届かぬ思いを夜空に乗せて
セシリア「もふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふ」
ミカエル「……なんて?」
思わず、自分のほっぺたを抓った。
痛い、普通に痛い。ズキズキと痛むソレは確かに現実の感覚で、決してこれが夢などではないと教えてくれる。
いや、フツーに夢であってほしかった。
「もぐもぐもぐ」
「もぐもぐ……ほははり(おかわり)」
「お、おう……」
大強盗計画成功から2日後の朝。
今日は食堂車で朝食を摂ろうかなとクラリスを連れて足を運ぶと、既にカウンター席には先客が2名。片方はすらりとしたクールな少女で、もう片方は俺と背丈がそう変わらない小柄な少女だ。どちらも髪が海原のように蒼く、頭からはクラリスと同じく竜の角が生えている。
血盟旅団に身を寄せているシャーロットとシェリルの2人組だった。
テンプル騎士団に居た頃は栄養サプリメントで食事を済ませていたという2人にとって、こういう一見非効率的に見えても豪勢な……俺たちにとっては普通の食事はとんでもないカルチャーショックだったのだろう。
今日の朝食はノヴォシアやイライナでは一般的な『カーシャ』。日本では馴染みのない料理(ロシア料理店やウクライナ料理店などに行けば口にできるかもしれない)ではあるが、簡単に言うと”蕎麦の実を使ったお粥”である。それにバターをたっぷりとかけて食べるのだ。
俺もこっちの世界に来てから初めて口にしたけれど、なかなか美味しい一品だった。幼少の頃、母さんがよく朝食に作ってくれたものだ。蕎麦の実にバターという組み合わせに目を丸くしたが、意外と合うのだこれが。香ばしいしニンニクのアクセントが良い刺激になって、とにかく食が進む。
パヴェルが作るカーシャは運動前提でカロリーを調整しているらしく、母さんのカーシャと比較するとガッツリとした味付けだった。皿の上には付け合わせのトマトと厚切りのベーコンが乗っている。
サイドメニューはチキンスープ。今日は結構ヘビーな朝飯なのかもしれない。
そんなヘビーな朝食も何のその。よほどお腹が空いているのか、スプーンで豪快にカーシャを口へと運び、チキンスープを飲み干して、空になったお皿をカウンターの上に置いておかわりを要求するシャーロット&シェリル。
なんだろ、俺たち血盟旅団を何度も苦しめた強敵には見えないんですが……何アレ、誰あの人たち。
「おや、リガロフ君じゃないか」
口の周りにべっとりとバターを付けながら(食い方汚ねえなコイツ)こちらを振り向くシャーロット。まるでファミレスで大好きなメニューばかりが乗ったお子様ランチを目にした子供のように目を輝かせている。ついこの前までの狂気を滲ませた目つきが本当に嘘のようだというか、キャラ崩壊が激しい。
なんだろ、俺の身の回りの人キャラ崩壊し過ぎじゃない? 姉上といい兄上といい、このおバカ2人組といいキャラが変わり過ぎだ。温度差でヒートショック起こしそうなんだけどどうしてくれんのコレ。
「君たちいつもこんなおいしいものを食べていたんだねェ……クックックッ、なるほど。強さの秘密は食事だったか、これは盲点だった」
「私たちはそこを疎かにしてましたからね」
そう言いながらハンカチでシャーロットの口の周りを拭いてあげるシェリル。なんか親子みたいなんだけど一応シャーロットの方が年上なんだよねコレ?
「いやあ、興味深いデータが取れそうだ」
「……データ?」
「その通り。聞きたいかい?」
「いや結構」
「そうかそうか聞きたいか。よし良いだろう、教えてあげよう。それはズバリ『食事による士気への影響』だ」
「あの話聞いて」
「食事を栄養サプリメントだけで済ませていた我々が君たちに後れを取った理由、それについて色々と検証を重ねていこうと思ってねェ。まず最初に白羽の矢が立ったのは食事というわけさ。毎日美味しい食事を食べているキミたちがどういった影響を受けているのかをデータ化して―――」
「ほいおかわり」
「わっふー♪」
ことん、と山盛りのカーシャ(オイしかも目玉焼き乗ってますよ目玉焼き! パヴェルさん身内にサービスし過ぎなんじゃ!?)が目の前に置かれ、目を輝かせながら食べ始めるシャーロット。お尻の辺りから伸びている機械の尻尾が、まるで飼い主に遊んでもらっている犬みたいにぶんぶんと左右に振られている。
しばらくしてシャーロットの隣にうっかり座ってしまった俺の前にも朝食のカーシャとチキンスープが運ばれてくる。ブロック状のバターが豪快に乗ったそれに向かい手を合わせ、「いただきます」と呟いてから食べ始める。
たぶんこれは前世からの癖だ……きっと一生直る事はないだろう(というか食材への敬意と感謝を忘れないためにも個人的に続けていきたい)。
隣に座ったクラリスの分も運ばれてくるけれど、もはや盛り付けられているのが普通のシチューとか食べるための皿ではなく、丼だった。何アレ大食いチャレンジか何か?
大食い3人組に囲まれてしまう中、普通の量の朝食をもぐもぐするミカエル君。おいおいコレ俺がおかしいのかときょろきょろしていると、口を「~」←こんな感じにしながらカーシャを咀嚼するシェリルと目が合った。
美味しいです、と伝えたいのか、ぐっ、と親指を立ててキリっとした顔を向けてくるシェリル。以前までのギャップに危うく口に含んだチキンスープを吹き出すところだった……危ない危ない。
ホントマジで汁物口に含んでる時に笑わせるのやめようね?
「ミカ、大変だ」
「どうした」
「いや……その、2名も客人が来るなんて事は想定外って事もあるが、食料が想定の3倍の速度で消費されてる」
「え、たった2日で?」
「……うん」
ヒエッ……ホムンクルス兵の食欲恐るべし。
なるほど、だからテンプル騎士団って兵站を重要視してたのか(クラリス談)。確かにこんなに大食いな兵士たちを何百、何千、何万人も抱えていたら食糧事情がどえらい事になる。かといって食べるのを我慢しなさい、なんて言うわけにもいかない(常人と同じ量だとホムンクルス兵にとってはカロリー不足で最悪餓死する恐れがあるんだとか)。
今年の冬大丈夫かなコレ……。
「はぁ~……幸せ♪」
「ごちそうさまでした」
ロリボで幸福感を口に出すシャーロット(どこからそんな声出してんだよお前)とシェリル。特にシャーロット、コイツ普段は女性の声優さんが演じた少年キャラみたいな声で話してるくせにこういう時だけロリボになるの卑怯だろオイ……いや、俺も人の事言えないけども。
俺も朝食を終え、食器を返却口へと戻したところでシャーロットが俺の服装に気付いた。
「ん、リガロフ君」
「なんだよ」
「そんな恰好でどこに行くつもりだい?」
「ん、学校」
帝国魔術学園の制服姿(ブレザーに白いフリル付きのスカート、上着の上から魔術師を現すケープを着用するスタイルだ)の俺をまじまじと見るシャーロットに、簡潔にそう答える。
なぜ女物なのか、というツッコミはもう諦めた。自分では男だと思っているしその、ミカエル君のミカエル君もちゃんと実在しているので揺るぎない事実なのだが、周囲の皆に女と認識されているのでもうめんどくさくなりつつある。
さて、そんな女子用制服を着用して分かった事がある。
スカートだと、冬場が地獄だ。
よく考えてみてほしい……ズボンで足首まで覆われている男子と比較して、女子のスカートってアレ足を完全に覆ってるわけじゃないからね? すっげー足元がスース―するし冷えるしで最悪だ……というわけで寒さが本格化してきたので、クラリスの性癖で用意された黒タイツを本格的に活用している。
ちょっと話が脱線するが、実はこの前俺の脱いだばかりのタイツが盗難に遭うという事件がありまして……犯人はリーファだった。なんと俺の脱ぎたてのちょっと蒸れたタイツを盗むや、その晩それを頭からかぶって寝ていたのである。
本人曰く「ダンチョさんのタイツを頭からかぶって寝ると熟睡できるネ」との事だがコレ場所が場所だったら憲兵さん呼んでるからねコレ? 防犯ブザー鳴らすからねコレ?
おかげで前まで使ってたタイツが片方だけびろんびろんになってしまったので捨てた。リーファにはあげない、捨てた。だって譲ってしまったらクラリスとかモニカとかが真似して第二、第三のタイツが犠牲になってしまうので変な前例を作ってはならないと以下略。
「ふーん?」
「……なんだよ?」
「いやぁ、別に?」
絶対嘘だ。何も思ってないならこんな「ニマァ……」みたいな粘っこいスマイルなんか浮かべるわけがない。
まあいいや、時間も迫ってるし俺も登校しよう。
たぶん明後日辺りが最終登校日になるだろうから。
シャーロットとシェリルの扱いは、一応は「捕虜」という事になっている。
だがもちろん、それは建前だ。一般的な捕虜ほど行動を制限しているわけでもないし、尋問もしていない。ただ彼女たちは他のホムンクルス兵やセシリアと視覚、嗅覚、聴覚といった五感を共有することが可能で、更にはテレパシーのように遠隔地の仲間と意思疎通が可能な”魔力通信”という能力を持っている。
これが非常に厄介で、テンプル騎士団からの離反が決定的となっていても、常に彼女たちの目を通してこちらの内情が”覗き見られている”可能性も否定できない。
そのため魔力通信を遮断するデバイスの開発を行っているところだ……一応はもう少しで感性といった塩梅で、それまでは彼女たちに機密を話したり、見られて拙いような物が置いてある場所への立ち入りを制限するくらいで、それ以外は極力自由にさせている。
消灯時間が過ぎた。
今夜の夜警の当番はモニカと範三。クソ寒い中銃座について上空を警戒したり、列車内やレンタルホームを巡回して不審者がいないかどうか、不審物(爆発物とか)がないかを念入りに確認してもらっている。
後で紅茶とクッキーでも差し入れに持っていくか、と頭の中にメモしつつ、山盛りのクッキーとホットミルクの入ったマグカップ2つをトレイに乗せて、俺は2人の部屋を訪れていた。
コンコン、とノックすると『どうぞ』とシェリルの声が返ってくる。遠慮せずにドアを開けると、そこには重圧から解放されて思い切り羽根を伸ばすホムンクルス兵2名の姿があった。
シャーロットはベッドで横になりながらマンガを読み漁り、シェリルはソファに座って音楽を聴きながらファッション雑誌を興味深そうにパラパラとめくっている。
「ああ、大佐」
「ここには慣れたか」
「はい、おかげさまで」
どうも、といいながらホットミルクを受け取るシェリル。シャーロットにもマグカップを渡し、クッキーをテーブルの上に置いて食べるように促しつつ、俺も腰のポーチに捻じ込んできたウォッカの酒瓶を引っ張り出した。
「……尋問ですか」
シェリルの問いで、場の空気が冷たくなった。
そう、建前上とはいえ2人は捕虜という扱いだ。丁重に扱うが、テンプル騎士団の内情も聞き出したいところではある。
しかも尋問の相手が悪名高い”ウェーダンの悪魔”ともなれば、どんな屈強な兵士でも震えあがる……どうやら俺が戦死した後も、テンプル騎士団内部でその異名と悪評は語り継がれていたらしい。
まるで狼を前にしたウサギ、大蛇を前にしたカエル、あるいは虎を前にしたハクビシンのように凍り付くホムンクルス兵×2。
椅子に背中を預け、義手の鋭い指先で酒瓶の栓を抜いた。
「―――いや、ちょっといくつか聞きたい事があってな。尋問じゃない、俺の家族についてだ」
そう言うと、2人の肩から力が抜けたのが分かった。
「……あの後どうなった。みんな元気か」
ずっと気になっていた事だ。前の世界で……俺が、”速河力也”と名乗っていた1人の男が、最愛の妻と仲間たちを逃がし、仇敵を道連れに戦死を遂げた後の事が気になって気になって仕方がなかった。
妻は、セシリアとサクヤは元気なのか。セシリアが身籠っていた俺たちの子供は無事に育っているのか。苦楽を共にした戦友たちは元気に退役したか、誰一人欠けずに英雄勲章を受章して除隊できただろうか……もう二度と合えぬと分かっていても、思いを馳せずにはいられない。
「……同志大佐の息子さんは、今はテンプル騎士団の団長を務めてらっしゃいます」
「そうか……男だったか」
結局、セシリアが身籠った子を見る事は叶わなかった。
戦場でセシリアが妊娠していたことが発覚して、彼女を逃がすために俺は戦場に残ったのである。せめて無事に出産して、良い母親になってくれている事を祈るしかなかった。
「そっくりですよ、大佐に。目つきは随分と優しい感じでしたが」
「はははっ、そこは似なくて正解だ……人相の悪さで色々と苦労したからな」
ウォッカを呑みながら、昔を思い出した。
懐かしい……スーツ姿で懐に手を入れただけで、ホテルの警備員が俺をマフィアの幹部と勘違いして近寄って来たりとかしたからな昔。
そこはセシリアに似たのかな、と思いながら、我が子の成長を素直に喜んだ。
そして腹を括る―――悪い知らせがある、という事を。
先ほどからシェリルの言葉はどこか歯切れが悪い。良い話だけして、お茶を濁そうとしている……というよりも、どのタイミングで切り出すべきかとタイミングを推し量っているようにも思える。
意を決し、こちらから切り出した。
「妻は……サクヤは元気か?」
2人いる妻の片方―――サクヤ。
セシリアの姉で、テンプル騎士団副団長。彼女との間にも子をもうけたのだが……わけあって、愛娘は5年という短い人生を終えた。
それが原因で心を壊していたサクヤ。現実を受け止め切れず、医療室のベッドの上でいる筈のない娘の幻に語り掛けるばかりの毎日を送っていた妻の事が心配で……そして心のどこかで、覚悟はしていた。決して良い結果ばかりではないだろう、と。
回答を促されたシェリルは、息を吐いてから告げた。
「―――同志副団長は、亡くなりました」




