巣立つ妹
クラリス「シェリル、シャーロット! ご主人様にジェットストリームアタックをかけますわよ!」
シェリル「了解」
シャーロット「いいだろう」
三馬鹿「「「スンスンハスハスクンカクンカ」」」
ミカエル「うーん俺の尊厳」
《Потяг Blood Pact Brigade незабаром прибуде на орендовану платформу 6. Це небезпечно, тому, будь ласка, залишайтеся за жовтою лінією(まもなく、6番レンタルホームに血盟旅団の列車が参ります。危険ですので黄色い線の内側までお下がりください)》
《Потяг до Алеси відправляється з платформи 12 о 17:39. Цей потяг буде останнім перед зимовим закриттям. Будьте обережні, щоб не спізнитися на поїзд(12番線より17:39発、アレーサ行きの列車が発車します。当列車は冬季封鎖前最後の便となります。乗り遅れのないようご注意ください)》
キリウ駅の方から聞こえてくる放送が、列車にまで届いた。
段々と近付いてくる白いレンガ造りの巨大な駅舎。この世界では破格の3階建てで、ベラシア方面とアレーサ方面を結ぶ列車は2階、エルゴロドとリュハンシク方面を結ぶ列車は3階建てという感じに分けられている。
イライナという国の威信をかけた巨大な駅舎。その天井には繊細な造りのグラスドームがあって、空を背景に見上げるとイライナの紋章が浮かび上がるという凝ったデザインになっている。
列車が勾配を上がり始めた。3階のホームへ入線するためだ。
客車に備え付けられた銃座から顔を出してみると、もう既に巨大な駅舎とグラスドームはすぐそこへと迫っていた。凍てつく冷たい風の中、雪化粧した駅舎は透き通るように白く、まるでお伽噺の世界に迷い込んでしまったかのよう。
減速を始めた列車がホームへ滑り込んでいく。
普段はレンタルホームは閑散としていて、外部と連絡を取るための電話ボックスと休憩用ベンチ以外には何もなく、見送りも出迎えの人影もない寂しい場所なのだが、今回ばかりは違った。
「なんだありゃ」
我が目を疑った。
数名の駅員が『下がってください!』と声を張り上げる中、レンタルホームに無数の人影が押しかけているのである。
まるで芸能人の姿を一目見ようと集まった野次馬のようだが、しかしそんな観衆が入って来ないように敷いた規制線の内側に整然と整列する一団を見て、俺は全てを察した。
オリーブドラブの軍服に身を包んだリガロフ家の私兵部隊。銃剣付きの単発型ライフルを手に儀仗兵がずらりと並び、楽器を手にした軍楽隊と共にノヴォシアからの帰還を果たした列車を出迎える。
指揮者が指揮棒を振るうや、軍歌の演奏が始まった。
演奏が始まったのは『イライナ行進曲』―――イライナ公国時代の軍歌として馴染み深く、ノヴォシアは『イライナ分離主義者の独立感情を煽り不要な対立を招く』として演奏や歌う事も禁じているが、ご覧の通りイライナ人はそんな事などクソほども守っておらず、酒場にいる酔っ払いのおっさんから軍事パレードに参加した騎士団の兵士たちに至るまで、幅広く歌われている曲である。
―――みんな、俺たちを出迎えてくれているのだ。
レンタルホームに押し掛けた観衆も、リガロフ家の私兵部隊も。
今までこんな事があっただろうか。
こんなにも、たくさんの人に暖かく出迎えられたことがあっただろうか。
演奏に合わせ、胸に手を合わせて一緒に歌う観衆たち。中には顔を真っ赤にしながら『ミカエル様ー!』とか『おかえりなさーい!』と全力で叫んで出迎えてくれる観衆もいて、俺は思わずそんな彼らに手を振って応じていた。
儀仗兵たちと共にこっちを見上げているのは姉上だ。いつもの軍服の上に防寒用のコートを羽織り、頭にはノヴォシア騎士団……とはデザインの違う大きな軍帽を乗せている。腰には儀礼用のシャシュカを提げ、俺と目が合うや踵を揃えて敬礼してくれた。
彼女に敬礼を返し、列車が完全に停車するなり車内に引っ込んだ。タラップの両脇を掴んで滑り降り、部屋に戻って荷物をまとめる準備をする。
列車はこの後、リガロフ家が所有する車両基地へと回送され、そこで整備を受ける事になるという。とにかくテンプル騎士団との追撃戦で決して小さくはない損害を受けてしまったし、今でも火砲車のヤタハーン砲塔は大破して使い物にならず、格納庫や客車の一部の天井はセシリアとパヴェルの戦闘の余波を受けて剥がれたままだ。
一応はルカと範三に手伝ってもらい、血盟旅団の男性陣総出で鉄板を溶接して応急処置を施したが、いつまでもそんな不格好なままでは示しがつかない。
それに、いつまた次の旅に出るかも分からないのだ。万全の態勢で準備しておかなければ。
「凄い人気だねェ」
自室で荷物をまとめていると、すっげーナチュラルに部屋の中に入ってくるなり俺の尻尾を吸いながらシャーロットが言う。
「自分でもびっくり」
「こんなに人気なんだ、同志大佐が作った同人グッズも飛ぶように売れるわけだねェ」
「なんて?」
ん? と圧力強めでシャーロットの顔を覗き込むが、シャーロットはにたぁ、と変な笑みを浮かべたまま全力で目を逸らす。胸倉を掴んでみるがどこ吹く風だ。
口を割らせようと尻尾で鼻の辺りをモフってみると驚きの勢いで吸われた。何ならシェリルまで寄ってきた。なんだこれは。
ズォォォォ、とホムンクルス兵2名にバキュームされながらもダッフルバッグに荷物(と護身用のAK)を詰め込んで、いいないいな私も吸いたいなと言わんばかりの勢いでこっちを見下ろしているクラリスを連れて部屋を出た。
「クラリス」
「はいご主人様」
「屋敷まで我慢な」
「つまり屋敷に戻ったら押し倒してよいと???」
「うーん予想の斜め上」
吸う程度で済むだろうと思ったら童貞まで吸われそうになってんの草生える。そろそろ近藤さん用意しておかないと拙いかもしれない。
さて、そんな話はさておき問題はこれからだ。
ノヴォシアからの帰還―――これはあくまでも第一関門を乗り越えたに過ぎない。むしろ本当の戦いはこれから始まるのである。
ここまではプロローグ……え、756話もかけるプロローグがあるかって? ごめんぐうの音も出ない。
ノンナとルカの部屋をノックすると、『どうぞ』とノンナの声が返ってきた。
ドアノブを握る手が、一瞬止まる。
「……」
意を決してドアを開けると、そこにはルカとノンナの2人がいた。
覚悟を決めた大人のような顔つきのノンナに対し、ルカの目元には泣いたような跡がある。キリウ到着までの間、ここに居る2人にどんな葛藤があったのか……その僅かな痕跡だけで、察するには十分すぎた。
「行こう、ミカ姉」
意外にも、話を切り出したのはノンナの方だった。
持っている服の中で一番立派な服の上にコートを羽織って、頭には真っ白なウシャンカをかぶっているノンナ。とても14歳の少女とは思えぬほど大人びていて、まるでこれから戦場に向かう兵士のような覚悟を宿した、そんな真っ直ぐな目をしている。
そんな彼女の目を直視したまま『イライナのためにキリウ大公になってくれ』なんて、俺には言えなかった。
けれどもそうしなければ、イライナの人民は救われない。一生隣の大国に搾取され続け、隷属の歴史をこれから先も刻むことになるだろう。
もう、良い筈だ。
その枷を自ら外し、自由になっても。
ただし代わりに、次のその枷に囚われるのは目の前にいるあどけない少女―――こんな事があっていいのだろうか。
「……じゃあ、行こう」
言いながら手を差し出すと、ノンナは頷いて俺の手を取った。
ノンナ、と小さく呟いたルカが今にも泣きそうな顔で立ち上がる。何か言葉を続けようとしたルカだったけれども、彼も彼でノンナの覚悟を無駄にするつもりもないのだろう。言葉を飲み込むと、それを発露できないもどかしさに憤るように拳を思い切り握りしめ、そっと息を吐いた。
腹に重い感情を抱えた弟分と、ボディガードのクラリスを従えて通路に出た。
いったいいつの間に準備してきたのだろうか。そこにはテンプル騎士団の黒い制服(組織との決別の意思表示ゆえか、肩のワッペンは毟り取ってある)を身に纏いヴェープル12モロトを抱えたシェリルと、同じく制服の上に相変わらず大きなコートを羽織りPPK-20で武装したシャーロットが待っていた。
どちらも、頭には紅いアクセントの入った黒い略帽をかぶっている。
心強いボディーガード達と共に、列車の外に出た。
それと同時に響き渡る大歓声。熾烈な戦いを潜り抜け、イライナまでキリウ大公の子孫を連れてきた血盟旅団を称賛する声もあれば、俺たちと一緒に列車から出てきたノンナを見て『あの子が?』『まだ子供じゃないか』などと彼女がキリウ大公に相応しいのか不安視するような声も聞こえてくる。
そんな声には脇目も振らず、真っ直ぐに姉上の前へと歩いた。
姉上に敬礼するや、彼女も敬礼を返してくれる。
「お久しぶりです、姉上」
「ああ。良くやってくれた」
本当は言いたい事が山ほどあるだろうに、労いの言葉を短く済ませた姉上は視線をノンナに向けた。
「―――初めまして、ではありませんね。ノンナ様」
ノンナ様、という呼び方に、複雑な想いが湧き上がる。
いちいちそんな感情と向き合っていてはキリがないので、心に蓋をしておく。こうして感情を押し殺し、やるべきタスクを淡々とこなすやり方を覚えたのはこっちの世界にやってきて空ではない―――日本の社会人、その高ストレス環境が生み出した心理的フィルターが、よもや異世界で日の目を見る日が来ようとは。
そんな日、一生訪れなくていいのに。
「長旅お疲れでしょう。ささやかながら歓迎会の準備をしております」
「ありがとう……ご、ございます」
覚悟を決めたとはいえ、公爵家の家督を得た権力者を相手にキリウ大公の子孫として接する事には抵抗があるのだろう。無理もない、真相が明らかになるその瞬間まで彼女は自分をスラムで育った貧しい子と思っていたし、それを信じて疑わなかったのである。
貧困のどん底にあった少女が、どうしていきなり公爵家の当主が家来であるかのように接することが出来ようか。
そのぎこちなさを見て、姉上は口元に笑みを浮かべた。
そしてその紅い目が、今度はルカの方へと向けられる。
「ルカ君……だったか」
「はい」
「彼女と一緒に育ってきた身だ……この一件、さぞ複雑な想いを抱えている事だろう」
―――全部見透かされている。
定期的に、姉上には手紙を送っていた。
内容はほとんど他愛のない話題(重要な情報は電話を通してイライナ語でやり取りするか、あるいは手紙に暗号を仕込んだ)だったが、その中で仲間たちにも触れていた。今日はこんなものを食べたとか、仲間と一緒にこういう仕事をしたとか、そんな話題だ。
そんな断片的な情報殻ですら、姉上は仲間の性格を推測し大方の人物像を把握してしまうのだから恐ろしいものである。まあ、おかげで初対面の仲間を会わせた時にまどろっこしい自己紹介を丸ごと省けるので楽なものなのだが。
そういう事もあって、姉上はルカがどういう奴でどういう性格なのか、どういう想いを胸に秘めているのかを既に推測していたのだろう。仮にそれを抜きにしたとしても、ルカは考えている事が表に出やすい性格だからよーく観察してれば何を考えているのか分かってしまうのだが。
「だが安心してほしい。キミの妹に、決して辛い思いはさせないつもりだ」
「……本当ですか」
「ああ。この私、アナスタシア・ステファノヴァ・リガロヴァの名にかけて決してそんな事はさせない。彼女は全力で守るし、窮屈な思いもさせない。約束しよう」
「……ご配慮、感謝します」
姉上なら大丈夫だ。
確かに目的のためなら手段を選ばないところはあるが、ノンナをイライナ独立のために使い潰すような真似は絶対にしないと保証しよう。むしろこの人は意外かもしれないが他人に優しく自分に厳しいような、そういう類の人だ。
姉上には信頼を寄せて良い、大丈夫だ……俺の言葉を思い出して安堵したらしく、ルカは「妹をよろしくお願いします」と言い、頭を下げた。
それを見て頷く姉上。俺たちの後ろでは列車がゆっくりと動き出していた。戦闘の損傷を修復するため、リガロフ家が所有する車両基地へと回送されていくところなのだろう。
「さて、積もる話もあるだろうが、まずは屋敷に行くとしよう。ささやかながら歓迎する準備をしていてね」
ニッ、と快活な笑みを浮かべ、儀仗兵たちに目配せする姉上。一糸乱れぬ動きで隊列を組みなおした儀仗兵たちが周囲に展開、俺たちを守るような陣形へと移行していく。
間違いなく―――イライナの歴史は、これから動くのだ。
かつてないほど、大きく。




