ザリンツィクへの帰還
「シスター、手を」
遠ざかっていくアルカンバヤ村を見つめているシスター・イルゼに声をかけると、彼女は複雑な表情を浮かべながらこっちを振り向いた。
もしかしたら、村にはまだまともな人が残っていたかもしれない―――あのロボットにすり替わっていない、生身の人間がまだ残っていたかもしれない。もしそうだったら俺たちは村だけではなく、無事だった人まで見捨てたことになる。
確かにそうだ。今でも罪悪感が心に圧し掛かり、押し潰そうと圧力をかけてくる。けれども俺はこれが間違った選択だとは思いたくなかった。ギルドの団長として、仲間の命を優先した判断が誤りであるとは思いたくはない。
彼女の手を取り、そっとナイフを鞘から引き抜いた。バックミラー越しにそれを見ていた助手席のモニカがぎょっとして「ちょっとアンタ、何するつもりよ!?」と声を発する。
「確認だ」
「確認って……」
「モニカもクラリスも見ただろ、あの機械の連中と生身の人間を外見で見分けるのは不可能だ」
今でも思い出す。本人が2人いるのではないかとしか考えられない程に、精巧に再現されたその外見。ぶっちゃけ、あの夜に本物の死体が入った麻袋を抱えた偽物のボリス司令官を見なければ、俺たちは見事に騙されていただろう。仲間だと思っていた人に銃を向けられる―――なかなか、精神的に来るものがある。
知らなかったら知らなかったでヤバいが、知ってしまった後もヤバい。
もしかしたら仲間の中に、あれが潜んでいるのではないか―――そんな疑念が芽生え、疑心暗鬼になってしまう。
が、判別する方法が全くない、というわけではない。ちょっと痛みを伴うが、判別する方法ならある。
「だが、”血”を見れば一発だ。そうだろ」
「ああ、そうですわね確かに」
同意してくれたのはクラリスだった。戦闘の最中、飛び散る血を俺たちは見ている。あの人間の血と質感が違う、安っぽい塗料みたいな質感の、半透明の紅い血。まあいちいち『安っぽい塗料みたいな血』って表現するのもアレだし、簡潔に述べたいときにめんどくさいので”人工血液”とでも呼称しておくとしよう。あいつら機械だから間違いじゃないだろう。
それにしても、クラリスは今まで俺の意見を否定したことがない。なんでもかんでも肯定してくれるのはありがたいし、俺の味方はクラリスだけだ、と追い詰められた時に口からポロっと出てしまいそうだが、それもそれで心配だ。たまには否定してくれ。
いや、今は肯定してほしいのだが。
「あくまでも擬態できるのは外見だけ。中身は違う」
「……分かりました」
事情を察したのか、すっ、と手を差し出すシスター・イルゼ。なるべく痛くしないように細心の注意を払いながら、彼女の真っ白な指先にナイフの切っ先を這わせた。
白い肌の表面が薄く裂け、じわりと赤ワインを思わせる質感の血がどろりと溢れ出す。ああよかった、彼女は普通の人間だ。少なくともその”皮”の内側に収まっているのは機械ではなく、生身の肉体であるらしい。
念のため、俺も自分の指にナイフの刃を這わせた。いや、すり替わった自覚無いんだからいいじゃんって思うかもしれないけど、アレだよほら、もしかしたら”自分が偽物だという自覚がない”パターンのやつかもしれない。
というわけでミカエル君もやったけど、指先からは赤ワインみたいな血が溢れ出た。わぁー、これ17年物のワインですよコレぇ……あかん、疲れのせいで頭がおかしくなってる。
ナイフをモニカに渡すと、彼女は「うへー、痛いの嫌いなのよね……」なんてぼやきながらナイフで指を軽く切り裂く。
溢れ出たのは普通の血。これでシスター・イルゼ、俺、モニカの3人はシロだ。
さて、残るは運転席でブハンカのハンドルを握るクラリスのみ。
はい、とモニカがナイフを渡すと、彼女は何の躊躇もなく右手を差し出した。加減ミスったらごめん、と一言断ってから、モニカは彼女の指先にナイフを這わせる。
どろりと滲む赤ワインみたいな血。これで少なくとも、この4人は全員”本物”だという事が確定した。
心臓の鼓動が一気に小さくなり、4人の血を吸ったナイフが持ち主である俺の元へと戻ってくる。ハンカチで血を拭き取ってから鞘に納め、とりあえず仲間がみんな無事である事と、そしてシスター・イルゼだけでも救出できたことを神に感謝する。
もしかしたら他にも生存者がいた可能性もあるし、その人たちまで救えなかったのは残念だが……。
「……ミカエルさん、ご自分を責めないでください」
「……見透かされてたか」
俺って顔に出やすいんだろうか。それとも試合や仲間の洞察力がずば抜けているだけか―――もしかしたら、もしかしたら、と次々に可能性が湧き上がってきて、その度にこうすれば助けられたのではないか、という後悔が心を削り取っていく。罪悪感に苛まれるというのはこういう事なのかと自嘲していたところに投げかけられたその言葉は、削られて輪郭が歪んだ心をちょっとずつ、優しく元に戻してくれたような、そんな気がした。
「あの状況では最善の選択をされたのだと、私はそう思います」
「……ありがとう、シスター」
「いえ、お礼を言わなければならないのは私の方です」
複雑な表情に笑みを浮かべ、彼女はぺこりと頭を下げた。
「ありがとうございます、ミカエルさん。あなた方は私の命の恩人です」
彼女が礼を言ってくれたその時だった。
雪道を爆走していたブハンカが唐突に進路を変え、それと同時に濃密な殺気が車内に満ちる。まさか追手か、と反射的に手をAKに伸ばし、セレクターレバーを指先で弾いた。下段のセミオートに切り替え、後方にあるドアに手をかける。
戦闘において最も多用されるのがこのセミオートだ。フルオートで弾丸をぶちまけるのは機関銃や分隊支援火器の仕事で、アサルトライフルでは必要な時にしか行わない。だからこういう咄嗟の対応が必要になる時に一番多用される射撃モードが操作しやすい位置にあるのはありがたかった。
さて、敵はなんだ―――そう思いながら窓の向こうを見渡すと、無数の魔物の群れが見えた。
ブハンカの進行方向からぶつかって来るかのように直進してきた魔物の群れ。村を襲った魔物たちと同じだ。ゴブリンにハーピー、チョッパー・ベアの群れ。冬眠に失敗した際に人里を襲う事に定評のある魔物たちの詰め合わせ。しかし彼らの狙いはどうやら俺たちではないようで、興味はないと言わんばかりに脇を通過、そのままアルカンバヤ村の方へと進んでいく。
新幹線に乗っていて、すぐ隣を別の新幹線が通過していったような―――そんな感じだった。
「なんで……」
後部のドアを開け、奴らを見つめた。やはり俺たちに興味はないようで、村のあった方角へと真っ直ぐに突き進んでいく魔物の群れ。全力を出せばブハンカにだって追い付けるだろうに、なぜ俺たちを狙わない?
疑念を抱いたまま、そっとドアを閉めた。
とにかくこの件はパヴェルたちに報告だ。
ザリンツィク市内はしっかりと除雪されているようで、フロントバンパーが硬くなった雪をガリガリと削る音が聞こえてきた。え、除雪されてねーじゃねえかって? うるせえ、ノヴォシアじゃあ車が通行できれば”よく除雪されている”って評価されてるんだよ。雪国舐めんなヤポンスキーめ。
とりあえず、なんとか無事に戻ってきたか……。
街中で火炎放射器をぶっ放すおばさんを見て、変な笑いが出た。背中にでっかいタンクを背負い、そこからホースで繋がったマスケット銃を使い、炎を雪に吹きかけている。ノヴォシアではよく見かけるタイプの火炎放射器だ。銃口まで伸びるノズルをマスケットに装着、そこから燃料を霧状に噴射し、酸素を吹き付けて指向性をつけ、黒色火薬で着火するのだ。
ああいうマスケットを改造した火炎放射器は民間にも払い下げられていて、その用途は主に除雪用だ。地方では害獣駆除とかホームディフェンスにも使われる。
とりあえず火事にしないでくれよ、と祈りながら冬の風物詩(物騒だなオイ)を眺めているうちに、線路が見えてきた。
踏切から線路上に入り、ザリンツィク駅の17番レンタルホームへ。見慣れた列車が見えてきて、ああ、我が家に帰ってきたんだな、という実感が湧いてくる。
「パヴェル、パヴェル? 聞こえるか」
『おー、ミカか。おかえり』
「ただいま。ハッチを開けてくれ。話したいことが山ほどある」
『奇遇だな、こっちもだ』
どうやら、パヴェルも何かを掴んでいたらしい。”裏稼業”についての事か、それとも転売ヤー共が金を収めていたという”組織”についての情報か、はたまた赤化病蔓延の原因となった貴族でも突き止めたか。いずれにせよ、収穫があった事には違いはない。
列車の最後尾に連結された貨車のコンテナが開き、格納庫が露になる。クラリスはそこにブハンカを突っ込ませてからサイドブレーキを引くと、シフトレバーをニュートラルに入れてエンジンを切った。
さて、何から報告するべきか。アルカンバヤ村の防衛任務、報告事項があり過ぎてどれから行くべきか悩んでしまう。とりあえず今のうちに報告する順序を整理しなければ。
そう思いながらシスター・イルゼを先に下ろし、俺もAKを抱えて降りると、パヴェルが酒瓶を片手に出迎えてくれた。
だが―――いつもと違う。
「パヴェルお前……何その格好」
普段なら私服だったりツナギだったり、ごく稀にどこかの組織の制服っぽい服の上にコートを羽織っていたりと、いつもはそういう格好で居る事が多いパヴェル。しかし今の彼はというと、オリーブドラブのコートにチェストリグ、そして頭にはソ連で運用されていたバイザー付きのMASKAヘルメットを被っているという、「これからガチの戦争行って来まっせ」とでも言わんばかりの重装備だったのである。
「いやあ、ちょっと襲撃があってな」
「襲撃!?」
「ああ。まあいい、そっちも色々あったんだろ?」
「あ、ああ」
「それで、そのシスターは?」
「……村で唯一の生存者だよ。残念ながら依頼は失敗だ」
そりゃあ村を防衛する仕事だったのに、仲間の命を優先して撤退してきたのだ。昇級試験には当然不合格、報酬は1ライブルも手に入らない。
あんだけの物資を用意したというのに収益ナシでは、冒険者ギルドとしてはやっていけない。この失敗の責任は俺にあるのだから、こうなったら前の強盗で稼いだ金で―――。
「―――そりゃそうだろうな、ありゃあ偽の依頼だ」
「……なんだって?」
バックパックから封筒を取り出すパヴェル。中にはノヴォシア帝国の国章―――双頭の竜が描かれた依頼の書類が入っていた。出発前、キリルから貰ったのとまったく同じデザインのものだ。
「お前らが出発した後、管理局の可愛いお姉ちゃんが来てこれを渡していった」
「どういうことだ? だって昇級試験はキリルから―――」
葉巻を取り出し、ライターで火をつけるパヴェル。それを口に咥える前に、いつもの陽気で掴みどころのない声音とは打って変わって冷静な声で、ぽつりと告げた。
「―――キリルは死んでるんだそうだ。二年も前にな」
「え……」
じゃあ、俺たちが会ったあのキリルはなんだ?
まさか―――まさかあれも、あのロボットが擬態した偽物だというのか?
「まあいい、お互い報告事項もたっぷりあるみたいだ……話は中で聞こう」
ああ、そうしよう。
ここは寒い。シスターが風邪をひいたら大変だ。
1号車の1階に設けられたブリーフィングルームは、いつにも増して重々しい雰囲気に包まれていた。今までは各地を旅しながら依頼をこなし、時々強盗で荒稼ぎすりゃあいいや、という軽いスタンスだったのだが、こうも明確に、しかも正体不明の敵から殺意を向けられれば重々しくなるのも必然であろう。
全ての報告を聞いたパヴェルは、頭に被っている紅いベレー帽にある部隊章みたいなバッジを指先でこすりながら目を細めた。前の職場のものなのだろうか、かなり使い込まれている事が分かる。
「偽の依頼、ヒトに擬態するロボット……なるほど、それであのシスターは唯一の生存者か」
「ああ」
ちなみにシスター・イルゼはここには居ない。食堂車で休んでもらいつつ、ルカとノンナの遊び相手になってもらっている。色々と話せない事情もある(そりゃあ一応彼女は部外者だ)し、子供と一緒にいる事で忘れられる事もあるだろう。特に、辛い経験は。
「で、列車を襲撃した連中ってのは?」
「おそらくだが、お前らと同じだ。偽物のキリル以外は顔が分からなかったが……全員ぶっ殺した。いや、”ぶっ壊した”が正解か」
相変わらず容赦がない……。
すると、パヴェルはブリキの缶をどこからか取り出した。何よそれ、とモニカが言うよりも先に蓋を開け、中に入っている粉のようなものを俺たちに見せる。
一瞬、インスタントコーヒーの粉末かと思ったが色合い……いや、質感が違う。インスタントコーヒーの粉というよりは、なんだろう……赤錆か?
「それは?」
「できるなら奴らの残骸の一つでも回収したかったんだが、機能を停止したらこんな粉になっちまってな……これ以外に証拠はない」
残骸すら残さない、か……証拠の隠滅も徹底しているようだ。痕跡も、そして自分たちの技術も敵には渡さないという意志が感じられるが、それも高い技術力があっての事。少なくともこの刺客を差し向けた”組織”とやらの技術は、この世界の技術水準のはるか先を行くものと考えるべきだろう。
「一応この粉末を調べてみたんだが、表面に”未知の微生物”が付着しているのを確認した」
「未知の微生物?」
「ああ。今はもう大半が活動を停止しているが……金属を捕食する微生物のようだ」
「金属を……ね」
缶の中の粉末を摘まんで眺めていると、パヴェルはさっきと変わらない声音でポツリと言った。
「赤錆に見えるのは微生物の排泄物だろうよ」
ぴたり、と手が止まる。
え、排泄物って……つまりコレってウン……。
慌ててハンカチで拭き取り、缶をパヴェルに突き返した。
「とりあえず、その村にはもう一度行く必要がありそうだ」
「何で?」
「現地の調査がしたいし、密造銃も未回収だろ」
「「「あっ」」」
そうだ、すっかり忘れてた。
守備隊に支給するために持っていった密造銃。シリアルナンバーの無いそれは、普通だったら違法で憲兵さんのお世話になりかねない代物だ。しかし緊急時に限り、使用後にすべて回収して憲兵隊に提出するという条件付きで見逃してもらえる、という規定がある。
例外規定は無いので、回収して届け出さないと憲兵さんたちに銃器密造の罪で追いかけ回されることになる、というわけだ。
それに、現地にもしかしたら生存者がいるかもしれない。
行く価値はあるだろうし、シスター・イルゼにとっても悪い話ではないだろう。




