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約束を果たすその日まで

シェリル「というわけで始まりました、本日のテンプル騎士団式粛清クッキングの時間です」

ミカエル「アシスタントのミカエルです。どうせ↑コイツなんかやらかすだろうしストッパー担当です」

シェリル「本日のお料理は【クソリプのスペアリブ】です」

ミカエル「もう既に嫌な予感しかしません」

シェリル「調理に使う食材は塩、胡椒、ローリエ、赤ワイン、その辺のwww()、そしてメインとなる”SNSで私の垢にクソリプ飛ばしてきた相手”です」

ミカエル「うんだいぶ嫌な予感的中してます」

シェリル「特定には同志シャーロットのご協力を頂きました。この場をお借りしてお礼申し上げます」

シャーロット「ぶい」

ミカエル「↑暇を持て余したヤバい人に技術力を与えた結果がこちらになります」

シェリル「というわけで調理に入りましょう―――ああ尺が」


シェリル「まずはマチェットでクソリプ飛ばしてきたクソ野郎をバラバラに解体します」


ミカエル「気持ちは分かりますがとりあえず羽交い絞めにして止めます」




ナレーター「SNSを利用している皆さんもクソリプには気を付けましょう」


(なんだ、何があった?)


 身体中を差し穿つ鋭い痛み―――足元にある列車の屋根、その上にどんどん広がっていく紅い血だまり。全身の血管という血管から血が、熱が、自身の命が漏れ出ていく感覚を嫌というほど味わいながら、セシリアはぎょろりと見開いた目を周囲へ向けた。


 全く予想外の攻撃だった。


 あんな小柄で非力な害獣ごとき、鍔迫り合いに持ち込んだ時点で押し切れるであろうと、セシリアはそう踏んでいた。


 事実、ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフという転生者が接近戦を徹底して嫌う、という事はセシリアも理解している。どうやら前世では格闘技を習っていたらしくある程度の使い手と見ることはできるが、しかしそれでもその小さな体格に起因するリーチの短さと非力さはカバーしきれない。


 実際に以前戦った際も、そして他のホムンクルス兵と戦っていた時も、まともに動ける間は接近戦を徹底して避けていた。魔術、銃撃、そして錬金術を用いた三重の猛攻は見ていてなかなかに面白く―――。


(私は……()()()()()?)


 ―――錬金術。


 そう、錬金術に違いない―――彼女の見開いた目が、足元から伸びる無数の剣のように変形した列車の屋根に向けられた瞬間に全てを悟るに至る。


 魔術でも来るものと警戒していた。苦し紛れに、至近距離の相手を感電させるべく放電でもするのではないか、と。


 しかしどうだ。続けて繰り出されたのは苦し紛れの魔術でも格闘術でもない。シャーロットの視界を介し、一度だけ見た事のある錬金術。見る機会がとにかく少なく、しかも至近距離で、更にセシリアが勝利を確信したタイミングで放たれた完全な奇襲。


 土壇場でミカエルが切ったカードは他でもない、ジョーカーのカードだったのである。


 ぎり、と歯を食いしばった。


 身体を引き裂かれるのを承知の上で、強引に身体を動かす。ブヂッ、ベキベキ、と筋肉の断裂する音や骨の折れる音が響いたが、知った事ではない。敵は目の前に居て、手の届くところに立っているのだ。ならばこの手を伸ばしその首級を討ち取る、それこそがセシリア・ハヤカワという戦士の在り方ではないか。


 全身を串刺しにされてもなお前に進もうとするセシリアの異常さに、ミカエルも驚愕していた。


 身体中に剣のような形状に変形した金属を突き立てられる痛みは想像を絶するものだろう。


 アイアンメイデン―――大昔、拷問に用いられたそれの犠牲者を想起させるような、無残な有様だった。ミカエルの錬金術により変形、セシリアに牙を剥くに至った剣身の総数は実に35本。それぞれが微妙に高さや長さ、角度を変え、互いに互いを交差させるような軌道で一気に伸びてきたのだから、大昔の拷問器具を思い浮かべてしまうのも無理はない。


 太腿を、腹を、胸を、肩を、首筋を刺し貫かれ、されどまだ生きている―――それだけでもミカエルの心に大きな衝撃を与えるには充分であったが、その被害者たるセシリアが、そのような無残な仕打ちを受けながらもなお敵対心を露にし、身体が、肉が、臓物が、骨が断たれ、裂かれ、引き千切られる激痛を意に介さずに一歩を踏み出してくる有様は、ミカエルに対しセシリアという女の異常性を刻むには十分であり過ぎた。


(なんだ、この女)


 異常だ。


 普通の人間だったら苦痛に泣き叫ぶか、満足に断末魔を発する事も出来ずに息絶えている一撃を受けてもなお、ミカエルを殺そうと一歩前に出てくる。この身が滅びようと貴様だけは殺す―――そんな意思がひしひしと伝わってきて、額を冷や汗が流れ落ちていった。


 まるでこの女は、セシリアという女は、姿形こそヒトのそれであるが……中身は違う。まるで古今東西ありとあらゆる戦士たちの闘志―――いや、そんな崇高なものではない。人間のどす黒い殺意だけをかき集め、煮詰めて濃い部分だけを抽出し、それをヒトの姿をした器に詰め込んだような、そんな異様な存在にしか思えない。


 そうでなければ、こんな異様な事はしない筈だ。


「ミカエル、下がって!」


 シェリルの凛とした叫びにハッとしながら、ミカエルは後方へと飛び退いた。


 ドン、と振り下ろされるセシリアの刀の一撃。もしあのまま金縛りにも似た感覚に苛まれ続け、我に返る事がなかったならば、今の一撃で脳天から股下までを両断されていたに違いない。


 格納庫の屋根をぶち抜いた一撃に背筋を冷たくするミカエル。彼女と入れ替わりでセシリアに牙を剥いたのは、右手に白兵戦用の大型マチェットを握ったシェリルだった。


 刃の鋭さもさることながら、武器自体の重さで相手を強引に荒々しく”叩き切る”事を目的とした大型マチェット。切断力を増し、相手を引き千切るためのセレーションが幾重にも刻まれたその剣身をセシリア目掛けて突き降ろすシェリルに、しかしぎょろりと傷口を再生中だったセシリアの左目―――とっくの昔に壊死し白濁した死者の眼が向けられる。


 反応こそしたが、それでもチャンスには変わりない。


 今のセシリアは全身をズタズタに引き裂かれた状態から再生中―――いくら反応できても、再生途中の身体は彼女の望む動きを実現できない。要求された動きを現実にできないのであれば、いかにセシリアがその超人的な反応速度でシェリルを捉えたところで無意味なのだ。


「同志団長―――その首、頂きますッ!!」


 獲物目掛けて急降下していく猛禽類の如く、大型マチェットを逆手に持ち、落下する勢いを乗せてセシリアのうなじを刺し穿とうとするシェリル。対するセシリアは未だ傷口の再生中で、その一撃を防ぐことも躱す事も不可能。


 血まみれになりながらも壊死した眼で睨むセシリアに、しかし不気味なものを感じたシェリルはハッとしながらマチェットを横薙ぎに振るう。


 ガァンッ、と金属的な音が響いたのは、その瞬間だった。


「!」


 マチェットを殴りつけたのは、セシリアが振るった刀―――では、ない。


 月明かりの下、列車の屋根に伸びるセシリアの影。そこから伸びる一筋の漆黒の刃だった。


 そう、先ほどパヴェルに深手を負わせた影である。


「しまっ―――」


「シェリル!」


 叫びながら、ミカエルは咄嗟に剣槍を投擲した。


 ごう、と空気を裂きながら投げ放たれた剣槍。ミカエルの意図を一瞬で察したシェリルは両腕を交差させキメラの外殻を展開、防御態勢に入る。


 直後だった。ゴッ、とミカエルの剣槍がシェリルを打ち据えて後方へと弾き飛ばし、その一瞬後に彼女の首を刈り取らんと伸びてきた影の刃から守ったのは。


「―――随分と優しいものだ」


 ゆらり、と立ち上がりながらセシリアは言った。


「一度は殺し合った相手……そんな女を守るとは。余程のお人好しと見える」


「……そうかもな」


 否定はしない。


 思い当たる節はいくつもある。困っている人、苦しんでいる人、悲しんでいる人―――そういった人たちを見ると、無意味だと知りつつもついつい手を差し伸べてしまう。スラムで飢えに苦しむ浮浪者にスープ代を渡したり、屋敷からこっそり持ち出したパンやお菓子をスラムの子供たちに分け与えたりといった真似事は、今に始まった事ではない。


 お人好しで、馬鹿正直なのだ。


 きっとそれが、前世から引き継いだ魂の在り方―――今更変えられるものではないのかもしれない。


「でもさ」


「?」


「―――今まで一緒に仕事してきた人を、一瞬で裏切る奴よりははるかにマシだとは思うよ」


「……」


 ”捨てる人間”がいるならば、”拾う人間”もまたいるという事だ。


 シェリルを守るために投げ放った剣槍を呼び戻し、片手でキャッチするミカエル。その穂先をセシリアに向けるようにして立つミカエルの背後で、白銀の三日月が輝いた。


 月明かりを浴びながら佇むその姿は、さながら苦しむ人間を救うべく大地に降り立った天使のようで―――。


「―――くだらない」


 吐き捨てるように言いながら、刀を構えるセシリア。


「結局は力が無ければ、そのような理想を語ったところで無駄なのだ」


「じゃあどっちが正しいか―――白黒つけてみようか」


 時間にして1秒―――されど当事者たちからしてみれば、永遠にも等しい睨み合い。


 ごう、と風が薙いだのを合図に、セシリアとミカエルが同時に動いた。


















『パパ、パパ』


 ゆらゆらと、身体を揺すられる感覚がする。


 いったい誰だろうか―――俺は今、ものすごく眠いのだ。


 昼夜問わず戦場に赴いて、AKぶっ放してクソ野郎共を血祭りに上げて―――そんなクソのような任務を終え、やっと帰ってきた我が家。やっと勝ち取った休暇なのだ。せめて休日の朝くらいはゆっくりと眠らせてほしい。


 身体を揺する小さな手の持ち主は、このままでは埒が明かないと思ったらしい。しかし諦める、という言葉は彼女の辞書には載っていないようで、今度はもっと近い距離から声が聴こえてきた。


『ねー、パパ! パーパ!』


 ゆさゆさと、さっきと比べるとだいぶ乱暴な揺すり方。


 瞼が重い、とにかく重い。けれども目を開け、この子の想う通りにしてやろう、望む通りにしてやろう、という責任感も感じ始めて、さてどうしたものかと悩み始める。


 瞼をちょっとだけ開けてみると、やはりそこには小さな女の子がいた。


 闇色の髪に、燃え盛る炎のように真っ赤な目。瞳の形状は人間ではなく爬虫類のそれで、内側に跳ねた黒髪の中からはまだ小さくて先端の丸い、キメラの角が生えている。顔の輪郭もまだ丸っこく、肌は雪のように白くて、その顔立ちは母親に似たのだという事が一発で分かる。


 思わず手を伸ばしたくなった。


 だってそこにいたのは―――もう二度と、再会の叶わない愛娘の姿だったのだから。


『パパ、起きて!』


『こらこら、ダメよシズル』


 ゆっくりとこっちにやって来ながら愛娘の頭に手を置いたのは、やはり彼女にそっくりな大人の女性だった。翡翠色の瞳と右目の片眼鏡(モノクル)がどこか神経質そうで冷たいイメージを与えるが、しかしその瞳と口元に浮かぶ柔和な笑みは、愛娘を優しく見守る母親のそれだった。


『だって!』


『パパはね、お仕事で疲れてるのよ。シズルが寝てる間もママやシズルたちのために、世界中でお仕事してるの。だからちょっと休ませてあげましょう? 絵本だったらママが読んであげるから』


『やだ! 今日は遊園地に連れて行ってくれるって約束したもん!』


 ああ、そんな約束したっけ……。


 5歳の誕生日―――今度から小学校も始まるから、一緒にショッピングモールでランドセルを買って、シズルの大好きなハンバーグを食べに行って、それから遊園地でたくさん遊んで……。


 視界がぼやけた。


 全て、全て叶わなかった事。


 クレイデリアで自爆テロ事件があったあの日―――希望に満ちた未来は、全て閉ざされた。


 だからきっと、これは夢。


 有り得たかもしれない未来、現実にならなかった夢。


 分かっている、ここに居る(サクヤ)愛娘(シズル)はもう、冷たい土の下で眠っているのだと。


 天国で、きっとみんなと一緒に眠りについているのだと。


 でも―――夢でも、幻でも、こうして家族に会えて幸せだ。


 瞼を開け、身体を起こした。


『パパ!』


『ごめんごめん、約束してたもんな』


 一緒にランドセルを買って、ハンバーグを食べに行って、遊園地でたくさん遊んで……。


 胸に飛び込んできたシズルを優しく抱きしめた。


 彼女は本当に良い子だった。


 こんな”ウェーダンの悪魔”なんて呼ばれた俺でも人間なんだと、そう気付かせてくれた俺たちの希望―――俺たちの未来。


 人間の血の通わない、冷たいオイルが流れる機械の腕でも怖がらずに、よく懐いてくれた愛娘。きっといつかは大人になって、俺たちの元を巣立って行って……素敵な相手を見つけて、子を生んで母親になって……。


『ごめん、ごめんなぁ……シズル、こんなパパでごめん……』


 そっと愛娘を離し、サクヤに預けた。


 いつもだったら行かないでと泣き始めるシズルが、しかし今日に限ってはやけに大人しい。


 まるで全てを悟ったかのように。


 シズルを抱き上げるサクヤに頷くと、彼女も笑みを浮かべながら頷いてくれた。


『シズル……パパさ、ちょっとやらなきゃいけない事があるんだ』


『なあに?』


『ちょっとね……お友達を助けに行かないといけない』


 今頃、必死に戦っているであろう大馬鹿野郎を。


 こんな俺にも救いの手を差し伸べ、進むべき道を示してくれた俺たちの天使を。


『だから、ちょっとだけ……もうちょっとだけ、待っててくれるかな』


『うん、わかった』


 愛娘の前にしゃがみ顔を覗き込むと、小さな手が俺の頭に乗せられた。


 撫でているつもりなんだろうか。まだ小さく、指先の丸っこい幼い手にわしわしと頭を撫でられると、涙腺にじんわりとした感触が走る。


『やる事を全てやったら、パパもシズルたちのところに行くよ。そうしたら今度こそ、遊園地に行こうな』


『うん。シズルね、パパのこと待ってるからね』


 約束だよ、と小さな小指を立てるシズル。愛娘の小指と自分の小指を絡みつかせ、声を震わせながら約束を交わす。


『もう泣かないよ。シズルはパパとママの子だから』


『―――ありがとう』


『大好きだよ、パパ』


『うん―――パパも、シズルとママが大好きだ』


 そっと立ち上がり、踵を返した。


 そうだ、まだ眠るには―――シズルやサクヤの眠るあの世に行くには、まだ早い。


 俺にはやるべき事があるのだ。


 セシリアの残滓を―――彼女の遺した影を、葬り去らなくては。


 どこか別の世界で生きている、息子を守らなければ。


 最愛の妻の尊厳を、彼女の栄光を守り抜かなければ。


 これ以上、あの物の怪の好きにはさせない。


 
















 ヂッ、と火花が散った。


 ばらり、とAKの銃身が両断される。刀を防ぐために咄嗟に盾代わりにしたAK-19。使い物にならなくなったそれから手を離し、ホルスターから引っ張り出したグロック17Lをセシリアに乱射。並行して錬金術を発動しつつ磁力魔術も併用して弾幕を張り、セシリアの接近を全力で阻む。


 その隙に後方から躍りかかったクラリスが連結させた剣を回転、流麗な動きで怒涛の連撃を叩き込む。回転の勢いを利用した薙ぎ払い、連撃、流れるような刺突。しかしその一撃たりともセシリアを刺し穿つ事は叶わず、何度かの剣戟が彼女の肩口や頬に浅い傷を穿つのみ。


 セシリアからの反撃が来ると察するや、後方へ飛び退くクラリス。


 そこに入れ違いになるように、今度は別の方向からシェリルが大型マチェットで縦回転斬りをぶちかましながら吶喊。受け止められはするもののクラリスへの追撃を阻害し、彼女に一息つく時間を与える。


 今のうちに次の攻撃準備を、と魔力の再充填に入ったその時だった。


 ベキ、と何かが折れる音。


「―――」


 キンッ、と甲高い音と共に、黒い破片が宙を舞った。


 シェリルの大型マチェットが、ついにセシリアの剣戟に耐えかねてぶち折れたのだ。何度も鍔迫り合いを繰り返していたシェリルであったが、さすがに得物を衝撃だけでへし折られるとは思わなかったのだろう。彼女本人の目にも驚愕が浮かぶ。


 無理を承知の上で、グロックを連射しながら突っ込んだ。


 せめて注意をこっちに向けられれば―――こっちだ、こっちを見ろ。俺を見ろ……!


 やらせてたまるか、と歯を食いしばったその時だった。













「セシリアぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」














 腹の底から響く声。


 



 どす黒いオーラを見に纏い、左目から紅い光の尾を曳いて―――頭から生えた機械の角は限界まで伸び、血塗れになったパヴェルが、左手のパイルバンカーをかざしながらセシリアに急迫しているところだった。







 

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