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刺客は闇からやってくる


「よし、今日は第一班は村の西側、第二班は東側を警戒してくれ。弾薬、食料の備蓄も底をつきかけているが冬はまだ長い。各員、無駄な損耗は極力避けるように」


 ボリス司令官の訓示を直立不動で聴き、終わるなり一斉に敬礼する騎士と民兵たち。アルカンバヤ村は相変わらず絶望的な状況だが、それでも戦い続けている彼らには敬意を表したいものである。


 本当にここが左遷された将兵たちの行き先なのかと思いたくなるほど、彼らは奮戦していた。百戦錬磨の兵士と思ってしまうほどで、昨晩の防衛戦でもかなり助けられている。


 整列する兵士たちの横でその訓示を聞くクラリスとモニカ。奥にはシスター・イルゼも居て、訓示の後に呼ばれて騎士たちの前に行くなり、食料の備蓄状況や衣料品の在庫について、手に持った書類を見ながら的確に報告している。


 弾薬に食料、武器の予備パーツに衣料品、防寒着に日用品……俺たちもできるだけブハンカに積んでこの地に来たが、それでも焼け石に水というのが実情だった。燃料タンクに穴が開いて漏れていく燃料を何とかしようと、小さなコップで燃料を継ぎ足したところで根本的な解決には至らない。


 報告会が終わり、騎士たちが持ち場へと歩いていった。昼間ずっと警備をしていた民兵たちと交代し、これから村の守りにつくのだ。


 防衛戦に参加して5日目。この村での生活にも慣れてきたが、相変わらず苛酷だ。庶子として疎まれていたとはいえ、いかに自分が恵まれた環境で育ったのかというのが嫌でも痛感できる。過酷な寒さに飢え、毎日昼夜問わずに襲ってくる魔物たちの恐怖。こんな中で発狂せずに戦っている騎士たちはさすがだと思う。正直、俺はちょっとおかしくなりそうだ。


 集会の会場となった村の公民館を出て、指定された塹壕へと歩く。


 頭の中はノイズでいっぱいだった。


 あの夜、俺が見たあの光景は夢だったのか?


 夜の中、麻袋を担いだボリス司令官。


 スノーワームのひしめく雪原にそれを投げ捨てたボリス司令官。


 その麻袋の中に詰め込まれ、瞬く間にスノーワームのディナーにされたのもまた、ボリス司令官。


 現実……とは思えない。俺は夢でも見たのか? それともボリス司令官は2人いたのか?


 生き別れの兄弟でもいたのかな、と現実逃避しようという思考が働くが、常識がそれを打ち砕く。じゃあどうして片割れを消す必要があったのか、と。


 訳が分からない。悪夢でも見たのだろうか。


 塹壕へと向かう途中、電話ボックスがあった。


 そういやパヴェルへの連絡はしてなかったな、と思う。


 こんな過酷な状況だ。できるならルカやノンナたちの声も聴きたい。


「ご主人様?」


「先に行っててくれ。パヴェルに報告したい」


「ああ、かしこまりました」


 電話ボックスへと走り、ドアを開けた。財布の中から5ライブル硬貨を取り出し、投入口へと押し込む。


 それにしても電話ボックスか、こっちの世界に来る直前では全く見なくなったし使わなくなった。俺が小学校の頃は、親に迎えに来てほしい時とかによく使ったものだ。連絡用の10円玉がいつもポケットに収まっていたあの頃を思い出す。


 受話器から聞こえてくる電子音が変わったのを確認し、ダイヤルを回した。


 こういうダイヤル式の電話が普及したのもつい最近の事。俺が5歳の頃までは、電話を手に取るとまず最初に電話局へと繋がって、交換手に電話回線を相手の電話と繋げてもらうという手順を踏まなければならなかったのだそうだ。


 交換手が不要になった理由は、冒険者がダンジョン―――滅亡した人間たちの遺構から持ち帰った技術による発達のためとされている。


 何度か電子音が続いた後、ガチャ、と受話器を取る音が聞こえてきた。


『もしもし?』


「パヴェル、俺だよ俺、ミカエル」


『おー、ミカか。元気か?』


「ああ、なんとか」


 良かった、繋がった。電話回線はちゃんと繋がっているらしい。


「パヴェル、聞いてほしい事がある」


『あ』


「5日前の事なんだが……夜中にトイレに行ったら、騎士団の指揮官が麻袋を持ってそれを雪原に捨ててたんだ」


『ああ、それで』


「不審に思って後をつけたら、麻袋の中はその指揮官だったんだ……どう思う?」


 説明不足だったかと思ったが、パヴェルは数秒の沈黙の後、何かを飲み干すような音を発してから答えてくれた。


『……見間違いじゃねえのか?』


「見間違い……?」


『ああ。極限状況に直面すると高度のストレスからよくそういう症状が出るんだ。俺も経験あるし、気持ちは分かるよ』


「そういうものか……? いや、だって袋の中身が」


『見間違いだ、いつまでも引き摺るな。頭を切り替えていかないとこの先生きのこれないぜ』


 ガチャッ、と電話が切れる音。パヴェルが一方的に切ったのかと思ったが、通話時間切れだった。これ以上話したいなら更に5ライブル硬貨を入れてね、という事だ。


 何か煮え切らないが、でも少し楽になった。


 でも……。


 あれは本当に見間違いか?


 雪原の冷たい感触も、スノーワームに食い散らかされていくあの音も、はっきりと覚えている。見間違いじゃない―――それ以外の感覚も、確かに身体が覚えている。


 少し探りを入れてみるべきかもしれない。


 もしかしたら、俺たちの知らないところで何か恐ろしい事が始まっているかもしれない。













「クソが……!」


 苛立ちながら受話器を戻し、返金レバーを倒して5ライブル硬貨を取り出す。そして再び投入口にコインを押し込みダイヤルを回し、アルカンバヤ村の公衆電話を呼び出す。しかし受話器から聴こえてくるのはツー、ツー、というクソのような電子音のみ。


 例の件―――キリルからの依頼が偽の依頼だったという事が発覚したあの日から、何度も何度もミカを呼び出そうとしているが、アルカンバヤ村にいるミカとは全く繋がらない。一度もだ。


 無線機も駄目だ。衛星に繋がっているならまだしも、ここからアルカンバヤ村は通信圏外。だったら直接行けばいいじゃないかと思うかもしれないが、度重なる積雪に除雪作業が段々と追い付いてこなくなりつつあり、車での移動は不可能になった。


 もう、どうしようもない。


 それでももしかしたら、という望みをかけてダイヤルを回す。


 ―――その時だった。電話ボックスの内側に、背後に立つ男の姿が映ったのは。


 冒険者管理局の制服。紺色を基調に、襟や袖口を紅いラインで縁取った、どこか軍服を思わせる厚着を身に纏い、右手に持ったピストルの銃口をこっちに突きつけている姿が見え、迂闊だった、と己の間抜けさを呪う。


 全く気配がなかった。


「―――受話器を置いてください、パヴェル・タクヤノヴィッチ・リキノフ」


「……」


「いや、それとも……”■■■■”と呼んだ方が良いですかな」


 ピストルを突きつけながら、さらりと俺の本名を言い当ててみせた男は間違いなく、キリルだった。偽の依頼を持ってきた張本人。とっくの昔に死んだ筈の死者。死んだ筈の男は、しかし確かにそこに居る。


 死んだ筈なのになぜ……? それもそうだが、なぜこの男が俺の本名を知っている?


「お前、”組織”の手の者か」


「話が早くて助かります、”同志”」


 やはりか。


 腹の中が一気に重くなる感覚を覚えた。まるで、水銀でも一気飲みしたかのように胃が重くなる。


「真相に辿り着かれては困る。だからミカを消すつもりか」


「ええ、貴方もよくご存じの筈。これが”組織”のやり方ですよ」


「それで、ついには俺もか」


 問いかけると、キリル―――死者の顔で死者の名を名乗るその男は、ニヤニヤ笑いながら首を横に振ってみせた。


「まさか。祖国の英雄たる貴方を殺す必要がどこにあるというのです?」


「戦時中の話だろ」


「それでも貴方は救国の英雄です。ファシスト共の侵略を払い除け、死してもなお絶大な影響力を誇る……だからこそ、今の我々には貴方のような人間が必要なのですよ」


「それがアイツの望みか?」


 問いかけると、キリルは何も答えなかった。


 ああ、それじゃあ違うな、と諦めにも似た感情が胸の中で渦を巻く。


 この男は俺が、なぜ彼女の下で戦っていたのかを理解していない。復讐という目的以外にも、彼女への忠誠があったからだ。この人にならば身を捧げても良い、命を捧げても良い―――そう思わせるカリスマ性が、彼女には、俺の妻にはあった。


 それをよく理解していない。


 気に喰わないところはそこだけじゃない。


 ―――俺の仲間に手を出した事だ。


「同志、どうかもう一度我らと共に―――」


 パンッ、と軽い銃声が響く。


 咆哮を発したのは内ポケットに護身用として忍ばせていた小型拳銃―――ロシア製のマカロフPM拳銃だ。


 使用弾薬、9×18mmマカロフ弾。拳銃としては小型で威力も低い部類に入るが、護身用として携行するには十分な性能がある。


 内ポケットから咄嗟に引き抜き、後ろを振り向いて発砲―――この一連の動作を相手がピストルの引き金を引く前に行ったものだから、狙いはかなり不正確だ。人体の頭とか胸板とか、狙った部位に的確に飛んでいくわけではなく、人体の”どこかへ飛んでいく”程度の精度しかない。


 しかしそれでも、背後を取っていた筈の相手から予想外の反撃を受けたことに、キリルはかなり動揺しているようだった。


 圧倒的に優位な状況だった筈だ。例えるならば、肉食獣が今まさに草食動物の背後へ喰らい付かんとしている状況。しかしその状態でも、獲物は予想外の方法で反撃してきた。


 コイツは勘違いをしている。


 この俺を獲物だなどと認識していた事だ。


 肩口を撃ち抜かれたキリルが、目を見開きながらフリントロック式のピストルを向けてくる。


 イライナ・マスケット―――80口径、黒色火薬仕様の標準的なマスケット。それの銃床と銃身を切り詰めたピストルモデル。黒色火薬を使う銃でありながら、運動エネルギーだけならば7.62mm弾にも匹敵するそれが、こっちに向けられる。


 パシュ、とピストルの撃鉄ハンマーが落ちた。先端部に取り付けられた火打石フリントから火花が生じ、それが点火用の火薬が詰まった火皿に落下。火薬から白い煙が出たかと思った次の瞬間、1秒のタイムラグを置いて、ドパンッ、とピストルが咆哮する。


「!!」


 ガギュ、と左肩をえげつない衝撃が襲った。冬用のコートを難なくぶち抜き、左肩を銃弾が直撃したのだ。左肩を後ろへと大きく引っ張られる感触を覚えたが、致命傷ではない。


 飛び散ったのは紅い雫ではなく、茶色い機械油のような雫だった。


 今の一撃で仕留め損ねたキリルに次はない。フリントロック式の銃は、水平二連式かペッパーボックス式でなければ、一発撃ったら次はないのだ。


 懐からナイフを取り出し、なおも抵抗しようとするキリル。マカロフ拳銃を投げ捨て、腰の鞘から愛用のカランビットナイフを引き抜いた。刀身だけでも30cm、ボウイナイフにも匹敵するサイズの鎌みたいなナイフが、雪の降り積もったホームに禍々しい影を落とす。


 ナイフを持ったキリルの手に回し蹴りを叩き込んでナイフを叩き落し、丸腰になったキリルをその勢いを乗せた後ろ蹴りで吹き飛ばす。鳩尾にクリーンヒットしたキリルは歯を食いしばりながらも、ホームに停車している列車の炭水車に背中を叩きつけられる羽目になった。


 それに素早く駆け寄り、左手でキリルの腕を押さえつけながら、鎌のような刀身を彼の喉元に突きつけた。


「そ、組織を……裏切るというのですか……!?」


「お前らは違う」


 先ほどからの口ぶりと最近のやり口から見て、こいつらは違う。俺の”前の職場”に所属する連中ではない、という事が感じ取れる。


 確かに組織は乱暴なやり方に悪評もあったし、”悪の帝国”などと揶揄される事もあった。妻と共にその組織にいたからこそ、良く分かる。


 だがそれでも、世界中から悪の組織と見做されていても、決して仲間に手を出すようなことはなかった。こうやって仲間(同志)に銃を突きつけるような真似など、決してする事はなかった。


 だからこいつらは違う。組織の名を語る偽物だ、物の怪だ、亡霊だ。そんな連中の言葉など、聞く耳を持つ必要などない。


「アイツの組織を、穢すな」


 怒りを込めた声で言い、ナイフを振り払った。


 真っ白な皮膚があっさりと避け、紅い半透明の体液が溢れ出る。人間の血とも質感が違う、しかし限りなく鮮血に似た体液。キリルの瞳から光が消え、そのままずるずると崩れ落ちていく。


 呼吸を整え、さっき投げ捨てたマカロフを拾い上げる。


 死んだとは思うが、念のためだ。頭と心臓に何発かぶち込んでおこう、と銃口を向けたその時、銃口の先で二度と動く事の無くなったキリルの身体に変化が起こる。


 ボロッ、と首が取れたかと思いきや、皮膚の色が凄まじい勢いで変色し始めたのだ。真っ白な肌が錆色の斑点に侵食されたかと思いきや、段々とその比率が逆転していって、最終的にはボロボロと身体が崩れ、身に着けていた服だけを残して赤錆の粉末に成り果てていく。


「これは……」


 あの時、俺を襲ってきた奴と同じだった。転売ヤーの尋問を終えた後に襲ってきた組織の刺客。奴も殺した後、こうして錆だらけになって消えていったのである。


 キリルは人間じゃなかったのか?


 いや、今はそんな推理をしている暇ではない。


 奴の言う”組織”……本当に俺の居た”前の職場”と同一の組織なのかは分からんが、離反の姿勢を明確にした今、俺も組織の抹消リストに乗ったと考えるべきだろう。更に刺客がやってくる可能性が高い。


 クソが、と悪態をつきながら列車に入った。自分の部屋に寄って鍵を取り出し、3号車の俺の工房近くにある武器庫へと向かう。


「あれ、パヴェル? さっき外で凄い音がしたけど……」


 射撃訓練を終えたのか、ルカがAK-102を担いで階段を降りてきた。


 実弾の入った予備のマガジンをいくつか取り出し、それをルカに預けた。いきなりなんだよ、と困惑する彼は、俺の左腕を見て目を見開く。


「ぱ、パヴェル、その腕! ケガしてるじゃないか!」


「こんなもんすぐ治る。それより、その銃を持ってノンナと一緒に部屋に居ろ。今日は仕事をしなくていい」


「で、でも……」


「いいか、俺の言う事をよく聞け。部屋の鍵と窓をしっかり施錠して、カーテンも閉めろ。何があっても部屋のドアは開けるな。いいか、合言葉を知ってる相手以外にはドアを開けちゃダメだからな」


 そう言い、武器庫の中から次々に銃を引っ張り出す。愛用のAK-15にPKP汎用機関銃、スチェッキン・マシンピストルに手榴弾をいくつか。ベルトの後ろには7.62×54R弾の詰まった弾薬箱を装着し、大型マチェットも引っ張り出してからMASKAヘルメットをかぶって外へと向かう。


 今回の相手はヤバいかもしれん。ちょっと本気を出す事になりそうだ。


「パヴェル、合言葉ってなんだよ!?」


「あー、そうだな」


 困惑しながら後をついてくるルカに、親指を立てながらウインクして見せた。







「”ウェーダンの悪魔”、だ」






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