リュハンシク領主、ミカエル
ミカエル「ふーっ」
バイノーラルマイク「」
ミカエル「ふふふっ♪ お耳にふーってしただけでビクビクしてるぅ♪ お耳ざこざこじゃん♪」
ミカエル「ざぁーこ♪」
バイノーラルマイク「」
ミカエル「この程度でこんなに効くならぁ……もぉーっとスゴい事、しちゃおうかなぁ♪」
パヴェル「ほい、ギャラの450万ライブル(※本来250万ライブル、売り上げを加味し増額)」
ミカエル「きゃはー☆」
ミカエル「尊厳売ってみるもんだな!」
シャーロット「世の中金だねェ」
シェリル「金ですねぇ」
「姉上、本当によろしいので?」
皆が去った後の閑散とした執務室。静寂の中、窓から雪の降り積もるキリウの街並みをじっと見つめていたアナスタシアの背中へと疑問を投げかけたジノヴィに、長女アナスタシアは振り向く事なく答える。
「……アイツしかいないだろう、他に誰がいる?」
「しかし……ミカエルはまだ19です」
「そうだ。そして我々姉弟の中で誰よりも武勲を打ち立てている」
ミカエルが頭角を現したのは、父親の呪縛から解き放たれてからすぐだった。南方のアルミヤ半島の解放に始まり、ガリヴポリ、リュハンシク両州からの共産主義者放逐、ガノンバルド討伐にマガツノヅチ討伐、そしてついには祖先イリヤーが討ち損じたゾンビズメイ討伐にも成功し、テンプル騎士団との戦闘では総大将セシリアを仲間と共に討ち取る大戦果を挙げている。
旅に出て僅か2年―――庶子というどん底から努力でここまで這い上がってきた人間を、アナスタシアは未だかつて見た事がなかった。
努力して成果を残した者は大勢知っている。現在交際中で、将来的には結婚も視野に考えているヴォロディミルもその中の1人だが、ミカエルほどの成果をこれだけの短期間で打ち立て、帝国の広大な版図に名を轟かせた者は帝国の歴史を見てもそう多くはいないだろう。
かつて誰からも見向きすらされなかった忌み子が、やがては放浪の果てに歴史上の大英雄に並び立つ事になろうとは、愚かの極みたる父親も、そしてそんな男と関係を持ってしまったレギーナも想像すらしなかっただろう。
今ではもう、ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフの名は帝国全土に知れ渡っている。庶子としてではなく、竜殺しの英雄としての名が。
その名声、使わずとして何とするか。
「ガノンバルド、未知の龍マガツノヅチ、そしてゾンビズメイ―――この化け物を立て続けに打ち倒した英雄が守る地ともなれば、侵略する側には相当な心理的影響が懸念されるな」
「まあ、抑止力としては申し分ないですね」
アナスタシアの狙いはこうだ。
今ではもう、ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフの名は帝国全土に知れ渡っている。誰もが新聞やラジオでその名を目にし、耳にし、イライナからやってきた可憐な冒険者の活躍を聞くのを心待ちにしている。
そしてそれは、イライナ独立宣言の折に攻め込んでくるであろう帝国騎士団の兵士たちも同様であろう。
誰もが知っている筈だ。ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフという今を生きる大英雄の力を。
ガノンバルド、マガツノヅチ、そしてゾンビズメイ―――仲間の助力もあったにせよ、エンシェントドラゴンを含む強敵を立て続けに打ち倒したSランク冒険者が、イライナ最前線の領地を守っているとなれば、侵攻に参加するであろう部隊の士気への悪影響は計り知れない。
大英雄を相手にするという事実が、兵士たちの心を挫くのは目に見えている。誰だって好き好んで死にに行くわけではないからだ。
ミカエルという存在そのものを抑止力とし、実際に侵攻があった場合はその実力を以て侵攻部隊を撃滅する―――それがアナスタシアの考えであった。
無論、相手がミカエルの守るリュハンシク州を迂回する事も考えられる。
何もリュハンシクを突破する必要はない―――その両翼に位置するロネスク州とハルキウ州を突破し補給線を断ってしまえば、リュハンシクに大英雄が控えていようともやがては干上がり降伏するであろう。
そんな甘い目論みを、しかしアナスタシアの悪辣な布陣が挫く。
リュハンシク州の両翼に位置するマルキウ州とロネスク州。イライナ東部に位置するそれらの領地を守るのは”絶対零度の法務官”ことジノヴィ・ステファノヴィッチ・リガロフ、そして”鉄壁の守護者”ことマカール・ステファノヴィッチ・リガロフ”。
正面からぶつかろうとも、左右に回り込もうとも、侵略者は万全の態勢で迎え撃たれる事となる。
そして敵が東部で足止めを喰らっている間にズムイ州を治めるエカテリーナが援軍を抽出、他の貴族たちと綿密な連携を取りつつ後方から支援するという計画である。
懸念されるのはベラシアを経由してのキリウ直接侵攻であるが、その場合は北方の新たな領主として推薦していた公爵家と連携するつもりであるし、場合によってはアナスタシアが自ら出向いて迎撃するつもりである。
既に西方諸国、特にイーランド帝国からの手厚い支援は取り付けた。何ならイーランドと同盟関係にある倭国との連携も視野に今は動いている段階で、状況は国土と軍事力で劣るイライナでも大国ノヴォシアと真っ向から殴り合える状態となっている。
しばらくの懸念事項は資金面―――そこも既に対策は考えてある。
時間が経てば経つほど強化されていくイライナと、時間が経てば経つほど痩せ細っていくノヴォシア。
相手が一番嫌がるのは時間の浪費。
可能であればこのまま帝国が出血死するのを対岸から座して待つ事であるが、そうなる可能性は極めて稀だ。崩壊の未来が見えようとも、帝国は最期の足掻きと言わんばかりにイライナへと手を伸ばすだろう。
その手を払い除ける力が、今のイライナには必要なのだ。
そのためのリガロフ姉弟。
そのための対消滅兵器群。
それに、嬉しい誤算もあった。
ミカエルがテンプル騎士団から寝返らせた2人のホムンクルス兵の存在―――その片割れが技術顧問であり、この世界の獣人が知り得ぬオーバーテクノロジーをその頭脳に宿しているのだという。
幸い彼女はミカエルに対し協力的な態度を示しており、彼女の手に掛かればイライナの技術水準の向上も見込めるであろう。
目的を果たし、最高の手土産まで持って帰ったミカエルを酷使するような人選には気が引けるが、しかし彼女ならば領地を守り抜いてくれるであろうと信じての人選でもあった。
ミカエル以外に、リュハンシクを任せられる相手がいないのだ。
「……帝国最高議会は良い顔をしないでしょうね」
「それはそうだ、これはイライナ独断での配置変更だからな」
さらりととんでもない事を言った長女に、ジノヴィはあんぐりと口を開けた。
開いた口が塞がらない、とはまさにこのような事を指すのだろう。
通常、当たり前ではあるが公爵家の者に領地を与える際は帝国最高議会の認可が必要であり、本当であればミカエルにリュハンシク州の統治を任せるのにも帝国最高議会での採決を経て、皇帝陛下からの承認を得る必要がある筈なのだ。
それをキリウにあるイライナ最高議会の決定のみで任命したと帝国側に知られれば、背信行為として糾弾されてもおかしくはないだろう。しかもそれが、将来的なイライナ独立とノヴォシア侵攻軍迎撃を見越した人事となれば猶更だ。
「姉上、こればかりは少々火遊びが過ぎるのでは」
ジノヴィの懸念ももっともである。
これでは事実上、イライナは独立国として振舞っているようなものだ。帝国の最高意思決定機関たる帝国最高議会を経ない領主の承認ともなれば、相手に事実上の独立宣言と見做され侵攻を誘発してしまうのではないか―――ジノヴィはそれを憂慮している。
だから挑発のさじ加減は決して見誤るべきではなく、常に慎重に吟味したうえで実行しなければならない。それが仮想敵国との付き合い方の鉄則だ。
「ノヴォシアがこれを独立宣言と受け取り侵攻に踏み切ったらどうするのです」
「その時は共産主義者が蜂起する。果たして横腹を抉られながらどれだけまともな戦争ができるか、見ものだとは思わないかジノヴィ?」
ここでやっと、アナスタシアはジノヴィの方を振り向いた。
狂気的な笑みも何もない―――ただただ淡々と、今まで積み上げてきた計画を進めようという意志が感じられるような、まるで機械仕掛けの人形と話しているように錯覚してしまうほどの無表情。
彼女は今、国家規模のチェスをしている。
綿密な計画を立て、周辺諸国へ根回しをし、敵対国の足元を切り崩して淡々と駒を動かしているのだ。
「……もし、共産主義者が約束を違えたら?」
「その時は対消滅爆弾でも何でも撃ち込んでやればいい。元々そう通告している筈だ」
対消滅兵器―――イライナが手にした、政治的恫喝のための抑止力。
それの全力投入も厭わない、つまりはそういう事だ。終末時計の針を推し進めるであろう対消滅兵器による国家規模のパイ投げ合戦が始まる。
無論、誰もそんな事は望まないだろう―――自分たちの手で、獣人世界の文明を終焉に導くなど。
「まあ、もしその時は頭を掻いて誤魔化すさ」
そう言いながら、アナスタシアはジノヴィの前でいつもの笑みを見せた。
「リュハンシク領主就任、おめでとうございますわご主人様」
翌日。
嫌な思い出がそれなりにぎっしり詰まった屋敷を車で後にするなり、ハンドルを握るクラリスが昨晩言い渡された領主就任の件を祝ってくれる。
「ありがとうクラリス。でも……領主か、俺なんかが」
大丈夫だろうか、と心配になる。ギルドを率いた事はあっても、人民を統率する事が果たして俺にはできるのだろうか。多くの人がついて来てくれるような魅力的な統治者になる事が出来るだろうか?
それに姉上が俺に期待しているのは領地の安定統治もそうだろうが、それ以上に対ノヴォシアを睨んだ抑止効果の方であろう。ゾンビズメイ討伐を果たしたSランク冒険者で異名付きの冒険者が領主を務めているとなれば、相手も迂闊に侵攻できない……あるいは侵攻したとしても、参加した兵士たちの士気を大きく挫く結果になる筈だ、と。
そうならないのが一番ではあるのだが。
嫌だねぇ、戦争なんて。みんなで平和に紅茶でも飲んでる方がよっぽど有意義なんだが……まあ、そう上手くいかないからこそ有史以来一度も世界平和など訪れた事がないわけで。
子供の喧嘩にご近所トラブル、組織内の派閥争いから全面戦争まで。人類の歴史は争いに塗れているのだ。
「大丈夫かな」
「きっと大丈夫ですよ」
そう言ったのは、意外にも助手席でヴェープル12モロトのコッキングレバーを半ばほどまで引き、薬室をチェックしていたシェリルだった。
「私たちにも救いの手を差し伸べてくれた優しい人です。人間とは優しさに惹かれるものなのでは?」
「そうそう、胸を張りたまえよ」
後部座席、俺の隣で先ほどからカタカタと自分のPCのキーボードを叩きながらシャーロットが得意気に言った。
「そうじゃなきゃ、3回も負けた甲斐がない」
「……そういうもんかな」
「そういうものさ」
カタン、とエンターキーを勢いよく押すシャーロット。
ちなみに彼女が使ってるあのPC、パヴェルから提供されたスクラップを素材として自作したものなのだそうだ。賢者の石を半導体の代用として使っているそうで、スペックはその辺の生半可な高性能PCよりも上なんだとか。
しばらく車を走らせていると、雪の積もったキリウの高級住宅街の外れに”それ”が見えてくる。
遠くから見ると駅のようにも見えるが、違う。
車両基地だ。
【Відтепер майно буде приватною власністю, і нікому, окрім тих, хто причетний, туди не дозволять(この先私有地につき関係者以外の立ち入りを禁ずる)】という雪に埋もれかけた看板には、リガロフ家の家紋が刻まれている。
看板の脇を通り過ぎ、除雪された道を進んでいくと、車両基地の中から巨大な砲身が突き出ているのが見えてちょっとびっくりした。聞いた話では、あれがテンプル騎士団の空中戦艦『アトランティス』を轟沈へと追いやった28cm攻城砲なのだそうだ。
それが3門、巨大な車両基地の中で砲兵たちの整備を受けている。中には車両の一部を携帯式のバーナーで炙ってる作業員がいるが、どこか凍結した個所でも見つけたのだろうか。
さて、そんな巨大兵器たちが鎮座する車両基地の片隅で、溶接の火花を派手に散らしている列車の姿が1つ。
天井からクレーンで吊るされた装甲板がホイッスルの合図に合わせてゆっくりと降下、ふわりと列車の上に下ろされるやすぐさまパヴェルと範三による溶接作業が始まる。列車の後方では誰かが操縦している機甲鎧が2機がかりで大破したヤタハーン砲塔を持ち上げ、取り外しているところだった。
「よう、パヴェル!」
「ミカ!」
車から降りて手を振ると、天井でガスバーナー片手に溶接作業を行っていたパヴェルが笑みを浮かべながらこっちを振り向いた。手元のアセチレンガスと酸素のバルブを閉止しバーナーの火を消すや、作業用のタラップを滑り降りてこっちに駆け寄ってくる。
「これはこれは、リュハンシク領主様じゃあないですか!」
「やめてくれ、その呼ばれ方はまだ慣れてない……」
「がっはっは、にしても大出世だなぁミカ?」
「まあね」
大出世、ねぇ。
まあいいさ、俺はやるべき事をしよう。
ベストを尽くしていれば、結果も自ずとベストになる筈さ……たぶん。




