『答え合わせ』
エピローグでごわす。
短めなのは勘弁してほしいでごわす。そうじゃないとキリが悪いのでごわす。
1889年 10月14日
ノヴォシア地方 アラル山脈近郊
巨大なドリルが、堅い地表へと突き立てられる。
冬季封鎖も秒読みが始まり、10月中旬でありながら気温は既に氷点下。地中の水分もすっかり凍結した事で地面は固く、生半可なドリルでは穴を掘る事すらおぼつかない。
そんな地表をすいすいと掘り進めていくのは、テンプル騎士団で開発された多脚タイプの自走式ドリルだった。円盤のようなボディから6つの脚が伸び、機体下部中央に掘削用ドリルを備えた代物で、主に前線部隊ではなく工兵隊に採用されている無人兵器の1つである。
複数の自走型ドリルが掘削作業を始めた様子を、軍刀を杖代わりにして仁王立ちしながら眺めるセシリア。
その隣へとやってきた副官のミリセントは、自分の最高司令官へは視線を向けず、自走式ドリルたちのはるか向こうに広がる雪化粧をしたアラル山脈、その山稜を見つめながら口を開いた。
「―――同志シャーロットと同志シェリルとの魔力通信が、完全に途絶しました」
魔力通信は後期生産型ホムンクルス兵同士でのみ可能な個体間ネットワークの一種だ。遺伝子がほぼ同じであるが故に近しい魔力組成を同調させる事で、テレパシーのように意思の疎通が可能となる。
そのため無線機を携行していなくとも、後期生産型ホムンクルス兵同士であれば全く問題はないのだ(一応不測の事態に備えて無線機も携行するのが一般的ではあるが)。
それが完全に途絶したという事が意味するのは、単純に戦死したか―――あるいは何らかの理由で遮蔽されたかのどちらか、という事になる。
「……だろうな」
口から白い息を吐きながら、セシリアは雪空を見上げた。
無理もない―――血盟旅団という脅威を消すため、あの2人諸共に撃てと命じたのは紛れもないセシリアなのだ。その結果が招いたのは空中戦艦レムリアの喪失、それ以上にボグダンの戦死とシャーロット及びシェリルの離反によるボグダン隊の消滅という、テンプル騎士団からすれば決して無視できないレベルの大損失である。
「システムの復旧は」
「完了しました。バックアップを取っていたデータは復元しましたが、そうでないデータは残念ながら……それに加え、相当数のデータが血盟旅団側に渡ったと思われます。おそらく我々の計画も既に」
「……私の失策だな」
フ、と自嘲気味に口元に笑みを浮かべるセシリアに対し、ミリセントは首を横に振った。
「そうご自分を責めないでください。同志団長の決断は、あの状況では最適なものであったと私も確信しています」
確かに最適なものではあったのだろう―――血盟旅団を確実に排除するという目的に限って言えば。
しかしそうはならなかった。
結果として組織に切り捨てられる形となったシャーロットとシェリルは血盟旅団に取り込まれ、排除するべき敵の戦力強化に繋がったばかりか、シャーロットからの報復で多くの機密情報が盗まれてしまった。
ミリセントはセシリアを擁護するが、しかしそれは全く慰めにはならない。
「―――ミリセント」
「はい」
「掘削作業の指揮、お前に任せる」
踵を返し、ミリセントの肩に手を置くセシリア。
そんな彼女の闇色の瞳に浮かぶ感情を、ミリセントは見逃さなかった。
―――この人は、飢えている。
戦いに―――血飛沫舞う地獄のような死闘に。
「……行かれるのですね」
「ああ」
彼女の目的は、理解している。
直接出向こうとしているのだ―――血盟旅団という、今となってはテンプル騎士団最大の脅威と化した敵対勢力の排除に。
「なあに、夫の顔でも見てくるさ」
血盟旅団の進路は、既に把握している。
今頃、組織を離反した2人のホムンクルス兵を伴い、冬季封鎖が始まる前にイライナ地方へと脱出を図って居る頃であろう。シャーロットとシェリルを通じた魔力通信が使えなくなってしまった今でも、それくらいは分かる。
パンゲア級空中戦艦の推力であれば、十分に追い付けるはずだ。
セシリアを乗せるべく、空中で待機していたパンゲア級空中戦艦『アトランティス』が降下してくる。降りてきたタラップを駆けあがって乗艦するや、勝手知ったる空中戦艦の中をセシリアは進んでいった。隔壁を通過し、薄暗くスリットから漏れる紅い光で照らされた不気味な通路を早足で抜けて、艦首側の下部に備え付けられた艦橋へ。
艦橋には人っ子一人見当たらない。航海長や砲術長、副長といった艦橋に居なければならないスタッフは1人もおらず、代わりに彼らのいるべき場所ではドーム状の機械が設置されて、紅い光を漏らしながら稼働していた。
手をかざし立体映像のウィンドウを展開、何度か映像をタップすると、セシリアの脳内に音楽が流れ始める。
プツプツとレコード特有のノイズ交じりに再生されたのは、異世界の音楽―――マーラー作曲の『巨人』、その第四楽章。
「―――これより本艦は、血盟旅団追撃作戦を実行する」
《了解しました。空中戦艦アトランティス、作戦行動を開始》
ごう、とエンジンが重々しい唸りを上げ、全長500mにも及ぶ巨大な空中戦艦が上昇を始めた。
攻撃目標は血盟旅団の列車、チェルノボーグ号。
「空中戦艦アトランティス、前進せよ」
故郷への帰還を間近に控えた血盟旅団に、最大の脅威が迫りつつあった。
パヴェルは決断を下したらしい。
彼に呼び出され、客車1階にある彼の自室を訪れた俺は、AK-15のマガジンに7.62×39mm弾を装填していた彼の目つきを見てそれを悟った。
どこか遠くを射抜くような、猛禽類を思わせる鋭い目つき。あれは心に迷いを抱えた人間がする目ではない。大きな決断を下し、あらゆる迷いを振り払って、目標へと邁進する戦士だけがする目だ。それは迷いがない分どこまでも透き通っていて、鋭くはあれど同時に美しい。
だから俺は問わなかった―――「選んだのか?」など、そんな無粋な問いを投げる事は出来なかった。
「―――あれはもう、俺の知っているセシリアじゃあないのかもしれない」
装填を終えたAKのマガジンをベッドのフレームにコンコンと当ててから、パヴェルは言った。
「俺の知ってるセシリアは味方を決して手にかけるような真似はしなかった……それだけじゃない。あんなに苦労してやっと生まれた1人息子すらも、あんなクソみたいな兵器で恫喝し交渉次第では手にかけようだなんて、母親の思考回路じゃねえ」
パヴェルから、話は聞いている。
パヴェルとセシリアの間には、1人だけ子供がいるのだと。
セシリアとパヴェルの間にはなかなか子供が出来ず、しかし苦労してやっと2人は小さな命を授かった。自分たちの遺伝子を受け継ぎ、やがて生まれてくるであろう2人の未来を。
「ミカ、お前も親になった時に分かるさ……自分たちの子供が、自分たちの未来が、親にとってどれだけ大きな存在かを」
「……」
「我が子を愛せない親なんて親じゃねえ。ましてやそれに銃口を向けるような奴なんて」
だからさ、とパヴェルは続けた。
その声には、微かな怒気が滲んでいた。
「―――俺はお前らと一緒に、セシリアと戦う。あの大馬鹿野郎の顔面に一発喰らわせて、目を覚まさせてやるんだ」
「……ああ、そうしてやってくれ」
それは彼女と将来を誓い合い、愛し合ったパヴェルにだけ許された権利だろうから。
そこに他人が介入する余地は、間違いなく微塵もない。
彼の心から完全に迷いがなくなったのを見て、俺は安心していた。自分の妻を選ぶか、それとも共に旅をした仲間たちを選ぶか―――悪魔じみた選択を強いられていた彼の心に、重苦しい枷はもうない。
「―――さて、本題に入ろう。例の件だ」
分かるだろ、と言いながら立ち上がるパヴェル。彼が手を伸ばしたのは机の上に広げられていた絵画―――俺たちが美術館から盗んできたイライナの巨匠の名作、『黄金の大地』。
そっと彼はそれを裏返した。裏面には作者のサイン以外には何もなく、ただただ真っ白な一面だけが広がっている。
「この件だが、まだお前以外には話していない」
「……それで」
「ああ、分かっている」
パヴェルは言いながら、机の上にあったブラックライトを当てた。
ぼんやりと―――ブラックライトの中に、白い文字が浮かび上がる。
背筋が凍る感覚というのは今までに何度も経験してきた。そろそろ慣れたつもりだったのだが―――おそらくこれは、今までの中でも最大級なのではないだろうか。そう思ってしまえるほどの衝撃が、脊髄から脳へと駆け上がっていった。
【Нонна(ノンナ)】
言葉を失った。
そんな筈がない―――キリウ大公の子孫が、そんな。
「―――ルカの話だと、ノンナはザリンツィクのスラムに捨てられていたのだそうだ」
パヴェルは若干の動揺を滲ませながら、しかしさらりと言った。
「ノンナの年齢は14歳……キリウ大公の子孫の中で唯一行方不明となったのは、1人の赤子なのだそうだ。それでいてジャコウネコ科、パームシベットの獣人……こりゃあ間違いなく……」
そこまで条件が重なれば、そうなのだろう。
キリウ大公の子孫―――その最期の生き残りは、ずっと俺たちの傍にいたのだ。
第三十二章『学術都市』 完
第三十三章『ふるさと』へ続く
ノンナだけ過去がはっきりしてなかったのはこのためです。




