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天使は戦いを望まない

レギーナマッマ「ウチの息子の尊厳が毎日のように破壊されてるって聞いたんですけども?」


土下座パヴェル「すいませんすいませんすいませんホントすいません命だけはご勘弁を」


 やはり寒い日は身体を動かすに限る。


 日課の素振り3万回を終え、額を伝う汗をタオルで拭きとりながら大浴場へと歩いていた範三の聴覚が、どこからか聴こえてくる金属がぶつかり合うような音を鋭敏に察知した。


 鼻腔に漂う硝煙の臭い―――それは秋田犬の獣人、それも骨格が獣に近い第一世代型獣人の範三だからこそ察知できたものと言っていい。彼でなければ空気中に微かに含まれる硝煙の臭いを嗅ぎ分ける事などまず不可能であろう。


 鍛錬や射撃訓練にしてはやけに激しい。まさか敵襲か、と頭の中を戦闘モードに切り替え、鍛錬に使っていた大太刀『宵鴉ヨイガラス』の柄に手をかけていつでも抜刀できるように備えながら、臭いと音の発生源へと走った。


 道中、窓を掃除していたメイド(中身は戦闘人形である)にぶつかりそうになり、「御免!」と言葉を残してそのまま走り抜ける範三。


 戦闘の音の発生源を見て、彼は息を呑んだ。


 領主の間―――ミカエルのために用意された玉座が置かれている、円形の広間だ。州の内外から訪れた客人を出迎える時はここを使うように、とアナスタシアから言われていた場所であるが、しかしどうやら領主の間の内部で繰り広げられているのは訪れた客人をもてなすための式典などではないらしい。


 銃声に刃がぶつかり合う音。それと共に聴こえてくるのは、少年や少女たちの声だ。


「ミカエル殿、これは何事か!?」


 声を張り上げるが、当然返事は無い。


 己の鍛錬にばかり夢中になり、外敵の侵入を許したどころか戦友の命を散らせたとあっては市村範三一生の恥。そうあってはならぬ、と領主の間の扉を開こうとする範三だったが、しかしそんな彼の背中に制止の声がかかる。


「心配には及びませんよ、範三」


「シェリル殿……し、しかしそれではミカエル殿が」


 テンプル騎士団のワッペンを外した黒い制服に赤いベレー帽を身に着け、その上からヘッドセットを装着したシェリル。明らかに戦闘モードと言ってもいい服装の彼女の手にはロシア製ショットガンのヴェープル12モロトが握られており、いつでも”転生者狩り”を始められるよう備えているようだ。


 しかしシェリルの表情に変化はない。危機感を抱いている様子も無ければ楽観視している様子もなく、冷淡な口調といつも通りの無表情で言葉を紡ぐ彼女には、人間というよりは機械的な気味悪さすら覚える。


「ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフはあの程度の相手にやられる事はありません。たとえそれが7対1の戦いであっても」


「7対1!? そ、それは……いくら何でも助太刀するべきではないか」


「いえ、その心配は不要です。むしろ我々が動く事でミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフの目的が達成されない可能性すらある」


「ミカエル殿の……目的?」


 範三には与り知らぬ事だ。


 ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフという新たな城主は慈悲深い。


 どうしても殺さなければならない相手―――対話で戦闘を回避できないような相手に対しては毅然と立ち向かい、時折攻撃的な一面を覗かせる一方で、一貫して無用な殺しを回避しようとするのがミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフという英雄の特徴である。


 今回襲撃してきた転生者も、あくまでもラスプーチンという祈祷僧にそそのかされているだけ。テンプル騎士団叛乱軍のような絶対悪でないのだとしたら、まだ救う余地はある。


 だが、しかし。


 扉の向こうから響く銃声と、おそらく剣と剣がぶつかり合う音―――それはつまり、対話での平和的解決が失敗に終わったという事を意味するのではないか。


(ミカエル殿……)


 今はただ、信じるしかない。


 ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフという慈悲深い英雄を。


















 これで何度目となるも知れぬ本気の一撃が、しかしミカエルに届く事は無い。


 確実に首を刎ねるであろう軌道で薙いだ一撃は、その柔肌に刃を食い込ませるよりも先に硬質な音と、柄をきつく握る手が痺れてしまうほどの衝撃、そして巨大な岩塊を殴りつけているかの如き手応えに阻まれる。


 剣を止めたのは、先ほどから番犬さながらにミカエルの周囲を浮遊する大剣とも大槍とも見て取れる奇妙な武器―――両者の機能を兼ね備えた彼女の触媒、『ミカエルの剣槍』。それがまるで意志を持っているかのように振るわれた剣の前に立ち塞がるや、こうして転生者たちの剣戟を剣身で受け止め、空中で鍔迫り合っているというわけである。


 その隙に他の方向から仲間の転生者たちが飛びかかり、大剣で、大斧で、あるいは銃撃でミカエルを討ち取らんとするが、しかし大剣と大斧の攻撃は不可視の力で軌道を逸らされ盛大に空振りし、再装填リロードを終えて放たれたマスケットの狙撃もまるで彼女の周囲に展開する不可視の壁の輪郭をなぞるように受け流され、明後日の方向へと飛んでいく。


 先ほどからずっとこれだ。


 転生者たちの渾身の一撃は、しかし未だ一度たりともミカエルを捉える事はない。


「くそっ!」


 攻撃が当たらない。


 銃撃は受け流され、剣戟も受け流されるかあの宙に浮かぶ剣槍に阻まれてミカエルまでは届かない。そして魔術で後衛が援護しようにも、詠唱を始めるタイミングに限ってあの剣槍が横槍を入れてくるせいで魔術を使用する事すら叶わない。


(いったいどうなってやがる!?)


 転生者の少年たちには、ミカエルの力の正体が分からない。


 何かの魔術なのか、それとも彼女も転生した際に女神からチート能力を与えられているのか。


 この不可視の防壁といい、あの浮遊する剣槍といい、どれをとっても並の転生者とは大きく乖離した力を持っていると言っても過言ではない。


 チート能力を持つ転生者が7人がかりで戦いを挑んでも、傷一つ付ける事が出来ないとは。


 それだけではない。


(コイツ……さっきから一歩も動いてないんじゃねーか?)


 転生者の1人が気付いた。


 戦闘が始まってから、ミカエルは戦闘開始位置から一歩も動いていない。


 棒立ちで時折瞬きするくらいしか身体を動かしていない。転生者たちの剣戟も、銃撃も、そして魔術も、身体の周囲に展開している不可視の防壁と宙を舞う剣槍だけで対処されてしまっている。


 しかも―――戦闘が始まってからというもの、こちらの攻撃をガードする事はあれど、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 ただああやって棒立ちして、転生者たちの攻撃を受け流したり、ガードしているだけだ。


 反撃しようという素振りすら見せない。


「―――もう、やめないか」


 上着の内ポケットからキャンディを取り出しながらミカエルが言った。包み紙の中から出てきたピンク色のキャンディを口の中に放り込むや、低レベルの相手を見下すどころか―――逆に気遣うような発言をぶつけてきたのである。


「疲れただろう? 終わりにしないか」


「なんだって?」


「そういうものだ、戦いってのは。必ずしも臨んだ結果が得られるわけじゃない。無益じゃあないか」


「ふ、ふざけやがって……!」


 まだだ、と転生者たちは歯を食いしばる。


 どれだけ攻撃を無力化されても、いずれ相手も隙を見せるのが道理だ。ほんの一瞬の隙、気の緩みが生み出す反転攻勢の機会。あの不可視の防壁も永遠に展開できるわけではない筈である。


 しかし彼らは、ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフという人間を理解していなかった。


 確かに転生する際、”自称魔王”と呼んでいる相手からチート能力を授けられたのは事実である。そしてその力を借り、多くの窮地を脱してきた事も。


 だが、そればかりに縋るわけにはいかぬと地道な努力を続けてきたのも、また事実。


 そして彼らを迎え撃つ際に使っている力はどれも、ミカエル自身が血の滲むような努力の果てに体得した魔術だ。


 適正C+という可もなく不可もない能力値である事を言い訳にせず、それならば自分でも魔術が使えるよう効率的に、そして魔術も自己流にアレンジして使おうと工夫し努力した結果がこれである。


 もしミカエルが本気を出し、ここにいる転生者全員を返り討ちにしようとしていたならば、とっくに電撃を放つなり磁界操作で銃弾を180度反転させるなりするか、錬金術を解禁して一撃で皆殺しにする事も可能だったはずである。


 それをせずに攻撃に対する防御に終始していた理由は、言うまでもないだろう。


 雄叫びを上げながら跳躍、空中で回転する勢いを乗せ剣を振り下ろしてくる転生者。それに対し剣槍が即座に反応、空中から振り下ろされる剣戟を真っ向から受け止める。


 いったいどんな素材を使っているのやら。これほど本気で打ち込んでいいるにもかかわらず、剣槍は未だ無傷だった。刃毀れすら起きていない。それに対し転生者の少年が持つ剣の刀身は既にボロボロで、このまま打ち込み続けていればやがて半ばほどから折れてしまうか、そうでなくとも刃毀れが進行して(なまくら)と化してしまうのが関の山だ。


 しかし転生者たちは、1人ではない。


 7対1―――数の有利を生かそうと、剣槍が転生者の1人の攻撃を受け止めている間に他の転生者たちが一気にミカエルを殺しにかかる。大槍が、大剣が、大斧が、マスケットが、そして魔術師たちの魔術が一斉に解き放たれ、棒立ちのままのミカエルへと牙を剥く。


『Все ще не розумієте?(まだ分からないのか?)』


 とん、とミカエルの小さな足が磨き抜かれた大理石の床を軽く叩く。


 足を介して床へと流れた彼女の魔力―――よほどの使い手でもない限り感知できないほど極少の魔力は、されど誰もが予想しえない変化をもたらした。


 一瞬の出来事だった。


 唐突に大理石の床の一部が盛り上がったかと思いきや、簡易的な防壁として物理的に屹立。ミカエル目掛けて放たれた魔術の前に物理的な障壁として立ちはだかる。


 炎の玉も、氷の槍も、光の矢も、いずれも等しく大理石の障壁に激突して霧散、ミカエルにダメージを与えるには至らない。


「なっ……!?」


 ―――錬金術。


 魔力を用いて対象の分子構造を書き換える事で、様々な物質に変化をもたらす術。


 元々は黄金を作り出そうと試行錯誤を繰り返していた(いにしえ)の錬金術師たちが、その探求の過程で発見した物質変換の法則が原型となっており、錬金術の発動にはその法則全てを理解する必要がある。


 魔術とは違い発動に必要な魔力さえあれば適性関係なしに使用できる利点があり、入り口は広い。しかし難解な学問を全て修める必要性から習得何度は極めて高く、錬金術師を志し習得に至る者はそう多くないとされている。


 努力なしでは決して手に入らない力を見せつけられ、転生者たちは息を呑んだ。


 とん、と再びミカエルの小さな足が大理石の床にステップを刻む。


 直後、足元の床が棘状に隆起した。


 磁石に引き寄せられるかのように急激に伸びた大理石の棘たち。それは意思を持ったかのように屈折を何度も繰り返しながら樹の枝の如く伸びると、転生者たちが手にしていた剣や大剣、大斧といった武器を強かに殴りつける。


 ゴギィンッ、と硬質な金属音が領主の間に響き渡った。


 まるでダンプカーが突っ込んできたような凄まじい衝撃に、腕の芯までびりびりと衝撃が走る。何の前触れもなくそんな衝撃に襲われれば武器を手放してしまうのが道理というもので、錬金術による反撃を受けた転生者たちは全員武器を手から落とし、たちまち丸腰になってしまう。


 手を押さえながら武器を拾おうとする転生者だが、しかしその視界の先にはふわりと浮遊しながら銃口を向けてくる、1丁のAK-19の姿があって……。


「っ……!」


「―――もうやめてくれ、頼む」


 ミカエルの懇願するような声が、広間に響いた。


「せっかくの二度目の人生、こんなところで無駄にしていい筈がない。そんなのもったいないじゃないか」


 ミカエルの銀色の瞳と、目が合う。


 そこにあるのは弱者を見下すような傲慢さでも、いつでも殺せる相手を嬲って楽しむ嗜虐的な表情でもない。まるで本当に、心の底から相手との対話での問題解決を望み、それでいて戦った相手を気遣うような優しさが、その瞳からは確かに感じられる。


 ―――これが悪党の目か?


 ―――これが悪人の言葉か?


 ―――これが悪魔のする事か?


 そんな疑念が、転生者たちの脳裏に過った。


 ラスプーチンの話通りであるならば、ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフという女はイライナ地方をノヴォシア帝国から独立させ、帝国を崩壊へ導かんとする悪魔であるという。


 しかしその実態はどうか。


 今思えば彼女は自分から攻撃を仕掛ける事は無かった。


 最初は対話での平和的解決を試み、失敗して戦闘となっても自衛戦闘にのみ終始した―――攻撃の意思はない、殺すつもりはないという自分の意思を行動で示したのだ。


 自分たちはラスプーチンに騙されていたのではないか。


 この人は悪い人ではないのではないか。


 生じた疑念は一気にラスプーチンの言葉に亀裂を生じさせ―――凝り固まった思考回路を瞬く間に決壊させる。





「―――住む場所も、食事も、仕事も……私の権限で用意できる範囲で用意しよう。支援は惜しまない。だからもう、戦いをやめてほしい」


 



 ミカエルの言葉は、ここに来てやっと彼らの心に深々と突き刺さった。




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レ ギ ー ナ さ ん 怒 り の 抗 議 訪 問 土 下 座 パ ヴ ェ ル 継 続 血盟旅団って濃い人、変わった人が割と多いですけど、範三は本当にストイックで常識人で、仲間思いだなあ…って今回思…
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