就任式当日
ミカエル「体重計乗ったら体重がマイナスに振り切れてた」
シェリル「それはきっと尊厳の重さ」
デスミカエル君「 こ ろ す 」
1889年 11月1日
ノヴォシア帝国 イライナ地方 リュハンシク州
州都リュハンシク 『英雄の広場』
11月にも入ると、寒さは一段と本格化する。
今朝のリュハンシク州の最低気温は-50℃―――厚手のコートを何枚も重ね着してもなお、身体が凍てつくように寒い。というか「痛い」。
まるで身体中の皮膚という皮膚を引き剥がされ、剥き出しになった神経に消毒液でも塗り込まれているような苦痛だ。
そんな苦行を耐え忍んでまで、リュハンシクに住む民衆の多くは街の中央にある広場―――『英雄の広場』と呼ばれる場所に集まる。
広大で円形の広間の中心部には剣を掲げる戦士―――イライナの大英雄『イリヤー・アンドレーエヴィッチ・リガロフ』の銅像が建てられていて、その周囲にある噴水の水はすっかり凍てつき、水の躍動感をうまく表現した現代アートじみたオブジェと化している。
真冬に憩う者もいない広場、その大英雄の銅像の前には演説台のようなものがセットされているのがここからでも見えた。
周囲には人だかり……いや、人だかりなどというものではない。まるで街中の全ての住民がこの広場に集まったかのような喧騒。大人気アーティストのライブ会場にでもやってきたかのような風景だが、しかし彼らがここに集まった目的はアーティストの歌を聴くためなどではない。
本日付で新たなリュハンシク領主として君臨する『ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフ』の就任演説を聴くためだけに集まった民衆たちだ。
ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフ―――イライナ人たちにとっては他ならぬ”現代の英雄”であり、イライナ独立の精神的支柱であり、そして新たな統治者。
それが俺たちの暗殺目標だった。
ラスプーチンという男の話では、ミカエルはイライナを独立させノヴォシア帝国を崩壊へ導かんとする”悪魔の子”であるという。まるで学校の歴史の授業みたいで話は半分も聞いてなかったが、まあ要するにノヴォシア帝国はここでイライナに独立されてしまうと色々と拙い事になってしまうのだそうだ。”キョーサンシュギシャ”とか食料自給率とか、まあイライナ独立を許すと帝国のアキレス腱を断たれてしまうというわけだ。
だからその旗振り役を消せ、というのがラスプーチンが俺たちに言い渡した”使命”。
「……なあ、本当にやるのかよ」
「やるしかないだろ」
今更帰れるかよ、と一緒にやってきた他の転生者に小声で言った。
ミカエルは帝国の臣民の多くを飢えに導き、内乱を呼び込もうとする大悪党。それで俺たちはその悪党を成敗する勇者―――分かりやすくていい。
「隼人が位置についた」
「わかった」
同じクラスメイトの健一が報告してくれる。隼人はここから少し離れたところにある廃工場の敷地内から演説会場を狙い撃ちにする予定だ。転生者の中でアイツが一番魔術の適正が高かった―――チート級の適正を叩き出したアイツなら上手くやってくれるだろう。
もしそれでもダメだったら、その時は俺たちが。
手に汗が浮かび、息が上がる。
大丈夫、落ち着け―――俺たちはチート能力を持つ転生者、悪党を成敗しに来た勇者なのだ。
ラスプーチンに言われた通りに使った能力はまさしくラノベやアニメの世界で主人公が振るっていたような、圧倒的なものだったじゃあないか。模擬戦とはいえ帝国の兵士を相手に無双してたんだ、ミカエルとかいう領主が何だ。
「……でも、そのミカエルって人強そうだよ」
クラスメイトの1人の美咲が寒さに震えながら不安そうに言った。
「”竜殺しの英雄”って称号を正式に授与されたんでしょ? それに雷獣の異名付きだって―――」
「ばーか、ビビり過ぎなんだよ美咲」
ぽん、と彼女の頭に手を置いて笑い飛ばすように言ってやる。
何が竜殺しの英雄だ。何が雷獣の異名付きだ。
どうせハッタリだ。デビューからたった2年でそんな偉業を次々と打ち立てられる筈がない。聞いた話だとミカエルは貴族出身らしいが、どうせ冒険者管理局の職員を裏で買収したり実家の権力を使って何かこう、実際にそんな活躍をしたように見せかけているのだろう。
まあ、没落貴族の庶子に何ができるのか、ってところだが。
いいさ―――とっとと終わらせよう。
俺たちが正義で、奴が悪。つまりはそういう事だ。
「5、6人ってところかしら」
演説前の待機所。リュハンシク市の市長の行為で借りた部屋の一室で原稿のチェックと本番前最後の練習を終えた俺のところにやって来るなり、モニカは腕を組みながら偵察の結果を報告する。
いつものエキセントリックな彼女ではない。目つきがネコ科の肉食獣のそれだ。飼い主の前で甘えるかのような表情はどこへやら、今の彼女は完全に獲物を狙う”狩り”のスイッチが入った猛獣である。
「どうするのよ」
「そりゃあもちろん、予定通りにやるよ」
そのために準備をしてきたのだ。
新しい領主は強く、気高い統治者である―――それを内外に誇示しなければならない。リーダーが強く在らねば誰も後にはついてこないのだ。それは当然だろう、誰だって航海の途中で沈みそうな船に好き好んで乗りたがらないだろうから。
暗殺程度で怯え、屈するようなところを見せるわけにはいかない。
そんな事をすれば、俺の中のイリヤーの血に申し訳が立たない。
「暗殺できるものなら、やってみればいい」
俺は屈しない―――そう言ってのけると、腕を組んでいたモニカはいつも通りの親し気な笑みを浮かべて隣へと座った。
「アンタ、変わったわよね」
「え?」
ぽん、と頭の上に手を置くモニカ。ぴょこんと立っていたケモミミが彼女の手のひらに潰され、再びぺたんと寝てしまう。
「最初に出会った頃はちょっと……というかだいぶ頼りなかったけど」
「オイどういう事だよ」
「ふふっ……でも今は違うわ」
お姉さんにそっくり―――その言葉を口にしようとして寸前で呑み込んだのだろう、モニカの言葉の区切り方には少し違和感が感じられた。
長女アナスタシアに似て気が強い、とでも言いたかったのだろう。きっと彼女は彼女なりに、その発言が俺にとって失礼なのではないかと考えたに違いない。
俺はミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフという個人であって、大英雄イリヤーの子孫でもある。けれども、偉大な祖先の血を受け継いでいるから、英雄の子孫だから……そんな色眼鏡で評価されるのをあまり快く思っていないという事を、モニカなりに悟ったのだろう。
あくまでも自分は自分だと、ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフという個人として見てほしい―――前に一度だけ、クラリスに吐露した事があった。モニカもそれを聞いていたのだろうか。
もしそうなら、それも頷ける。お姉さんにそっくりという一言で、俺が気を悪くすると考えたのだとしたら。
そんなに気を使わなくていいよ、という想いを込めて、彼女のほっぺたを肉球のある手のひらでぷにぷにする。張りと弾力のある、それでいてもっちりとした頬。なんかクセになりそう。
「な、なによ」
「もちもちだ」
「ふーん? モニカお姉さんの頬っぺた触るの気に入ったんだ?」
「お姉さんって俺ら同い年だろ」
ツッコミを入れると、コンコン、とノックする音が聞こえたので入ってくるように促した。ガチャ、どドアノブを捻り待機室の中へ足を踏み入れてきたのは、メイド服姿のクラリスと黒いテンプル騎士団の制服に赤いベレー帽姿のシェリルだった。
シェリルの手にはAK-19が、腰のホルスターにはグロック17がある。
「あら、お取込み中でしたか」
「え……ああ、ごめん。それで」
「お時間ですわご主人様」
「OK」
じゃあ行ってくるよ、とモニカに言って席を立つと、隣でもちもちされていた彼女は名残惜しそうな顔をしながらも笑みを浮かべ、「うん、行ってこい!」と元気な声で送り出してくれる。
ああ、精一杯やってくるさ。
俺は逃げも隠れもしない。
クラリスとシェリルにエスコートされ、待機室のあった建物を後にした。
「……外の状況は」
「暗殺者の人数はざっと6人。いずれも転生者ですわ」
「全員素人です。気配の消し方がまるでなってない」
6人、モニカの報告と合致する……か。
視線を周囲に向けて警戒しながら歩くシェリルはテンプル騎士団の”対転生者戦闘訓練課程”を次席で卒業した才女だ。数多の転生者と相対し葬ってきた彼女だからこそ、転生者を相手にする戦いには慣れているのだろう。
素人、と断じたのもそれが理由だろう。
暗殺者を送り込んできた相手の正体も何者かは分かっている―――九分九厘ノヴォシア帝国、といったところか。俺が領主に就任して一番困るのは連中だろうから(テンプル騎士団ならば俺がリュハンシク州に領主として収まったところで痛くも痒くもあるまい)。
素人を暗殺に送り出したという事は鉄砲玉扱いと見做して良いだろう。帰還を期さぬ捨て駒……なんとも哀れな話だ。
「”本命”が潜んでるかもしれない」
「そちらはご安心を。会場全体をカーチャとシャーロットが見張ってますわ」
「なら安心だ」
血盟旅団最強の狙撃手、カーチャ。
そしてテンプル騎士団が誇るマッドサイエンティスト、シャーロット。
この2人が守ってくれているのならば、安心して命を預けられる。
広場の入り口で待っていた数名の警備兵たちと合流するや、彼らに周囲を固められながらそのまま一直線に演説台の方へ。
広場は民衆でびっしりと埋め尽くされていた。街中の人たちがここに集まったのではないか、と思ってしまうほどの密度と熱気にただただ圧倒されそうになる。
俺が広場にやってきた事に気付いた十数名の民衆が『ミカエル様!』『ミカエル様だ!』『ホントだ小さくて可愛い!』なんて声を挙げるがオイ待て最後の。さりげなく尊厳に爪痕を刻むんじゃないジャコウネコパンチするぞコラ。
演説台に上る前に、クラリスと拳を突き合わせた。行ってくるよ、と彼女に言ってからシェリルにもウインクし、演説台の上へと足を踏み入れる。
途端に浴びせられる大歓声。
人間の海、とはまさにこの事だろう。どこを見ても人、人、人。こんな最低気温-50℃を記録するような極寒の真冬日でもお構いなしに、広場全体を埋め尽くさんばかりの民衆が集まってくれている。
俺なんかの言葉を聞くためだけに。
こんな庶子から成り上がっただけの男のために。
広場だけじゃない。広場の外側にある車道にも車が乗りつけていて、車内からこちらをじっと見つめる民衆の姿もある。
それだけ期待されているのだろう―――この”最前線の州”に住む国民たちに。
ならばそれに相応しい統治者として振舞うまでの事だ。
呼吸を整え、民衆の大歓声と拍手が収まるまで待った。時間にして2分と少しくらいだろうか。大地をカチ割らんばかりに響いていた大歓声と拍手も疎らになり、やがて完全に過ぎ去ったタイミングで、俺はマイクの前に一歩踏み出して原稿を取り出し、目の前の台の上に広げてから置いた。
もう一度呼吸を整え、言葉を紡ぐ。
「―――リュハンシクの領民の皆さん、こんにちは。私はミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフ。我がリガロフ家の当主、長女アナスタシア・ステファノヴァ・リガロヴァとイライナ最高議会の信任を受け、本日よりここリュハンシク州の領主として統治を行う事となりました」
新聞記者だろうか、群衆の中でストロボの光が閃く。
にわかに湧き上がる歓声。掴みは良い、問題はこれからだ。
シェリルに言われた事を思い出す―――表情が固いとか、早口にならないようにとか、身振り手振りを交えて。何度も練習した内容を思い起こしながら、次のステップへと進んでいく。
「この母なるイライナの栄達は、ひとえに農民の皆さん、そして労働者の皆さんと共にあったと言っても過言ではありません。日夜休まずに働く勤勉な領民の皆さん、その献身あってこその繁栄です。私はそれを決して忘れず、権力に溺れる事なく、常に領民の事を考えた統治を行う事を、今日この場を借りて皆さんに誓うものであります」
イライナを支える農民や労働者に寄り添った内容の言葉は、苦難の日々を送る彼らの心に染み入るだろう―――原稿を書く際、そういう文言は入れた方が良いとシェリルは言っていた。新しい領主は全ての領民に寄り添う優しい存在であり、そして外敵には毅然と立ち向かう強い存在であるのだと知らしめるために。
その甲斐もあってか、演説に聞き入る民衆の表情はまるで縋るようだった。この人ならもしかしたら、という希望を感じさせる。
「……また私は、皆さんもご存じの通りかのズメイの残滓、ゾンビズメイの討伐を成し遂げました。我が祖先、イライナ救国の大英雄イリヤーのような偉業を成し遂げる事が出来たのは、無論私1人によるものではありません。共に戦い、共に傷つき、共に笑い苦楽を共にしたかけがえのない仲間、そして皆さんのお力添えがあったからこそです」
ここで少しタメを作る。落ち着いたような口調で述べ、数秒間の空白。視線は民衆全てを見渡すように。
そして少しの間を空けてから拳を握り、段々とアクセルを上げていくように語気を強く。
「―――私は今こそ、領主という立場を得た今だからこそ、この途方もない恩を祖国イライナに、そして皆さんにお返ししたい!」
拳をそれを前へとかざした。言葉に感情を乗せ、溢れてしまい乗り切らない想いを拳に、挙動の一つ一つに乗せるつもりで。
「―――この私、ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフは、新たなリュハンシクの領主として、全ての領民に……そしてイライナの人民に寄り添う統治を行う事をここで宣言いたします。貴族の責務を胸に、そして外敵には毅然と立ち向かう事を皆さんに誓うものであります!」
会場が沸いた。
民衆が拳を振り上げ、声を上げる。
強い統治者を望んでいた領民たちの心は握った―――そんな手応えが確かにあった。




