圧勝の後味
フルボッコセシリア「……なして?」
ガチギレギーナ「なんとなく?」
その結果に、ノヴォシア帝国最高議会に出席した大貴族たちは唖然とした。
総勢515体の魔物たち―――スノーワームの住処を爆破した事によって荒れ狂ったスノーワームの群れ。それに冬眠中の魔物を襲撃させることで意図的に発生させた、大規模な魔物たちの百鬼夜行。
それに対するはリュハンシク州の守備隊。それも領主がつい最近就任したばかりで、満足な軍備も用意できていない弱小地域の守備隊である筈だった。せいぜいがリガロフ家の私兵部隊、それの寄せ集め―――兵力も練度も高が知れていた。
如何に強固な防壁を持つリュハンシク城と言えども、オークを含むゴブリンの群れに一挙に襲撃されればひとたまりもあるまい。しかも城に立て篭もればいいというわけではない。彼らの背後には戦う術も知らぬリュハンシクの民たちが居て、もし彼らを見殺しにして城へと閉じ籠れば『領主は領民を見殺しにした』という誹りは免れぬものとなるであろう。
どちらに転んでも、ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフにとっては望まぬ結果となる。
ラスプーチンはそこまで見抜いていた。
それに万一、イライナがこの一件をノヴォシアの仕業と断定し非難してきたとしても、だ。
あくまでも『スノーワームの群れに追い立てられた魔物たちが偶然イライナを目指した』とでも言い訳をしておけばよい。
どの道、証拠となるであろう爆弾の破片はマズコフ・ラ・ドヌー郊外に積もる深い深い雪の中だ。成人男性がすっぽりと埋まってしまうほどの積雪の中、スノーワームに襲われるであろう危険を冒してまで証拠を拾いに行く事などまず不可能であり、状況証拠だけを以てノヴォシアを非難したとしても知らぬ存ぜぬを決め込むだけでいい。
そして同じ事を繰り返し、冬を武器にしてイライナを苦しめる―――度重なる嫌がらせにイライナが折れればそれでよし、折れないならばそのまま疲弊させるという計画に隙は無い。
証拠も残らず、自国の軍事力を浪費する事もなく、政治的にも安全圏から一方的に相手を殴りつける事が出来る攻撃計画。しかも相手は無視する事も出来ず、これが続く限りリソースの消費を強いられ続ける……。
いったいいつまで持ちこたえられるのか、とノヴォシアの大貴族たちの間で賭けが催されようとしていたその作戦は、しかし悪い意味で彼らの期待を裏切った。
「……グヴェンスキー将軍、もう一度言ってみよ」
「……はっ、謹んでご報告いたします」
ぽたり、と大理石の床に脂汗の雫が落ちた。
「……魔物たちは1時間足らずの戦闘で全滅。リュハンシクは無傷です」
―――リュハンシクは無傷。
あれだけの魔物を差し向けておいて、兵卒を1人も仕留める事が出来なかった?
「そんな馬鹿な」
公爵の1人がそう口にした。
そう、有り得ない事である―――500体を超える魔物をけしかけられて、損害ゼロで圧勝するなど。
特に群れの中に含まれていたオークは、熟練の冒険者であろうとも油断すれば即死は免れない相手だ。それ故にベテランの冒険者であっても気の抜けない相手として知られており、駆け出しの冒険者にとって仕事中でのエンカウントはすなわち死を意味する。
地域によっては冒険者ランク次第で受注規制を設けている管理局もある程の強敵である。
それが90体以上も含まれた500体の魔物の百鬼夜行が、全滅。
「有り得ない」
「何をしたのだ、リガロフ!?」
「馬鹿な……あそこにいたのは就任間もない小童と雑兵の寄せ集めではないか!」
玉座のアームレストを握る手に力を込めながら、皇帝カリーナは視線をラスプーチンの方へと向けた。
元はと言えばこの男が立案した作戦である。想定外の結果になったとしても、何か秘策を用意していて然るべきであろう。ここでノヴォシアを見捨てて途中下車など、そんな事は許されない。
どう落とし前を付けるのだ―――抗議の意を込めて睨むと、ラスプーチンは人差し指でくいっとメガネを上げた。
「皆様、静粛に」
パンパン、と手を叩き、ざわめく公爵たちの視線を一身に集めるラスプーチン。そのまま議場の中央まで歩み出るや、舞台俳優さながらに両手を広げて声を張り上げた。
「確かに予想外の結果となりました……しかしイライナは、あと何回これを続ける事が出来るのか―――見ものだとは思いませんか」
その言葉が、ざわめきをかき消した。
そう―――如何に圧勝だったとしても、それをいつまで続けられるのか。
軍を動かすという事は莫大な量のリソースを消費するものだ。弾薬、食料、資金、人員、燃料……軍隊というのは兎にも角にも金を食うものである。
魔物を殲滅したということは、リュハンシクを守るリガロフの部隊は優秀なのだろう。
では、それをいつまで続けられるか。
向こうの戦力は有限―――それに対し、こちらの戦力はほぼ無限だ。
既に帝国騎士団の諜報部隊が、冬眠する魔物たちの巣をリストアップしている。それを利用し今回のような作戦を何度も繰り返せば、ノヴォシア側は兵力の損失を気にせず、政治的に糾弾される事もなく仮想敵国たるイライナに疲弊を強いる事が出来るというわけである。
「古来より戦とは、数が勝る方が勝利するという常識がございます。数に限りのあるリュハンシク守備隊と無限の魔物たち、どちらが勝つのか……いえ、イライナの叛乱軍共がいつまで持ちこたえられるのか、それで賭けに興じるというのもまた一興。そうは思いませんか」
疎らに響いた拍手が、やがて大喝采へと姿を変える。
一度危機を払い除けたところで、イライナを狙う矛先は何も変わらない。
パパパン、と銃声が聞こえてくる。
リュハンシク城の城壁外周―――血で紅く染まった雪原の只中。時折吹雪で舞い上がる雪の向こう、黄金色の光が瞬いては轟音を響かせて、再び静寂が訪れる。
魔物たちの襲来は終わった。
撃って、撃って、殺して、殺して。
血生臭い殺戮の果てに、先に膝を折ったのは我々人類ではなく、唐突にここを訪れた魔物たちの方だった。推定約500体の魔物たちはついにリュハンシクの守りを突破する事なく、リュハンシク城の外周を縁取るように紅い斑模様を雪原に刻んで、永遠の眠りについたのだ。
子供が遊び終わったら後片付けをするよう躾けられるように、兵士たちも戦いが終わったら後片付けをしなければならない。
冬季であれ、魔物の死体を放置するのはご法度だ。死体は疫病の温床となるし、居住地にほど近い場所であれば腐臭の問題もある。そうでなくとも死体から流れる血の臭いに刺激されて他の魔物が群がってくる可能性や、最悪の場合ゾンビ化して蘇るという事も考えなければならない。
食用として保存する場合や素材として使う場合を除き、死体は百害あって一利なしなのだ。
雪原に転がるゴブリンたちの死体が、トラックの荷台に乗せられて城内へと運ばれていく。オークの死体は大型である事もあって、ロープで括ってから戦車で城内まで牽引しそこで分解する事となった。
ただ処分するだけならば楽だが、ゴブリンはともかくオークの肉や肝は珍味として取引される事もある。なので戦闘で損傷を免れた部位は解体し、リュハンシク領内の食料に困っているであろう貧困層や農民、労働者たちへ無償で提供する事とした。
ゴブリンの肉も食えない事はない。が、人間に近い姿をしている事に嫌悪感を感じる人は多く、そうでなくとも可食部が少ない事、肝心な可食部も筋っぽくてあまりお世辞にも美味しいとは言えず、美味しく食べるにはかなり手間暇かけた調理が必要である事もあって、よほどの物好きでもない限りゴブリンの肉を食おうという人はいない。
……と言いたいところではあるが、ベラシア地方には”ゴブリンの丸焼き”というバチクソにストロングな名物が存在する。ゴブリンの口から尻まで鉄の串を突き刺して、身体に香草を巻きつけたゴブリンをそのまま丸焼きにして食べるのだ。現地人曰く『内臓の苦味が癖になる』、『この獣臭さが良いんだ』との事だがイライナ人には、というか俺には理解できなかった。
煮込み料理にするにしても大量の灰汁が出るし、獣臭さを抜くためにイライナハーブやら唐辛子やらニンニクやらを混ぜ込んだスープで24時間煮込んでやっと『まともに食えるレベルになる』というのだから本当に根気がいる。ベラシアスタイルで吹っ切れながら食うのが丁度いいのかもしれない。
というわけで今回の戦闘で得られた魔物の肉は食用として加工・調理し貧困層を中心に支給する。リュハンシク城の食糧庫にも領民への支給用の食料が保管されているので、場合によってはそれも放出する予定だ。
パパン、と響く銃声。どこかでまだ息のある魔物を見つけた兵士が、無慈悲にも……いや、慈悲深くトドメを刺したのだろう。手負いでこの吹雪の中放置されるというのはこれ以上ないほどの苦痛である筈だ。死を以て救いとなるのならば、それもまた慈悲と言えるのではないだろうか。
もっとも、それを実行した兵士にそのような思考は無いだろう。
どれだけ人間らしい振る舞いをして、人間らしい姿をしたところで、彼らの中身は機械だ。人間のような心は残念ながら持ち合わせておらず、事前にプログラムされた命令を実行するか、人間から受けた命令を忠実に実行することしかできない。
そして今の彼らに与えられた命令は『敵を殺せ』―――ただその一点に尽きる。
機甲鎧のコクピット内は暖房で暖かく、空調も同じく利いているから外の寒さも、血の臭いも分からない。けれども鼻腔の奥にうっすらと過るは倒れた死体が発する血の臭い、肉の臭い、臓物の臭い―――死体が無数に転がる戦場の臭い。
身体が覚えてしまったのだろう。
この地獄に順応するべきではあるが、呑まれてはならない。
ありのままを受け入れていたらメンタルがやられそうだったので、少しだけ現実から目を背ける事にした。機内に持ち込んだスマホのアプリをタッチし、パヴェルが入れておいてくれてた音楽を再生する。
狭いコクピット内にショパンのノクターンOp.9-2が流れ始める。メインモニターに映る死体の山というグロテスクな風景にはミスマッチとしか言えないピアノの儚げな旋律は、しかし少しだけ俺の心を救ってくれた。
ピピッ、と機体のセンサーが生体反応をキャッチ。視線を向けるとそれをトレースする形で、ガスマスクのフィルターを思わせる複合センサーを搭載した頭部が旋回する。
死体の山の中、血を流しながらもまだ動く小さなゴブリンがいた。なんとか立ち上がり、足を引きずりながら歩き始めようとするゴブリン。その血走った目がこちらを振り向いた。
親の仇と言わんばかりに、ゴブリンが甲高い声を発しながら飛びかかってくる。が、手負いのゴブリンの動きは極めて緩慢で単調だった。
力任せにゴブリンは機甲鎧の脚部の装甲を殴りつけた。ガン、と小さな拳が機甲鎧の装甲を打ち据えるが、しかし機体に搭載されているのはアルミニウム合金と賢者の石を使用した複合装甲。7.62×51mmNATO弾から機体を完全防護するだけの防御力がある。
先に砕けたのはゴブリンの拳の方だった。
左手を伸ばし、ゴブリンの痩せ細った身体を鷲掴みにした。
キーキーと金切り声を上げながら身体をばたつかせるゴブリン。手足を滅茶苦茶に振り回し、マニピュレータに噛み付くゴブリンだったが結果は同じだった。表皮の代わりに装甲で覆われ、血の代わりにオイルが通う機械の腕はびくともしない。
そのまま、ゴブリンを握る手に力を込めた。
ボキュ、とどこかの骨が折れる音。苦しそうに血を吐き出しながらぐったりしたゴブリンを死体の山の上に放り投げ、念のため頭部の5.56mm対人機銃を数発撃ち込んだ。
駆け付けた歩兵部隊が即座に火炎放射器で炎を噴射。ソ連製火炎放射器”LPO-50”から放たれた炎が死体の山に燃え移り、紅蓮の炎の中で死体たちがパリパリに焼けていく。
焼肉屋に行った時の事を思い出した。鉄板の片隅で黒焦げになった豚か牛の肉の切れ端たち。あれを見ているような感覚になる。ただ外は悪臭が立ち込めているのだろうな、という事は分かった。ああいう食肉は臭みがないよう、また食感に不快感が混じらないよう体毛やら血やらを徹底的に取り除いているけれど、今目の前で焼けている魔物たちの死体は表皮も体毛も体液も、全て一緒に仲良く焼かれているのだ。
きっとそれは『肉の焼ける美味しそうな匂い』などではなく、ただ『異臭』の二文字で表現できるものなのだろう。
《あーあ、もったいないねェ》
俺の機甲鎧の隣に、真っ白に塗装された同型の機体がいつの間にか立っていた。腕に武装の類は握られておらず、頭部の複眼状のカメラがある部位はより大型の、複数のレンズを組み合わせたようなデータ収集用の大型センサーに置き換えられているなどの差異がある。
シャーロットの機甲鎧だ―――データ収集のため、あの機体で俺たちの戦いをずっと観測していたのだろう。
彼女の機体を守るように、AK-19をマウントした攻撃型ドローンが従者のように周囲を舞っている。
《今、魔物を人工賢者の石の素材にできないか実験していたところなんだ》
「……じゃあ、生きてるやつ見つけたら研究室に持っていくよ」
それで文句ねーだろ、と言うと、シャーロットは『キミのような理解ある者と組めてボクは幸せ者だねェ。クックックックッ』と返事を返す。
何とも言えぬ後味と、そしてこの背後に潜んでいるノヴォシアの影をひしひしと感じながら、俺はしばらく食用にできないほど損壊した死体を焼く炎をじっと見つめていた。
機甲鎧
全高 3.9m
重量 4.5t(パワーパック、武装含まず)
動力 ガソリンエンジン
血盟旅団で改良を加えながら運用されていた機甲鎧を、シャーロットの協力も得て改修したもの。外見はレトロフューチャー映画に登場するロボットを思わせる。
パワーパックの全面改修及び小型化、装甲への賢者の石の積極的な使用など、大まかな設計に変化はないものの細部に大きく手が加えられており、初期型と比較すると劇的な性能の向上を果たしている。
武装は既存の設置型・車載型の重火器を小改造のうえで流用可能であり、武装車両と比較して機動性に優れる点から『大型の歩兵』としての運用に適しており、また足を使って移動する兵器であるため地形を選ばず、サイズもコンパクトである事から投入する環境を選ばない点も魅力的。
コストも抑えられており、既にミカエルの専用機を皮切りに量産が始まっており、リュハンシク襲撃事件の時点で30機がロールアウト、パーツ取り用の予備機5機を残して25機が実戦投入された。
しかしあくまでも大型の『歩兵』にしかすぎず、防御力も12.7mm弾の近接射撃には不安になるレベルでしかない事、搭載可能な兵器も当然ながらペイロード制限がある事もあり、戦車相手に殴り合ったり無双できる兵器ではないという事に留意が必要。
元々機甲鎧はテンプル騎士団がこちらの世界の獣人向けに送りつけた兵器であり、血盟旅団との戦闘で中破、鹵獲された機甲鎧は度重なる改修を受け、再びテンプル騎士団由来の技術で強化されるという数奇な運命を辿っている。




