子孫
1889年 10月15日 午前4時38分
ガラマ駅
《Поезд скоро пройдет по пути номер 2. Это опасно, поэтому, пожалуйста, оставайтесь за белой линией платформы. Спасибо за внимание(まもなく、2番線を列車が通過します。危険ですのでホームの白線の内側までお下がりください。ご清聴ありがとうございました)》
聞き慣れたチャイムの後に続く駅の構内放送。ホームに不審物がないか点検していた中堅の駅員は、はて、こんな時間に臨時列車など珍しいと思い顔を上げた。
始発は5時34分にボロシビルスク方面から到着する上り列車で、そこから下り列車が順番にこのガラマのホームへと入線してくる。それ以外にあるとすれば臨時列車か、それとも冒険者たちの列車くらいのものだ。
臨時列車があるなんて話は聞いていないので、どうせどこかの冒険者共だろう……そう思いながら白線の内側まで下がった駅員は、雪が降り積もる暗い線路の向こうに生じた強烈な光に、思わず片手で目を覆った。
やがてその光は異様な速度で大きくなった。迫ってくるのは武装車両を押しながら客車を牽引する、蒸気機関車とは似ても似つかぬ角張った形状の大型機関車。しかも前後を向いた状態での重連運転である。
通常、駅を通過する際は乗客への影響や騒音の関係で、若干減速するものだ。しかし今しがた通過していった列車(駅員の目測では120㎞/h以上の速度はあった)は速度を落とす素振りを微塵も見せず、フルスロットルで通過していったのである。
早朝であるが故にホームに乗客がいないのを良い事に、減速せずそのまま突っ切ったのだろう。あるいは余程急いでいたのか―――冬季封鎖が迫っている中、目当ての場所へ急いで向かおうとする気持ちは分からなくもないが、しかしおかげで雪を含んだ風がホームの中にまで吹き荒れて、ただでさえ凍えそうな寒さのホームの温度を更に引き下げていった。
(今の列車って……)
見た事もない機関車の重連運転に、過剰な重装備の装甲列車。
その客車や武装車両の側面には、剣を咥え翼を広げる飛竜のエンブレム。
「血盟……旅団……?」
ノヴォシアでおそらく一番有名な冒険者ギルドの列車―――間違いない。あんなにも特徴的な列車は他にはない。
少し得をしたような気分になりながらも、駅員は温かいコーヒーを求めて詰所へと急ぐのだった。
その情報が列車内のスピーカーで公表され、仲間たち全員がキリウ大公の子孫、その正体を知る事になったのは、ガラマを越えた辺りだった。
―――『キリウ大公の子孫、その最期の生き残りはノンナである』。
公表に踏み切ったのは、イライナが近くなってきた事に加え、シェリルとシャーロットを通じた機密情報の漏洩の恐れが無くなった事、そしてイライナに到着してからいきなり真相を告げてしまってはノンナが混乱するだろうという、パヴェルなりの気遣いに違いない。
だがいずれ混乱はするだろう。何せ、スラムに捨てられていた自分の正体が、実はイライナ公国を治めていたキリウ大公の子孫であり、イライナを統べる正当な権力者であったのだから。
《―――情報公開は以上だ。我々は引き続き冬季封鎖の前にイライナを目指す。以上》
パヴェルの声がスピーカーから消え、視線をそっとノンナの方へと向けた。
火砲車での警戒任務を終え、食堂車のテーブル席について温かいココアを啜っていたノンナの顔には、先ほどまで浮かんでいた安堵の表情はない。いきなり告げられた衝撃の事実に、しかし追い付けていない―――置き去りにされたかのような虚ろな表情が、ただただ浮かんでいる。
「ノンナ」
隣でサンドイッチを食べていたルカが、心配そうにノンナへと手を伸ばす。
彼女は小さな手で兄と慕っていたルカの手を握ると、精一杯の作り笑顔で兄を安心させようとした。せめて、表面上だけでも笑っていれば不要な心配をかけずに済む。ルカという少年は、妹の事となると周りが見えなくなってしまいがちだ。だから暴走しないように、私は大丈夫だとアピールしなければ―――彼女の作り笑顔からはそんな胸中の想いが滲んでいるようで、見ていて痛々しかった。
まだ14歳の、思春期の少女に突き付けられた真実はあまりにも意外で、そしてあまりにも残酷だった。
「うん、私は大丈夫だよ」
「でも」
「……ほら、キリウ大公の子孫って事はお姫様みたいなものでしょ? だったら大きいお城に住めるかもしれないし、そうなったらお兄ちゃんを一番の家来にしてあげるね」
「……うん、ありがと」
「それじゃあ私、ちょっと部屋で仮眠摂ってくるね」
次のローテーションは対空銃座だから、と言葉を続け、ノンナは健気な作り笑顔を顔に貼り付けたまま、食堂車を後にする。
食べかけのサンドイッチを皿の上に置き、ルカはもふもふの髪の中に手を突っ込むようにして頭を掻いた。
パヴェルが言うからには間違いではない……けれども到底認められない、受け入れられないという行き場のない困惑が、こちらに救いを求めるように向けられた朱色の瞳からは感じられた。
「……ミカ姉は知ってたの」
「……少し前にな」
知っていて黙っていた事について、彼に咎めるつもりはないらしい。組織の長として必要な処置だったという思いでもあるのか、あるいはそんな事よりも妹の事が気がかりなのか。ルカの事だから後者だろうな、とサーロを塗ったパンを口の中に押し込むようにして咀嚼していると、ルカは頭を抱えながら言った。
「イライナに戻ったら、ノンナはどうなるのさ」
「キリウ大公の子孫である事は徹底的に秘匿され、身柄は安全な場所へと移される……多分な。そしてそこで将来、イライナを背負って立つに相応しい女帝になるための教育でも受けるんだろうよ」
「じゃあ……」
「心配するな。姉上は俺には甘いし、ノンナの意向だって無視するような事はしないさ」
ノンナに脱走されたり、運命を拒否するような真似をされたら一番困るのは姉上達だろうからな―――そういう言葉を、しかし口に出す事はなかった。
イライナ独立計画に賛同した1人のイライナ人としては、是非ともノンナにイライナの新たな大公として立ち上がり、抑圧に苦しむイライナ人たちを先導する女神となって欲しい。
これはあくまでも、個人的な感情を抜きに、今の自分の立場から合理的に考えた場合の想い。
しかし彼女たちと旅を共にしたミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフという個人として考えると―――寂しい気もするなぁ、というのが本心だ。
キリウに戻ったら十中八九ノンナは姉上のところに預けられるだろう。彼女の存在はノヴォシア帝国に対しての切り札になるし、世界に対しイライナ独立の正当性を主張するための政治的材料として極めて有用だ。
そして彼女の存在は同時に、イライナにとってのアキレス腱と化す。
万一ノンナがテンプル騎士団の手により拉致、あるいは殺害されてしまった場合、イライナが被るダメージの大きさは計り知れない。
だからそうならないよう、姉上の目が届くところで厳重に守られる事になる筈だ。できるだけ彼女は自由にさせるよう姉上に進言するつもりではあるが、少なくともノンナの夢だった冒険者は諦めてもらう事になる……かもしれない。
ルカを安心させるため、とりあえずああは言ってみたが―――実際のところ、姉上がノンナをどう扱うかはまだ、キリウに戻るまでは分からない。
願わくば彼女の意向を尊重した、丁重な扱いを重ねてお願いしたいところである。
「”灯台下暗し”とはよく言ったものだねェ」
元々は倉庫だったドローンステーションの中、ドローン操縦士用の座席にまるで自分の家のようにどっかありと腰を下ろし、特徴的な萌え袖(なんで2サイズくらいデカい上着を羽織るんだろうかコイツ)をパタパタさせながらシャーロットは言った。
ドローンステーション内にはゆったりとしたピアノの旋律が流れている。彼女がここに持ち込んだ蓄音機とレコードが発している音だ。プツプツというレコード特有のノイズと共に流れている儚げな旋律は、ショパンのノクターンOp.9-2。
テンプル騎士団のホムンクルス兵は、あまり娯楽を嗜まないと聞いていたしそんな偏見も抱いていたのだが……どういうわけか音楽は好むらしい。特にクラシックは。
「正直意外だったよ」
差し入れに持ってきたタンプルソーダの瓶を彼女に差し出すと、シャーロットは「これまた懐かしいものを」と言いながら瓶を受け取った。タンプルソーダは元々テンプル騎士団の組織内で流通していた炭酸飲料で、誕生から100年以上経過した今でも愛飲されているのだそうだ。
「探し求めてたものが、すぐそばにあったなんてさ」
「意外とよくある事なのかもしれないねェ……手の届かないものを求めるが故に、遠くばかりに目を向けてしまうというのは」
そう言いながらタンプルソーダを口に含み、シャーロットは座席に背中を預けた。
よく見ると彼女のうなじの部分にあるプラグからはケーブルが伸びていて、ゴム製の被覆に覆われたそれはドローンステーションの座席、ヘッドレストの上を飛び越えて背後にある機械へと繋がっている。
今、シャーロットはドローンを操縦しているところだ。それもコントローラー等を用いた一般的な操縦方法ではなく、神経をドローンと接続した状態での操縦と言うSFじみた方法で、である。
似たような事は以前にパヴェルもやっていた。T-14と神経接続し、1人でロシアの主力戦車を操っていたのである。今思えばあのSF映画の世界から出てきたような技術も、テンプル騎士団由来のものだったという事なのだろう。
モニターを見ると、車外に展開しているドローンの様子が表示されていた。
その姿はさながらブーメランのようで、胴体にあたる部分はない。機体が大きな主翼とエンジンのみで構成された、いわゆる”全翼機”と呼ばれるタイプの機体だ。前世の世界でもっとも有名な機体は、やはりアメリカのB-2ステルス爆撃機だろうか。
それもただの全翼機ではない。ブーメランのような機体を上下に2枚重ねたような形状の、”全翼型複葉機”というとんでもない姿をしている。
主翼の上段や下段には空対空ミサイルを、主翼の上段と下段を繋ぐ柱の部分には機銃を内蔵し、機体中央部の柱後部には二重反転型の大型プロペラを持つそれは、シャーロットの技術協力により完成したパヴェルとの合作『UF-01 レイヴン』という新型ドローンだった。
比較的低速での偵察任務を主眼に設計されており、作戦内容に応じて武装の増設も可能なペイロードの余裕もそうだが、一番の特徴は列車と有線接続して広域警戒用のレーダーシステムとして運用できる点であろう。
俺たちの列車にレーダーは無く、敵の索敵は有視界に頼らざるを得ない。こういうところでローカルなやり方なのは技術の劣る相手であれば問題ないが、最新技術どころか数世紀先の技術を持つテンプル騎士団が相手では致命的だ。情報/索敵の遅れは死に直結する。
特に今は是が非でもノンナを無事にイライナへ送り届けなければならない状況である。問題点をいつまでも野放しにできないため設計されたのがこのレイヴンであり、これが投入されたからにはそうやすやすと列車に接近は出来まい。
今のところ異常はなさそうだが……テンプル騎士団の連中の事だ、必ず何か仕掛けてくるはずである。
警戒するに越した事はない。
しばらくしていると、後ろの車両からパヴェルがやってきた。火砲車で周辺警戒をしていたのだろう、手には私物のマグカップがある。
「シャーロット、交代だ。お前は少し休め」
「ああ、これはこれは大佐」
席から身体を起こし、手元のコンソールを操作してからうなじのケーブルを外すシャーロット。どうやらドローンは自動操縦に切り替わっていたようで、神経接続していたケーブルが外れた後も絶妙なバランスを保ったまま、140㎞/hで走行する列車の真上にぴったりと張り付いたままだった。
席から立ち上がった彼女に代わり、ドローンステーションの座席に座るパヴェル。彼も同じようにうなじのプラグにケーブルを差し込んで神経接続するや、ドローンの操縦を引き継いで周辺警戒を始めた。
「……そういや、ノンナはどうだ」
「部屋に戻ってるよ。今仮眠中」
「……そうか」
パヴェルなりに心配していたのだろう。ノンナが、今回の事を受け止められるかどうかを。
今はただ―――彼女の心の強さを信じるしかない。
そしてもし、彼女の心が悲鳴を上げているのならば。
その時はそっと、手を差し伸べてやるべきだ。
それが仲間の役目だろうから。




