英雄たちの帰路
兎追いし 彼の山
小鮒釣りし 彼の川
夢は今も 巡りて
忘れ難き 故郷
1889年 10月15日
ノヴォシア帝国 イライナ地方
キリウ リガロフ家所有車両基地
軍靴の音が、夜の車両基地に響き渡る。
一糸乱れぬその足音を奏でているのは紛れもない、兵士たちだ。しかしその身に纏うコートはノヴォシア帝国騎士団のものではない。紺色のコートに灰色のファーがアクセントとなったそれは、デザインこそ似通っているが正規軍のものではなく、リガロフ家の私兵部隊のものだ。
イーランドのアンダーソン・ファイアーアームズ社から大量購入したスナイドル銃を着剣状態で背負いながら、隊列を全く乱さず装甲列車に乗り込んでいく兵士たちを見ながら、彼らの頂点に立つ女傑―――アナスタシアは腕を組んだ。
ノヴォシアから独立した暁には、イライナ公国を守護する正規軍となる兵士たちである。その多くはノヴォシア帝国騎士団から引き抜いてきた人材やイライナ出身者、独立に賛同してくれた他の公爵家が提供してくれた私兵部隊で構成された、すぐ実戦投入可能な”第一群”、失業者や個別に審査し恩赦を与えた元犯罪者などで構成され、訓練を行ってから投入される”第二群”の2つが用意されている。
ミカエルから不定期的に提供される軍資金の使い道は兵器の購入費だけではない。こうした兵員の訓練費や給与などにも幾分か割かれており、抽出した予算で賄えない分はアナスタシア自身の自費を投じている。
「ヴォロディミル、出撃準備の進行状況は」
「はっ、”例の兵器”の搬入に手間取っているようです。現時点でタイムスケジュールより20分ほど遅延が」
「遅い、5分まで縮めろ」
「は……厳命いたしますが、何分イライナどころか世界で初めて本格運用する兵器です。訓練も十分とは言い難く―――」
「分かっている……だが敵は待ってくれん、分かるだろう」
「はっ」
―――”敵”はノヴォシアだけではない。
その背後に佇む黒幕の正体は、既にミカエルたちの活躍により明らかになっている。
テンプル騎士団―――旧人類を絶滅に追いやり、今の混沌を生み出した異世界からの侵略者たち。
目的も、その規模も不明。分かっているのは圧倒的な戦闘力を持っている事と、この世界の技術とは何世代も隔絶した技術格差が存在している事だ。
しかし彼らがノヴォシア帝国の、皇帝陛下の背後に居るというのであれば、この悪魔の軍勢ともまた雌雄を決さねばならない。
ズン、ズン、と重々しい足音に、アナスタシアは視線をちらりと貨物車両の方へと向けた。
誘導灯を両手に持ち、ホイッスルを口に咥えた誘導員による誘導を受け、異形の兵器が金属的な足音を響かせながら、貨物車両へと搬入されていく。
その兵器には脚があった。
そう、歩いているのだ―――高性能な魔力モーターと油圧ユニット、耐衝撃用の高性能ダンパーに、綿密な計算の上に成り立つ安定した歩行制御が実現させた機械科学の奇跡、その最高峰。
2本の脚の上には胴体があり、その左右には水冷式の重機関銃が弾薬箱や冷却水循環ユニット(簡易的な復水器だ)と共に据え付けられている。その超重量ゆえ、本来は防衛陣地や乗り物に据え付けて使用する防衛用の兵器である重機関銃を移動しながら使用できるそれは、イライナが誇る天才科学者『フリスチェンコ博士』の手によるものだった。
胴体の上には簡易的な風防と機関銃の照準器、操縦用の座席に操縦桿などが用意されたコクピットがあり、そこに兵士が乗り込んで操縦する仕組みになっている。動力源となっているのはガソリンエンジンで、車両用のエンジンから転用されたそのパワーパックにも簡易的な装甲が搭載されているものの、万一そこに被弾するような事があれば致命傷になるであろう。
「報告します! 機甲鎧第一、第二小隊、搬入作業完了しました!」
「同じく砲兵第一、第二、第三小隊、砲弾搬入作業完了!」
「よろしい!」
腕を組みながら声を張り上げ、アナスタシアは兵士たちを見渡した。
これから彼らが向かうのはイライナ地方、その最東端に位置するリュハンシク州。ノヴォシアとの独立戦争勃発の暁には最前線となるであろう未来の戦場である。
一応、帝国騎士団側には事前に通告してある―――兵員の練度向上のための大規模演習と。
しかし実質的には、イライナを目指し帰路についているミカエルたちの援護のための派兵だ。
彼女らがキリウ大公の子孫に関する情報を掴んだ事までは、アナスタシアも手紙に仕組まれた暗号を解読する事で把握している。さすがに機密保持のために全ては知らされていないが、ミカエルたちのギルド”血盟旅団”は子孫に関する重大情報を伴い、ボロシビルスクを発っている。
道中何も無ければ今頃はウルファ近郊であろう。
「これより我々は作戦通り、リュハンシク州に展開し大演習を行う! 事前に冒険者ギルド『血盟旅団』のイライナへの帰還が通告されているが、今回の演習には何の関係もない! いいな!?」
そう、あくまでも名目上は東部リュハンシク州での大演習だ。ノヴォシア側からは『帝国に対する威圧ではないのか』、『軍事力をちらつかせた挑発は危険である』等の通告を受けているが、それに対するアナスタシアの返答は【あくまでも演習であり、帝国がこれを威圧にも挑発にも感じる必要はどこにもない】という、堂々としたものであった。
もし仮に帝国側が、血盟旅団の動向を掴んでいたのだとしたら―――是が非でもイライナへの帰還を阻止しようとするはずだ。政治的理由で帝国側の戦力を直接動かせなかったとしても、彼らの背後にいるテンプル騎士団は別である。
ならばリュハンシクに部隊を展開し、帰還するであろうミカエルたちを無事にイライナへ迎え入れる事こそが、アナスタシアたちにできる唯一のサポートだ。
各部署からかき集めてきた、ありったけの兵力が彼女の手元にある。
歩兵500名、砲兵隊250名、機甲部隊130名。
この作戦のために用意したのは、重装装甲列車2編成に加え、量産化した28cm攻城砲3門―――ゾンビズメイ討伐の折、かの邪竜の首に致命傷を与え討伐に貢献した攻城砲、その量産型である。
そして一番の目玉が、装甲列車の貨物車両に搬入された切り札にして、フリスチェンコ博士の最高傑作―――技術の粋を尽くし、湯水のように開発費を投じた新兵器、”量産型機甲鎧”10機。
血盟旅団が保有している人間に近い姿をした機械の歩兵というよりは、二足歩行が可能な脚部にコクピットと2門の重機関銃を据え付けただけの移動砲台といった感じの兵器であるが、ある程度の防御力と2門の機関銃の火力、そしてあらゆる地形を踏破できる機動力は戦争の在り方を根本から覆す事になるだろう。
無論、テンプル騎士団にも通じる筈だ。
「各員、乗車開始!」と副官のヴォロディミルが声を張り上げる。それを合図に兵士たちがぞろぞろと装甲列車に乗り込み始めた。
「姉上、俺も行きます」
列車に乗り込んでいく兵士たちを見守っていたアナスタシアにそう志願したのは、彼女と同じく厚着姿のジノヴィだった。法務省のワッペンが縫い付けられた支給品のコートとウシャンカを身に纏い、手には触媒である”イリヤーの王笏”を携えている。
確かに、優秀な法務官である彼が同行してくれれば百人力だろう。事実、今のリガロフ家ではアナスタシアに次ぐ実力者だ。恵まれた魔術適性と冷静沈着な思考回路が導く判断にハズレは無く、まさに模範的な魔術師であると言える。
しかしそれだけ実の弟を高く買っておきながら、アナスタシアは首を横に振った。
「ジノヴィ、お前は残れ」
「しかし」
「戦力をリュハンシクに割き過ぎてはキリウが手薄になる。いつ帝国やテンプル騎士団の横槍が入るかもしれん」
背後はお前に守ってほしいのだ―――言外にそう告げながら、弟の瞳を真っ直ぐに見上げた。
長女として、弟妹たちの実力は把握している。誰をどこに配置するべきか、どういう分野で活躍できるか―――長所と短所は全て自分なりに分析しているし、今後は適した場所に弟妹達を配置していく事になるだろう。
そうなった時、ジノヴィに期待しているのは共に隣で戦う事ではない。リガロフ家長男であり次席であるその実力で、アナスタシアの隙を補うように戦ってほしいのだ。
「―――それに、ミカの紹介で女性がこっちに向かってるそうだな」
「なぜそれを」
「メイドたちの間で噂になっている」
「……そうですか」
「せっかくお前に会いに来たレディに不在でしたでは格好がつかないだろう? お前はキリウに残れ」
「……わかりました」
お気を付けて、姉上―――そう言いながら敬礼する弟に同じく敬礼を返し、アナスタシアは踵を返す。
目的地はイライナ最東端、リュハンシク。
末妹の出迎え―――大演習はそのついでだ。
同時刻
ノヴォシア帝国 ノヴォシア地方
ウルファ近郊
ごう、と駅の中の風景が右から左へと去っていった。
今しがた通過したのはノヴォシアの工業都市、ウルファ―――以前にも訪れた事がある街だ。市街地には工場が立ち並び、多くの労働者が行き交う典型的な工業都市。けれどもそんな煤と機械油に塗れた街から郊外に車を走らせれば養蜂が盛んな農村部が広がり、そこで生み出される甘くて濃厚なハチミツは絶品だ。
土産にと特産品のハチミツをいくつか購入したが、アレは確かに美味しかった。紅茶に入れたり、ホットケーキにかけたり、フレンチトーストの味付けに用いたり。モニカに至ってはヨーグルトにかけて食べるという何とも羨ましい食べ方をしていたのを今でも思い出す。
アレもまた、旅の思い出だ。立ち寄った場所の数だけ思い出がある。
銃座の防盾の後ろで小さくなりながら、傍らにあるドリンクホルダーから保温式の水筒を手に取った。中には熱々の紅茶が入っていた筈だが、マイナス10℃という10月とは思えない極寒の気温のせいで中身はもうぬるま湯だ。口の中の温度と全く同じなもんだから、どこに紅茶があるのか口の中で認識する事が出来ず、誤って気管に入りそうになって少しむせる。
まあ、気温だけではあるまい―――今の列車は、140㎞/hで在来線の線路を走行中だ。
そう、在来線区間を走る秋田新幹線や山形新幹線よりもちょっとだけ速いのだ。マイナス10℃の世界をそんな速度で爆走するのだから、屋根から露出している対空銃座での警戒監視なんてとんでもねえ貧乏くじである。
何枚も重ね着した上にコートを羽織り、ウシャンカや手袋といった防寒装備だけでは不十分なので、顔まで覆うタイプのバラクラバを着用して眼球保護用のゴーグルまで使っているんだが、こんな防寒装備ガチ勢でもまるでドライアイスの風呂に浸かっているような寒さを感じている。正直言ってシャレにならない。
そろそろ交代時間だよな……と待っていると、とんとん、と足を指先が軽く叩く感触があった。もう時間か、と視線を下に向けると、やはりそこにはいつもの袴姿ではなく、もこもこのコートを身に着けた範三の姿があった。
「ミカエル殿、交代時間にござる」
「ああ、やっときてくれた」
コールドスリープしちまうところだったよ、と声を震わせながらタラップを滑り降りると、範三は「故郷の冬を思い出すなぁ……」と声を漏らしながらタラップを上がっていった。
さすがに休憩……と洒落込みたいが、そうもいかない。
今は列車全体に『戦闘配置』命令が出されている。結局のところ、ノヴォシア領内ではいつ敵に襲われるか分かったものではないし、空中戦艦を失った上にホムンクルス兵2名に離反され、面目を潰されたテンプル騎士団がこのまま俺たちを無事にイライナまで帰してくれるとも思えない。
必ず襲撃がある―――それを想定し、列車内は厳重警戒態勢となっていた。
懐中時計で時刻を確認し、火砲車へと向かう。次はあそこで砲手として周辺警戒をし、割り当てられた時間が終わったら食事と仮眠を摂って次の配置へ……頭の中で予定を確認しながら武器庫の近くを通りかかったその時、銃器を保管しているロッカーの辺りで何やらモニカの大きな声が聴こえてきた。
ちらりと顔を出してみると、そこにいるのはモニカとシェリルという、なんとも奇妙な組み合わせだった。モニカは武器庫の前に立ちはだかるようにして立ち、シェリルを睨みつけている。
「どうした?」
「あ、ミカ! 聞いてよ、彼女が武器を寄越せって……」
視線をシェリルの方へと向けると、彼女はこっちを見ながら小さく頷いた。
「私はもう既にテンプル騎士団を離反した身。信用できないかもしれませんが、共に戦う覚悟はできています」
「でも……言っておくけど、あたしはまだあなたたち2人を信用した訳じゃないわ」
モニカの気持ちも分かる―――つい数日前まで戦場で殺し合いを演じていた相手に、「それじゃあ今日から仲良くしましょう」なんて言われても警戒心が募るのは当たり前だ。
―――だが。
「いや、渡してあげてくれ」
「……アンタ本気なの?」
モニカに言うと、彼女は目を丸くした。
「ね、ねえ、アンタ大丈夫? 疲労で判断力鈍ったとかそんなんじゃあ……」
「裏切るつもりなら―――俺を殺すチャンスなら、いくらでもあったはずだ」
ホムンクルス兵の身体能力であればこんなロッカーなんか素手でこじ開けられるだろうし、銃を使わなくともその気になれば血盟旅団の人員を素手で皆殺しにするなど造作もない事だろう。
そんな事も出来るのに、シェリルとシャーロットは何もしなかった。何度も隙を見せたにもかかわらず、である。
それに加え、わざわざ律儀に『武器を貸してほしい』と一言許可を得に来るのだ―――これはきっと、彼女なりの誠意なのだろう。
信じていいと思う―――それが、俺の答えだった。
「でもそうしなかった。それに加えてわざわざ武器をくれと許可を貰いに来た。そんな律儀な人が裏切ると思うか?」
「演技かもしれないじゃない」
「テンプル騎士団はそんな回りくどい事はしないよ」
だろ、とシェリルの方を向くと、彼女は意外そうな顔をしていた。信じてくれるのですか、とその紅い瞳が告げている……ような気がする。
「モニカ、銃を何か渡してやってくれ。AKでも56式でもいい……AK系列の銃だったら使い慣れてる筈だ」
「み、ミカがそう言うなら……」
渋々、と言った感じで武器庫の鍵を開けるモニカ。中に残っていたAK系列の小銃―――何もカスタムされていない状態のAKMを1つ手に取ると、モニカはそれをシェリルに手渡した。
「……言っておくけど、あたしはまだアンタを信用した訳じゃあない」
「承知しています」
「だから、勝ち取って見せなさい―――信頼ってヤツを」
「―――ええ、お任せを」
ニッ、と口元に笑みを浮かべるシェリル。
ああ、この子って笑うんだ―――彼女の人間的な一面を見て、思わずそう考えてしまった。
ホムンクルス兵だって、人間なのだ。




