天使からの贈り物
ボグダン「なんかシェリルがずっとキミのぬいぐるみをもふもふしてるものだから、任務に集中するように咎めたつもりなんだが……いつの間にか私まで沼ってしまってね。今じゃあジャコウネコ吸いしないと生きていけない身体になってしまったよ」
ミカエル「……なんて?」
《それでは次のニュースです。昨晩、美術館から”黄金の大地”を含む複数の絵画や美術品が盗まれた事件について、憲兵隊は今もなお懸命な捜査を続けています。警備兵、憲兵側に死傷者はなく、犯人の人数や正体も未だ不明とされており、その手際の良さから一部では”ミスターX”の関与の可能性についても言及されていますが、『当局は捜査の途中であり質問には答えられない』と明確な回答はしていません。今回の盗難事件の被害総額は12億6千万ライブルにも上るとされており―――》
テンプル騎士団との死闘―――そして大強盗計画から一夜明けた。
部屋に置いたラジオから流れてくるニュースを聞いていると、クラリスが朝食を持ってきてくれる。ありがとう、と言いながら朝食を受け取ると、焼けたトーストと溶けたバターの香ばしい香り、そしてミルクと砂糖をたっぷりと入れたコーヒーの甘い匂いが身体にこびり付く睡魔を洗い落としてくれる。
朝食の献立はトースト2枚(バター付きだ)とコーンスープ、チキンサラダにコーヒー(あるいは紅茶、好きな方を選べる)。今日は気分がコーヒーだったのでコーヒーを選んだ。もちろんミルクと砂糖を限界まで入れたミカエル君仕様。さすがウチのメイドは主人の好みを把握している。
バターを塗ったトーストを口へと運ぶ。表面がこんがりと焼けて中がもっちりとしたトーストは格別で、溶けたバターのまろやかさと微かな塩気がそれを更なる高みへと昇華させている。保存の利く黒パンでは決して味わえない贅沢だが、これもあと少しで味わえなくなると思うと名残惜しいものがある。
付け合わせのサラダを口へと運び、スプーンを拾い上げてコーンスープへ。
窓の向こうを見ると、そこはいつもと変わらない世界だった。時刻表通りに、あるいは3~5分くらいの遅延を生じさせながら、在来線のホームへ列車が滑り込んでくる。2分ほどの停車時間の間に乗客を吐き出して、ホームで列を作る乗客を呑み込んでから、後れを取り戻さんと大慌てでホームから飛び出していった。
何も変わらない、カレンダーでも見なければ今日が何月何日なのかすら分からない、何の変哲もない日常の風景。ただ違いがあるとすれば、気温が下がってみんな厚着になっている事と、昨晩の大事件のせいなのか新聞売りの少年の手元から新聞が飛ぶように売れている事くらいか。
ボロシビルスクで勃発した、美術館での強盗事件。
治安が良い学術都市の中枢で発生したその事件は、多くの者を震撼させた。他の街のように裏社会の住人が入り込む余地もなく、広大なノヴォシアの中にあって犯罪発生率が最も低いとされていたボロシビルスク。それは徹底した当局の治安維持の賜物とも言える平穏だったが、それを一夜にして台無しにしたのが美術館で起こった強盗事件だった。
数多くの絵画が盗み出され、信じがたい事にその被害総額は12億6千万ライブル相当―――さすがに国家予算とはいかないが、向こうからすればかなりの損失と言えるだろう。
そして俺たちにとってはかなりの儲けとなった。
これだけの金があればイライナ独立のための大きな助けになるだろう。来たるべき独立と、ノヴォシア帝国との軍事衝突に対しての備えは、冬に対しての備え以上に準備しなければならない。戦争というのは結局のところ、ノーガードでお互いの身体をナイフで刺し合うようなもので、先に出血量が致死量に達した方が敗戦を迎える事となる。
資金に資源というのは、人間でいうところの血だ。
蓄えが無ければ戦争には勝てないのだ。
しかし今回の強盗計画の目的は他にある。
イライナ併合後、ノヴォシア側に拉致されたキリウ大公の子孫の血族―――その生き残りを探し出し、イライナ公国復古のために象徴となってもらう必要がある。そうでなければ国際社会に独立の正当性をアピールできず、傍から見れば単なる反乱の鎮圧という形に映ってしまうからだ。
そしてそのキリウ大公の血族へと至るヒントは、絵画『黄金の大地』の裏側に記してあるそうだが……それに関しては現在、パヴェルが解析を進めているところだ。
仮に分かったとしても、解析結果はすぐには公表しないだろう。
何せ、今の血盟旅団には”お客さん”が2人居るのだから。
食事を食べ終え、食器を食堂車にある返却口へと返してから、ちょっと心配になったので1号車の2階にある寝室の奥へと向かった。カーチャが1人で使っている部屋の隣には空き部屋が2つ残っており、その片方を依頼人が来た時の応接室として使っていたのだが、それでも空き部屋が1つ残る形となる。
だからこの客人たちで、ちょうど空き部屋が全部埋まった事になるのだ。
コンコン、と部屋をノックしてみる。中から『どうぞ』と声が聴こえたので、それを確認してからドアを開けた。
私物も何もなく、パヴェルが用意した家具やベッド、暇潰し用のマンガくらいしか物がない殺風景な部屋の中。まあこれから自分たちの色に染まっていくのだろうからその辺は良いとして、だ。
部屋の中にはテンプル騎士団の黒い制服に身を包んだシャーロットとシェリルの2人がいた。シェリルはベッドの1段目に腰かけていて、シャーロットはベッドの上でシェリルの太腿を枕代わりにして横になっている。
2人とも傷の手当は済んでおり、シャーロットも戦闘で破損した機械の身体をパヴェルの工房にあった余剰パーツ(彼の義手や義足に用いているパーツを使ったのだそうだ)で補修されている。
まさかテンプル騎士団を離れて血盟旅団に身を寄せる事になるとは思ってもみなかったのだろう。部屋を訪れた俺の顔を見るなり、2人には少しばかり困惑するような様子が見られ、心の距離を意識させられる。
後ろに控えていたクラリスが警戒心からなのか、右手をいつでもグロックが引き抜けるようホルスターに近付けて身構えるが、その必要はないよ、と視線で制した。この2人はもう敵ではないよ、と。
「おはよう」
「……おはようございます」
「おはよう。悪くない寝心地だったよ」
そう言いながら、シェリルに膝枕してもらっていたシャーロットが身体を起こした。まだ無理に動いてはダメですよ、と咎めるシェリルに言われ再び太腿の上に頭を戻されてしまうシャーロットは少しやんちゃな子供のようだ……今までやってきた事はえげつないが。
それにしても、この2人ずいぶんとスキンシップの距離が近い。
クラリスからも「ホムンクルス兵は特に仲間意識が強い」という話は聞いている。ホムンクルス兵は全員がオリジナルである”タクヤ・ハヤカワ”という最強の転生者の細胞から生まれた複製であるため、シェリルもシャーロットも、そしてクラリスも全員が兄弟姉妹というわけだ。シェリルたちからすればクラリスは歳の離れたお姉さんと言ったところだろうか?
そんな血縁関係を強く意識するからなのか、ホムンクルス兵は仲間意識が特に強い。だからなのだろう、クラリスの昔の話を聞いた時も、彼女は部下の面倒を良く見ていたものだと思ったが……。
「朝食は?」
「まだ食べてません」
「だったら食べた方が良い。昨日から何も食べてないだろ」
昨日の夜は大忙しだった。
戦闘で使用した弾薬の補充や兵器類の整備、そして強盗に参加したメンバーの各種ケアと捕虜として受け入れたホムンクルス兵2名の緊急治療。シェリルはそれほど致命的な傷はなかったものの、俺と文字通りギリギリの死闘を演じたシャーロットは身体中が傷だらけでまともに機能する回路は殆どなく、パヴェル曰く『何でアレで生命維持が出来ていたのか謎』というレベルだったのだそうだ。せっかく助かった命だが、処置が遅れていたらどうなっていた事か……。
それが終わってから、2人とも戦闘の疲れなのか、それともテンプル騎士団から切り捨てられた事実から逃避しようという本能なのかは定かではないけれど、そのまま眠りに落ちてしまった。夜中にトイレに起きた時にちょっと部屋の様子を確認したけれど、すうすうとまるで遊び疲れた子供のように眠りに落ちていて、安堵すると同時に哀れに思った。
きっと、安心できる環境で熟睡できた回数はそれほど多くはないのだろう。
「では、何か栄養サプリメントのようなものを」
「???」
シェリルが何を言っているのか、理解できなかった。
朝飯を食えと言われたところまでは分かるだろう。しかし……あの、いったい何をどう間違ったら「じゃあ朝飯に栄養サプリメントくれや」となるのだろうか。
「あの……え、何?」
「栄養サプリメント、ないのですか?」
「……何だ、テンプル騎士団じゃあ飯に栄養サプリメントを出すのか?」
嘘だろ、と半信半疑でそう返すと、シェリルは表情を全く変えずにさらりとカミングアウトしやがった。
「その方が迅速に、効率的に栄養素を摂取出来ます。兵士たるものいつ任務の招集がかかるか分からないのですから、常に即応体制を維持している事が望ましく―――」
「……」
唖然とした。
食事とはこう、効率のいい栄養素の摂取とか、そんなものじゃない筈だ。確かに生きるために必要な栄養素の摂取はその通りなのだが、家族や仲間と雑談しながら食べたりとか、料理の味を楽しんだりとか、食事という行為に楽しみを見出してもいい筈だ。楽しみながら食べて良い筈だ。
それが栄養サプリメントで食事を済ませるとは、どこまで悲惨な食生活を送っていたのかと心配になる(※『だから胸周りの発育が悲惨なのか』という宣戦布告にも似た言葉が出そうになったがギリ踏み止まった)。
クラリスも信じられないようなものを見るような顔……というか、自分の後輩が信じられない境遇で育っていた事にショックを受けているようだった。クラリスの時代のテンプル騎士団が提供していた食事はそれなりに豪華なもので、レーションも絶品だったという。
効率化を追求した果ての姿なのだろうか……自分たちとの価値観の違い、”当たり前”のあまりにもの差に愕然としていると、後ろから2人分の朝食をトレイに乗せたパヴェルがやってきた。
「飯だゾ」
「あ、大佐」
大佐、とパヴェルはよく呼ばれているが、テンプル騎士団時代の最終階級だったのだろう。シェリルやシャーロットからしても尊敬するべき人物のようで、ベッドに腰かけたり横になっていた2人は飛び上がるや、背筋を伸ばして敬礼し始める。
「おいおい、やめてくれ。お互いテンプル騎士団は辞めた身だろう?」
「それは……そうですが」
「それでもあなたはクレイデリアの国民的英雄です」
「……そうか」
そんな事になってるのか、と小さく呟くや、パヴェルはテーブルの上にシェリルとシャーロットの分の朝食を置いた。トーストにチキンサラダ、コーンスープと献立は同じだが、どれもこれもがやや大盛りになっている。
クラリスもそうだが、ホムンクルス兵というのは基本的に大食いだ。
彼女たちの肉体の造りは人間に似ているが、細部が異なる。筋肉の強靭さとか骨格の密度や頑丈さも異なるし、体温に至っては38℃が平熱というレベル。なので冬場はクラリスが湯たんぽと化すので彼女に抱き着いて眠ると熟睡できるのだがそれはさておき、その身体能力の対価として消費するカロリー量もエグいのだそうだ。
クラリスが大食いであるのには、そういう理由がある。
シェリルがシャーロットの分のトレイを持って彼女のところに戻ると、シャーロットは困惑したような顔をした。
「大佐、せっかく用意していただいたところ申し訳ないのですが……ボクには味覚障害があるので……」
「問題ない。修理の時に無断で味覚モジュールを搭載しておいた。ミカの命令でな」
「え」
シャーロットの紅い瞳がこっちを向いた。
彼女との戦いの最中、どういうわけかシャーロットの記憶を垣間見た。
その中で目にしたのはシャーロットが生身の身体に抱えた障害の数々。だからこそ彼女は生身の身体を捨て、機械の身体を手に入れたのだろうが……どういうわけか、味覚障害はそのまま残していたらしい。
そんなんじゃあまともに食事も楽しめないだろうと思ったので、シャーロットが味覚を感じることができるよう、パヴェルに依頼して修理の際にモジュールを追加してもらったのである。
もちろん費用は俺の自腹、全額負担でギルドの金には一切手を付けていない。
「……せっかくの人生なんだ、楽しまなきゃ大損だぞ」
「……」
「さあ、シャーロット」
「……うん」
シェリルに促され、コーンスープを口へと運んだ。
スプーンを咥えたまま、シャーロットは動かなくなる。
どうかしたのだろうかと心配になったが、彼女の小さな身体が小刻みに震えている事に気付いてからは安堵に変わった。
「…………これが、”味”?」
ぽろり、と紅い瞳から涙が零れ落ちる。
ああ、そうだよ―――言葉には出さなかったが、心の中で肯定した。
せっかくの命なのだ―――今までのような暗闇の中ではなく、もっと日の当たる場所で、普通に生きてもいいと思う。
幸福の享受は全ての命に許された権利なのだから。




