学友たちとの別れ
サリエル(※1歳児)「にーに、めすがき~!!」
ミカエル「オイ誰だ人の妹に変な言葉教えたのァ!!」
「えー!?」
「ミカエルちゃん帰っちゃうの!?」
クラスメイト達の前に立ち、経緯を話すとやはりこういう反応が返ってきた。
それもそうだろう。2ヶ月という短期入学の予定だったが、その期間が終わるよりも先に「実家の都合でイライナに急遽帰る事になったから今日が最終登校日になります。みなさんさようなら」なんて内容の話をすればそうもなる。
キリウ大公の子孫に関するヒントは手に入れた。パヴェルは既に解析を終えているそうで、それが確実なものであるという確証も得ているそうだが、列車にシャーロットとシェリルがいる事、それと機密保持の観点から迂闊に話すわけにはいかず、まだ仲間の内誰にも話しておらず内容は伏せているのだそうだ。
それも仕方のない事である。
シャーロットとシェリルをまだ”仲間”と認め信頼するにはまだ早い、あるいは信用できないと考えている血盟旅団の仲間は多い(というか信用しても良いんじゃないかと考えているのが俺とパヴェルだけである)し、あの2人に血盟旅団を更に裏切るという意図がなくても、まだ例の”魔力通信”とかいうテレパシーじみた能力はテンプル騎士団本隊と繋がったままだ。2人にそのつもりがなくとも、見聞きした事は魔力通信を通じてセシリアにも筒抜けになってしまう恐れがあるため、迂闊に機密情報や今後の動向も話せない。
一応、魔力通信を完全に遮断するデバイスも完成間近で、シャーロットとシェリルも魔力通信を阻害するため脳への処置を希望しているのだそうだ。パヴェルならばできるかもしれないとの事で、並行して用意を進めているそうだが……。
ともあれ、目的だったキリウ大公の子孫に関する情報が手に入ったのだからノヴォシアに長居する意味はない。一刻も早くマズコフ・ラ・ドヌーを通過してリュハンシク州へと到達、イライナ領へと帰らなければならない。
ちらりと外を見た。
窓の外に置いてあるバケツには氷が張っていて、地面も霜が降りカチカチだ。うっすらと白い雪も降り始めていて、教室の中には薪ストーブがあるものの熱が行き渡っているとは言い難く、吐き出す息も白く濁る程である。
冬の足音は、もうそこまで迫っているのだ。
冬季封鎖が始まる前にイライナ領へ帰還しなければ、地獄のような冬を敵地で過ごす事になる。
テンプル騎士団と帝室が放つであろう刺客たちの攻撃―――雪解けの始まる来春まで、無事でいられる保証はどこにもない。
既に退学手続きはパヴェルとクラリスが済ませてくれた。
「えー! 帰っちゃ嫌だよミカエルちゃん!」
「せっかく友達になれたのに!」
「クソ、こんな事なら思いを伝えておけばよかった……!」
「ミカちゃん、結婚して!!」
「えぇ……?」
いやあの、俺オスなんですけど……。
ちなみにこの学園にやってきてから1ヵ月と少し、告白された回数は未遂含めると7回だ。しかもそのうち3回は自室にまで押しかけてきた男子生徒に告白されたんだが「時間と場所を弁えて」と追い返している。
当然だよね? 相手の事を考えず自分の都合だけ押し通そうとする奴は嫌われるよマジで。
「みんなそう言うな、リガロフも公爵家の子なんだ。実家の公務とか色々あるんだよ」
「でも先生ぇ~!」
「そうですよ、こんなのいきなりすぎます!」
「ええと……ごめんなさいっ、姉上から最近言われたんです!」
ここぞとばかりに姉上のせいにする俺。気のせいだろうか、どこか遠くで「ぶぇっくしっ!!」と姉上の豪快なくしゃみが聞こえたような気がしたのは。
でもまあ事実だろう。元はといえば姉上の要請で今回の任務を引き受けたわけなんだし、嘘はついてない。
「私はイライナに帰りますが、この学園で皆さんと過ごした日々の事は決して忘れません!」
「ミカエルちゃぁぁぁぁぁぁぁん!」
「うわぁぁぁぁぁぁぁ嫌だぁぁぁぁぁぁぁぁ! 行かないでくれよォォォォォォォォォォォォォォ!」
「そうだよォォォォォォォォォォ来年のクラス対抗戦どうすりゃあいいんだよォォォォォォォォォォォォォォ!!」
Oh……そういやそうだった。
いやあの、わざわざ俺がまたクラス対抗戦に参加するためにここに来るわけにもいかないので、その……申し訳ないが、強く生きてほしい。本当に。
「本当にいきなりで申し訳ないけど、ミカはイライナに居るのでいつか遊びに来てくださいね」
「行く! 卒業したら行くから!」
「お手紙出すからねミカエルちゃん!」
男子からも女子からも半ば絶叫じみた別れの言葉を聞きながら、俺は思う。
仮初の関係だったとはいえ、この学園で得たものは思ったよりも大きかった、と。
知り得ぬ知識に23年ぶり(ミカエル君この前19歳になりました)の学校生活は色んな思い出を思い起こさせてくれた。前世の世界では陰キャだったけど、こっちでは少しは変われたのかな……なんて。
まあ、学園を去るのが寂しくないと言ったら嘘になる。もし許されるならもう少しここで学園生活を満喫したかったが……。
けれども、皆の事は本当に忘れない。
いつの日か、クラスメイトたちと友として再会できる事を祈ろう。
この数年後―――ついに勃発するイライナ独立戦争にて、クラスメイトのうちの数名と最前線となるリュハンシク州の戦場で敵として対峙する事となるのだが、それはまた別の話である。
クラスでの挨拶を終えてから、ハインツ・ヒューベンタール先生の教室を訪れていた。
この学園で一番お世話になったのは、間違いなくこの人だろう。魔術師でありながら錬金術師でもあるこの恩師の教えなしでは、錬金術の習得など夢のまた夢だったと言っても過言ではない。実際この人のおかげで習得までのステップを3段階ほどすっ飛ばす事が出来たのだ。
当たり前だが、独学の限界を感じた瞬間でもあった。
「―――そう、か。行くのかい」
「ええ。お世話になりました先生」
自分の机にどっかりと足を乗せ、缶ビールを開けながら(オイオイこの教員マジ大丈夫か?)、ヒューベンタール先生は寂しそうに……けれども教え子の成長を喜ぶような、複雑な表情を浮かべた。
「先生の教え、決して忘れません」
「それはこちらも同じだ。君のような優秀な教え子を持てて、私も幸運だった」
ぐびっ、と教員なのに昼間から飲酒するヒューベンタール先生。何だこの人、教員が仕事中に飲酒したりタバコ吸ったりして良いと思ってるんだろうか。いやでも優秀な錬金術師だし、でも規則ガン無視はアカンと思うし……ダメだ、常識に当て嵌めて考えると認識がバグりそうになる。
「ドルツに戻ったらみんなに自慢しようと思う」
「え、先生も帰るんですか? ドルツに」
「ああ、もう転勤願いは出してるからね」
「なぜ?」
問うと、先生は一瞬だけ目を細めてから笑みを浮かべた。
「いや……ビールとドルツソーセージが恋しくなってね」
口ではそう言っているが、多分理由は違うんだろうなとは思った。
大方、先生もどこかで勘付いているのだろう―――ノヴォシア帝国の崩壊、迫る共産主義革命の足音、イライナ独立戦争の気配。
このままノヴォシアに残って教鞭を振るってもろくな事はない。むしろ、万一共産主義者が実権を握ったら先生のような優秀な魔術師は真っ先に粛清対象になりかねない。過激な革命と過剰な平等が大好きな共産主義者たちは、生まれつき持つ適性で善し悪しが決まる魔術師をブルジョワ呼ばわりして粛清の対象としているからだ(だから共産主義者の構成員は適正なし、あってもE相当ばかりだという)。
他所のいざこざに巻き込まれるよりは、安全な祖国に戻って慣れ親しんだ故郷の味に舌鼓を打つ生活の方が良いに決まっている。
とはいえ、ドルツもドルツで諸国統一を目論むグライセン(※イルゼの祖国である)と、グライセンの勢いを削ぎドルツ諸国を牛耳りたい神聖グラントリア帝国が一触即発という状態であり、先生の故郷も安全圏とは言い難いのも事実だ。
真意がどうであるにせよ、先生にも元気に過ごしてほしいものである。
「いつか、イライナにもお越しください。イライナのサーロは美味しいですよ」
「いいねぇ。いつの日か行ってみるよ」
「ええ、お待ちしてます。では先生、自分はこれで」
「ああ。リガロフ君、身体には気を付けて」
「はい。先生もお元気で」
お世話になりました、と頭を深々と下げてから、先生の教室を後にした。
ふう、と息を吐く。
これで―――この学園でやるべき事は全部やった。
自室の私物も全部引き払ったし、もうここでやる事はない。面倒事に巻き込まれる前にとっとと列車に戻って、イライナに帰る準備をしなければ。
それと母さんに手紙も書こう。とはいえいつ帰るとか何をしてたとか、そういうのはまだ公表するのは危険なので、手紙を出すのはもっと後になってからになるけれど。
サリーの養育費もちゃんと仕送りしなきゃな、と思いながら廊下を歩いていた俺は、そっとその足を止める。
廊下の向こうに、人影が見える。
クラスメイト―――では、ない。服装が制服よりも立派だし、片手には触媒と思われる魔術師の杖がある。その姿と風格は歴戦の魔術師、数多の戦を経験し乗り越えてきた古強者のそれで、周囲の空気が張り詰めているのは決して気のせいなどではないのだろう。
アンドレイ・コンスタンティノーヴィッチ・ソルドロフ教授―――学術都市アカデムゴロドクの誇る魔術教育専門機関、帝国魔術学園に勤務する教授の1人であり、水属性の適正Aを誇る優秀な魔術師。
そんな学園の実質的なトップが、こんなC+ランクの劣等生になんの用か。
「ああ、これはこれは教授」
「……」
「この度は急な短期入学と退学の件、ご対応いただきありがとうございました」
いつもと変わらぬ調子で丁寧に言葉を紡ぐが、しかし教授は眉ひとつ動かさない。それどころかまるで敵を見るような鋭い視線と威圧感をこちらに向け、今にも魔術をぶっ放そうとしているような気配すら感じる。
前々から、薄々感じていたことがある。
それは半ば確信に変わっていて、だからこそ俺は躊躇しなかった。
お構いなしに歩みを進め、教授の隣を通過しようとする。
瞬間、教授の手が腰のホルスターへと伸びた。中から出てきたのは連発式のリボルバー、それもギトギトに彫刻の施された一丁だった。
何度も述べるが、そんなものに何の戦術的優位性もない。
その銃口は、しかし俺に向けられる事はなかった。
瞬間的に展開した磁界、それによる反発によってほぼ完全に押さえつけられた教授の拳銃。磁力に抗おうと力を込めるが、それでも微動だにしない拳銃に苛立ったように、ソルドロフ教授は目を見開く。
しかしそこには何の感情もない。機械のような無表情があるだけだった。
ぽん、と教授の腕に手を置き、告げる。
「―――セシリアに伝えとけ」
目を細め、仲間の事を思い浮かべた。
おそらく血盟旅団で、今一番苦しんでいるであろう仲間の顔を。
「―――”お前の夫は今一番苦しんでいる”とな」
それだけ告げ、教授の隣を立ち去った。
後方に置き去りにされた教授はすっかりフリーズしている―――セシリアと交信しているのか、それとも予想外の反応に混乱しているだけなのか。
いずれにせよ、セシリアには伝わったはずだ―――おそらく機械人間にすり替えられているであろうソルドロフ教授の耳を通して。
前々からおかしいとは思っていた。この学園に来てから、やけにテンプル騎士団の行動が速いという事に。どこかに機械人間を潜伏させ、盗み聞きでもしていなければ有り得ないようなそれは、やはり当たっていたらしい。
昨晩から、パヴェルの酒の量が明らかに増えた。
何があったのか、というのは敢えて聞かなかったし、仲間たちにもその件について追及するのは厳に慎むように伝えておいた。
戦士というものは、時に困難にぶち当たる。自分だけではどうしようもないほど苛烈な逆境に心身を打ちのめされ、全てを投げ出したくなることもある。
パヴェルは今、きっとそういう状態なのだ。
だからこそ、今の彼には時間が必要だ。1人で、静かに過ごせる時間が。
どれだけ自分が悪魔だと言い張っても、機械のように振舞っても―――ヒトの仔として生まれてしまった以上は、それ以上も以下にもなれないのだ。
ヒトは弱い。どうしようもないほど脆い。
そんなヒトの仔にも、現実は容赦なく残酷な刃を振るう。
だからこそ、パヴェルのような戦士にも必要なのだ。ちょっとした休息が。一休みできる静かな時間が。
自分の感情と向き合う事ができるのは、きっと今くらいだろうから。
妹にまで尊厳破壊されるミカエル君、そろそろ泣いて良い




