを操作して地図アプリを起動。マップをタップして周囲の地形を頭に叩き込み、先を急ぐ。
なんで人工衛星もないのにマップが使えるかって?
そりゃあたぶんみんなが思ってる以上にローカルな手を使ってるからだ。
パヴェルが飛ばしてるMi-26”ウォーロード”、あれの機首下部に複合センサーポッドが搭載されているんだが、それでここまで飛びながら周囲の地形やら村、集落といった場所をスキャンしてマッピングしてくれていたのだ。
なのでヘリが飛んできたコース以外のマップは真っ白のまま。モスコヴァまでの進路を一歩でも外れれば雪中で遭難、来春までフローズンミカエル君になるしかない(そもそも凍ったまま遺体が残るかすら疑問だ。大抵はスノーワームや魔物の餌になるので凍死したら死体は残らない)。
異世界転生したは良いが、こんなにクソ寒いところに生まれてしまった事に関しては毎年ちょっとばかり呪うのが恒例行事となっているミカエル君。それも寒冷地に住む動物の獣人ではなく、中国南東部とか台湾とか東南アジアが原産地となるハクビシンの獣人として生まれたものだから、寒さが苦手なのもあって体感での寒さは4~6割増し。まったく冗談じゃない。
身体をぶるぶる震わせながらも何とかチェックポイントとなる廃村へと辿り着いた。
何もかもがすっかり雪の中に埋もれていたが、とりあえずこの吹雪が少ししのげればそれでいい。天気予報だとあと3時間くらいで吹雪は止み、雪は小降りになるのだそうだ……もし予報が外れてたらこの天気予報した担当者に入った個室のトイレがことごとく詰まる呪いをかけてやる。
かつては民家だったと思われる建物の中に足を踏み入れた。
窓は割れ、ドアは風で揺れてまあ予想はしていたがそれなりに酷い荒れようだった。魔物の襲撃でもあったか、疫病か……廃村は珍しくないが、しかしこうも首都に近い場所だと不安になる。
とりあえず吹雪が入って来ないようにと、太腿にある工具ホルダーからハンマーと釘を取り出した。その辺にあった角材の切れ端やら布やらを持ってきて、それで窓やら壁の穴を塞ぐ。
少しマシになったところで、かつては暖炉だったであろう場所の雪を掻き出した。そこに余ってる角材をぶち込んで、表面に張り付いている氷を叩き落としてから乾燥した布の切れ端を使ってトレンチライターで火をつける。
少しここで暖を取っていこう。
そうじゃなきゃ、来年の4月までこんなところで氷漬けだ。
冬季封鎖中の帝都の警備は厳重だ。
リュハンシクがそうであったように(あれは本当に自然現象でああなったのか甚だ疑問であるが)、冬季は腹を空かせたり冬眠に失敗した魔物が居住地を襲う事もある。そういう事もあるので巣穴の確保に失敗し冬眠できなかった個体は本当に危険だ、とされている。
そういうわけで冬季の居住地の警備は厳重だ。騎士団が駐留している大きな都市であればその通りで、水冷式機関銃や後装式単発中を装備した歩兵たちが24時間体制で厳重警戒している。
特に皇帝のお膝元、帝都モスコヴァともなればその警備の厳重さは異次元レベルだ。
水冷式機関銃と両腕にブレードを装備した戦闘人形多数に重装備の歩兵、おまけに機銃の銃座まで。ネズミ一匹、いやアリ一匹入り込む余裕もない。
―――まあミカエル君はフツーに入るんですけども。
「ん」
ひょこ、と防壁に開いた穴から顔を出し、そのままするすると防壁の穴を潜り抜けるミカエル君。穴から足を抜いてから、一旦外に置いておいたダッフルバッグを手に取って穴の中へと引きずり込み、何食わぬ顔でそのまま路地裏へ。
ハクビシンはこういう小さな穴でも潜り抜けてしまうのだ。ハクビシンの獣人を舐めないでいただきたい。
……まあ正直、壁に開いた穴にハマるというエロ同人で散々見てきた展開にならなくて良かったと心の底から安堵しているところなんですけども。
《潜入に成功したようですね》
耳に装着した小型通信機から聴こえるシェリルの声。
ヘリの中に備え付けられた通信室からなのだろう。あの重火器を満載した殺意の塊みたいなガンシップは、今も帝都上空を旋回しているのだろうか。
《そのまま”マイカ宮殿”へ向かってください。ターゲットはそこで帝国要人と会談する予定です》
「了解」
マイカ宮殿はモスコヴァ西部にある宮殿だ。旧人類の時代、フランシスからやってきた数名の建築士たちによって建てられた宮殿で、祖国戦争で両国の関係が悪化どさくさに紛れてノヴォシアの大貴族が所有権を主張、私物化してしまったという経緯がある。
現代のノヴォシアの貴族たちが住まう屋敷はこのマイカ宮殿の建築様式を参考にしているとも言われており、建築物の歴史を知る上で非常に興味深い場所になっているとの事だが、それだけに残念でならない……今宵、ここがラスプーチンの墓場になるのだから。
既に空は暗くなり、上空には飛竜に跨った竜騎士が飛び交っている。街中には軍用の装甲車が巡回しているが厳戒態勢というわけでもないようだ。一瞬、俺の潜入がバレたのではないかと思ってヒヤリとしたがそんな事はないらしい。
「号外、号外! イライナで行われた軍事パレードにミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフの姿が! イライナ独立か!?」
こんなクソ寒い中でも声を張り上げ、少しでも生活費の足しにしようと新聞を売る少年の声に誘われ、つい新聞を一部手に取った。彼の足元にある現金入れに少し多めに金を入れ、足早に立ち去りながら新聞紙を広げる。
【イライナの軍事パレード、帝国軽視の姿勢鮮明に】
そんな見出しの下には白黒写真で撮影された戦車の車列と、その先頭を進むBTMP-84-120の姿が。しかも砲塔からはミカエル君の小柄な姿が見え、高台から大通りを見下ろしているであろう姉上や他の大貴族たちに向かって敬礼している。
『これ以上増長される前に一刻も早く開戦するべき』という社説を鼻で笑っていると、シェリルから続報が届く。
《会談は22:00からの予定みたいですね》
「なら仕込みの猶予はあるな」
一足先にマイカ宮殿に忍び込んで、彼を暖かく出迎えるためのサプライズを準備する時間的余裕はあるという事だ。
やっぱり早めに来て正解だった。
《私の知っている範囲での話ですが、ラスプーチンはとにかく話術に長けています》
何度も聞いた話だ―――ラスプーチンは話術に長けている、と。
SNSやネット上でのレスバはクソ雑魚の極みで、適当に殴りかかったら正論で殴り返され後釣り宣言をかますという醜態をさらす事も珍しくないのだそうだ。
しかし相手と面と向かった対話の場であれば、その限りではない。
シェリル曰く『相手と面と向かったレスバであれば絶対に負けない』のだという。
相手の表情や仕草をよく観察し、ほんのわずかな目線の揺らぎや仕草の変化、声の変化を見逃さず、相手の精神状態を把握して揺さぶりをかける―――そういうのが得意なのだ、と。
確かにシェリルの話を聞く限りではホムンクルス兵の中でも劣等中の劣等、同期の恥晒しとまで言われた彼であるが、話術に関しては右に出る者は居なかったのだろう。そういう事ならばテンプル騎士団と帝室を繋ぐ連絡役に抜擢された理由も頷けるというものだ。
おおかた、皇帝陛下もこの男の話術で丸め込んだのだろうな―――そうとしか思えない、今となっては。
《決してあの男の戯言に耳を傾けないでください》
「分かった」
《耳を傾けたら最期、リコーダーを舐められます》
「お前それまだ引き摺ってんの?」
《当然です。別に好きでも何でもない変質者一歩手前のキモ男に嫌らしくリコーダーを執拗に6年間も舐められ続ければこうもなります》
「6年間も」
《舐められているのが発覚する度にリコーダーを買い換えました。その度に雑菌に塗れたリコーダーが量産され、私のクラスだけ教材の購入数が頭一つ抜けていたそうです。事態を重く見た当時の同志団長はラスプーチンを直接呼び出してキツいお叱りをぶちかましたそうですが、あの様子では多分丸め込まれてますね》
え、セシリアまで丸め込んだの? 話術で???
《個人的なリクエストですが》
「なんだよ」
《ラスプーチンをリコーダーで殺してくれたら個人的に報酬を出します》
「難易度上げんなよお前」
というかリコーダーの件どんだけ引き摺ってるんだよお前……心の傷だって言ってたろお前前書きでよ。何、『本編と前書きは別です~』なんて言い出すのかお前は。おんおん?
《やってくれたら50万ライブル差し上げます》
「ちょっとリコーダー買ってくる」
なんだよシェリルの奴、話が分かるじゃないか。
やっぱり世の中お金よね、うっふっふ。
《ん、チョロい》
「今なんつったお前?」
《ん、無線機の不調では? 私は何も》
あーそうですか。
いつもと変わらない口調ですっとぼけるシェリルに呆れながら、俺は道行く人を呼び止めた。
「あのー、すいません」
「ん、なんだいお嬢ちゃん?」
「―――この辺りに楽器屋さんってあります?」
※史実においてラスプーチンが暗殺された場所はサンクトペテルブルクだそうです。モスクワではありません。




