戦死者たちの声
今回シリアス回だから本編に注力するためいつもの茶番はないよ(by往復ミサイルの中の人)
ピー、と長く続く電子音が、これ以上ないほど残酷な現実を突きつけた。
先ほどまで彼の脈拍を表示していたモニターには、緑色の横線がただただ真っ直ぐに表示されている。
何かの故障ではないか。悪い冗談ではないのか―――突きつけられた目の前の現実が到底受け入れられず、一縷の望みをかけてパヴェルの方を見た。
コイツの事だ、どうせ『騙されたな、ドッキリだよ』とか言いながら起き上がるんじゃないかとか、そんな不謹慎なボケまではいかなくとも変顔で待ち構えてて笑わせに来るんじゃないか、とかそんな事を期待していたのだが、けれども1号車1階にある彼の部屋、そのベッドの上に寝かされたヒグマみたいな巨漢は僅かに目を開けたまま、光もなければ意思もない虚しい視線を天井へと向けている。
シスター・イルゼが指先を震わせながら、そっとパヴェルの首筋に触れた。
何秒かそのまま硬直し、ゆっくりとこちらを振り向くイルゼ。目尻から透明な雫を流し、唇を噛み締めながら俺と目を合わせた彼女は、言葉の代わりにそっと首を横に振った。
「……そんな」
嘘だ、そんな事。
一歩、二歩、三歩。
動揺しながらも前に進み、ベッドで横になったまま動かないパヴェルの首筋に触れた。
既に身体は冷たくなり始めていて、機械ではない生身の部位からは熱が抜け始めているのが感じられる。
生命の熱―――その灯火は、消えたのだ。
何秒触れ続けても、首筋からは脈を感じられなかった。
パヴェルは、死んだ。
死んだのだ―――彼が。
旅を始めた頃から一緒にいた仲間が。
俺たちに戦い方を教えてくれた、頼れる兄貴のような男が。
どんな困難でも立ち向かい、俺たちを鼓舞しながらここまで連れてきてくれたベテランが。
「嘘……そんなの、嘘よ……」
涙を浮かべ、声を震わせながら言うモニカ。
戦闘が終わり、パヴェルが危険な状態である事を聞きつけたのだろう。血相を変えて部屋に飛び込んできたルカとノンナが、「パヴェル!」と叫びながら彼の傍らに駆け寄るや、もう動かなくなってしまったパヴェルの身体を力一杯揺すり始めた。
「パヴェル、起きて! 起きてよ!」
「嫌だよこんなの! 私、まだまだ教えてほしいことがたくさんあったのに……!」
「……2人とも、おやめください」
「何で止めるんだよクラリス!」
肩に手を置いたクラリスを睨むルカ。成長期で背もすっかり伸び、クラリスに迫る勢いで大きくなった彼の視線にはもうショタとは言えぬ迫力があったが、それでもクラリスは微かに声を震わせ、目元を紅く染めながら冷静な声で言った。
「……パヴェルさんは……大佐は、十分戦いました。もう天国にいる奥さんと娘さんのところに逝かせてあげても良いのではないでしょうか」
「なんで……なんでそんな事言えるんだよ……!」
「そうだよ……パヴェル、やだよ……死なないでよぉ……!!」
頭の中に、彼との思い出がフラッシュバックする。
優しくて、時には厳しくて、どんな時にも頼りになったみんなの兄貴。
俺たちもそろそろ彼の元を巣立つべきなのか?
彼の犠牲を胸に焼き付け、心の中に彼を想いながら前へ進むべきなのか?
そして語り継ぐのか、俺たちの子や子孫に。共に世界を旅したパヴェルという、1人の冒険者の物語を。
微かに開いていた目を、そっと閉じさせた。
ミカ姉どうして、とルカが俺の肩を掴みながら縋るように言う。ミカ姉までなのか、と続ける彼に俺は何も言い返せず、悔しさを滲ませながら拳を握り締める事しかできなかった。
いいや、泣くな。
まだ、泣くな。
涙を見せてはいけない―――ミカエル、お前は血盟旅団の団長だろう?
大英雄イリヤーの血脈に連なる者として、皆を導くのが俺の使命なのだろう?
だったら涙を見せるな。英雄の子孫らしく、指導者らしく堂々と構えていて然るべき
『ミカエル』
思考の海にノイズが走る。
光の中に立つのは1体のオーク。
ああ、ヴァシリーだ。
人間の心を持ち、されど呪いで魔物の身体を持って生まれてしまった俺の友達。
時折、夢の中に出てきては生前の元気な姿を見せてくれるのだが、まだ成仏できていないのか。
身体の中のシナプスに、電気が走る。
歯を食いしばり、目元の涙を強引に拭い去った。ベッドの上に横になったまま動かないパヴェルの胸元に両手を当て、そのまま力いっぱい何度も押し込む。
唐突に始まった心臓マッサージ。いきなり何をするのか、と言わんばかりに部屋に集まった仲間たちが目を見開き、何も言葉を出せないでいる。
ありがとう―――そうだよな、ヴァシリー。
彼の一件は、大切な友達を救う事の出来なかったあの一件は、未だに俺の心に棘のように突き刺さって、時折こうやって思考の海に顔を出しては心を苦しめてくる。
あの時誓った筈だ―――もう二度と、救える相手の手を離さないと。
俺には応急処置とか簡易的な救命措置程度の知識しかないし、医療の専門家ではないから詳しいことは分からない。
けれどもまだ、パヴェルは心肺停止状態に陥ってからそう時間は経っていない。
もしかしたら―――もしかしたら、まだ。
帰って来い、帰って来い―――涙に震える声で喉の奥からそう絞り出し、何度か繰り返した胸部圧迫を中止。両手に雷属性の魔力で生成した電撃を纏い、近くで息を呑んでいたルカやノンナに警告する。
「下がれ、電気使うから!」
2人が下がったのを確認し、俺はスパークを纏う両腕をパヴェルの心臓に押し当てた。
彼の寝室のベッドの上で、バヂンッ、と電撃が弾ける。
雷属性を用いたAEDの真似事―――輸血は済み、最低ラインには達している筈だ。後は心臓さえ、心臓さえ動いてくれれば。
もう一度何度か胸部圧迫を繰り返し、再度スパークを纏った両腕を胸に押し当てる。
放たれた電撃が彼の身体の筋肉どころか、人工筋肉までもを誤作動させる。ヒグマのような巨体がびくんと跳ね上がり、再びベッドの上に沈み込んだ。
「帰って来い……帰って来い、帰って来い、帰って来いッ!!!!!」
声を震わせ、涙と鼻水で顔中を滅茶苦茶にしながらも救命措置を続けた。
もう二度と―――もう二度と、救える命を手放してたまるか。
神が、女神が、もし彼の命を捨てようというならば。
―――その命、俺が拾おう。
俺は天使なのだ。きっと母さんも、他人に対して慈愛に満ちた子になりますように、と祈って天使の名を付けてくれたのだろう。
ならば俺はそれに殉じてみせよう。1人でも多くの命を救ってみせよう。
だから帰って来い、パヴェル。
終点はもうすぐそこだ。
途中下車なんて―――絶対に、許さない。
飲もうとしたウォッカの酒瓶を、誰かに取り上げられた。
逆さまになった酒瓶からばしゃばしゃと音を立て、ウォッカが酒場の床板に滝さながらに叩きつけられる。
つんと舞い上がるアルコールの臭い。誰だよ人の酒を台無しにしやがったのは、と抗議の意思を込めて見上げたそこには、1人の老婆がいた。
車椅子の上に座り、そこに両足と右腕はない。残った左手で俺の手から酒瓶を奪い取って床にぶちまけたその老婆は髪が伸びきり、頭からは悪魔の角みたいに捻じれた角が何本も生えていて、なんとも人間離れした姿をしている。
なんだこの婆さんは―――そう思ったのも、一瞬だった。
けれどもすぐに、彼女の正体が誰か分かった。
『お前……セシリアか?』
ゆっくりと、老婆―――セシリアは頷く。
間違いない、セシリアだ。
俺の妻―――最愛の妻。
老いてもなおその眼光に陰りは無く、トレードマークの眼帯もそのままだ。すっかり顔には皺が浮かんでいるけれども、若い頃の面影は確かにそこに宿っている。
安堵した。
彼女はちゃんと、戦いの中ではなく年老いて死んでくれたのだ、と。
そしてそんな老いた彼女の姿でも、俺はそれがセシリアなのだと理解できた。
『お前、こんなところで何をしている』
『……もう、戦いは終わったんだよセシリア』
『終わった?』
酒瓶を投げ捨てたセシリアが、四肢の内で唯一残った左手で俺の頬を引っ叩く。
歳のせいなのだろう、その力は見る影もないほど弱々しい。はっきり言って平手打ちなのか、それともただ単に撫でただけなのか区別がつかないほどだ。
『どこがだ』
声を震わせながらセシリアは言った。
『お前の戦いは、まだ続いている』
『……』
ぐい、とズボンの裾を引っ張られる感覚がして、視線を下へと向けた。
いったいどこから紛れ込んできたのだろうか。いつのまにかそこには小さな獣がいた。灰色の体毛で覆われた胴長短足の動物で、四肢の先っぽと顔だけが黒く、眉間から鼻の辺りまでの体毛だけが部分的に白い。鼻はピンク色で目はビー玉のようにくりくりと丸く、顔の輪郭が丸いこともあって随分と愛嬌のある姿をしていた。
ハクビシンである。
サイズ的に幼獣だろうか。
幼くとも鋭い牙の生えた口で俺のズボンの裾を咥えるや、目元に涙を浮かべながらその小さな身体で精一杯ぐいぐいと引っ張ろうとしているのである。
行かないで、行かないで…………もしこいつが喋る事が出来たなら、そう言っていたかもしれない。
気のせいではないだろう―――何となくそのハクビシンの姿が、ミカと重なって見えた。
ああ、アイツ泣いてくれてるのかな……。
ミカだけじゃない。他の仲間たちもそうなのかもしれない。勝手に戦って、無責任に死んだこんな男のために、泣いてくれているのかもしれない。
何となくだが想像がついた。
途端に申し訳ない気持ちが胸いっぱいに広がって、視線を思わず酒場に居た他の死者たちへと向けた。
ジェイコブも、キールも、ウラルも―――他の戦死した仲間たちも皆、背中を押すように首を縦に振る。
『力也』
セシリアの声に、彼女の方を振り向いた。
先ほどまで年老いた姿だった俺の妻は、いつの間にか在りし日の若々しい姿に戻っていた。軍服と軍帽を身に纏い、刀を腰に下げ、いつでも兵士たちの先頭に在り続けた最強の女傑。テンプル騎士団の、クレイデリアの力の象徴であった頃の魔王『セシリア』。
闇色の瞳には、あの頃と何一つ変わらない光が宿っている。
『―――死んで取れる責任などないぞ、力也』
ハッとした。
責任、という言葉が、心の中で重石になっていた。
たまたま出会ったミカ達に戦い方を教え、テンプル騎士団との戦いに巻き込んでしまった責任。その責任をこうして命と引き換えにする形で取ろうとしていた胸の内側を全て見透かされ、心のどこかで鎖の外れる感覚がした。
『還れ。還って仲間に詫びの一つでも言ってこい』
『セシリア……俺は……』
いいのか、と言外に問いかけると、ぽん、と温かい手が頭の上に置かれた。
背伸びしながら俺の頭の上に手を置くセシリア。その顔にはやはり、あの頃と変わらない笑みがある。
『生きて生きて、命尽きるその瞬間まで生きろ。そして老人の姿でここに来い』
そうしたらみんなで歓迎してやる……そう言って快活な笑みを浮かべたセシリアの言葉に背中を押され、俺は足元でズボンの裾を咥えていたハクビシンをそっと抱き上げた。きゅうきゅうと鳴き声を発していたそいつは両目をうるうるさせながら、じっと俺の顔を見つめている。
『―――ありがとう』
そっと彼女とキスを交わし、酒場を出た。
死者たちの声に背中を押され、錆び付いたドアの向こうに広がる闇の中へ―――その向こうで瞬く光を目指して、歩く……いや、走り出す。
パヴェル、パヴェル、帰って来い……そんなミカの声が段々と大きくなっていって……。
「ゲホぁぁぁぁぁ!!」
身体を大きく「く」の字に折り曲げながら、ヒグマみたいな巨漢が盛大に咳き込んだ。
それと同時に心拍数を測っていた計器類が再び電子音を規則的に発し始め、バイタルサインが横線から起伏の激しい線へと姿を変える。
何度も何度も咳き込みながら、呻き声を発して身体を起こそうとするパヴェル。「んぁ、どしたんお前ら」と冬眠明けのヒグマみたいなノリで言い出すものだから、思わず一発殴ってしまいそうになったが……そんなことはさておき。
今にも決壊しそうな涙腺を抱えているのは、俺だけではない。
パヴェルの容態を心配し彼の部屋に集まった仲間たちも、そしてそのやりとりを遠巻きに見守っていたシェリルにシャーロットの2人組も、今にも泣き出しそうなのを隠すように走り出すや、一斉にパヴェルの胸へと飛び込んだ。
「うぉ!?!?!?!?!?!?!?!?」
「パヴェルの馬鹿! 心配させやがってこのクソヒグマ!」
「クソヒグマ!?」
「うわぁぁぁぁぁんパヴェル生き返ったぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「うわルカ鼻水つけるなお前……うわうわ何だこれ納豆みたい」
「ぷえぇぇぇぇぇぇパヴェルぅぅぅぅぅぅぅぅ!」
「ノンナお前凄い顔になってるぞお前」
泣き声や笑い声が部屋の中に充満し、やっと心の底から安堵できた。
おかえり、パヴェル。




