サキュバスがウチにやってきた
シェリル「毎晩思うのです。シャーロットの身体は機械だから、パーツの差し替えでロリ巨乳になったりするんじゃないかなって」
シャーロット「おっと、尊厳破壊の波がボクのところにも」
怨念ミカエル君「 こ っ ち 側 へ よ う こ そ 」
「すごぉい……ホントに実家太いのね」
警備兵たちからの誤解も解け、応接室へと通されたエレノアはクラリスが淹れてきた紅茶を手に取るなり部屋の中を見渡しながらうっとりしていた。
そりゃあどういう男がタイプですか、って聞いたら返してきた答えが『金髪で瞳は蒼くて長身のイケメンで、なおかつ実家が太いと助かります』ときた。随分とまあフィルターが分厚いようでして……。
でもそんな高望みしてるエレノアの要求にぴったりと当てはまってしまう男が身内に居たのもまた事実。有益な情報を提供してもらい、それが目的に結び付いたのでこちらも彼女に対し誠意を見せなければならない。
というわけで兄上にはその、ね。
「ミカ、あなたって本当に公爵家の子だったのね!」
「ソーデスヨ」
……悪気はないのだろう、それは分かる。
一緒に旅をしてきた仲間たちや内情を知っている人たちとは違い、エレノアと俺たちは信じられないほど接点が薄い。薄味なんてものじゃない……だって彼女、俺たちの列車に二度も侵入してきた不審者でしかなく、三度目に至っては宿屋で鉢合わせという何ともアレなエンカウントを果たしただけなのだ。
だから俺は彼女の事を正直あまり知らないし、彼女もこっちの事をあまり知らない。
でもまあ、悪い人ではないのだろう……と言いたいところだが、俺たちとエンカウントする前は男を食い散らかした性病の擬人化だ。兄上がカリフラワーにならないか心配d
「ミカ?」
「はい?」
「今……私の尊厳を傷つけるような事考えてなかった?」
「んなわけないにゃん」
「そうですわ。ご主人様は慈悲深いお方、自分の尊厳が破壊されても他人の尊厳が破壊されるような事は決して致しません」
「その割にはボクに散々貧乳だの何だの言ってたよねェ君」
「「その節は大変失礼いたしました」」
シェリルからジャムを分けてもらい2人分のジャムを紅茶にぶち込むや、小さじでぐるぐると紅茶をかき混ぜ、そこにさらに角砂糖まで投下していたシャーロットが毒を吐くようにぼそりと言う。はい、確かに言いましたというか彼女に思考を読まれるのを承知の上でそんな事を考えました。ぐうの音も出ませんこればかりは。
でもシャーロット、勘違いしないでほしい。確かに俺はキミの尊厳を破壊したし傷付けたし何なら一生消えない思い出を作るまでに至った。けれども尊厳破壊の被害については俺の方が長い。そう、”尊厳破壊歴”であれば。
などとコントみたいなやり取りをしていると、コンコン、と部屋のドアがノックされる音が聞こえた。
「どうぞ」
ガチャ、とドアの開く音。
高級そうな木材(すまん名前まで分からないけど多分マボガニーとかそういうのじゃないかな)で作られたドアが開くや、その奥から顔を出したのは屋敷で雇っているメイドの1人だ。ぺこりとお辞儀してからご主人様に道を譲るや、彼女の後に続きサキュバスの生贄……ゲフンゲフン、お見合い相手が姿を現す。
そう、ジノヴィ・ステファノヴィッチ・リガロフその人だった。
仕事が出来て魔術も得意、文武両道で非の打ちどころのない美青年……というのは本当の彼を知らない部外者からの評価で、俺たちは知っている。
ウチの長男がすっげー残念なイケメンである事を。
女性の扱いに対しても不器用、他人との接し方についても不器用という、不器用だけでデッキ組んだのかと思ってしまいたくなる鉄壁の布陣。
エレノアに応接室で待ってもらっている間に「紹介予定の女性がいらっしゃったのでできるだけ立派な服に着替えてきてください」とお伝えしたつもりだったんだが、何を思ったか兄上が見に纏っているのはパーティーで着るような服とかではなく、法務省の蒼い制服だった。
しかも左肩には黄金に輝くポールドロンがある。法務省本部長を意味する装飾なのだそうだ。
そして頭にはイライナやノヴォシア、ベラシアといった極寒の国ではよく見られるウシャンカ。法務省支給のもののようで、よく見ると盾を背景に開かれた法律書が描かれたエンブレムが刻まれている。
いや兄上……アンタそれ仕事する時の服装ですやん。
公爵家の長男として女性とお見合いするんだから、こう……貴族のパーティーに着ていく時ような服とか、そうじゃなくてもちょっと上質な私服とかでええんよ。
なのになんでアンタこれからいかにも「さあ一仕事するか」的なオーラ纏ってんだコラ。後ろのメイド共も止めろよ、教えてあげろよこっそりと。ウチの長男残念なイケメンって知ってるだろ……おい右のメイド、何笑い堪えてんねん。
おまけに腰にはシャシュカまで提げていると来た。
お前は何をしにここに来たんだ兄上。エレノアのハートを逮捕するってか、喧しいわ。
無表情でそのままエレノアの傍らまでやってくる兄上。いきなり長身のイケメンがこんな服装で現れたらさすがの彼女も引くよねと思いエレノアの方を見て見ると、その、何百人も男を食い散らかしてきたサキュバスにはまるで、人生で初めて”恋”という概念を知った乙女のような顔が……あれ?
「初めまして。ジノヴィ・ステファノヴィッチ・リガロフです」
「ふぁ……!」
エレノア? エレノアさん?
ジノヴィ兄貴の顔を見上げ、頬を赤らめたまま硬直するエレノア。頭から湯気がぷしゅーって感じで吹き上がっているように見えるのは気のせいではないだろう。
「どうぞ、おかけください」
「ひゃ、ひゃい」
面接かな?
高校の時と入社試験の時の面接思い出した……ちょっと胃が。
いたた、と前世の記憶を思い出して腹に片手を当てていると、後ろで待機していたクラリスの傍らでシャーロットとシェリルが必死に笑いをこらえているのが見えて「こら、静かにしなさい」とジェスチャーを送る。
笑っちゃダメでしょ人の恋路を。
とりあえず席を外した方が良いだろうな、と気を使い、メイドたちにアイコンタクトを送りクラリスやシャーロットたちを連れて応接室を後にした。
ここは2人きりにしておこう。邪魔をしちゃあ拙いからね。
心臓が高鳴る感覚―――こんなのいつぶりだろうか。
幼少期、お母さんが読んでくれたお伽噺の絵本に出てきた王子様を見た時? それとも大昔、お城から出てきた王子様を見たあの時?
良く分からないけど、今思えばあの頃だと思う。私の性癖その1が『金髪で瞳は蒼くて長身のイケメンで実家が太い男』で固定されたのは。
ちなみにその2はショタね。
それはさておき―――私の目の前に姿を現したのは、予想のはるか斜め上を行く美青年だった。
顔立ちは端正で目つきは鋭く、しかしどこか凍てつくような冷たさを纏ったそれはミステリアスさをアクセントとして加えている。背丈は高く体格はすらりとしていて、けれども決して痩せ細っているわけではない事が分かる。
法務官としての仕事をするために必要な、がっちりとした筋肉がある。けれどもそれはボディビルダーとか格闘家のように派手なものではなく、これから獲物を仕留めにかかる肉食獣のようにしなやかで、無駄の一切を削ぎ落したものだ。
ウシャンカの下から現れた金髪はまるでイライナの大地を埋め尽くす麦のような黄金で、その中からぴょこんと顔を出すライオンのケモミミが実に愛らしい。この人も私と会うのを待ちわびていたのだろうか、ライオンのケモミミは弾むようにぴょこぴょこと左右に揺れていた。
獣人のケモミミや尻尾には本音が現れる、というのは有名な話。もちろん例外もあるけれど、ケモミミと尻尾は本心を反映して動いたりぺたんと寝たりするから、獣人たちは普通の人間と比較すると遥かに感情豊かである……という。
この人、ジノヴィさんと言ったかしら。先ほどからまるで飼い主に遊んでもらう猫みたいにケモミミを動かしたり尻尾を揺らしているって事は……これ、脈アリと見て良いのよね、そうなのよねお母さん!?
本当、ミカには感謝しなくちゃ。まさか彼女の身内にこんな私の性癖のど真ん中を極音速でぶち抜いてくる金髪蒼眼長身イケメンの公爵家長男がいるなんて。しかもそんなイケメンをこの私に紹介して会わせてくれたのだから、あの子には感謝してもしきれない。
「ああ、ええと」
お互い話す話題もなく、時折視線を交わしては恥ずかしがるようにすぐ目を逸らす……それを幾度となく繰り返していた私は、まだ彼に名前を名乗っていなかった事を思い出した。
そ、そうよね、名前を名乗ってなかったらどう呼べばいいか分からなくて困ってしまうわよね!
「自己紹介が遅れました。私、エレノアといいます」
「エレノア」
確かめるように、小さな声で名を呼ぶジノヴィ。華奢なように見えて意外とがっちりした手(よく見ると肉刺が潰れた痕がいくつもある)がティーカップをそっと持ち上げるや、彼は口元に優し気な笑みを浮かべた。
「綺麗な名前だ」
ヴォァァァァァァァァァァァァ!!!
なんっ、なんだこの男ッ! ありきたりなセリフだけどこうっ、私の乙女ポイントを的確に突いてくる言葉ばかり選びおってぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!
こんなん推しちゃう沼っちゃう、と内心で荒ぶる私。何なのこのイケメン、ミカから「ちょっと不器用だけど」なんて評価されてたけど、乙女を喜ばせたりドキッとさせるポイントを的確にぶち抜いてくるじゃないの!
何よこの王子様。
「あ、ありがとうございまひゅ……」
ちら、とジノヴィの顔を見た。
やはり公爵家の長男というだけあって、ちょっとした仕草に至るまで無駄がない。ティーカップを持ち合揚げる動作も、そしてジャム入りの紅茶を口に含む様子も、細かな動きにすら繊細な美しさがある。
「あの、ジノヴィ様」
「なんです」
「その服装……法務官なんです……?」
「ええ」
「か、カッコいいですね」
「あはは、ありがとう。初めてですよ、”カッコいい”だなんて言われたのは」
少し照れたように視線を逸らしながら言うジノヴィ。そんな彼の頭の上ではライオンのケモミミまで照れ隠しをするようにぺたんと倒れている。
ヤバい、この人。
このイケメン、可愛いかもしれない。
「やっぱり波長の合う人って居るんだねぇ」
リュハンシクにあるという領主の屋敷……というか城(姉上曰く”リュハンシク城”という城があるらしい)に送る荷物をまとめ、ロープでしっかりと縛りながらそんな言葉をぼろりと零す。
ウチの長男がクッソ不器用でクッソ残念な無駄に顔の良いイケメンである事は周知の事実であるのだが、しかし下の階からキャッキャと楽しそうなエレノアの声が聞こえてくるあたり、まああの2人は”波長の合う”相手という事なのだろう。意外と似た者同士なのかもしれない。
「アナスタシア様もヴォロディミルさんとお付き合いされていますし、マカール様も副官のナターシャさんと結婚を前提にお付き合いをなさっているそうですわよ」
「いやー兄上たちも姉上もどんどん結婚していk……ん、待てよ」
あれ、もしかしてミカエル君相当出遅れてる?
嘘やろ、と思いながら視線をクラリスの方へと向けると「クラリスはいつでもお待ちしていますわ」と言わんばかりにウインクを返された。可愛いんだよこんちくしょう。
さてさてクローゼットの中身はこっちにまとめて発送して、その他の日用品はどうしようか……細々としたものは木箱とかダッフルバッグにでも詰め込んで列車で持って行こうか、と考えていると、唐突に目の前が真っ暗になった。
薬品臭とシリコンの臭い。頭上で小さな冷たい手がケモミミをさわさわしていて、下から差し込む光が大きめの白衣の裏地を照らし出す。
ああコレもしかしなくてもシャーロットの萌え袖だな、と理解する。彼女は最近こうやって人の頭を萌え袖で捕食してはケモミミを触ったり揉んだりもちもちするのにハマっているらしく、頻繁にこういう襲撃を受けるんだがやられる側はいきなり目の前が真っ暗になるのでそれなりに心臓に悪い。
「キミもそろそろ結婚を真面目に考えた方が良さそうだねェ」
「そうッスね」
「クックックッ、まあ君の周りには女性がたくさんいる。せいぜい素敵な女性と結ばれて、優秀な遺伝子を後世に遺したまえよ。キミのような実力の持ち主の血を受け継いだ人間がいないなんて世界にとっての損失だ」
なんでそんなストレートに言うのかねぇ、と少し呆れつつ萌え袖から顔を出すと、退屈なのかどこからか召喚したドローンに吊るされて「ぶーん!」とか言いながら部屋の中を飛び始めるシャーロット。なんか母猫に咥えられた子猫みたいな愛嬌があるんだが、荷造りの手伝いしないなら出て行ってくれないかな???
なんなんだコイツ暇なのか。
「……あっ」
「ご主人様?」
「……そーいや俺、兄上にエレノアがサキュバスだって伝えてない」
大事な事を伝え忘れていた。
エレノアの情報がキリウ大公の子孫に繋がるものだと確信し喜んでいたせいで、大事な事を兄上に宛てた手紙に書き忘れていたうえ、電話でも伝え忘れていた―――ただ「美しい女性」としか伝えていない。
あれ、これもしかしてヤバいのでは。
もしこのままトントン拍子に話が結婚まで進み、その……そういう経験をする事になってしまった時、兄上はエレノアの正体を知る事になる。
そしてそのまま針金になるまで……ヒエッ。
「最低だねェ君」
ぶーん、とドローンに吊るされながら俺を見下ろすシャーロット。
ごめん、ぐうの音も出ねえ。




