殺戮のオーケストラ
範三「大変だパヴェル殿」
パヴェル「どしたん」
浮遊ミカエル君「ぴえ」フワー
範三「 ミ カ エ ル 殿 が 浮 い て い る 」
パヴェル「 ミ カ エ ル 君 テ イ ク オ フ ! ? 」
シャーロット「あー、なるほど。どうやらボクの分析によると彼女の尊厳がマイナスに振り切れた結果、尊厳が軽すぎるせいでついに”浮力が発生”したようだねェ」
パヴェル「浮力を生じさせるほど軽い尊厳とはいったい」
民衆の歓声に湧く広場から距離を取りながら、転生者たちは異常事態を察知していた。
ミカエルの暗殺―――最初は魔術による奇襲で、そしてもし外したとしてもスナイパーライフルによる狙撃で暗殺を試みるという二段構えで臨んだ今回の作戦。
しかし、結果はどうだろうか。確約されていた隼人からの魔術による奇襲は不発、それどころか隼人とは連絡が付かず、L96を装備した狙撃手を待機させてはいたもののたった一度の銃声が響いたのみでそれ以降は音信不通と来た。
しかも演説の最中、信じられない事が起こった。
おもむろにミカエルは片方の手を突き出し、「これをご覧ください。弾丸です」と言ってのけたのである。「私を狙った弾丸です」と。
つまりそれは、狙撃手の放った一撃を掴み取ったという事を意味している。
(なんだよ……一体何が起こってる!?)
相手は没落貴族の庶子―――生まれながらの落ちこぼれだった筈だ。
貴族の権力で裏から手を回し、栄光を金で買った相手だった筈だ。
そして自分たちは、他を圧倒するチート能力を持った絶対的な存在だった筈だ。
それが、それがどうして―――こうも逆に追い詰められているのか。
「ね、ねえ、アイツ……弾丸、掴んでた……よね?」
「は、ハッタリだ! 弾丸を掴むなんてそんな……」
漫画やアニメじゃあるまいし、という言葉を、転生者の少年は呑み込んだ。
目の前に、音もなく異物が出現していた。
「―――え」
真上から見れば”X”の字にも見えるであろう変わった形状の機体。
握り拳2つ分ほどの胴体から四方へ伸びた可動式アームにはローターが取り付けられており、高速回転するそれが生じる浮力によって飛行しているのだ。しかもローターは一切音を出していない。羽虫の飛ぶような音すらも、一切発していない。
胴体の下部にはセンサーらしき眼球状のユニットと―――サプレッサーを装着した小銃、ソ連製消音狙撃銃『VSS』がぶら下がっている。それも歩兵用のものではなく、スコープの代わりに機体の火器管制システムと連動したレーザーサイトを、そして従来の20発入りマガジンではなく独自開発の45発入りドラムマガジンを搭載したものだ。
驚愕する転生者の少年の眉間に、レーザーサイトの紅い照準が―――死神の死の宣告が、音もなく照射される。
何が起きているのかも理解できず、辛うじて絞り出した声はあまりにも間の抜けた声だった。
そしてそれが、少年の断末魔となった。
プシュシュ、と空気の抜ける音と共に放たれる、9×39mm弾の短連射。
ソ連製の弾薬、SKSカービンやAK-47の使用弾薬として名高い7.62×39mm弾をサイズアップする形で開発された9×39mm弾は、射程距離こそ短いが弾丸の質量が大きいために近距離での破壊力に優れ、そのうえ弾速も亜音速まで減速されている事から消音性にも非常に優れるという、まさに”暗殺のための弾薬”と言えた。
そして至近距離での破壊力はというと、ボディアーマーを着込んだ兵士であろうとも容易く殺傷してしまうほどのもの。
転生者とは言え、まともな装備もない状態で、しかもそんな代物を3発も眉間に叩き込まれてはたまったものではない。
3発目の被弾で、少年の上顎から上が砕けた。
「―――」
パッ、と舞い散る紅とピンクの飛沫に破片。
唐突にやってきた死神と死の宣告。
思考がやっと現実に追い付くや―――演説会場から離れた廃墟で事の顛末を見守らんと見物を決め込んでいた転生者たちが、一斉に恐怖の悲鳴を上げた。
元々、シャーロットは多くの障害を抱いて生まれた少女だった。
自分の意思で立って歩く事は出来ず、消化器官が貧弱で固形物を食べる事も出来ず、味覚障害を持っているが故に食事に楽しみを見出せない。おまけに自分の目で見る世界は白黒で”色”という概念を知らない。
真っ白で、薬品の臭いが染み付いた病室とベッド。それがシャーロットという少女にとっての”世界の全て”であった。
機械の身体を手に入れ、元の肉体よりも遥かに自由度の上がった健在でも、しかしシャーロットは理解している事がある。
それは『自分は前線に出て戦うタイプなどではない』という事だ。
ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフとの戦いに敗北し、挫折と敗北の屈辱を知り、雪辱を晴らすために再三にわたって戦場で激突した―――それは紛れもない事実だが、しかしそれは『ミカエルに勝ちたい』という彼女の内に秘めた思いが肉体を突き動かした結果であり、彼女自身が前線に出るなどイレギュラーでしかないのである。
だからやはり、自分は表に出るべきではない。
いつだってそうだ―――こうして薄暗い部屋の中、椅子の上に腰を下ろして機械弄りをするか、研究に没頭する。それが一番性に合うし、彼女自身も一番打ち込める事と言える。
今もまさにその通りだ。イライナ独立のため、リュハンシク防衛のための兵力増強をミカエルから依頼されている。兵器や兵士の増産、新技術の開発に新兵器の設計……やるべき事は山積みである。
しかしそんな研究室に籠りっぱなしの毎日ではあるが、今の彼女はやりがいを感じていた。
テンプル騎士団に居た頃よりも、心が軽い。
報酬を全額前払いで支払ってくれたミカエルからの信頼に応えよう、という気概もある。
だが―――そんな彼女も、たまには息抜き程度に暴れたくなることがあるのもまた事実。
仕方のない事である。彼女たちホムンクルス兵は、そういう風に造られているのだから。
「個体識別番号”IWQX-2117”」
『はい、博士』
機械の椅子に背中を預け、頭上の真っ暗な空間に浮かぶ二重の蒼い光の輪(立体映像で投影されたものだ)を見上げながら、シャーロットは傍らに待機していた戦闘人形を呼びつけた。
テンプル騎士団で採用されていた黒騎士とは違う。髑髏のようなフレームや臓器のような動力ユニットをシリコン製の人工皮膚で覆った、限りなく人間に近い機械の兵士。人間のふりをする機械―――否、人間になろうとしている機械と形容するべきだろうか。
マルチカム迷彩のコンバットパンツとコンバットシャツを身に着けた機械の兵士。目も口も鼻も、細かな感情の変化も精巧に再現されたそれは、何も知らなければ普通の人間と見分けがつかないほどだ。
強いて言うなればまだ応答が機械的なところか。ソフトウェアに改良の余地あり、という事だ―――そういう改良や未知の分野への探求心は、シャーロットという生粋の科学者にとってこれ以上ないほどのモチベーションを提供してくれるものである。
「すまないが、そこにあるレコードで音楽をかけてくれたまえ」
《了解しました。曲はいかがいたしましょう?》
「ラデツキー行進曲。あれはノれる」
《分かりました》
椅子に背を預けたまま、頭の中で念じる。
椅子の背もたれからまるで意志を持つかのように伸びてきたプラグが、シャーロットのうなじにあるソケットへと接続される。脳に埋め込まれたデバイスを介し、感覚の全てが肉体の外側―――作戦展開地域に展開しているドローンたちへと”繋がる”。
瞼を閉じるとそこに広がるのは暗闇ではなく、頭を小銃の連射で割られた少年の死体と、突然現れた新型武装ドローン『AD-09 マリオネット』の姿に恐れ戦く転生者たちの顔。
プツプツ、とレコード特有のノイズの後、何度も聴いた旋律がシャーロットの鼓膜へと流れ込んだ。相手の悲鳴も銃声も、不要なノイズを全て取り除いてくれる旋律。
殺戮の演奏会―――その指揮者はシャーロットただ1人。
「―――ようこそ、素人諸君」
両手の指の感触を確かめるように動かし、アームレストをそっと掴んだ。
「遊んであげようじゃないか」
AD-09 マリオネット―――パヴェルが製造していた一連の戦闘用ドローンを参考に、シャーロットの持てる技術をつぎ込んでグレードアップした血盟旅団の新型戦闘ドローンだ。
型番の”AD”は『Attack Drone』を意味する。
試行錯誤を繰り返し、AD-01から数えて9番目のトライアルで採用に至った新型ドローン『マリオネット』の特徴は、人工賢者の石を用いた機体の軽量化とエンジンの強化、装甲強化に加え、軽量化で余裕のできたペイロードによる搭載可能武装の多様化にある。
それも頼もしい性能だが、しかし一番の特徴は『機体とオペレーターの感覚をリンクさせ電気信号で操縦することが可能』という画期的な操縦システムの採用と言っていいだろう。
意識を機体に憑依させることで操縦する―――文字通り機械と人体を一体化させる操縦システムだが、元から機械の身体を持つシャーロットの特権として、彼女は複数の同型ドローンを同時に制御できる。
「!」
転生者の少女が、新たに表れたVSS装備のドローンを目にして表情を凍り付かせた。
2機、3機―――それだけではない。
転生者たちが隠れ潜んでいた廃墟の壊れた天井の穴。そこからテンプル騎士団が採用していた小型無人機『スカラベ』の小型タイプまでもが顔を覗かせたのである。
ドローンとスカラベ、全く異なる二種類の兵器。それを同時に制御するシャーロットは、頭の中でオーケストラを指揮する指揮者にでもなった気分だった。
指揮棒を振るい、ホールに響く大演奏を奏でるオーケストラ。しかし彼女が奏でるのは銃声と悲鳴、拍手喝采もスタンディングオベーションも何もない、死屍累々しか残らぬ死のオーケストラ。
「嫌ぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
転生者の少女が半狂乱になりながら両手を突き出した。ごう、と手のひらに瞬時に炎が形成されるが、しかし既にその眉間にはレーザーポインタの照準が重ねられていた。
パシュシュ、と9×39mm弾の短連射。眉間が爆ぜ、頭蓋が割れ、ピンク色の肉片と髪のついた頭皮や肉片を乾いたコンクリートの床に、モルタルの壁に盛大にぶちまけながら、また1人の転生者が人間からただの物質に成り下がる。
「ひっ……!」
怯えながらも剣を振るう転生者の少年。当たれば鎧もろとも相手を切り裂き、竜の鱗だろうと断ち切る一撃必殺の斬撃も、しかし小型のドローンには当たらない。的が小さければそれだけ攻撃を当てる事は困難を極める、という事である。
一度、二度、三度。我武者羅に剣を振るうが、しかしドローンには掠りすらもしない。
周囲を舞う羽虫に―――されど人間を一撃で射殺す毒針を持つ羽虫に翻弄される転生者の少年の無防備な足元に、小型のスカラベたちが忍び寄る。
「あ゛ぁ゛っ!? 痛でぇっ、い゛でぇぇぇぇぇっ!!!」
棘のように尖った脚を少年の肉体に突き立てながら腹までよじ登るスカラベたち。
「取れ、取ってくれっ!」と痛みと恐怖に泣き叫ぶ少年。他の転生者の少年たちも彼を助けようとするが、しかし他のスカラベやマリオネットたちの襲撃に対応するので手いっぱいで、とても仲間に救いの手を差し伸べていられる余裕がない。
そうしている間に、少年に取り付いたスカラベの腹部が紅い光を放った。
スカラベは、元々は人間を効率よく、無慈悲なまでに徹底的に殲滅する事を目的とした兵器である。対人用の機銃の他にも、進路確保用、あるいは遮蔽物に隠れた相手を遮蔽物諸共吹き飛ばすための高出力レーザー砲を腹部に備えている。
射程距離こそ短く、照射可能回数にも制限があるが、しかしその威力は『5秒間の照射でエイブラムスの砲塔上面装甲を融解させる超高出力』である。生半可な遮蔽物では遮蔽物として機能せず、それこそ戦艦にでも隠れない限りはスカラベの矛先から逃れる事は出来ないのだ。
そんなレーザーをゼロ距離で放たれたのだ。いかに転生者といえども、その末路はここで詳細に描写する事も憚られるほど凄惨なものだった。
プラズマ化する大気と、一瞬で炭化し蒸発する転生者の少年。
1人、また1人と葬られていく転生者たち。
最後に残った少女は、涙や鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を震えさせながら、にじり寄ってくるスカラベたちに何度も何度もグロックの引き金を引いた。
パン、パン、パン。9×19mmパラベラム弾がスカラベの装甲を打ち据えるが、しかし強化された新型装甲がその貫通を許さない。
スライドが後退したまま沈黙するや、少女は壁際にへなへなと座り込んだ。
「ご、ごめ……な、さ……」
ごめんなさい、ごめんなさい……震える声で何度も懇願するが、しかしシャーロットの意識を宿した無人兵器たちの進軍は止まらない。
ついにすぐ目の前までやってきたスカラベが、胴体から伸びる対人機銃の銃口を少女の眉間へと向け―――。
『―――Це занадто, Шарлотто(やり過ぎだ、シャーロット)』
唐突に響く、イライナ語の声。
震えながら必死に命乞いする少女の前に群がる無人兵器たちが、まるでモーゼの前に道を譲る海原の如く左右へと分かれ、向こう側から1人のメイドを従えてやってくる小柄な人影に道を譲る。
現れたのは、厚手のコートを身に纏い、イライナやノヴォシアといった寒冷地ではおなじみのウシャンカをかぶったハクビシンの獣人の少女だった。
ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフ。
先ほどまであの広場で演説を行い、転生者たちがまさに命を狙っていた筈の相手。
それが無人兵器たちを制止して、この場に現れたのである。
「え……?」
『У ворога вже немає бажання воювати. Немає потреби просуватися так далеко(相手にはもう戦う意志はない。そこまで追い詰める必要は無いだろう)』
少女には聞き慣れない言葉で誰かに言いながら、目の前までやってきたミカエルはそっと少女に手を差し伸べる。
気のせいだろうか。
怯え切った少女には、その姿はまるで天使のように見えた。
「もうやめないか、戦いなんて」
目の前にやってきた”天使”は、聞き慣れた日本語で確かにそう言った。




