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イライナの希望

ミカエル「そういや前に言ってたパヴェルの”やべえ性癖”って何?」

シャーロット「あー……それはだねェ」

シェリル「まあ、あれも多様性というかなんというか」


範三「京であんな性癖を垂れ流したら打ち首にござる」


ミカエル(いったい何を描いたんだパヴェル……ッ!?)


 死の感覚は、五感を共有していた彼女にも感じられた。


 既に壊死していた左目を、巨大な杭で刺し貫かれる感覚。


 次々にシャットダウンされていく身体の感触。


 崩壊していく肉体。


 最期に彼女が抱いた感情は憎しみでも恐怖でもない―――”疑問”だった。


『どうして』


 どうして。


 なんで。


 なぜ。


 頭の中で何度も”彼女”の声がリフレインする。一度生じた純粋無垢な疑問は、水面に浮かぶ波紋のように広がっては揺らぎを生じさせ、そして暗黒の彼方へと消えていった。


 死んだか―――ぽつり、と胸中で呟きながら、セシリアから最期の魔力通信を受信した彼女の副官『ミリセント』は、そっと紅い瞳を開けた。


 よもや彼女を、セシリアをたおすとは。


 シャーロットとシェリル、2名の離反があったとはいえ、セシリア1人で全てに決着がつく見込みだったミリセント。しかしその予測は狂いに狂い、現状でのテンプル騎士団最高戦力を失うという最悪の結果を招くに至る。


 だがそれでも、ミリセントは顔色一つ変えなかった。


 想定外の事態ではあるが、しかし。


 ―――それはただ単に、あのセシリアが弱かっただけの事。


「……所詮は()()()か」


 吐き捨てるように言い、同時にこれから訪れるであろう不利益を覚悟した。


 セシリアまでもを撃ち破った血盟旅団は、もう誰にも止められないだろう。あのままキリウ大公の子孫をイライナまで無事に連れ帰り、イライナ独立という悲願成就のきっかけとなる筈だ。ノヴォシアが本腰を入れ、どれだけ軍事力を投入しようとこの流れはもう変えられない。


 テンプル騎士団にも大きな逆風が吹く事になる―――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 今一度、ビジネスパートナーとの関係を見直すべきか?


 ―――否。


 もう、その必要はない。


 今までは資金の面でノヴォシアの後ろ盾を受けていた―――しかしそれも、もう必要ない。


 テンプル騎士団は十分すぎる金を得た。目標を達成するのに十分な額の資金を。


 だからもう、皇帝陛下(ツァーリ)の顔色を窺う必要もない。


 意識を別の方へと向けた。


 テンプル騎士団叛乱軍の旗艦、空中戦艦『パンゲア』のメインモニター。そこには腹に搭載された集束レンズからレーザーを照射していた複数の大型スカラベたちが後続の小型スカラベたちに道を譲るや、小型スカラベたちがレーザーの代わりにドリルや作業用アームを地面に突き立てて掘削作業を行う映像が映し出されている。


 ”地質調査”の結果が正確であれば、この地層の下にイコライザーの最後の一発が。


(同志ブリジット)


《はい、同志副長》


 魔力通信で仲間を呼ぶと、すぐに頭の中に彼女の声に応えた部下―――兵士製造担当のホムンクルス兵、『ブリジット』の声が返ってきた。


 ちょうど今、最近製造されたばかりのホムンクルス兵の幼体を世話していたところなのだろう。五感を共有してみるとおぎゃあおぎゃあと幼子の泣き喚く声が響き、傍らからは遊び疲れて寝息を立てるホムンクルス兵の幼体の息遣いが、そして哺乳瓶を両手で持ちながらぐびぐびと粉ミルクを飲み干す音が聞こえてきて、兵士製造担当も大変だなと心の中で少しだけ思う。


 セシリアのような純正のキメラであれば話は別だが、小さな細胞、あるいは肉片の状態から培養されて生まれてくるホムンクルス兵たちに”親”という概念はない。機械の子宮の中で、ケーブルの臍の緒に繋がれ、培養液という羊水に浮かんで生まれてくるホムンクルス兵たち。強いて言うならば彼女たちを育成する”兵士製造担当”のスタッフが母親代わりと言えるが、しかしそういう出自もあってホムンクルス兵たちは親という概念を持つ人間を羨ましがることが多いのだそうだ。


 しかしながら、複数の赤子や幼子の面倒を見るブリジットの姿は紛れもなく母親のそれと言えた。


(同志団長が戦死なされた。至急替え(スペア)を用意しろ)


《記憶はそのままに、ですね》


(そうだ。不都合な記憶には処理をかけて……)


《……》


(不服か?)


 ブリジットの内に生じた揺らぎを、ミリセントは鋭敏に感じ取っていた。


 魔力通信は小さな思考の揺らぎですら相手に伝わってしまう。交信相手が上位存在であれば、殊更に。


《……いえ、贅沢なものだな……と》


 贅沢―――この処置を、そう表現したのはブリジットが初めてだった。


 殺されても再生能力がある限り何度でも蘇り、それでも殺されてしまえば、あるいは何らかの事故で使い物にならなくなってしまえば替え(スペア)を用意する。無論、記憶も人格もそのままに。


(……わかっているだろう、今更やめられないのだ)


 セシリア、という女の名は魔王の代名詞となった。


 あるいは力を、軍事力を象徴する名に。


 こうでもしなければ、彼女の名を語らなければシェリルもシャーロットも、そしてボグダンもついて来る事はなかっただろう。叛乱軍の兵士たちだってそうだ。


 ミリセントも自分のしている事が何を意味しているのか、それは把握している。こうしている間にも彼女は()()()()()()()()尊厳を傷つけ、その顔に泥を塗り、これ以上ないほどの冒涜を繰り返しているのだ。


 真相を知れば、力也は―――今は”パヴェル”と名乗るあの男は、ミリセントを決して許さないだろう。


 だがそれでも構わない。


 この計画が始まったその時から、血の河を渡り火の海を越える苦行は覚悟の上なのだから。

















「パヴェル、パヴェル! しっかりしろパヴェル!」


 液体タイプのエリクサーを注射し、既に傷口も塞がっている筈のパヴェル。身体中に穿たれていた痛々しい傷も塞がり、新しい出血もない状態ではあるのだが―――しかしどれだけ身体を揺すられ、仲間たちに呼びかけられても、パヴェルは反応しなかった。


 光の無い目を見開いたまま、夜空のどこか遠くをじっと見つめたままだ。一応は脈はあるし呼吸もしているが、しかし酷く浅いし脈も弱々しい。


 くそ、と悪態をつきながら、シェリルとクラリスに手伝ってもらいパヴェルを抱えて車内へと引っ込む。相変わらず彼の身体はヒグマみたいに大きくて、体重も当たり前のように100㎏超えだから俺1人で運べなんて言われたら無理ゲーでしかないのだが、今ばかりは馬鹿力に定評のあるホムンクルス兵が2人もいる事がこれ以上ないほど頼もしかった。


 ドン、と列車のすぐ近くに砲弾が撃ち込まれた。反射的に腕で頭を守りつつ磁力魔術を展開、こっちに向かって飛んでくる破片を磁力防壁で逸らすが、しかし魔力欠乏症を起こしつつあった身体はその魔術の発動で悲鳴を上げた。


 どくん、と一際大きな鼓動の音。脈拍が乱れ、大きく圧力をかけられた血液が脳へと駆け上がって、頭の中が膨らむ感覚と意識が遠退く感触を同時に体験する羽目になる。


「ご主人様!」


 ふらつく俺の身体を、クラリスが支えてくれた。


「ご無理をなさってはなりません、これ以上は……!」


「はぁっ、はぁっ……!」

 

 クソが、と悪態をつきたいところだが、庶子とはいえこれでも公爵家に名を連ねる貴族の端くれ。あまり品のない言葉は使わず、優雅で在りたいものだがそれはさておき。


 憎々し気に頭上を見上げた。


 そこにはテンプル騎士団の空中戦艦が、フジツボさながらに無数に砲塔が搭載された真っ黒な腹をこっちに向けながら、列車の真上を悠然と飛んでいた。セシリアはパヴェルの尽力があって何とか倒せたが、しかしまだ空中戦艦が残っている。


 それでも空中戦艦からの砲撃は散発的だった。本来ならもっとバカスカ撃ってきてもいい筈なのだが、しかし手を抜いているのかと思ってしまうほど手数が少ない。


「シャーロットのおかげですね」


 パヴェルを客車の銃座から車内に引っ張り込みながらシェリルが言った。


「彼女が火器管制システムをジャックしてくれています」


「そうじゃなきゃ俺たちは今頃……」


 空中戦艦の全力と殴り合うなんて、命がいくつあっても足りはしない。


 パヴェルを客車へと押し込むや、スマホを取り出して通話アプリからシスター・イルゼを呼び出した。早くしてくれ、と思いながら呼び出し音を聞いていると、数回それが繰り返されたところでイルゼの声が聴こえてくる。


『はい、何か』


「パヴェルが重傷だ。1号車まで大至急頼む!」


『わ、分かりました!』


 カーチャさん運転代わってください、というイルゼの声が続けて聞こえてくる。彼女は今、機関車で列車の運転をしていたところらしい。


 忙しいところ申し訳ないが……何とかパヴェルを救ってやってほしい。今、彼に死なれるわけにはいかない。


 もう少し……もう少しでイライナなのだ。もう少しで終点なのだ。


 旅の終わりを前にしてこの世を去るなんて、そんな事許さないからな……。


「!」


 ごう、と風の音に変化が生じ、再び視線を上へと向けた。


 列車の真上に位置していた空中戦艦が唐突に高度を上げたかと思いきや、速度も上げて列車を追い抜いていったのである。


「撤退した……のか……?」


 さすがに総大将を失い、無人兵器による白兵戦も失敗した挙句、肝心な武装は火器管制システムへのハッキングを受けまともに使えない。こうも悪条件と損害が重なれば、選択肢に撤退の二文字が浮かんでくるのも頷ける。


 が、しかし。


「いいえ、あれは……!」


 銃座のハッチから身を乗り出すミカエル君の隣からひょっこりと顔を出し、どさくさに紛れてケモミミを吸いながら頭上を見上げるシェリル。コイツこないだまで敵だったのに俺との距離感やたらと近くないだろうかと思ったが、まあそれは日常回にでもツッコむとして、だ。


 空中戦艦の後ろ姿が豆粒ほど……とまではいかないが、サクランボくらいの大きさまで小さくなったところで、船体側面に蒼い光が生じた。それがスラスターの生じる光で、船体が急速回頭しているのだと理解できたのは、一時的に空中戦艦の横腹がこちらに向けられたからだ。


 それだけではない。


 艦首の装甲が大きく展開している。ステルス機を思わせる鋭利な艦首がワニの大顎よろしく上下に展開。船体側面からも円筒状のパーツが斜め後ろ方向に向けて幾重にも伸びたかと思いきや、ぱっくりと開いた艦首の大顎から、螺旋状に回転しながら巨大な砲身がせり出してくる。


「―――タンプル砲」


 シェリルの声には、緊張感が滲んでいた。


「シャーロット!」


《いやあ、参ったねェ》


 スマホから聞こえてくるシャーロットの声は、どこか申し訳なさそうだった。


《ハッキングはしたつもりなんだけど、あくまで封じれるのは自動制御オートマチックのみ》


「じゃあ連中……まさか」


《―――手動マニュアルでやるつもりさね》


 狂ってやがる。


 装填も、照準も、発砲も―――すべてが自動化された兵器を、しかしソフトウェアの介入が出来ない状況のそれを、機械に頼らず人間の手でやろうというのだ。


 向こうは自由に動ける空中戦艦であるのに対し、こっちは列車だ。敷かれたレールの上しか進めない以上、回避行動など不可能だ。


 撃たれれば、終わりである。


 それも対消滅砲弾なんか撃たれた時は、それこそ全滅確定だ。


 いっそ全員で列車を乗り捨てるか―――真面目にそんな事も検討したその時だった。


 どうやら俺は―――俺たちは、本当にツイてるらしい。







 どう、と敵艦の艦尾で火の手が上がったのは、突然の事だった。






 一度、二度、三度。立て続けに大きな爆発が連鎖して、全長500mの巨大空中戦艦の船体が、夜明けを控えた空の中で大きく揺らぐ。爆炎と装甲の破片、それから黒煙を濛々と吹き上げた空中戦艦に更なる破壊の牙が突き立てられたのは、数十秒後の事だった。


















 正直、あの科学者―――フリスチェンコ博士はイカれている。


 28cm攻城砲に追加装備された半自動装填装置の動作が正常である事を確認しながら、私はそう思う。


 新規開発された魔力動作式モーターの力で砲弾が吊り上げられるや、クレーンがゆっくりと降下。装填台の上に乗った砲弾が薬室の中へと押し込まれた頃には既に装薬が装填位置についていて、間髪入れずに薬室の中へと押し込まれていく。


 閉鎖機の閉鎖が確認されるや重々しいブザーが鳴り、装填装置を操作していた装填手たちが退避していく。砲術長が全員の退避を確認してからハンドサインを送り、私も衝撃に備えて両耳を塞ぎながら口を大きく開けた。


『Вогонь‼(撃て!!)』


 ドムンッ、と28cm攻城砲が火を吹く。


 権力と浪費癖の抜ける事のなかったクソのような父上が、クソのような自己顕示欲のためにクソのような大金をクソの如く浪費して購入したクソみたいな攻城砲、それの量産型がクソの如く火を吹いた。


 全3門の間髪入れぬ連続砲撃。大気を引き裂きながら飛んでいった3発の榴弾は真っ直ぐに、しかしやや山なりの弾道を描きながら、こちらに尻を向けているテンプル騎士団の空中戦艦へと迫っていく。


『…Настав час(弾着、今)』


 隣で懐中時計を手にしていたヴォロディミルが低い声で告げるや、空中戦艦の艦尾で火の手が上がった。


 先ほどの第一射に続き、第二射も全弾命中。熟練の砲手たちの技量には脱帽である。


 さて、いくらテンプル騎士団の空中戦艦であろうとも6発も直撃弾を出されればたまったものではないらしい。


 艦内では誘爆に誘爆が続き、エンジンにも深刻な影響が生じているのだろう。空中戦艦の高度が落ち、急激に傾くと、その推定500mの怪物は火達磨になりながら斜めに落ちていき、やがて地表で大爆発を起こした。


 砲手たちが歓声を上げる中、私はヴォロディミルに指示を出す。


「……ノヴォシア側には”バルーンを標的とした実弾射撃訓練”だと伝えておけ」


「これを侵略だと理由付けし宣戦布告したその時は」


「その時は私が潰す」


 さらりと言うや、ヴォロディミルは「……仰せのままに」と芝居じみたお辞儀をしてから一歩後ろに下がった。


 さて、これで邪魔者は消えた。


 雪の降る大地の向こう側から、列車がやってくる。


 ミカ達を乗せた列車が。


 私たちイライナ人の希望が。





 

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― 新着の感想 ―
想像以上に救いのない出自でしたね、偽セシリア。 パヴェル自体、平行世界の日本人の記憶を転写したホムンクルスでしたし、一度確立された技術だから、あるいはこれじゃないかなとは思っていましたが…スペアまでい…
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