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改革の布石

モニカ「大変よパヴェル!」

パヴェル「何だよ今度は」


ブラックホールミカエル君「ぴえ」ヒュゴォォォォォォ


モニカ「一周回って尊厳が重くなった結果超重力が発生してミカがブラックホールに」

パヴェル「なにこれ夢?」


 イライナの改革は、もう止まらない。


 部屋の壁にあるイライナの地図を見ながら、アナスタシア・ステファノヴァ・リガロヴァは腕を組んだ。


 既にミカエルはリュハンシクへ、そしてマカールはロネスクへ到着し領主就任式典を終了、もう既に今日から公務に取り掛かっている。そして少し遅れて明日、ズムイ州へエカテリーナとロイドが、そしてマルキウ州へジノヴィが旅立つ事となる。


 執務室の机に置かれている写真立てに視線を向けた。


 ミカエルが旅の途中でキリウに立ち寄った際、姉弟で撮ったリガロフ姉弟の集合写真。アナスタシアの膝の上にはミニマムサイズのミカエルがちょこんと座っており、彼女の左右にマカールとエカテリーナが、そして後ろには長身のジノヴィが写った写真を見ながら、アナスタシアは柄にもなく寂しそうな顔をした。


 これでこの屋敷も寂しくなる。


 だが、仕方のない事だ。弟妹たちは皆、イライナ独立の要となる重要な存在。ノヴォシアからの干渉を防ぐため、東部の要衝へと配置し侵略に備えさせなければならない。


 特に真っ先に攻撃を受けるであろうリュハンシクのミカエルには、その小さな身体に見合わぬ重荷を背負わせる事となる。彼女の緒戦での立ち回りがやがて来たるべきイライナ独立戦争の結果を左右する事となるからだ。


 緒戦での損害は最低限に、そして敵の戦力を削りつつ持ちこたえ反転攻勢の機会を待つ


 冬と泥濘の春もある。ノヴォシア軍が攻勢に出られる機会は限られているのだ。夏と秋の間だけ耐える事が出来れば、侵略者は苛酷極まりない冬の前に敗れ去るだろう。


 最低気温-68℃、しかも人間が埋まるほどの積雪の中には肉食性の獰猛なスノーワームが潜むイライナの平原。冬に耐えきったとしてもその雪解け水を吸い込み重くなったイライナの泥濘が侵略者たちの歩みを阻む。


 そんな悪条件で攻め込めるのか……そもそも兵站を維持できるのか。


 しかも侵略者たちを真っ先に迎え撃つのは、かの高名な雷獣(ライジュウ)のミカエル。イライナ救国の大英雄イリヤーの子孫にして、祖先に並び立つ偉業を成し遂げた現役の英雄。


 攻め込んでくるであろうノヴォシアの将兵にもたらす心理的影響は計り知れない。


「既にミカエル様の元に刺客が差し向けられたそうです」


「それで。返り討ちか」


「はい。そのうち1名を生け捕りにしたと」


「……依頼主(クライアント)は」


「帝国の祈祷僧、ラスプーチンとの事で」


「……ふむ」


 ラスプーチン。


 以前から奇妙な男であるとは、アナスタシアも聞いていた。


 シベリウスの奥地の方から流れ着いた祈祷僧とされており、魔術とは違う”奇跡”を意のままに操る男である、と。


 『腰の曲がった祖母が立って歩くようになった』、『目が見えなかった母の視力を回復させた』、『病気で死んだ我が子が死者の国から蘇った』―――そのような噂話が常に付きまとうような、なんとも胡散臭い男であるという。


 その噂話が当時の皇帝(ツァーリ)の耳に入り、病に伏していた皇帝(ツァーリ)を治療したというのは有名な話だ。その結果、正真正銘の”奇跡をもたらす祈祷僧”として帝室からの信頼を勝ち取り、今では娘の皇帝カリーナの傍に控える補佐役となっている。


 しかしそれも全て、ミカエルからもたらされた情報を考えればとんでもないペテン師である事が分かる。


 ラスプーチンの正体はテンプル騎士団が遣わした使者であり、テンプル騎士団と癒着する帝室との仲を取り持つ連絡役であるという。


 ならば老婆を発って歩かせただの、死者を蘇らせたなどという寝言じみた()()―――それも今ならばどういう手を使ったのか、容易に想像がつく。


「思ったより行動に入るのが早いな」


「よほど嫌だったのでしょうな、ミカエル様がリュハンシク領主となるのが」


「ふむ」


「それとアナスタシア様、帝国最高議会から山のように抗議文が」


 部屋のドアの前で待機していたメイドに目配せするヴォロディミル。一礼したメイドがドアを開けるや、向こうから木箱を持ったメイドが3名足並みをそろえて執務室へと入室するや、アナスタシアの前に木箱を置いた。


 無言で木箱を開け、その中から無造作に抗議文を取り出すアナスタシア。確かに手紙には帝国の大貴族の家紋が描かれており、紛れもない本物である事が分かる。


 ノヴォシア語で書かれた抗議文に目を通すが、文章のクセに多少の際はあれど述べている事は概ね『帝国最高議会の信任を得ずに勝手に領主を選出するとは何事か』、『貴様の行為はイライナ分離主義者に塩を送るが如き愚行、すぐに取り消せ』、『リガロフ公爵、君は最悪の選択をした』……似通った文面が並ぶ。


 席から立ち上がるや、アナスタシアはその抗議文を執務室の暖炉の中へと放り込んだ。真っ赤に燃える炎の中へ、立派な家紋の描かれた手紙が消えていく。


「……この真冬に暖炉の燃料をくれるとは。帝都の大貴族は親切だな」


「ええ、本当に」


 返答はどうします、と問いかけるヴォロディミル。メイドに「喉が渇いた、ミルクティーを」と要求してから、アナスタシアは顔色一つ変えずに言ってのけた。


「”これがイライナの民意だ”と言っておけ」


「分かりました、公爵様」


 多くのイライナ人は独立を望んでいる。


 圧政からの解放を。


 しばらくしてメイドが部屋に戻ってきた。頼んでいたミルクティーをもう淹れてきたのか、と思ったアナスタシアだったが、しかしそのメイドの手の上にはマボガニー製のトレイと、その上に乗ったコードのない赤い電話が乗っていた。


「失礼しますアナスタシア様。ミカエル様からお電話です」


「む」


 受話器を受け取り、木箱の中身に視線を向けてからヴォロディミルに指示を出す。屈強な体格の彼が木箱を持ち上げ、それを派手に暖炉へぶちまけるのを背中で見守りながら、「私だ」とミカエルからの電話に応じる。


《ああ、姉上。ミカエルです》


「襲われたと聞いたが」


《ご心配なく、怪我はありませんよ》


 それより、とミカエルは話題を変えようとする。本題は襲撃の件ではない、という事なのだろう。


 あの末妹(末弟だったか?)も肝が据わっている、と彼女の成長を喜びながらアナスタシアは応じた。


「なんだ」


《ちょっと色々、リュハンシク州で改革を行いたいと考えています》


「……改革?」


 公務開始初日にいきなりか、と行動の早さに驚いた。


 ミカエルは政治の専門家ではない。ましてや経済にもあまり詳しい方ではなく、元を辿れば一介の冒険者に過ぎないのだ。何か変な事をやらかすつもりではあるまいか、ちゃんとその手の分野の専門家に相談はしたのかと肝を冷やすアナスタシア。


 活動家だの革命家だの、その手の輩が一時の感情や思い付きに任せて考えた法律というものは大抵ろくな事にならない。そしてその手の輩は最後まで責任を取らないものだから質が悪いのだ。とはいえミカエルがそのような連中とは違うという事は、アナスタシアも分かっている。


 だからこそ非難の的になるような事は防いでやりたいという思いだったのだが、しかしミカエルの発言は意外なものだった。


《識字率の向上のため、試験的に”義務教育制度”を導入してみたいのです》


「義務教育制度?」


《はい。簡単な読み書きや計算、イライナの歴史に国の仕組みなど、生きていくために必要な一般常識を子供たちに身につけさせたい。さすがに()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 ミカエルの指摘も最もだった。


 他国も例外ではないが、ノヴォシアやイライナの国民の大半は読み書きができないという問題を抱えている。


 義務教育などというものはなく、学校などの教育機関は存在するが入学しているのは大半が貴族の子供たちで、農民や労働者の子供たちは両親から簡単な読み書きを教わる事が出来ればマシな方であり、大半が何も教わらず成長したら労働に駆り出されている。


 それ故に識字率は致命的なまでに低かった。


 実際、騎士団(既に【イライナ国防軍】へ改変する法案がイライナ最高議会に提出済み)内部でも平民出身の兵士は文字の読み書きや計算が出来ず、兵士の座学にはまず読み書きから……と無駄な教育課程が組み込まれてしまっている始末である。


 そしてその識字率は軍ではなく、憲兵など現場でも致命的な足枷となっている。


 最終的にはキリウ大公を国家の象徴として残しつつ、段階的な民主制への移行も構想しているアナスタシアとしては、識字率の低さは何としても引き上げたい課題の一つであった。


「それで」


《リュハンシク州に限定し、義務教育制度を試験的に導入してみたいと考えています。具体的なカリキュラムについては専門家と今後相談する事としていますが……姉上には来月の予算を少しばかり、リュハンシクに大目に割り振っていただきたい》


「……なるほど、面白い。議会には私から働きかけておく」


《ありがとっ♪ おねーたまだいちゅき♪》


 それでは、といつものトーンに戻るや電話が切れた。


 ふっ、と小さく笑うアナスタシア。


 その端正な顔の鼻からは、真っ赤な鼻血が滴り落ちていた。







「いやぁーウチの妹たまんねぇなぁオイ!!」







「いやアンタもキャラ崩壊すげぇなぁオイ!?」


 副官兼未来の夫にツッコまれながらも、アナスタシアは満足していた。


 これで今週一週間頑張れる―――そんな謎の確信が、胸中に確かにあった。

















「で、ロリボで姉から予算勝ち取ったネ?」


「ん、そう」


 リュハンシク城の外。降り積もった雪が埋め尽くす雪原の一角に餌を取りつけた釣り針を垂らすと、釣り糸が瞬く間に雪の中へと一気に沈み込んだ。それを合図に引っ張り上げるや、雪の中からカブトムシの幼虫ともワームとも言えぬ異形の生物が飛び出してくる。


 スノーワームだ。


 冬の間だけ活動する肉食生物。雪原に迂闊に足を踏み入れた生物に群がり喰い尽くしてしまう雪原の捕食者だが、同時にイライナに恵みをもたらす存在として知られている。


 スノーワームは排泄をせず、排泄物―――まあつまり糞を尾の先にある袋状の器官に溜め込んで冬場を過ごす。そして雪解けと同時に寿命を終え、その死骸は雪解けで柔らかくなった泥と混ざり合い、その土を世界一肥沃で農業に適した土へとグレードアップさせるのだ。


 だから彼らは恐ろしい捕食者であると同時に、今のイライナを穀倉地帯へと作り変えた立役者というわけである。


 そしてスノーワームは、イライナの子供たちにとってはおやつとしても知られている。


 釣り上げたスノーワームを片手でキャッチし電気を流す。あっという間に熱でこんがりと焼けたスノーワームの口から釣り針を取り外し、丸焼きになったそれをリーファに渡した。


「ん」


「エ」


 困惑しつつも、リーファはこんがり上手に焼けたスノーワームに勇気をもって齧りつく。俺ももう1匹釣り上げて同じく丸焼きにし、釣竿を傍らに置いて思い切り齧りついた。


 こんがりと焼けた表皮に、中から溢れ出てくるキャラメル味の体液。見た目はグロテスクな生物でしかないスノーワームだが、意外な事に味はキャラメルに似て非常に甘く香ばしいので、イライナでは子供たちのおやつだったりスイーツの原料だったりと大活躍なのである。


 そりゃあもちろん、俺も幼少期にレギーナマッマがこれ食べさせようとした時は「え、虐待? 新手の虐待なんコレ???」と思ったものだが、食べてみたらバチクソのドチャクソにキャラメルで美味かった。マッマ曰く『小さい頃の思い出の味』らしい。


 毎度思うんだが、この手の食べ物を最初に食べた人ってかなりのチャレンジャーよな。


「あ、美味しい」


「でしょ」


 イライナ人の思い出の味だよ、と言いながらもりもり食べ進めるミカエル君。リーファも気に入ったらしく、あっという間に1匹平らげてしまう。


 もちろん内臓やら糞の詰まった尻尾の方は残して完食。この尾にある排泄物の備蓄器官は農家に売れるので、後で数がまとまったら農家に売却する予定である。


 50ライブルで購入できる安物のハムでこんな珍味がほぼ確定で釣れるのだから安いものだ。


 とはいえスノーワームは腐っても肉食生物。一度食いつかれ雪の中に引きずり込まれたら最後、骨も残さず食い尽くされてイライナの土の肥料にされてしまうので気を付けよう。それともしイライナに観光に来るような事があったら、【腰の高さまである雪の中には絶対に足を踏み入れない事】。スノーワームはそれくらいの積雪量を好んで活動するためだ。


 街の中の除雪作業を徹底するのもこれが理由だったりする。街中でスノーワームの集団が沸いてきたなんて事になったら恐ろしくて外を出歩けなくなってしまう。


「さて、帰ろうか」


「ん」


 もふ、と頭に手を置かれたまま、もこもこのコート姿のリーファを連れて城の中へ。


 とにかくこれで姉上から予算は勝ち取った―――明日から忙しくなりそうだ。




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― 新着の感想 ―
何 で も 吸 い 込 む ブ ラ ッ ク ホ ー ル ミ カ エ ル 君  パ ヴ ェ ル つ い に 現 実 逃 避 ノヴォシア議会の抗議文の扱いと返答が、もう腹の座った権力者のそれですね。実に…
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