久しぶりの実家にて
ミカエル「姉上」
アナスタシア「はい」
ミカエル「これどこで買ったんです」
アナスタシア「はい、そこにいるヒグマみたいなお兄さんから6000ライブルで買いました」
ミカエル「この抱き枕カバーは」
アナスタシア「はい、そこにいるヒグマみたいなお兄さんから18000ライブルで買いました」
ミカエル「このフィギュアは」
アナスタシア「はい、そこにいるヒグマみたいなお兄さんから45000ライブルで買いました」
ミカエル「パヴェル」
パヴェル「はい」
ミカエル「正座」
パヴェル「はい」
ナレーター「その後、ミカエル君の説教は日が暮れるまで続いたとさ。めでたしめでたし」
屋敷の1階にある広間は随分と賑わっていた。
大きなテーブルにはいったいどこから用意してきたのかと思ってしまうほどの数々の料理が並んでいて、美味しそうな湯気を立てている。既に外は大雪で今日から冬季封鎖が始まり、各地との往来は寸断された状態。だから冬が明けて雪解けが始まるまではこれまでの備蓄だけでやり繰りしなければならない、というのがこの国の常識だ。
なのでちょっと、正直言ってこの量の食事を用意されるのは少し先が不安になる。備蓄だけでやり繰りすることが求められる冬季にビュッフェ形式で夕食を出されると、これ雪解け前に食料尽きないかと不安になってしまうのだが……。
いやでも、列車で旅をしていた時は冬前半が肉や卵などの保存がきかない生鮮食品が大量に出てきて、後半に黒パンとか缶詰、足りない分は現地調達で何とか食いつないでいたので、ちゃんと計画を立てたうえでのパーティーなのだろう。多分そうだ、きっとそうだ。
「おいひいですわねご主人様」
「食べながら喋るんじゃあない」
もっしゃもっしゃと口の中にチキンサラダを押し込みながら言うクラリス。そんな彼女に飲み物を手渡され、ありがたく受け取りながら一応咎めておく。お前は公爵家のメイドなんだからもう少しこう、貴族の屋敷で働くメイドらしい振る舞いを……うん。
ワイングラスのような物に注がれて出てきたのはシャンパンとかそういう類のものではなく、どうやらタンプルソーダのようだ。こんなところにもあるのかと思い視線を広間の隅へと向けてみると、屋敷で働くメイドたちがタンプルソーダの瓶から王冠を外してテーブルの上に並んだワイングラスに注いでいるところが見え、ああキリウにも売られ始めたんだなと理解する。
パヴェルからも聞かされたし姉上と電話でのやりとりで把握していた事だが、ごく少数のみ製造したタンプルソーダをサンプルとしてリガロフ家に売ったところ姉上がこれを大変気に入ったようで、レシピを譲ってもらいパヴェルから正式に製造権を購入、キリウ工業区に放置されていた廃工場を買い取って再整備、タンプルソーダの生産体制を整えつつあるのだそうだ。
メイドがタンプルソーダの瓶を引っ張り出している木箱には『Ригаров Сода(リガロフソーダ)』という記載と、どこかで見た事のあるハクビシン獣人のマスコットキャラが描かれてるんだけど……あれ、どこかで見た事あるなあれ。洗面所の鏡の前に立つと毎回鏡の中にいる奴。
いやまあ、いいけどさ……こういう事するなら事前に一言断りを入れてほしいもんである。
「やあミカ、楽しんでるか?」
「ああ、姉上」
水面下で行われていたステルス尊厳破壊に白目になっていたところに、紅いドレス姿の姉上がやってきた。ワイングラスを手にしているが中身は酒ではなく、俺と同じくタンプルソーダのようだ。泡立ち方と色合いから見て多分そうだろう。甘ったるい匂いもするし。
「お前のために用意した歓迎会だ、羽目を外して楽しんでくれ」
「ええ。しかし冬季封鎖初日に随分な大盤振る舞いですね」
広間にあるテーブルの上に並ぶ料理の数々を見ながらそう思う。特に目を引くのがテーブルの中央にどどんと置かれている豚の丸焼きで、内臓を取り除かれた豚が1頭こんがりと焼かれた状態で大皿に乗せられている。口にはリンゴが咥えさせられてるんだけどあれ何なんだろうね。
よもやハクビシン料理なんて置いてないよな、といつぞやの前座でぶちかまされたミカ虐を思い出されハッとするが、その様子を見て姉上は豪快に笑った。
「あっはっはっはっは! いやあ気にするな。食料に関してはこれを見越して事前に用意していた分だし、賞味期限が迫っているものから優先的に使っているから冬場に食う物に困るような事は無いぞ」
「それならいいのですが」
「お、ミカ!」
姉上と話し込んでいると懐かしい声が聞こえてきた。
振り向いてみるとやはりそこには憲兵隊の制服の上にコートを羽織ったマカール兄さんがいて、手を振りながらこっちに駆け寄ってくる。
「兄上! お久しぶりです!」
「おかえり、よく戻ってきたな!」
マカールおにーたまのスモールサイズの手とミカエル君のミニマムサイズの手で握手を交わす。やっぱり兄上の方が手が大きいな、などと思っていると、隣ではクラリスが悶えながらカーペットの上をごろごろと転がってるし姉上は腕を組んで鼻血を垂れ流しながら「やっぱウチの子いいわぁ……」なんて呟いてるんですが、あの、姉上? 姉上???
「後で土産話でも聞かせてくれよ」
「ええ、喜んで」
どれから話そうか……そうだ、手紙のやり取りをしていたと言っても一方的なものばかりだったから、こっちの状況は知ってるだろうけど実家で何があったのかとか、そういう話はほとんど聞いてない。
後で兄上からも色々教えてもらおう、と頭の中で考えてると、ぽん、と肩に大きな手が置かれた。
パヴェル達も屋敷に来たのかな、と思ったがどうやら違う。手のひらには肉球があって、肉刺の潰れたような痕がいくつもあるがっちりとした手。ああこれはジノヴィ兄さんだなと思いながら顔を上げてみると、案の定そこには口元に笑みを浮かべたクールなイケメンだった筈のジノヴィ兄さんが立っていた。
この人、こうして黙って佇んでる分には顔立ちは端正でまさに”貴公子”といった感じの出で立ちなんだが、如何せん内面は不器用で女に疎く恋愛経験ゼロ、しかも姉上の話ではストレスが限界突破すると人語を話さなくなるなどなかなか香ばしい残念なイケメンである。
「おかえりミカ」
「ただ今帰りました、兄上」
「ところでお前今失礼なこと考えなかったか」
「そのような事があろう筈がございません」
なぜ俺の周りの人はカジュアルに心の中を読んでくるのか。
そういやエレノアはまだ到着してないのだろうか……屋敷の中を見渡してみたが、身内だけで開かれたミカエル君帰還祝賀会&ノンナ歓迎会の会場にいるのはリガロフ姉弟と使用人たち、それからノンナにルカ、シェリルとシャーロットくらいだ。ギルドの皆は列車の回送が終わったらこっちに来るという話だったが……。
それにしてもエレノアの姿がない。あいつまさか道に迷ったりとか、あるいは冬季封鎖に間に合わなかったりとかしたんじゃなかろうか。ちょっと不安になる。
こんな事なら一緒に帰ってきた方が良かったんじゃないかと思ったが、それはそれで危険だったしまあ……でも大丈夫かな、凍えてないかな。ちょっと心配である。
「豚ちゃんおいしい豚ちゃんおいしい」
「シャーロット、こっちのチーズパイも美味しいですよ」
メイドに切り分けてもらった豚の丸焼きを吸う(「喰う」じゃなくて「吸う」)シャーロットと、几帳面にチーズパイを切り分けては自分の分を一口でもっちゃもっちゃするシェリル。楽しんでるようで何よりですハイ。
いやまあ、うん。テンプル騎士団時代の辛い生活から解放されて謳歌しているようなので何よりである。とりあえずあの2人には幸多い未来を願わずにはいられない。
さて、と。
メイドから切り分けてもらった豚の丸焼きの乗った皿とフォークを受け取るや、兄上たちに挨拶してからクラリスと共に広間の一角、ちょうどテーブルのある辺りへ足を運んだ。
そこには私服姿のルカと、先ほど屋敷に到着した後に着替えたのであろうドレス姿のノンナがいて、今までとは打って変わって綺麗な格好をする妹分を複雑な表情で見守るルカの顔を見てなんと声を掛けてやるべきか、と一瞬躊躇した。
とりあえず肩を軽く叩くと、「ああ、ミカ姉」といつもよりちょっと暗いトーンの声が帰ってくる。
「姉上を信じろ」
「そうだけど、さ」
生まれて初めて綺麗なドレスを着せられてはしゃいでいるのだろう、その場でくるくる回ってはドレスをひらひらさせて目を輝かせているノンナを見守りながら、ルカはワイングラスを片手にぽつりと言葉を零す。
「なんか……俺の知ってるノンナがどこか遠くへ行ってしまったような気がしてさ」
「人ってのは変わるもんさ」
「そうだよね……」
ぽんぽん、と肩を叩き、彼に豚の丸焼きの乗った皿を渡した(もちろん俺は口を付けていない)。
「だから置いて行かれるなよ。遠くへ行かれたのならダッシュで追いつけ」
「……うん」
それに、姉上の事は信用していいと思う。
あの人は誠実な人だ。たとえスラム出身の貧民だろうと平等に、真摯に向き合って接してくれるし約束もきっちりと守ってくれる。その辺の己の利益だけを追求しているような馬鹿貴族とは違うのだ。
「見て見てお兄ちゃん! 私お姫様みたい!」
「あはは、本当だ。お伽噺のお姫様みたいだね」
「えへへー♪」
ぱたぱたとこっちに駆け寄ってくるノンナ。まだ少し暗い顔をしているルカの手を取るや、純粋な笑みを浮かべながらルカに言った。
「じゃあ、私を守る騎士はお兄ちゃんが良いな」
「……!?」
あ、コイツ顔赤くしやがった。
それだけじゃない。ぺたんと寝ていたケモミミをぴーんと伸ばし、もっふもふの尻尾も真っ直ぐ伸ばしたかと思いきや、飼い主と散歩に行く犬みたいにぶんぶん左右に振り始める始末。獣人は本音が耳やら尻尾に現れやすいのでそういう意味でも感情豊かな種族なのだが、ルカはその中でも特に内心が表に現れやすいようだ(だからなのだろう、彼は嘘をつくのがヘタクソなのだ)。
「そ、そう……じゃあ俺ももっと立派にならないとな、あはは」
「えへへ」
笑みを浮かべるノンナに、ルカもどこか救われたような笑みを浮かべて応じる。
心の中で、そっと語り掛けた。
「頑張れよ騎士君」と。
のちにルカは『黒獣のルカ』という異名付き冒険者となり、キリウ大公【ノンナ一世】の首席護衛官の座に就任する事となるのだが、それはまた別の話である。
「さて……そろそろ切り替えていこうか」
リガロフ邸の3階、クソ親父から奪い取った姉上の執務室の中。
回送作業を終え、パーティーに途中参加したパヴェル達が持ち込んだ立体映像投影装置の光が、薄暗い部屋の中にぼんやりとオレンジ色の光を灯す。そこにはイライナとノヴォシア、ベラシアの三ヵ国が拡大された世界地図が表示されていて、万一独立戦争が始まった際のノヴォシアの予測進軍ルートが赤い矢印でハイライト表示されているところだった。
矢印の大半は東部にあるリュハンシク州及びマルキウ州、ロネスク州へと攻め込むように流れているが、一部はベラシア方面からも搦め手として雪崩れ込む算段らしい。そのままキリウへと南下、一挙に首都を制圧するつもりなのだろう。
切り替えていこう―――お祭り騒ぎはもう終わりだ、という姉上の宣言に、集められた姉弟たちとクラリス、ノンナとルカの表情が固くなる。
「とりあえず、今後の方針を話しておく。ノンナ様に関しては安全を考慮し、身柄は私のところで預からせてもらう」
まあそれが一番だろうな、と思う。
割と真面目に、リガロフ家の姉弟の中では姉上が一番強い。セシリアと戦って分かったが、姉上の実力は間違いなくセシリアと同等……あるいはそれ以上かもしれない。いや、真面目にこの2人が激突するような事などあってはならないと思うが。
とにかく実力もあり、政治的手腕にも秀でた女傑の手の届くところにノンナを置いてもらえるのだから安心だ。どんな要塞よりも安心感がある。
ルカが「俺は?」と言わんばかりにアナスタシア姉さんの方を見た。まさか引き離すつもりじゃないよな、と言わんばかりに目を震わせるが、姉上は「ちょっと待て」と言わんばかりの視線を返すのみだった。
ちゃんと考えてくれているとは思うが……。
「そこでノンナ様にはキリウ大公として相応しい教養と、それからご自分の身を十分守れるよう手ほどきを。剣術の師範は私が務めよう」
よろしいですね、と言う姉上に、ノンナは固い表情で首を縦に振った。
これからノンナも大変だ。一応、必要最低限の読み書きとか計算は教えた(初等教育レベルだが)ので下地はできているが、問題はそこから先である。古典文学にバイオリンやピアノ、バレエにダンス、それから剣術や銃の扱い方、魔術、その他キリウ大公としてのマナーなど、覚えるべき事はたくさんある。
習い事の山だが、あまりスケジュールを詰め込み過ぎないでほしいものだ。まあ姉上の事なのでその辺は考えてくれているとは思う。たぶん。
信じられるか、こんなキリっとした人がオタク部屋の持ち主なんだぜ……なーんて思ってたら姉上に睨まれた。ごめんなさい。
「国民への情報公開はどうします」
ジノヴィ兄さんが問う。
一応、キリウ駅ではノンナこそがキリウ大公の子孫である、という情報は出回っていたらしく、観衆の中からもそんな声が挙がっていたのは記憶に新しい。
「公式発表はまだ控える。が、適度に情報は垂れ流す」
「ノヴォシアへの牽制ですね」
「そうだ。迂闊に手出しできないようにな」
イライナ国民向けに情報を公開、独立の機運を早期に醸成されたくなければ手出しするな。全ては貴様らの出方次第―――つまるところは脅しだ。
「で、だ。これは既にイライナ議会で承認された事なのだが」
目配せするや、腕を組んでいたパヴェルが立体映像投影装置を操作した。カタカタとタイプライターみたいなキーボードを弾くや、帝国の予測進軍ルートのハイライト表示が消え、イライナ全土が拡大投影される。
「ノヴォシアの侵略への備えとして―――お前たち弟妹に領地を与えておきたい」
「領地?」
「そうだ。今やイライナ最大の影響力を持つまでに至ったリガロフ家の者として、領主を務めてほしい」
信じられない話である。ほんの数年前までは没落した貴族に過ぎなかったリガロフ家が、当主があのクソ親父から姉上に代わった途端にこれだ。権力という権力を手にし、地盤を固めて発言力を増したリガロフ家は今やイライナ独立の立役者と言っても過言ではない。
クソ親父は今頃泣いて悔しがっている事だろう。実にいい気味だ。
「ジノヴィは”マルキウ州”、領主と同時に現地の法務局を任せる事になるが……」
「お任せください」
領主と法務官兼任か……兄上もよくやるものだ。多忙さに拍車がかかりそうだが、ジノヴィ兄さんなら淡々と機械的にタスクを消化しそうである。
「エカテリーナとロイドは”ズムイ州”を」
「分かりました、姉上」
「マカールは”ロネスク州”、同時に現地の憲兵隊本部の本部長に推薦しておいた」
「ありがとうございます」
本部長か……大出世じゃないですかマカールおにーたま。
さて、ミカエル君はどこの領地を任されるんでしょうか、と固唾を呑んで待っていると、姉上は視線をこっちに向けるなり首を小さく振った。
「ミカ」
「はい、姉上」
「お前にはイライナ最東端、侵略を受けた場合には最前線となるであろうリュハンシク州を任せたい」
マルキウ州→ハルキウ州
ズムイ州→スームィ州
ロネスク州→ドネツク州
リュハンシク州→ルハンシク州




