炎は放たれた
シェリル「そういえばなぜミカエルのTACネームは中国語由来なのです?」
ミカエル「あー……いや、ハクビシンって英語だと”マスクドパームシベット”なのよ。無線でいちいちそんな長い名前呼んでられないじゃない」
シェリル「それは確かに」
ミカエル「色々調べたら中国語に白羽の矢がぶち当たりまして。中国語でハクビシンを意味する”果子狸”から『グオツリー』ってワケ」
シェリル「 つ ま り 食 材 由 来 だ と ! ? 」
ミカエル「 張 り 倒 す ぞ コ ラ 」
ナレーター「ちなみにTACネームはなるべく短い方が好ましいそうです」
チート能力なんてものは、ラノベの中にしか存在しないものと思っていた。
この世界に転生を果たし、その後の検査で魔術の全属性に対し”S++”という破格の適正を持っていた隼人という少年は、しかし今この世界に転生を果たせた事を神に感謝していた。
確かに前世の世界でやり残した事はたくさんある。部活の県大会出場に好きだったゲームの発売日を前に死んでしまった事、前世の世界に残してきた家族たちに友人たち、部活の後輩たち……悔いがない、と言えば嘘になるだろう。
しかしそんな未練も、こんな圧倒的な力を振るえるともなれば薄れてしまうものだ。
転生後、訓練と称し帝国騎士団の兵士数名を相手にした後、魔物退治に出撃した時の事を思い出す。百戦錬磨の騎士団という肩書だったが全くと言っていいほど相手にならなかった。如何に実戦経験を積んだ兵士であろうと隼人に攻撃を当てる事すらできず、逆に隼人の連発する上級魔術は面白いほど当たる。
ついには残った1人が「降伏する」とまで言い出す始末だ。
まるでアニメの主人公になったような、そんな気分だった。
魔物を相手にしても同じだった。ゴブリンも、ハーピーも、巣穴に魔術を撃ち込むだけで面白いほど倒れていった。炎を受けて火達磨になり、氷を受けて永久凍土の一部と化していく魔物たち。もちろん隼人は無傷で、敵だけがただただ倒れていく。
こんな優越感、今まで味わった事がない。
そして今、彼の絶対的な力はある1人の少女に向けられている。
―――ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフ。
キリウの没落貴族、リガロフ家の三男。元はと言えば前当主とメイドの間に生まれた庶子で、実家から逃げ出すように冒険者になった後に頭角を現し、ついには竜殺しの英雄の称号まで得るほどの手練れである、と聞いている。
だが、そんな事は関係ない。
確かに手練れではあるのだろう―――この世界では。
騎士団の精鋭部隊を相手に模擬戦をやった時の事を隼人は思い出す。あの程度の実力で精鋭部隊を名乗れるような世界なのだ、”英雄”の肩書を持つ者も実力が知れる。
会場が沸いた。
演説が始まり、ミカエルが民衆へと語り掛けているのだろう。イライナをノヴォシア帝国から独立させ、帝国を崩壊へ誘う悪党―――ラスプーチンの言葉を思い出しながら、しかし一瞬だけ違和感を覚えた。
(……悪党? あれが?)
歓声を上げる民衆と、そんな彼らに微笑みながら手を振るミカエルの姿。
民主主義国家である日本で育ってきたからこそ、分かる事がある。
果たしてあれが―――極悪人の姿なのだろうか。
まるで民衆が望み、そこにミカエルという指導者が現れただけのようにも……。
「―――だがまあ、関係ない」
今はやるべき事をやるだけだ。
ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフの暗殺。それでノヴォシアの民は救われる。
息を吐いた。
身体中に漲る魔力を総動員、右手一本に集中させる。大きく膨らんだそれは急速に収縮を始め、常軌を逸した圧力で限界まで加圧された魔力の塊は、もはやそれをぶつけるだけで人間など容易く消滅させる事の出来る兵器と化した。
狙うは演説台の上で熱弁を振るう小柄な少女、ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフただ1人。
眼をカッと見開き、右足を一歩踏み込んで魔力の塊を放とうとする隼人。
しかしその手から攻撃が放たれる事は無かった。
唐突に生じた、眉間を何かに思い切り突き飛ばされるような感触。
ピッ、と周囲に舞い散る真っ赤な飛沫―――それが”小野寺隼人”という転生者が最期に知覚し、最期に目にした感覚と光景だった。
(素人ね、やっぱり)
SV-98のボルトハンドルを引き、薬室から.338ラプアマグナム弾の空薬莢を排出しながらカーチャは思った。
通常、魔術師同士の戦いというのは状況にもよるが、今回のように相手に対し自分の位置や正体が露見していない場合に関しては”相手に自分の位置と攻撃の意図を限界まで秘匿する”事が定石となる。
魔術を放てばその際に生じる魔力反応で自分の位置と攻撃が露見する。だから魔術による奇襲とは初撃を如何に限界まで隠匿し、相手にとって最悪のタイミングで致命的な一撃を叩き込むか―――ただこの一点に尽きるのである。
そしてその一撃で仕留め損なう事があれば、すぐに位置を移動し次のポジションから隙を窺いつつ第二の矛を放つ―――言うならば現代における狙撃手に近い立ち回りを要求される、というわけだ。
無論真っ向から魔術で殴り合う場合や、囮になるために相手に自分の存在を誇示する必要がある場合はその限りではない。が、魔術を用いた戦術として徹底した魔力遮蔽による攻撃位置の秘匿は基本中の基本という共通認識が魔術師間には存在するため、その定石を無視する者は2つに大別できる。
陽動目的か、もしくは素人か。
今回は後者だった。
あまりにも魔術を用いた戦闘の基本を理解していないため、スコープを覗くカーチャも一瞬『これは陽動、あるいはそれに類する罠なのではないか』と疑ったほどだ。
転生者の潜伏地点は演説会場からほど近い(とはいっても500m程度の距離がある)廃工場の敷地内。スクラップが山のように積み上げられ、周囲には役目を終えた重機類が打ち捨てられた廃工場の一角から魔術による狙撃を試みたのだろうが……。
(こんな素人が暗殺を?)
いったい何の冗談か。
ロケーションの選択は、良い。遮蔽物も多く、万一初撃で仕留め損なったらすぐに身を隠せる。あるいは遮蔽物に紛れて離脱する事も出来るだろう。そこまではいい。
だが問題はその後―――魔術による攻撃だ。
先ほども述べた通り、魔術は使用すると魔力反応により周囲の人間に魔術師の存在と攻撃が察知される。例えるならば相手に向かって『俺はここだ!!!』と大声で叫びながら攻撃を宣言するに等しく、相手に察知されても回避や対策、反撃の隙を与えないよう素早く発動できる魔術が奇襲には向いている、とされている(※実際暗殺を生業とする魔術師は発動の早い魔術ばかりを習得している事が多い)。
しかし攻撃もその後の退避も迅速に行う事が定石とされている魔術の奇襲において、あんなに大量の魔力を垂れ流し、加圧して、悠長に攻撃しようとするなど愚かの極みにも程がある。
確かに凄まじい魔力量だった。狙撃ポイントで位置につき、スコープを覗き込みながら風が止むのを待っていたカーチャも、自分の勘違いか何かかと驚いたものだ。明らかに魔力量と、そこから繰り出されるであろう魔術の適正に関してはあのセシリア以上―――いや、下手をすればミカエルの姉のアナスタシアにも匹敵、更にはそれ以上に達しているかもしれない凄まじいレベルのものだ。
転生者の持つ”チート能力”なのだろう。異世界からやってきた者のみに与えられる、常軌を逸した能力。それは個人の努力を鼻で笑うような程に圧倒的で、この世のものとは思えない。
だがしかし、そんなチート能力を持った魔術師も戦の常識を知らなければただの人間同然だ。
それだけの、下手をすれば単独で国を滅ぼせそうな力を持った転生者相手に、カーチャが支払ったコストはたった1発の.338ラプアマグナム弾だけである。
間違いなく、アレは素人だ。
戦も暗殺も、常識も何も知らない素人を、ノヴォシアは暗殺の刺客として送り込んでいる。
「……」
転生者という存在がどういうものか、ミカエルから聞いた。
元は異世界で普通に、平和に暮らしていた少年少女。それが何かの手違いか、魂を導く女神の悪戯か―――この世界へと流れつき、新たな肉体を得、二度目の人生を歩み出したもの。それが転生者である……と。
躊躇いを振り払う。
相手が何であれ―――武器を向けてくるなら、それは敵だ。
《カーチャ、10時方向に狙撃手》
「どこ」
《ベランダのところ、見えるかい?》
シャーロットの声に誘導され、スコープの倍率をズームアウトしながら敵を探す。
確かにそこに―――広場の向こうにあるアパートの6階、そのベランダのところに黒い銃(イギリスのL96だ)を構える狙撃手の姿があった。照準はミカエルへと向けられていて、引き金に指がかかっているのが分かる。
(間に合う……!?)
息を呑んだ。
左から微風が吹いている。スコープに搭載されたレンジファインダーによると標的との距離は550m……先ほどの狙撃よりも遠く、しかも無風状態でもない。ある程度照準を左へずらす必要がある。
風が止むまで待っている余裕はない。
息を吐き、そのまま止めた。
心臓の鼓動が大きくなり、呼吸する度に上下していた肩の揺れがぴたりと止まる。
視界に捉えたるは得物のみ。今のカーチャはただの黒猫ではない……獲物を確実に仕留めにかかる狩人、さながら黒豹のようだ。
引き金を引いた。
シパァンッ、とサプレッサーを搭載したSV-98が普段の銃声とはまた違った咆哮を発するや、薬室内で雷管を殴打された弾丸はサプレッサー内で発射ガスを逃がされ減速された状態で、しかし人間1人を殺傷するには十分すぎるだけの運動エネルギーを保持したまま銃口から躍り出た。
弾丸がレティクルの左へと大きく逸れていく。このまま真っ直ぐに飛んでいけばアパートの壁、ベージュ色のレンガの壁に激突してただ弾痕を穿つばかりに終わるだろう。
しかし横殴りの風を受けた.338ラプアマグナム弾は、飛翔の最中にまるで意志を持っているかのように弾道をぐにゃりと右へとずらし始めた。
風速と距離から照準誤差を計算、それを弾丸と使用する狙撃銃の弾道に当て嵌めて放ったカーチャの一撃は、面白いほど正確に標的を捉えた。
レーザー誘導爆弾さながらに弾道を緩やかに右へとカーブさせた.338ラプアマグナム弾は、血に飢えた肉食獣の如く疾駆するや狙撃手の左側頭部を正確にぶち抜いた。ヘルメットもなく、ホムンクルス兵のような外殻による防御手段も持たない転生者の頭蓋骨など、狙撃用のライフル弾からすれば紙屑も同然である。暴力的な運動エネルギーに表皮は抉られ、頭蓋は砕かれ、その内に鎮座する脆弱な脳が無残にもピンク色の残骸と化していく。
”人間”としての在り方、その機能の中枢を司る脳味噌を粉微塵に砕かれてしまえば転生者であろうと何だろうと関係ない。意識の消失と共にその命も儚く消えた狙撃手の転生者だったが、命の灯火が消える寸前、引き金に掛かっていた指が最期の意地を見せた。
ガァンッ、とL96ライフルが吼え―――弾丸がミカエル目掛けて放たれていたのである。
「ミカ―――」
間に合わなかった―――その絶望が、カーチャの胸中を青黒く染め上げた。
やはり素人だ。
気配の消し方がまるでなってない。無論、殺気もだ。
殺す、殺す、お前を殺す。そんな雑念や思考が身体の外にまで見事に滲み出ている。そういう殺気の飛び交う殺伐とした場所に慣れた人間ならば鋭敏に察知できるだろうが、獣人相手に―――それも食物連鎖で下位の方に位置するジャコウネコ科の獣人に対して、それは致命的ではなかろうか。
ジャコウネコ科、特にハクビシンの天敵は多い。虎、狼、猛禽類。地上からも空からも狙われるハクビシンは食物連鎖の中では下位に位置する動物で、だからこそ樹の上によじ登り木の実を齧って、巣穴の中で静かに暮らしている。
そういう動物の遺伝子を持つ獣人であるからなのだろう、昔から殺気や敵意に関しては特に鋭敏だった。こればかりは兄上や姉上達には負けないという自負がある。
仮にそうでなくとも、血盟旅団の仲間たちと過ごした2年間でそういう殺気を感じ取る術は身についているだろうが……まあいい、長くなるからこの辺にしておこう。
イリヤーの時計に命じて時間停止を発動、視線を動かしつつ周囲に磁界を展開。
見えた。7.62×51mmNATO弾。これが俺を殺そうと放たれた、一発の弾丸の正体。
磁界を今までのような弾丸を外へと逸らすような形ではなく、弾丸を真っ向から受け止めるように分厚く展開。弾丸を敢えて正面から受けつつ運動エネルギーを相殺させる。
時間停止が終了した。
再び動き出した時間の中、7.62mm弾に先ほどまでの運動エネルギーはもはや無かった。磁界による反発をもろに受け、運動エネルギーを完全に使い果たした弾丸。それが磁界による不可視の力場の中、まるで無重力のようにふわりふわりと浮かびながら俺の目の前まで運ばれてくる。
まだ熱を帯びているであろう弾丸に、分厚い手袋をはめた手で触れた。
手袋越しに感じる確かな熱。俺を射抜く筈だった熱―――殺す筈だった熱。
弾丸を手にした手を民衆に晒し、俺は演説を続行した。
もちろんアドリブで、だ。
「皆さん、これをご覧ください。弾丸です」
弾丸ですと言われ、民衆たちがざわめいた。確かに銃声のような音は聞こえたし、一部の民衆は驚いて身を屈めていた。
しかしその弾丸が俺の手の中にある―――そんな奇跡のようなものを見せつけられ、演説を耳にしようと集まった民衆の視線は俺の手に、そこに握られている7.62×51mmの金属の礫に集まっている。
「悪しき者たちが……そう、この私を無き者とし、イライナの再出発を妨げようとする者たちが放った弾丸です。どうやらこの国には―――あるいにはノヴォシアには、このミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフの領主就任を快く思わない者たちが居るようだ」
民衆も薄々勘付いているだろう―――これからイライナが、この黄金の大地を持つ国が、どういう歴史を積み重ねていくのかを。
それはきっと苛酷なものとなるだろう。激流に晒され、大波に揺られる小舟のように、大国がひしめき合う中で繊細な舵取りを要求される事になるかもしれない。
これがその証拠だ―――俺たちの敵が、水面下で暗躍していた存在が実力行使に出た、これがその証拠。
ざわめく民衆へ向け、拳を振り上げた。
語気を強め、言葉を放つ。
「―――だがしかし、私は……いや、我々イライナの民は暴力には絶対に屈しない!」
民衆の目つきが変わる。
冷や水を浴びせられたような空気が漂う会場に、再び熱気が燈った。
「我らイライナの民は、屈服を強いる者には断じて膝を折らない!!」
会場中から歓声が上がった。
広場を埋め尽くす民衆たち。その無限にも思える隊列の中から『Слава! Слава! Слава!(栄光を! 栄光を! 栄光を!)』と聞き慣れたイライナ語でのコールが始まる。
「暴虐の痛みと隷従の苦しみに満ちた哀しい時代を終わらせましょう―――我々が終わらせるのです。そして我々の手で始めましょう―――栄光と安寧に満ちた”新時代”を! Слава Елані!(イライナに栄光を!)」
『『『『『Слава Елані!(イライナに栄光を!)』』』』』
会場から沸き上がる大歓声は天にも届かんばかりの勢いだった。
まるでそれは、油で満たされた大海に火を放ったかのよう。
そうだ―――俺はイライナという火薬庫に、帝国という支配者に不満の燻る火薬庫へ火をつけたのだ。
この勢いはどんな武力を以てしても、どんな権力者であっても止まらない。




