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月下一閃

ミカエル「俺…………実は、男だったんだ」


登場キャラ一同「……なんて?」


 遥か天の先、暗黒の海原たる宇宙の深奥に位置するブラックホールは、光すらも捻じ曲げてしまうという。


 振り払われ、音速をも軽率に超えたセシリアの一閃。艶の無い、まるで闇を塗り固めて作ったような漆黒の刀身は月の光を受けてもなお照り返す事はなく、ミカエルからの話に聴いたブラックホールを範三の脳裏に想起させた。


 大太刀『宵鴉ヨイガラス』を構えてセシリアの一閃を受け流し、続く一撃も打ち払う。


 この時点で既に、範三も、そしてセシリアも、以前とは違うという事を察していた。


 一番最初に戦った時、範三は文字通り手も足も出なかった。


 相手の太刀筋を読む事も出来なければまともに打ち払う事も叶わず、辛うじて致命傷を避けるのが精一杯で防戦一方になるという、惨敗の二文字以外に例えようのない大敗を喫したのは記憶に新しい。


 しかもその際、セシリアはあろう事か退屈そうに刀を振るっていた―――まるで三文芝居を見せられ退屈しているような顔で刀を振るうさまは、当時の範三がセシリアの前に立ちはだかるに値しない有象無象に過ぎなかったという事を、何よりも雄弁に物語っていた。


 それほどまでに、刀一筋で打ち込んできた範三とセシリアの間には、絶望的な実力差が広がっていたのである。


 しかし、今はどうか。


 大太刀を傾けて衝撃を逃がし、セシリアの斬撃を斜め上へと滑らせる範三。ギャリッ、と火花を発しながら滑った刀身、加熱された金属の異臭、至近距離で感じられる相手の息遣い。


 それらを身体で、五感で、そして心で感じる余裕が今の範三にはあった。


 それだけではない。


「やぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」


 刀を翻し、三日月形に大太刀を振るう範三。セシリアの左脇腹を狙ったそれは彼女の刀に阻まれてしまうが、しかしあと一瞬―――あと一瞬速ければ、そのうっすらと朱色に染まりつつある刀身はセシリアの右の脇腹を捉え、その柔肌を肋骨諸共断ち切っていたに違いない。


 両手に感じるびりびりと痺れる感触。刀を用いた本気の打ち合いに、腕の深奥にある骨が、髄が、悲鳴を上げていた。


 下手をすればこの何の変哲もない打ち合いの衝撃だけで腕の骨が折れてしまうのではないか―――そんな今まで経験した事もない、そして普通では考えられない予想を思い浮かべてもなお、範三の闘志は微塵も衰えない。


 右腕が封じられたならば左腕で、左腕が壊れたならば口に咥えて。顎が使い物にならなくなったのならば両脚の蹴りで―――戦いなど、やる気さえあれば如何様にも続ける方法はあるのだ。


 今はただ、全力を以てセシリア(最強の戦士)に挑みたい。


 その渇望こそが、今の範三を動かす動力源だった。


 骨の髄まで染み渡った範三の闘志は、常人には理解しがたいものであろう。命懸けで戦い、ほんの一寸角度が狂うだけで首が飛び、一瞬の判断の遅れが死に直結するやり直しナシ、時間無制限の真剣勝負。されど己の技の全てを出し切り、文字通り全力を尽くした真剣勝負の果て―――死の淵、奈落のきわにこそ範三の求めているものがある。


 速河力也という剣士がそうであったように、そういう意味では範三もまた”生まれた時代を間違えた侍”だったのかもしれない。


 前に踏み込み、上段からの鋭い振り下ろし。セシリアはそれを紙一重で躱し、彼女を捉える事すらままならない。


 が、しかし。


(こいつ……)


 寸前、セシリアを脳天から両断するべく振り下ろされた鋭い斬撃。その”空間を引き裂くような”風切り音と、共に感じた確かな熱。


 それには覚えがあった。


 そうだ、イーランドで激突したあの剣士―――セシリアにとっての夫と同じ名、同じ顔、似通った運命を持つ、この世界における【同位体】。


 よもやそのような、と思いながらも範三の攻撃を捌くセシリアは、しかしその太刀筋に確かに同じものを見た。


 個人差に起因するクセの違いはあるものの、しかしその太刀筋は、そして刀で受ける度に感じる腕を突き抜けるような痺れにも似た衝撃は、決して見間違う筈もない。


 範三の刀捌きに、ふとあの男の影が重なる。


 瞬間、セシリアは理解した。


 こうも太刀筋が似通っている理由―――繰り出される一撃の重み、速さ、その全てが一撃必殺の名を冠するに相応しい領域に達しているわけを。


 ―――流派が同じなのだ。


 無論個人差はある。多少の誤差もある。だがしかし一撃の破壊力を何よりも重んじる倭国の薩摩式剣術の特徴である”一撃の威力”は変わらない。


 それだけではなかった。


 セシリアが守勢に入ったと見るや、怒涛の如く攻め込んでくる範三の大太刀。以前に血盟旅団が仕留めたゾンビズメイの素材で作られているであろうその大太刀が、段々と熱を帯びているかのような朱色に染まりつつあるのである。


 あの男と同じだ―――イーランドで戦った、あの男と。


 あの男もそうだった。隻腕で、しかも本来の利き手ではない左手一本であるにもかかわらず、その本気の斬撃は音の壁どころか熱の壁まで突破、推定速度マッハ7.5という怪物じみた速度で振るわれてしまうために刀身が断熱圧縮熱に晒され、並の刀ではそれに耐えられないという一撃の極み。


 範三もついに、その領域に至った―――そういうことだ。


 そこまでを察し、セシリアの口元に笑みが浮かんだ。


 高みを目指し、そしていつの日かセシリアを超えるために努力して、ついに同じ土俵に立った。セシリアはそれが嬉しくてたまらないのだ。


 今まで戦ったどの相手もつまらなかった。セシリアの元に辿り着くどころか、部下や無人兵器だけでも蹴散らせるレベルの有象無象ばかり。特に転生者が顕著で、他者から貸し与えられたチート能力ばかりに頼りそれ以外はからっきし、という相手も少なくない。


 正直、退屈していたところだ。


 それがどうだろうか。


 こんなにも食い下がり、そしていつの日か超えてやろうと血の滲む努力を重ねて同じ土俵に立つ戦士が現れるとは。


(ならばこちらも―――)


 誠心誠意、応えよう。


 ドン、と周囲の空気が爆ぜるような感覚―――鳩尾みぞおちに冷たい何かが沈殿していくのを、範三は確かに感じ取っていた。


 あの時と同じだ。初めて対峙した時の、絶対的な捕食者を前にしたようなあの感覚。


 勝機を見出せず、どの選択肢も死に直結するものばかりで、心が折れてしまうほどの絶望感。あの時はされど武士としての矜持(プライド)が背中を向ける事を許さず、我武者羅がむしゃらに挑み惨敗する事となった。


 しかし、今は違う。


 怯えかけた心に鞭を打ち、己を奮い立たせる範三。


 絶望に緩んだ両手に力を込め、大太刀の柄をぎゅっと握りしめる。


 押し寄せる圧力(プレッシャー)に全力で抗った。この市村範三の首、討てるものなら討ってみよ。戦場で死する事こそ武士(もののふ)の本懐也―――かつて祖先も駆け抜けたであろう戦国乱世、その中で抱いたであろう覚悟を胸のうちに思い浮かべれば、もう何も怖いものはない。


 そしてそれ以上に、今の範三には自信があった。


 あの最強の女と―――セシリアと渡り合えているという自負が、確かな手応えとなって彼の背中を押していたのだ。


 セシリアが前に出た。反転攻勢に転ずるつもりなのだろう、列車の屋根を蹴って大きく跳躍するや空中で一度、二度と重ねて縦回転。人体そのものがブーメランと化したかのような勢いで範三を真上から叩き斬らんとする。


 落下の勢いと回転の勢いまで乗せた一撃を、しかし範三は躱さず敢えて受けた。


 ガギャァアッ、と金属の刀身が悲鳴を上げ、周囲の大気がびりびりと震える。


 受け止められてもなお、凄まじいまでの膂力で刀を押し込んでくるセシリア。ぎり、と範三が押し込まれそうになり、踏ん張る両足の指先が捥げそうになるほどの激痛に晒される。


 ふう、と息を吐いた。断熱圧縮により仄かに朱色に染まりつつあった灼熱の大太刀が息で微かに曇る。


 峰を殴りつけるようにして、セシリアを強引に押し返した。いくら化け物じみた膂力とはいえ相手は空中、それに対し範三は両足で踏ん張っている状態だ。地の利は範三にあった。


 押し返されてもものともせず、着地したセシリアが狂気じみた笑みを浮かべながら迫ってくる左の刀で斬り上げ、躱されたと見るや狙い撃つかのような右の刀の鋭い刺突。大太刀を構えて受け流すや、今度は瞬時に左手の刀を逆手持ちにして回転しながらの刺突。


 ビッ、と左の脇腹に鋭い痛みが走ったが、掠り傷である事は分かる。致命傷でないのなら、五体満足であるならばそれで良し。その程度で勝負は決まらない。


 セシリアを間合いから引き離す目的で、力任せに大太刀をぐるりと振り回す。大振りな回転斬りはセシリアを捉える事はなかったが、しかし彼女の息遣いが感じられるほどの至近距離から相手を放逐する事には成功する。


 ごう、と何かが通過していく。列車用の注意標識だ。運転手に向けたもので、おそらくは間もなくトンネルがある事を告げるものなのだろう(横目でちらりと”トンネル”という単語が見えたので間違いはないはずだ)。


 次の瞬間だった。頂点に死神の鎌のような銀の三日月を頂く星々の天蓋が、突如としてよし寄せた無粋な暗黒に追いやられる。頭上の開放感の一切が消え、上から押さえつけられる感覚にも似た圧迫感が全てを覆い尽くした。


 等間隔に並ぶ照明が、定期的に範三とセシリアの顔を照らしていく。


 1つ、2つ、3つ―――それが三度繰り返されたのを合図に、範三とセシリアは同時に前に出た。


 ドン、と列車の屋根をアルミホイルのようにぐにゃりとへこむほど踏み締め前に出るセシリア。左右から挟み込むような軌道で放たれた斬撃を、右に跳躍しながら斬撃の片割れを受け流して回避。接触面から火花を散らす大太刀を振るいセシリアの首を刎ね飛ばさんとするが、しかし彼女の反射速度はこの暗闇の中でもなお驚異的だった。身体を大きく弓のように後ろへ逸らして範三の横薙ぎの斬撃を回避、起き上がる勢いを利用して刀を振り下ろしてくる。


 闇の中、セシリアの刀はぼんやりと朱色の光を放ちつつあった。


 斬撃を受け止めた範三の頬を、確かな熱が焼く。


 断熱圧縮熱に晒された刀身の熱だ―――範三がそうであるように、セシリアの斬撃も断熱圧縮が生じるレベルに達しているのだ。


 考えてみれば分かる事である。あれだけの膂力と腕力で刀を振るえる超人なのだ。範三にできて、セシリアにできない道理がどこにあろうか。


 力業である限り、セシリアにできない事など何もないのかもしれない。


 姿勢を低くし、上から覆いかぶさるような形で刀を振るっていたセシリアの一撃を受け流す。そのまま柔術の要領でセシリアを下から上へ掬い上げる要領で刀を振り上げると、ふわりとセシリアの身体が一瞬だけだが浮いた。


「―――!!」


「せいやァッ!!」


 気合を迸らせつつ、反時計回りに回転しながら斬撃を見舞う。ギッ、と返ってくる堅い感触にまたしても今の一撃が防がれた事を実感させられるが、しかしセシリアの身体は浮いた状態―――そこに範三の本気の一撃を叩き込まれたのだ。踏ん張れるはずもない。


 セシリアはそのまま吹き飛ばされるや、トンネルの壁面へと派手に叩きつけられ遥か後方へと置き去りにされていった。


 これで終い―――である筈が、ない。


 ドドドドド、と地鳴りのような音に範三の聴覚がいの一番に反応した。


「!?」


 信じがたいものを見た。


 列車の上から放逐されたはずのセシリアが、トンネルの壁面を全力で走っているのである。


 今の列車は140㎞/hもの速度で疾走中だ―――速度だけで言えば在来線区間を走行する秋田新幹線や山形新幹線よりも速いのである。それを、怪物じみた身体能力の持ち主とはいえ生身の人間が、それもトンネルの壁面を突っ走って追い付いてくるなどいったい何の冗談か。


 しかもそれだけではない。


 ギャギャギャ、と両手の刀をトンネルの壁面に擦りつけながら走るセシリア―――線香花火、あるいは溶接のように派手な火花を散らしていたそれがついに発火、炎の刀と化す。


 刀自体が燃えているのではない。刀身に付着した微かな不純物が発火点に達し、それとセシリアの身体から漏れ出る闇属性の炎が結びついてあのように燃えているように見えるのだ。


 炎の刀を両手に、壁面からトンネルの天井へと飛び移ったセシリアが弾丸のような速度で範三に突っ込んでくる。躱す事も出来ず咄嗟に大太刀で受けたが、その勢いは居眠り運転で数多の外出中の引きこもりに突っ込み、多くのニートや引きこもりを異世界転生させてきたトラックもかくやというレベルだった。


 全身の骨を砕かれ、内臓を潰されるような凄まじい衝撃。上下左右が何度も激しく入れ替わり、範三の身体が無人機の攻撃で大破した火砲車の砲塔の残骸に叩きつけられる。


「かっ―――」


 息が詰まった。


 息を吸い込もうとするが、肺が硬直したかのように息が吸えない。どれだけ息を吸おう、酸素を補充しようともがいても身体は言う事を聞かず、誤動作を起こした肺は呼吸を拒み続ける。


 トンネルを向けた。


 頭上を浮遊する空中戦艦と三日月を背に、両手に炎の刀を携えたセシリアがゆっくりと歩み寄ってくる。


 大太刀を杖代わりにゆっくりと立ち上がる範三。得物を上段に構え、セシリアを睨む。


 まだだ。


 まだ負けていない。


 闘志が付き、心が折れ、相手に服従しない限りは、まだ。


 市村範三という男は、負けていない。





 



 

小説書いててすっかり忘れてたけどもう2024年終わるじゃん

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― 新着の感想 ―
何…だと…<ミ カ エ ル 君 実 は 男 性 それはさておきやはりこの二人の戦闘、ヒートホーク力也氏のそれを思い起こす凄まじいものですね。彼と違って五体満足とは言え、よくぞここまで範三も、人の身で…
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