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未加工の情報

ミカエル「みんな目玉焼きに何かけて食べる? 俺は塩胡椒」

クラリス「塩胡椒ですわね」

モニカ「塩?」

イルゼ「塩ですね」

リーファ「何もかけないネ。食材そのままの味楽しむヨ」

範三「やはり醤油でござろう」


パヴェル「ん、デスソース」


ミカエル「 嘘 だ ろ オ イ 」


 当たり前だが、リュハンシク城の中にある自室は列車の寝室と比較すると広い。


 さすがにホテルのスイートルームとまではいかないが、それでもちょっとしたパーティーを開くのには十分すぎるスペースがあって、ベッドや大きめのテーブルにソファを置いてもスペースを持て余すほどだ。まあ、単純にまだ私物があまり多くないから広く見えるというのもあるかもしれないけど。


 しかもそんな部屋が2つも連なっているのだ。他にはシャワールームや洗面所、トイレも完備されていて、何なら部屋には簡易的ではあるがキッチンもある。旧人類の技術を学習して製造したのだろうか、1889年だというのにかなーり簡易的ではあるがガスコンロが据え付けられていて、この世界の技術進歩のアンバランスさを改めて実感する。


 城内にはこういう部屋がいくつもある。しかもこれだけのスペースを1人で使っていいという贅沢さは今まででは考えられない事で、列車で旅していた時はスペースに限りがあるからあらゆるものをよく考えて配置したり、あるいは妥協したりと、さながら潜水艦の中のような感じの生活をしていた。


 あの窮屈さに慣れてしまったからなのだろう、どうしてもこの広さにはそわそわしている。


 そのレベルの広さの部屋を、しかし早くもスペースを使い潰そうとしているのが1人。


 意外にもカーチャである。


 先ほども述べた通り、部屋は大きめの空間を2つ繋げたような造りになっていて、だいたい皆は片方を寝室として、もう片方を趣味や仕事用の空間として割り当てている。実際俺もその通りで、片方にダブルベッドを運び込んで寝室として使用し、もう片方を簡易的な武器庫や、魔術の教本に歴史書などを保管した書庫として使っている。


 え、何でダブルベッドかって? ああ、それはねクラリスが「クラリスもご主人様とご一緒しますわ!」と嬉々としてダブルベッド運び込んできやがったからである。まあ別にあのスペースだと俺絶対持て余すし、すぐ近くに腕利きの護衛が控えてくれていた方が安心できるし、クセになったのかクラリスにしがみついてないと熟睡できなくなったのでその。


 クラリスに毒されてる? うん、きっとそう。たぶんそう。


 さて、カーチャの部屋はというと。


「おお」


 夕食後にちょっと部屋に来てほしいと言われ、少し食後の休憩をしてから彼女の部屋に足を踏み入れたミカエル君。中に入るや漂ってきたのは、濃厚なコーヒーの香りだった。


 棚の上には様々な品種のコーヒー豆が収まった容器が所狭しと並んでいて、机の上にはコーヒーミルまで置かれている。以前からカーチャは大のコーヒー好きで、飲む時は苦味と風味を楽しむために敢えて砂糖やミルクは入れないというガチ勢である。


 なんだろう、ウチのジノヴィ兄貴と仲良くやれそうだ(ジノヴィ兄貴もブラックコーヒーを好む)。


 さて、彼女がいるのはそんなプライベートが窺い知れる方の部屋ではなく……。


「ん、こっち」


 2つの空間を隔てる扉の方から声が聴こえ、視線を向けるとそこからカーチャの手が伸びて手招きしているところだった。言われた通りにそっちの方へと足を運ぶと、先ほどまで部屋の中を埋め尽くしていた芳醇なコーヒーの香りは鳴りを潜め、インクや印刷された紙の臭い、それからキーボードを叩く音が全てを支配する薄暗い部屋が目の前に広がる。


 部屋に設置されたコルクボードには白黒の写真や何かのメモ書きが所狭しと画鋲で留められていた。帝国の要人や軍人、それから皇帝カリーナの写真が貼り付けられたコルクボードにはそれぞれの人物の簡易的な相関図が書き込まれており、それ以外にも情報を補完するメモ用紙や新聞記事の切り抜きまでがびっしりと貼り付けられている。


 カーチャの仕事は狙撃だけではない。パヴェルから彼女が習ったのは潜入と偵察、それから情報収集を始めとした諜報活動全般だ。だから彼女だけは血盟旅団の仲間たちと別行動する機会も多かった。


「何か進展は?」


「テンプル騎士団に関しては特に。シャーロットとシェリルとも連携してるんだけど、全く何も掴めないの」


 飲む? とマグカップを差し出されたので受け取った。中身はもちろん暖かそうな湯気を発するコーヒーで、微かにではあるがミルクと砂糖の香りも漂っている。


「ありがとう」


 マグカップを受け取り、近くにあった椅子に腰を下ろす。長時間のデスクワークを想定した良い椅子なのだろう、ふわふわで腰に負担がかからないようになっていると見え、座り心地は抜群だ。油断したらこのまま椅子の上で眠りに落ちてしまいそうだが……。


「連中の防諜能力が高いのか、それとも本当に大きな動きが無いのか」


「……あっ、美味しい」


 ずずず、と冷ましたコーヒーを啜ると、予想していたよりも苦くなくてさっぱりした味わいで目を丸くしてしまう。どうしてもコーヒーって苦いイメージがあってあまり好んで飲む事は無かった。転生前もどちらかというとカフェインの眠気覚まし効果を期待して漠然とブラックコーヒーを飲んだりする程度だ。


 甘ったるい紅茶が好きなミカエル君でも思わず美味しいと思ってしまうカーチャのコーヒー。淹れ方とかも拘ってるんだろうか。


 コレ喫茶店とか開いたら繁盛するんじゃねーかと思っていると、カーチャが口元に笑みを浮かべながら教えてくれた。


「ミカ苦いの苦手でしょ?」


「まあ……うん」


「だから浅煎りのコーヒー豆にしたの。さっぱりしててこれならミカでもいけるかなって」


「配慮ありがとう。すごく美味しいよこのコーヒー」


 まあ、とはいってもブラックでは飲めないケド……せめて砂糖は許してほしい。


「で、本題に入るんだけど」


 年上のお姉さんとしての余裕を感じさせる笑みも鳴りを潜め、カーチャの表情が真剣そのものになる。狩りのスイッチが入ったネコ科の肉食獣を思わせる雰囲気に、俺はそっと息を呑んだ。


「テンプル騎士団の情報を追ってたら帝国側の情報も入ったわ」


「侵攻か?」


「いえいえ、さすがにそれは。連中もさすがにそこまで馬鹿じゃないもの」


 今ここで侵攻に踏み切ったらそれこそイライナの反帝国感情は限界に達するだろう。第一、今はノヴォシアでもイライナでも苛酷な冬である。都市間の往来がほぼ不可能になる程の積雪と-40℃を下回る極寒の平原を進軍しようものなら普通に死ぬ。


 政治的理由でも物理的な理由でも、今のイライナへの侵攻は現実的ではないのだ。


 また、この冬があるため戦争においては防衛側が圧倒的に有利になる。


 攻撃側のタイムリミットは雪解けが始まる4月中旬~下旬から雪が降り始め冬季封鎖が始まる10月中旬までの6か月。それまでに侵攻目標を攻め落とすか、そうでなくとも橋頭保の確保まで行かなければ待っているのは積雪での兵站の断絶と、孤立無援の状態で始まる防衛側の反撃である。


 実際フランシス共和国のナポロン将軍もこの冬とノヴォシア側の徹底した焦土戦術により自慢の軍隊をズタボロのけちょんけちょんにされてしまい、祖国へ逃げ帰る羽目になったというのは有名な話だし多分未来永劫ノヴォシアの成功体験として語り継がれる事になるだろう。


 それに、政治的理由を考えてみても姉上の立ち回りが挙げられる。


 イライナ内部は独立派一色と言っていいレベルだが、姉上は最高議会や他の貴族と巧みに連携し、『俺ら独立目指してるけど帝国さんの出方次第では諦めてあげても良いですよ? おん?』みたいな態度を見せる事で、ワンチャン政治的な駆け引きで譲歩すれば独立を止められるのではないか、という空気を帝国議会に蔓延させているらしいのだ(ホントは独立を思い留まるつもりなんて無いのに)。


 ノヴォシアも地政学的なイライナの重要性を理解しているし、帝国内部の食料供給の6割を担うイライナに独立されては大きな痛手を被る事になる。重工業も大半がイライナが独占しているので、独立されればノヴォシアは食料不足と失業率の急増という二重苦に苦しむ事になるだろう。


 そうでなくとも国内では国民の不満を燃料に共産主義者ボリシェヴィキがじわじわと国内を蝕んでいる状態であり、どっちに転んでも帝国にたぶん未来はないと思われる。


 テンプル騎士団はノヴォシア帝国を『病人』と呼んでいるそうだが、あながち間違いでもない例え話と言えるだろう……。


「じゃあ何が?」


 問いかけると、カーチャは周囲を見渡してからコーヒーを啜った。


「……帝国内でミカ、あなたの暗殺計画が持ち上がってる」


「……まあ、予想はしてたよ」


 だろうね、というのが正直な感想ではある。


 ノヴォシアを旅した事で帝国の内情に詳しく、皇帝カリーナとテンプル騎士団の癒着もこの目で見たし、それでいてゾンビズメイ討伐を果たし祖先に連なる実績を打ち立てたこのミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフがよりにもよってリュハンシク州の領主として君臨する―――帝国としてこれ以上やり辛い事はあるまい。


 帝国の脆弱な部分も把握しているし、何より英雄イリヤーの子孫というネームバリューに加え旅の最中にぶちかましたゾンビズメイ討伐の実績は抑止力としても十分に機能するはずだ。これから英雄の子孫が守る領地を攻めに行くと命令されてウキウキで出撃する兵士などいないだろう。


 そんな厄介な相手が目と鼻の先の領地を守っているうえ、政治工作での切り崩しも出来ないとなれば取るべき手段はただ一つ、暗殺である。帝国への非難を避けるためには事故に見せかけて殺すのが一番だろうが、既に俺は「もし俺の身に何かあったらそれはテンプル騎士団か帝国の手によるものなので事故死や病死は絶対に信じないように」と兄姉たちに伝えてある。暗殺してもどの道逆効果だとは思うが……。


「仕掛けてくるとなれば就任式前かな」


「……これはまだ()()()()()()なのだけれど」


 マグカップの中身を飲み干すなり、机の引き出しからカーチャはファイルを取り出した。


 中に綴じられている資料を差し出すカーチャ。受け取って目を通すと、そこには彼女が入手したという情報がそのまま記載されており、文章や情報の節々に赤ペンで彼女なりの考察や疑問点、信憑性に関する事などがびっしりと書き込まれている。


 テスト勉強中の学生の教科書や問題集なんて白紙に思えるほどの情報量に、兎にも角にも目が滑る。どこから読み進めるべきか考えあぐねてしまうほどだ。


 未加工の情報、とはそういう事なのだろう。


 パヴェル式の諜報活動については俺も少し齧った事がある。曰く『情報収集は必ず複数の情報源(ソース)を用意する事』。これは基本中の基本で、例えばターゲットの魔物に関する情報を調べたい場合、複数の情報源(ソース)から情報を仕入れる。これがまずファーストステップとなる。


 そこから更に信頼性の高い情報へ絞り込んでいくのだが、この場合信頼性が高いと判断できるのは『複数の情報源(ソース)で同一の情報を扱っていた場合』となる。


 どういう事かというと、例えば標的の魔物の弱点属性を知りたい場合で話そう。


 弱点属性を調べるために複数の図鑑や情報屋を用いて情報を入手したとする。そこから複数の情報源(ソース)で同一の結論……つまり『ターゲットの弱点属性は炎属性である』という結論が複数見られた場合、初めてその情報は”信頼性が高い”と判断できるわけだ。


 とはいえこれで終わりではない。関連する情報にも手を出してメインの情報を補完、または不要な情報を削ぎ落して必要な情報だけを抽出する―――これも諜報活動に必要な事である。


 ここまでの過程を何度も何度も繰り返して、やっとそれは”使える情報”として俺たちの耳に入ってくる……というわけだ。


 パヴェルはそんな事を料理やら家事やら列車の運転やらギルドの運営やらエロ同人の執筆やらの片手間にやっていたという事になる……なんだあいつ、バブル期の日本から来た労働者か何かだろうか?


「―――私の見間違いじゃなきゃ、”転生者”って単語がいくつか散見されるのよね」


「ホントだ」


 赤いアンダーラインが引かれているところには確かに【перевтілену людину(転生者)】という単語が散見される。


「”転生者を暗殺に用いる”……私はそう睨んでる」


「いつぞやの転生者殺しみたいにか」


「たぶんね……明日までに精度を上げてパヴェルにも一報入れておく。何か分かったらミカの耳にも入れておくから」


「ああ、頼む」


 コーヒー御馳走様、と告げてから椅子から立ち上がり、彼女の部屋を後にした。


 暗殺に転生者を用いる、か。


 なんともまあ、帝国の必死さが垣間見えるが……油断はならない。




 

カーチャ「たぶんね……明日までに精度を上げてパヴェルにも一報入れておく。何か分かったらミカの耳にも入れておくから」

ミカエル「ああ、頼む」


カーチャ「ていっ」ズボッ


ミカエル「ぴぎ」


耳に入れる(物理)

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― 新着の感想 ―
パヴェルってテンプル騎士団時代から、割と破滅的な味付けのタンプルソーダとか、ラーメン屋では一番辛いやつを頼んだりとか、結構独特な味覚でしたよね。これで料理上手なんだから人間分からないもんです… カー…
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