『まだ負けてない』
ミカエル「大晦日ですね」
クラリス「そうですわね」
ミカエル「2024年最後なんで何か俺に言う事あるんじゃないですか」
クラリス「2024年も応援ありがとうございました。皆様、2025年もご主人様とクラリスの旅をよろしくお願いしますわね」
ミカエル「あれ、俺に向けた言葉ではない?」
ナレーター「というわけで皆様、来年もよろしくお願いします」
視界に霞がかかる。
身体中が痛む―――悲鳴を上げているのだ。
もういい、戦うな。もう休め。お前は十分に良く戦った。
身体中が発する無言の悲鳴。痛覚という形で告げられるその言葉は、しかし範三を屈服させるには至らない。
痙攣する腕に力を込め、大太刀を杖代わりにして立ち上がった。少し力を入れるだけで腕が激痛を発するが、しかしまだ動かそうと思えば動く辺り骨は折れていないのだろう―――このまま彼女と打ち合い、衝撃に晒され続ければいずれ折れるかもしれないが。
立ち上がり、息を吐く。口から放たれた息は低温の大気に晒されたちまち白く濁り、遥か後方へと連れ去られていった。
セシリアを睨む範三の眼。それは決して死に行く者の眼ではない。命ある限り戦い抜き、刀折れ命尽きようともその喉笛に喰らい付いてやろう―――腹を括り、死ぬまで戦い続けることを誓った戦士の眼光を宿すそれを見て、セシリアは嬉しそうな笑みを浮かべた。
正直、セシリアも退屈していたのだ。
どこを見ても有象無象ばかり。自分の力を誇示しつつ戦いを挑んでくる相手もいて、しかしそういう相手に限って全く戦いにならなかった。
転生者も何人も返り討ちにした。女神とやらからいくらチート能力を得たところで、所詮中身は引きこもりやニートばかり。そんな連中にチート能力を与えたところで、素材が最悪であれば何の意味もないのである。
だがしかし、目の前のこの男は違う。
血が滾る感覚―――セシリアが久しく忘れていた感覚だった。まるで身体中の全ての細胞が歓喜に打ち震えているような、そんな錯覚すら覚える。
一度目の敗北から、努力してここまで上り詰めた。互角、とまではいかないが、面白い戦いをしてくれる。どこまでも食い下がってくれる―――追い詰められてなお、その心は折れない。
こういう相手だ。セシリアはこういう相手を好む。
ずっと待っていた。こういう相手との邂逅を。死力を尽くした血戦を。
「市村範三、だったか」
「……」
笑みを浮かべ、刀の切っ先を彼へと向けた。
「―――お前のような強い男と出会えて、私は嬉しいぞ」
「―――某も、お主のような手強い女子に巡り合えるとは思ってもみなかった」
口から血反吐を吐き、刀を構える。
意外にも、先に仕掛けたのは範三だった。
姿勢を低くし、体重を前方へと預けた極端な前傾姿勢。何かの拍子で歩みを止めてしまえばそのまま前へと転がり込んでしまうような極端な体重配置で突っ走る。
「―――ぃぃぃぃぃいいいいいいやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!」
喉が張り裂けんばかりの猿叫が、雪原と化したマズコフ・ラ・ドヌー郊外に轟いた。
体重を乗せ、全身の力を総動員した縦薙ぎの一撃。ギャォゥッ、と大気が大太刀の刃に引き裂かれ、悲鳴を上げた。
大太刀が瞬間的に加速する。瞬く間にマッハ7に達した刀身が、断熱圧縮熱に晒され朱色に染まった。刀身の周囲の空間が、凄まじい熱に晒され陽炎と化して歪む。
予想外の速度に、セシリアの反応は遅れた。
燃え盛る刀を交差させるようにして範三の一撃を受け止める。
「……!?」
目を見開いた。
なんと重い剣戟なのだろう―――大太刀の振り下ろしなどとは思えない。まるで、神話の時代に猛威を振るった巨人が本気で殴りつけてきたような、あるいは落下してきた隕石でも受け止めているかのような衝撃に、セシリアの腕の中で骨が悲鳴を上げた。
ホムンクルス兵たちの雛形となったキメラの骨格とその強度は、人間のそれと比較すると似通ってこそいるものの大きく異なる。
骨の本数は260本に達し、骨一本の強度も交通事故に余裕で耐えられるほどである、とされている。
そんなヒトの姿をした怪物の骨が―――悲鳴を上げた。
押し返そうと両腕に力を込め、両脚を踏ん張る。しかし範三の刀は止まらない―――踏み止まろうとするならば諸共に叩き切らんとばかりに体重を乗せ、凄まじい膂力で押し込んでくる。
あろう事か、セシリアが押し負けていた。
交差させていた刀の角度を変え、範三の刀を滑らせる。
ギャギャギャ、と燃え盛る刀の表面を範三の刀が滑った。激しい火花が生じ、暗闇の中を走る列車の屋根を明るく照らし出す。
範三を受け流し、そのまま時計回りに回転するセシリア。回転した勢いを乗せ、遠心力も味方につけた両手の刀を振るい範三の背中を狙うが、しかし手に返ってきたのは肉と骨を断つ手応えではなく、堅い刃に阻まれる感触と重々しい金属音だった。
「!」
振り向く事なく、セシリアの一撃を刀で受け止めていた範三。ゆっくりと振り向いた彼の眼に、紅い光が宿る。
この男は、違う。
その眼を見て、セシリアはやっと市村範三という男を理解した。
この男は違う―――自分や、イーランドで戦った速河力也とは違う人種だ。
強い敵との戦いに無上の喜びを見出す、戦に愛されたタイプの人間ではない。彼はただ、高みを目指して努力するタイプの男だ。敵との戦いに興味があるのではなく、鍛錬を重ねて己を高める事に興味を見出すタイプなのだ。
だからだ―――だから以前の敗北から、ここまで成長したのである。
セシリア・ハヤカワという女を超えるため、そのためだけに打ち込んできたのだから。
元々範三は、ミカエルやパヴェルのように多芸なタイプではない。一つの分野に特化し、黙々と努力を続け他人では決して追い付けないような高みへと至ってしまうような、根っからの努力家であり職人気質なのだ。
そして彼にとってその一つの分野こそが剣術であり、土俵である。
左下から右斜め上へのかち上げが、ヒュッ、とセシリアの顔のすぐ近くを掠めた。
あと数ミリ前に出ていたら、顔を切り裂かれていただろう―――左目を覆う眼帯の留め具が断たれ、黒く大きな眼帯が風に攫われていく。
露になったのは大きな古傷のある左目だった。剣か、何かの刃物で切り裂かれたのだろう。あれだけ大きな眼帯でも隠し切れない古傷が刻まれており、ゆっくりと開かれた左目はすっかり白濁して壊死してしまっている。
醜い、とは思わなかった。
痛々しいとも思わない―――むしろ、隻眼というハンデを背負ってこれほどの強さを誇るセシリアに、範三はただただ畏敬の念を抱いていた。
いったいどれだけの研鑽がそれを可能とさせるのか。上には上がいる、とはよく言ったもので、今の範三にはまだ届かぬ高みなのかもしれない。
だがいつか、いつの日かきっと……。
ドン、とセシリアが床を蹴って跳躍した。
大きな三日月を背に跳躍、空中で縦に回転しながら、勢いを付けて落下してくる。
これは受けてはならない、と本能で理解するや、範三は身を翻した。すぐ脇をセシリアの刀が擦過し、右肩に鋭い痛みが走る。
舞い上がった雪煙の中、闇色の光がゆらりと揺らめいた。光を放つセシリアの眼―――直後、雪煙の中から黒い刃が突き出され、範三の顔のすぐ脇を掠める。
一度、二度、三度―――突き出される刺突を回避しながら、範三は思った。
(我流剣術か?)
流派特有の”癖”のようなものが見当たらない。
異世界の剣術と言われればそれまでだが、セシリアの剣術には流派としての特徴が見られないのだ。
戦うため、命を奪うために特化した”殺しの剣術”。つまりはそういう事だろう。
大きく刀を薙ぐ範三。カウンターを警戒し後退するセシリアの目の前を、断熱圧縮を引き起こし、すっかり真っ赤に染まった範三の刀がマッハ7.8の速度で通過していく。
衝撃波と共に、剣の軌跡に残った陽炎―――空間を歪ませるそれを隠れ蓑に、範三は腰を低く落とした。
もう、恐怖は感じない。
彼の心は落ち着いていた。波一つ、波紋一つ生じぬ水面の如く。
セシリアが反撃に転じ、前に出る。
心の中に浮かぶ水面に、小さな水面が立った。
目を見開いた。
まだ微かに目の前に残る陽炎の揺らめき。
セシリアはまだ、気付いていない。
両肩から無駄な力を抜いた。息を吐き、呼吸を整え、頭の中では余計な事を考えない。
そこから先は、身体に焼き付いた記憶が全てだった。
右下に下ろしていた大太刀を振り上げる。ギャギャッ、と切っ先が足元の格納庫の屋根に接触して派手な火花を上げた。
セシリアがやっと範三の狙いに気付いたが、もう遅い。
範三を真上から断つべく両手の刀を振り下ろさんとしていたセシリア。その無防備な腹へと、赤々と焼けた大太刀の刃が吸い込まれていって―――。
バッ、と三日月の下で鮮血が迸った。
「―――」
「……斬り捨て御免」
腹を大きく斬られたセシリアが、目を見開く。
咄嗟ではあったが、思いついた策の通りに事が進んだ。
断熱圧縮熱に晒され赤熱化した大太刀は、常に灼熱と陽炎を纏っている。高速で振るえば刀の軌跡にその陽炎が残り、一瞬の判断ミスが命取りとなる白兵戦においては有効な目くらましとなる。
範三はそれを使ったのだ。
わざと大振りの一撃でセシリアに回避を促しつつ、その刀の軌跡に残った陽炎を隠れ蓑にして、本命の一撃を叩き込んだのである。
それは功を奏し、セシリアの腹には左下から右上へと突き抜けるような刀傷が深々と刻まれた。
目を見開き、列車の屋根の上に膝をつくセシリア。なおも戦おうと刀を握る腕に力を込める彼女だったが、しかし深手を負ってはそううまく行くはずもなく、そのままずるりと崩れ落ちていった。
倒した―――あのセシリア・ハヤカワを。
刀を鞘に収め、深々と頭を下げる範三。
良い戦いであった―――生涯、市村範三という剣士はこの一戦を忘れる事はあるまい。
踵を返し、ミカエルたちの戦いに馳せ参じようとしたその時だった。
銃座から顔を出したパヴェルが、血相を変えた顔で叫んだのである。
「範三、まだだ! まだ生きてる!!」
「なに―――」
ドン、と背後で殺気が弾けた。
馬鹿な、と範三は目を見開く。
確かに腹を斬った手応えはあった。あんな深手を負えば、いかにホムンクルス兵たちのオリジナル、その直系の子孫と言えども生きていられる筈がない。出血量だって致死量に達していたのだ―――あれで死なぬ人間など存在するはずが……。
刀に手をかけながら振り向くと、そこには目を疑う光景が広がっていた。
刀を杖代わりにしながら―――セシリアが、斬った筈の女がゆっくりと立ち上がっていたのである。
「お主―――なぜ」
「―――生憎、なかなか死ねない身体でな」
そう言いながら、セシリアは斬られた腹を見せた。
先ほどまでぱっくりと開き、もう少し深ければ腸を始めとした臓物が溢れ出ていてもおかしくなかったほどの刀傷。
しかし今、それは凄まじい速度で塞がろうとしていた。
ビデオの逆再生を見せられているようだった。もぞもぞと腹の内側で肉が蠢き、筋肉繊維が互いに絡み合って傷を塞ぎ、その表面を凄まじい速度で表皮が包み込んでいく。
2秒もしないうちに、そこにはすらりとした綺麗な白い腹があった。
「パヴェル殿、これはいったい……!?」
「魂だ」
「なに?」
「セシリアの腹の中には、数千万人分の人間の魂が収まってる」
「どういうことだ」
「昔、あいつは喰らったのさ―――国を一つ、丸ごとな」
言葉が出なかった。
国を喰らう―――そこにいた人間たちを喰らい、己の糧としたという事だ。
そのような所業、人間のする事とは思えない。
妖や悪鬼のそれではないか。
「喰らった魂をエネルギーとして消費、身体の再生や魔力のブーストに使ってるのさ」
「で、では、あの女は」
「ああ、そうだ―――少なくとも数千万回殺さなきゃアイツは死なない
絶句した。
ただ一度―――ただ一度、一太刀浴びせるだけでこれだけの労力を支払ったのである。既に範三の身体も悲鳴を上げ、集中力は切れかけている。そんな状態で今と同じ事を数千万回も繰り返さなければならぬなど、絶望的にも程があり過ぎた。
今度こそ心が折れそうになる。
このような相手、勝てるはずもない。
セシリアの命が尽きるまでに、一体どれだけの犠牲を支払わなければならないのか。
「―――範三、ここから先は俺が」
「パヴェル殿?」
範三の肩に手を置き、上着を脱ぎ棄てながらパヴェルは言った。
「―――このバカ女は、俺が止める」
行けよ、とパヴェルに念を押され、範三は「無理はしないでくだされよ」と言い残し、列車の中へと飛び込んでいった。
再生を終えたセシリアを睨み、パヴェルは息を吐く。
「久しいな、力也」
「……ああ、そうだな」
「その様子だと、私ではなくミカエルに付く事を選択したか」
「……ああ」
もう、迷いはない。
病める時も、健やかなる時も、彼女を愛し彼女のために尽くすと誓った。
多くの戦友が見守る中、教会でキスと共に誓ったあの言葉に嘘偽りはない。パヴェルは今もセシリアを愛しているし、彼女のためであればなんだってする。
だが―――それは。
本物のセシリアならば。
「戦う前に一つ聞きたい」
「なんだ」
「―――お前、誰だ?」
死神の鎌のような三日月の下―――セシリアの口もまた、三日月のように歪んだ。
というわけで2024年最後の更新になります。来年もよろしくお願いいたします。
それでは皆様、良いお年を!




