魔王セシリア
ミカエル「新年、明けましておめでとうございます」
クラリス「ご主人様、目が死んでいますわよ?」
ミカエル「いや、そりゃあね……どうせ今年も薄い本にされたりジャコウネコ吸いさせられたり女装を強いられたり尊厳破壊と作者の悪意に満ちた一年になるんだろうなと思うと憂鬱で憂鬱でこうもなるわ」
クラリス「うう……っ、なんて可哀想なご主人様」
ミカエル「おうお前も加害者の1人なんだわ???」
クラリス「???」
ナレーター「ともあれ、皆さま今年も一年よろしくお願いいたします」
「フッ……力也よ、いきなり何を言い出すのだ?」
口を三日月のように歪めながら、セシリアはいつものように言った。
両手を広げ、演説台で多くの兵士たちに演説するかのように言うセシリア。その仕草は、顔は、声は確かにパヴェルの―――速河力也という、かつて復讐に生きた男が愛した女のものだった。セシリア・ハヤカワという女のものだった。
それは分かっている。目の前にいる女は、紛れもなく自分の妻なのだと。ウエディングドレス姿の彼女と教会でキスと共に愛を誓い合った記憶に嘘偽りは無いし、今でもなお目の前の女をセシリア・ハヤカワその人だと認識している。
だが、だからこそ―――そう認識してしまうからこそ、おぞましい。
「貴様、よもや愛する妻の顔を忘れたとは言うまいな?」
「ああ、忘れた事は無かったさ」
セシリアに逢いたい。もう一度、彼女をこの手で抱きしめたい―――死別した妻に今もなお恋焦がれ、あの香りを、声を、温もりを求めた事など一度や二度ではない。二度と再会の叶わぬ妻と我が子を想い、孤独に涙した夜もあった。
それほどまでに強烈な感情を己の内に押し込めて、力也という復讐鬼にパヴェルという偽りの仮面までかぶせて、今日この日まで戦い続けてきたのである。
「ならばなぜ、そんな愚かな問いを―――」
「―――俺の知ってるセシリアは、仲間を絶対に見捨てない女だった」
彼女の―――妻の姿をした”何か”の言葉を遮り、パヴェルは……力也は断じた。
「一兵卒だろうと何だろうと、仲間は絶対に見捨てない。兵士を使い潰すような戦略は決して選ばず、戦に勝利しても少数の犠牲を気にして涙を流す、そんな慈悲深い女だった」
セシリアとは、元々そういう女だ。
ホムンクルス兵やキメラは種族全体の傾向として、仲間意識が特に強い。目の前に傷つき、死にかけている仲間がいれば決して見捨てず、救いの手を差し伸べる―――皆、そういう気質を備えている。
それはセシリアも例外ではなかった。特に、勇者による襲撃でテンプル騎士団本部『タンプル塔』が陥落し、まだ幼かった彼女の目の前で姉、弟、母を惨殺されるという壮絶な経験をすれば、大切なものを失う辛さも骨身に染みている筈だ。
だから彼女は、仲間を見捨てなかった。
「俺の知っている女は、決して部下を見捨てるような決断は下さない」
「……シャーロットとシェリルの件か」
口元の笑みが、嘘のように消えた。
触れられたくない話題に手を突っ込まれ、不快になっているような……そんな表情にも思える。
「あれは止むを得ない選択だった。同志ボグダンの件も残念に思っている……惜しい部下を死なせてしまったよ」
止むを得ない……本当か?
セシリア・ハヤカワとは思えないほど薄っぺらい言葉。それには部下の死を惜しむような感情が全くと言っていいほど感じられない。問いに対しテンプレートで返信を返すような、何とも言えぬ軽さがある。
これがあのセシリアの発言だろうか……力也は目を細めながら、懐から取り出した葉巻を口に咥えた。
目の前で家族を皆殺しにされ、多くの部下を失い、数多の犠牲の上に生きた彼女が―――『犠牲』という言葉の重さを誰よりも理解しているセシリア・ハヤカワという女が、果たしてこんな事を言うだろうか?
自分は悪い夢でも見ているのか、それとも彼女に何か、考えを大きく捻じ曲げてしまうような出来事でもあったのか。
おかしい点はそこだけではない。
「もう一つ聞く」
「何だ」
「お前の計画は【イコライザーを再配備しテンプル騎士団本部を恫喝、軍国主義に回帰させる事】……これで間違いないな」
「そうとも」
「そして交渉の結果次第ではイコライザーをかつての同胞に使用する事も厭わない、そうだな?」
「―――ああ」
まるで仲間に突き飛ばされ、崖に落とされたような―――そんな絶望感が力也の胸中を這い回った。
夢であってほしい、何かの間違いであってほしい。何度も何度も願い続けたそれが、しかし彼女の一言で脆くも裏切られる。
そんな彼の絶望を他所に、セシリアは発言権を得たとばかりに口を開く。
「私はな、許せんのだ。一度目の世界大戦、二度目の世界大戦、そして冷戦……我々があれだけの犠牲を払い、血を流して勝ち取った今の栄光が、平和だの何だのと寝言ばかりを口にする輩に破壊されていくのが」
目を細め、力也へと手を伸ばすセシリア。それはまるで「今からでも間に合う、こっちへ来い」と彼を誘うかのよう。
「お前も分かる筈だ。戦場で多くの死を、多くの兵士の最期を看取ってきたお前になら」
「―――ああ、分かるよ」
国家のため、家族のため、あるいは己の理想のため―――自分の譲れないもののためにその身を捧げ、戦場に散っていった数多の兵士たち。その最期は何度も看取った。アイツはこんな奴だった、アイツは故郷に恋人がいた……兵士一人一人の背景に想いを馳せ、彼らの無念に代わって涙を流し、あるいは彼らの安らかな眠りを祈って酒杯を呷った夜は一度や二度ではない。
それが命の重さなのだ。
どんな金額でも買い戻せない、尊い存在。
それは力也も理解している。自分こそが一番理解している、などと傲慢な事を言うつもりはない。だがその理解度は、解像度は常人よりも遥かに上であるという自負はある―――安全地帯で横断幕を掲げ、現場の事など何も知らないくせに反戦や世界平和を叫び兵士たちを罵倒する自称平和主義者に比べると、よっぽど。
だから。
それほどまでに壮絶な経験をしているからこそ。
「―――だからこそ、セシリアはそんな事は言わない」
「なに?」
「シャーロットから聞いた。今のテンプル騎士団の団長……俺とお前の息子だそうじゃあねえか」
「ああ、そうだ。お前に瓜二つで―――」
「―――じゃあなんだ、お前……自分のガキ殺そうとしてるのか?」
葉巻に火をつけながらの問いに、セシリアの言葉が詰まる。
それこそが力也の最も懸念していた部分であり、セシリアに対する不信感が最高潮に達し、彼女への離反を決定づけた部分であった。
イコライザーでの恫喝―――それだけで済んでくれれば良い。
核ミサイルを用いた恫喝が恫喝で済むように、力をちらつかせて脅しの道具に使うのならばまだ良いだろう。しかいsシャーロットの話では、彼女は要求が呑まれなかった場合はイコライザーを使用、祖国クレイデリアに住む人間たちを皆殺しにする事も辞さないという。
無論、自分が腹を痛めて生んだ我が子諸共だ。
「覚えてるよな? 俺ら、なかなか子供が出来なくて苦労した……何度も何度も医者の世話になり、やっとの事で授かった1人息子だ。そりゃあ腹ァ痛めて生んでくれたお前が一番よォく解ってるはずだ」
力也とセシリアの間に、なかなか子は生まれなかった。
原因は力也の側ではなく、セシリアの側にあった。彼女の種族であるキメラは外的要因で変異を起こしやすい種族としても知られており、幼少の頃から復讐のため、常に戦場に身を置いていたセシリアはその影響を大きく受けていた。
度重なる実戦と極限状態により、肉体はより戦闘に適したものに最適化されていき、その過程で戦に不要な機能は片っ端から削られていったのである。
結果、セシリアは子を産むために必要な生殖機能に問題を抱えるに至った。
最終的に奇跡的な確率で子を身籠ったものの、お腹に宿った小さな命が産声を上げる頃には既に父親たる力也はもうこの世に居なかった―――。
「それほどまでに苦労して生んだ子を、たかがイデオロギーの違いごときで殺そうとするか? お前、何トチ狂った事言ってやがる?」
短くなった葉巻を携帯灰皿の中に押し込んで、スリングで下げていたAK-15を掴む力也。ドットサイトとブースター、ロングバレルにグレネードランチャーという現役時代と何一つ変わらぬセットアップのメインアーム。
かつては愛する女のため、家族のために敵に向けていた銃が―――今はセシリアへと向けられている。
「顔は確かにセシリアだ。声も、喋り方も、ちょっとした仕草もセシリアそのものだ……けれどもなんでかねェ、違うんだよな」
「違う、だと?」
「本物のセシリアなら何があろうと部下は切り捨てない。道を踏み外そうとも我が子を手に掛けようなんて言わねえ」
セレクターを中段―――フルオートに合わせた。
装填されているのは対転生者用の強装徹甲弾。弾丸の材質から装薬量に至るまで、全てを転生者との戦闘を想定し強化した切り札である。中間弾薬でありながらフルサイズライフル弾に一歩劣る程度まで強化されているそれも、しかし転生者の中でも最強格の女が相手となると豆鉄砲同然だ。
セシリアとまともにやり合うなら、少なくともブッシュマスターの35mm機関砲が最低ライン―――それがパヴェルの、力也の出した答えであった。
「悪いがセシリア、俺はお前を本物のセシリアとは思えねえ」
「そう、か」
「ああ、そうとも」
PK-120を覗き込み、レティクルを彼女の眉間に合わせた。
目を細める―――今のセシリアは眼帯が外れ、その下にある左目が露になっている。
(アイツ……左目の眼球、摘出したはずじゃ……?)
単なる記憶違いか、それとも見たままのそれが答えなのか。
幼少期に勇者の攻撃を受けて潰された左目は、視力の回復が見込めず壊死したのちに摘出したと聞いている。だから力也の記憶に残るセシリアは左の眼孔に詰め物をしており、そこにもう眼球は残っていない筈だ。
だが、目の前にいる彼女はどうか。
大きく見開かれた両目―――顔の左半分にも達する古傷の中心には、白濁し壊死した眼球が確かに居座っているではないか。
予想がどんどん的中していく。
悪い方へ、悪い方へと。
「今のお前は―――セシリアの名を語る物の怪だ」
この俺が化けの皮を剥いでやる―――高らかに宣言すると同時に、戦闘の口火を切った。
「やったなシャーロット」
右手の傷をエリクサーで塞ぎながら(幸い弾丸は貫通していた)、パヴェルの部屋に足を踏み入れる。
クッソ薄暗いパヴェルの部屋の中、カタカタとキーボードを叩く音だけが響いている。もちろん音の発生源は彼の椅子に座り、机の上のPCに向かうシャーロットその人だ。
既に無人兵器―――スカラベとかいうあのワラワラ襲い掛かってきたバチクソに気色悪い兵器は沈黙しているというのに、しかしキーボードを叩くシャーロットの指は止まっていない。現在進行形で何かをハッキングしているようで、極限まで高められた集中力はPCの画面にだけ向けられている。
いったい何をしているのかと興味本位で画面を覗き込んだ俺は、絶句した。
開いているウィンドウは2つ―――片方ではハッキング用のソフトが立ち上がっているようで、ウィンドウの中では二頭身にデフォルメされたシャーロットらしきキャラクターが、ギザ歯を露にしながらケタケタと笑い、ファイアーウォール的なものをバリバリと噛み砕いているところだった。
何をハッキングしているのか気になるところだが、そんな事よりも問題は隣のウィンドウだった。
隣のウィンドウにはその……あれだけ口を酸っぱくして『絶対開くな』と言っておいたはずのパヴェルの画像フォルダが表示されており、そこにはいつか本になると思われるミカエル君のR-18えっち本のワンシーンが表示されている。
たぶん次回作は触手モノなのだろう。ぴっちりとしたパイロットスーツに身を包んだミカエル君が、粘液でぬるぬるした触手に絡みつかれ、服を破かれてその……ちょっとR-15のタグ付けてる作品で描写したら怒られるような事をされている。
とりあえず青少年の健全育成に申し訳程度の配慮をするため、画面にはモザイク処理をしておく。
「クラリス、アレを」
「こちらに」
すっ、とハリセンを差し出すクラリス。彼女からそれを受け取ると、隣で一緒に「うわバチクソにエロエロですやん」とか呟きながら一緒にPCを見ていたシェリルと目が合った。
「私知~らない」とでも言わんばかりに、すすす、と後ろに下がるシェリル。面白そうだから見てよう、とでも言うのだろうか。この女シャーロットを売りやがった。
スパァンッ、と甲高い音が響き、シャーロットは涙目で頭を押さえながらこっちを振り向いた。
「痛゛っだ゛ぁ゛!?」
「お前何しとんねんワレェ」
「いやその、見るなと言われると興味を刺激されるからその」
「お前こちとら死ぬ気でスカラベ食い止めとったんやぞおんおんおん?」
「申し訳ないとは思う。とりあえずこの原稿非常にえっちだから新刊楽しみにしているよリガロフ君」
「人の薄い本(※未許諾)見ながら何やってるんだお前は」
「よくぞ聞いてくれたねェ! 実は今、片手間で薄い本の原稿を見ながら空中戦艦のシステムをハッキングしているところなのさ!」
人の尊厳を破壊する片手間でテンプル騎士団の尊厳を破壊するんじゃない。
何やってんだよ、と言いたいところであるがシャーロットはノリノリだ。やはり自分を裏切った元職場に仕返ししたいというのが本心なのだろう。
ドン、と列車の屋根がびりびりと振動した。遅れてべりべりと何かが剥がれ落ちるような音―――おそらくだが屋根の一部が戦闘の余波で剥がれたのだろう。
スカラベは沈黙したというのに、こんなに激しい戦闘が続いている理由は1つしか心当たりがない。
やってきたのだ―――セシリアが。
「シェリル、ボクはここでシステムクラックを続ける。キミは―――」
「ええ、判っていますとも」
シェリルはそう言いながらクラリスに目配せし、マリューク小銃の薬室をチェックした。
セシリア・ハヤカワ―――”最強”に、挑む時がやってきた。




