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滲み出す闇


 遥か昔、第一次世界大戦の時もこうだったのだろうか。


 雪の降り積もる中、クッソ冷たい塹壕の中から身を乗り出し、どこまでもただただ真っ白な雪原の向こうをスコープで見張りながらぼんやりとそう思う。いつ終わるかも知れない戦い、変わり映えの無い景色、戦闘の緊張感。


 雪解けになれば終わる事が約束されているのと、砲弾が降ってこないことを考えれば、こっちのほうがまだマシなのかもしれない。けれども、それでもミカエル君的にはだいぶ疲弊している。過酷な寒さに突発的な戦闘のストレス、こんなのをいつまでも続けていたら頭がおかしくなりそうだ。これ以上の環境で戦っていた先人たちには頭が上がらない。


 PKS-07のレティクルの向こうでは、相変わらず底なしの食欲を誇るスノーワームたちが魔物の死体に群がっていた。鋭い牙が不規則に生えた恐ろしい口で死体に喰らい付いては、骨や臓物もろとも肉を咀嚼していくものだから、あっという間に雪原から死体が消えていく。


 イライナ地方の土壌が肥沃なのは、彼らのおかげなのだそうだ。雪解けのシーズンになると、スノーワームたちも寿命を迎え息絶える。その身体に溜め込まれた糞が土壌と混ぜ合わされることにより、農作物の栽培に適した土壌へ変わっていくのだとか。


 雪原の掃除人であり、今のイライナの土壌を作った大地の作り手。雪原では出会いたくないが……なんともまあ、人類とは奇妙な”共生関係”を築いているものだ。あと食べると美味しい。


 交代の時間まであとどれくらいだろ、と思いながら息を吐くと、カンカンッ、と空き缶を叩くような音が聞こえてきた。昼食の時間らしい。


 飯が運ばれてくる瞬間までは気が抜けない。スコープを覗いたまま雪原の向こうを見つめていると、段々と美味しそうな香りが漂い始める。トマトっぽい香りだ。多分あれだろう、俺たちが持ってきたトマトと豆の缶詰だ。それと黒パンだろうか。この前はデザートに茹でたスノーワームが付いてきたんだが、今日はあるだろうか?


 しばらくして、クラリスが食料を持ってきてくれた。思った通り、トマトの缶詰に黒パン。スノーワームは……無いみたいだ、残念。


「ご主人様、モニカさん、ご飯の時間ですわ」


「うーい」


「はー腰痛い……」


「歳とった?」


「うるさいわね、半日ずっと伏せてたりすれば腰も痛くなるわよ」


 隣で機関銃を構えていたモニカがいつもの調子で言う。先に彼女に食事を、とクラリスに伝え、俺は引き続き銃を構えて雪原を警戒し続けた。レディ・ファーストってやつだ。


「そういえば今日って何日かしら」


「11月9日」


「なーんかこの仕事やってると曜日感覚おかしくなってこない?」


 それは言えてる。カレンダーも時計も無い環境で過ごしていると、必然的にそうなるのだ。今日は何曜日だっけとか、今日は何日だっけとか、すぐにパッと思い浮かんでこなくなる。


 モニカとクラリスが食事を終えるまで、俺はずっと銃を構えていた。AK-308のハンドガード上に降り積もった雪を指先で払い除け、じっとレティクルの向こうを睨んだ。


 今のところ、襲撃は午前中の1回のみだ。


 突発的な襲撃ばかりだが、毎日午前10時には決まって襲撃がある。多少の誤差(1分から5分程度)はあるものの、概ね同じ時間帯であることから、守備隊では『定期便』なんて呼ばれている。


 そういって茶化しているが、毎日決まった時間に確実に襲撃がある、というのはなかなかに辛い。今日はもしかしたら襲撃が無いんじゃないか、なんて事はなく、確実に襲撃があるから、そのために弾薬や医療品を費やさなければならないのだ。こっちが戦いを望んでいなくても、向こうが攻め込んできて出血を強いる。


 こうなってしまってはもう我慢比べで、体力がある方が勝利する。体力とはすなわち物資の備蓄、そして資源や兵力の事で、これらに富む勢力が最終的に勝利するのだ。極論だが、資源、兵力、資金に富む国が戦争に勝つのである。


 技術力と兵士の練度、そして根性論をあてにして戦争に突入するのは半ば死亡フラグに片足を突っ込んでいるようなものだ。ギャルゲーで言うところの幼馴染くらいの悲しみを背負っているからとりあえず落ち着こう。大半の主人公は転校生とか後輩とか生徒会長に流れてくぞ幼馴染。分かったか幼馴染。


 うん、疲れて頭がおかしくなったらしい。


 最近変な夢ばっかり見るのだ。法螺貝を合図に突撃するソ連兵の夢とか、バイクで走ってるミカエル君の隣をカールグスタフ二丁持ちの自衛官兄貴が走って追い越していく夢とか、74式戦車が人型ロボットに変形する夢とか。


 頭大丈夫かって? 戦地のストレスに慣れてない一般ミカエル君を塹壕に放り込んだ結果がこれだよ。


 とかなんとか考えている間に、食事を終えたモニカが戻ってきた。持ち場に戻り、HK21Eのグリップと銃床を握りながら冷たい雪の上に伏せ、雪原の向こうを見据える。


 次は俺の番だ。


 銃から手を放し、クラリスから缶詰と黒パンを受け取った。硬い黒パンを千切って口へと運びつつ、片手を腰の鞘へと伸ばしてナイフを引っ張り出し、缶詰の蓋をナイフの切っ先でほじくって強引にこじ開ける。


 この世界の缶詰は、前世の世界で言うところの最初期の缶詰の段階だ。缶切りなんて便利なものはないから、缶詰を食べる時は銃剣でこじ開けるか、銃でぶち抜いて蓋を開けなければならないという不便極まりないものだ。


 開け方をミスって中身を全部雪の上にぶちまけた騎士もいたが、まあ、大体そんなもんだ。この世界の食は未だに悲しみに満ちている。


 首尾よく蓋を開け、中身にありつくミカエル君。意外と好き嫌いはない……って思うじゃん? 実はミカエル君、イクラとかの魚卵系駄目なのよね。あとウニか。転生して新しい身体になれば味覚も変わるんじゃないかと期待してたんだがそんな事はなく、駄目なものは駄目らしい。


 ちなみにノヴォシアではイクラはかなーり安い値段で手に入る。大きめのボウル一杯で300ライブル程度だ。だから高級食材というよりは庶民の味、って感じの立ち位置にある。


 トマトと豆の詰まった缶詰を食べていると、同じ塹壕の中で食事をとるボリス司令官の姿が目に入った。彼も支給された缶詰と黒パンを食べようとしているようで、缶詰を開けるのに難儀しているらしい。


「いっ……」


 ガリッ、といかにも痛そうな音。マスケットの銃剣で缶詰の蓋を開けようとしていたボリス司令官だが、滑った銃剣の切っ先が指を軽く切り裂いたらしい。左の中指の第一関節の辺りから、半透明の紅い血が溢れているのが見える。


 あれ、血ってあんなに透き通ってたっけか。


「ああ、大丈夫ですか司令官!?」


「シスター・イルゼ……いやあ、申し訳ない。ちょっと指先を切ってしまって」


 怪我人の治療のために塹壕を訪れていたのか、そこにシスター・イルゼがやってきた。彼女は指を負傷した司令官の傍らにやってくると、片手で首に下げた黄金のロザリオを握りながら、もう片方の手のひらを司令官の傷口にそっと向ける。


 もしかしてあのロザリオ、触媒なのか?


 魔術を使用する際に必須となる触媒。魔力の増幅器官であり、魔力の波形調整を肩代わりしてくれる外付けの補助演算装置のようなものだ。それの質によって、魔術師の属性適性が多少前後する事もあるという。


 ちなみに俺の触媒は鉄パイプである。


 あっという間に塞がっていく傷口。出血どころか怪我をした痕跡すら残さず、再び真っ白な肌が露になる。


「ありがとう、シスター・イルゼ」


「もう、気を付けてください。貴方はこの村に必要な人なのですから」


「はっはっはっ、すまないすまない。これからは気を付けるよ」


 呆れながら立ち去るシスターと、申し訳なさそうに笑うボリス司令官。傍から見りゃあまあ、ちょっとばかり微笑ましい光景だ。村のために戦う騎士団の司令官と心優しいシスターの一幕、いいじゃないか。


 と言いたいところだが……何だろうな。


 何か、変だ。


「ご主人様?」


 心配そうに声をかけてくるクラリスに「ああ、ごめん。何でもない」とだけ返し、自分の手のひらをじっと見つめた。












 夜間警備の班に後を引き継ぎ、教会に戻ったのは夜の8時を過ぎてからだ。それから夕食を終え、部屋に戻ってきたのが夜の9時。明日は6時には起きて準備をし、7時までに塹壕に向かわなければならない。


 クラリスとモニカの居ない部屋の中。教会にシャワーはなく、もちろん風呂場もない。しかし汗をかきながら戦ってそのままというのも年頃の女性には辛いので、あの2人は支給された水とタオルで身体を拭きに行っているところだ。


 本当の事を言うと俺もシャワーを浴びたい。段々と髪の毛や肌がべたべたしてくる感覚に顔をしかめながら、あの日の夜に見てしまった司令官の一件と、今日の昼間に見た違和感を思い出しながらベッドに腰を下ろす。


 司令官の傷口から溢れた半透明の血と、あの日の夜に見た血の色。なーんだかちょっと、質感が違うというか、なんというか……。


 人の血はあんな安っぽい塗料のような質感だっただろうか? もっとこう、赤ワインみたいなどろっとした感じであったような気がするのだが。


 そっと腰からナイフを取り出し、鞘から抜いた。作業用に持ち歩いているナイフ、主に魔物から素材を切り取ったり、ロープを切ったりとそういう作業に使うためのものだから、戦闘を前提に設計されているナイフと比較すると華奢で、刀身も小ぶりだ。しかしながら皮膚や肉程度ならば軽く切り裂いてしまうほどの鋭さがあり、ランタンに照らされるその刀身の輝きには獰猛な何かが宿っている。


 その切っ先を、静かに指先に押し当てた。プツッ、と皮膚に穴が開き、ミカエル君の雪のように真っ白な指先から紅い血が滲み出る。


 ああ、やっぱりだ。


 ちょっとした赤ワインみたいな、あるいはトマトスープみたいな質感だ。あんな、安っぽい塗料みたいな感じではない。


 じゃあ、ボリス司令官のあれは何だったんだ?


 あの日の夜に見たボリス司令官の死体らしきもの。そして今日見た、ボリス司令官の傷口から出た変な質感の血。


 もしかして、司令官は……。


「―――ああっ! ミカエルさん、一体何を!?」


「あ、シスター……」


 身体を拭くための水を持ってきてくれたのだろう。小ぶりな洗面器とタオルを手にしたシスターが、開けっ放しになっていたドアの向こうから驚いたような顔でこっちを見ていた。


 洗面器とタオルをベッドの傍らに置き、慌てて傷口を見るシスター。傍から見れば自分で傷をつけたようにも見える……というか実際その通りなのだが。


「ええと、ナイフを研ごうと思ったら間違えちゃって……」


「もう、何をやってるんですか……!」


「ご、ごめんなさい」


 昼間と同じだった。


 片手で胸元のロザリオを握り、もう片方の手で魔術を発動するシスター・イルゼ。光属性魔術の『光の治癒(ヒール)』だ。


 光属性の魔術は攻撃と治癒の2つの系統に大別される。種類は治癒系統の方が多く、光属性に適性を持つ者の大半は治療魔術師ヒーラーとして活動している。


 特に光の英霊エレナを信仰するエレナ教では、信者になる事で発動できるようになる魔術は全て治癒系統。攻撃系統の魔術は一切なく、他者を癒す事に特化している。これはおそらく、教会で信仰されている英霊エレナがそういう人物だったからであろう。


 瞬く間に塞がっていく傷口を見て、俺は彼女に礼を言った。


「ありがとう、シスター・イルゼ」


「連日の戦いで疲労が溜まっているのは分かりますが、もう少し気を付けてください」


「ああ……あ、そうだ、シスター」


「なんでしょう?」


「ボリス司令官の事で聞きたいことが」


「ええ」


「最近、特に5日以内であの人が変わった様子はある?」


「……え?」


 5日以内……例の一件があった、あの夜からだ。


「何でも良いんだ。ちょっと仕草が変だとか、口調が変わっただとか、いつもの癖が変わったとか、そんな些細な事でも……!」


「あっ、ちょ、ちょっ、待ってください」


「え? ……あ」


 何故か戸惑うシスター・イルゼ。何か変な事でもしたかと思ったが、その理由はすぐに分かった。彼女に司令官の変わったことを聞こうと必死になったせいで、無意識のうちに彼女の手をぎゅっと握った状態で迫っていたのだ。


 あー、これは良くないですね。しかも神に仕えている身のシスターにこれは良くない、非常に良くない。


「……すいません、失礼しました」


「い、いえ……お気になさらず。それより、司令官の変化ですか……今のところは特に何も」


「そうですか……」


「お力になれなかったようで、ごめんなさいね」


「ああ、いえいえ。こちらこそ変な事を聞いて申し訳ない」


「それでは、おやすみなさい」


「ええ、おやすみなさい」


 ちょっと顔を紅くしながら、笑みを浮かべて部屋を去るシスター・イルゼ。司令官と話す機会の多い彼女なら、何か知ってるんじゃないかと思ったんだが……。


 何なんだろうな、本当に。


 コトン、と階段の方から何かが落ちるような音が聞こえてきた。


 足音……では、ない。


「……」


 反射的にMP17へと手を伸ばし、部屋を出た。通路を進んで左へと曲がり、礼拝堂の方へと降りていく階段をそっと覗き込む。


 なんでこんなにいちいち警戒しているかって? そりゃああんなもの見てしまえば警戒もするし、なんか変な感じがするのだ。何と言うか、その、上手く言葉にできないのだが……この村、というより今回引き受けたこの依頼からは、何か奇妙な感じがする。


 野生の勘、というやつだろうか。


 獣の遺伝子と人間の遺伝子、両者を備えた新人類である獣人。ヒトの身となってもまだ、野生の勘は身体の中のどこかに息づいているのかもしれない。


 ライトで階段を照らすと、そこにはきらりと光る金色の何かがあった。


 何だあれ……ロザリオ?


 そっと拾い上げると、背筋に冷たい感触が走る。


「これ……シスター・イルゼのロザリオか?」


 間違いない、彼女の触媒だ。いつも彼女が首に下げていたロザリオ型の触媒。それがどうしてこんなところに?


「シスター・イルゼ……?」


 彼女の名を呼んだ。


 けれども薄暗い教会の中、その呼び声に応える者は誰も居なかった。







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