喪失感
シェリル「なんかミカエル君の抜け毛で作ったぬいぐるみが流行ってるらしいですが、私は任務で忙しいのでそんなものに興味はありません。別にふわふわもふもふの触り心地とバニラの香りに魅力を感じ保存用・自慢用・実用に3つ予約し知り合いにも布教を行ったりとかしてませんし、どこかの某大佐から流れてきたミカエル君の肉球スタンプ付きえっち本とか抱き枕カバーとか買ったりしてませんから勘違いしないでくださいね。私はあくまでテンプル騎士団の兵士、最新ロットのホムンクルス兵で優等生なのです。そんな不純な代物に手を出したりする暇があったら組織の崇高な目的のために奉仕する、それが私たちホムンクルス兵の存在意義なのです。だから決して小柄でバニラの香りがする獣人男の娘の同人グッズなんか買い漁ったりしませんから変なレッテルを貼ったりしないでください。いいですね?」
ミカエル「なんて?」
迸る対消滅のエネルギー……旧人類はかつて『悪魔の贈り物』とまで呼んだ魔のエネルギーは、周辺の大気を一気に喰らい尽くしながら、獲物を求め身体を広げるアメーバの如く体積を広げていく。
大気を喰らい、空に浮かぶ雲をも吸い寄せ喰い尽くした魔のエネルギー波はついに地上にまで達した。ヒトの住むことのなくなったゴーストタウンに押し寄せた対消滅エネルギーは無人の建物や乗り捨てられた自動車、電柱に舗装された道路を容赦なく食い尽くし、それでも飽き足らずアスファルトの下にある大地までもを消滅させていく。
閃光を発しながら泡の如く弾けるそのエネルギーが間近に迫り、クラリスもモニカも、そして血盟旅団の仲間たちと共に退避していたシェリルも死を覚悟した。アレに呑まれれば、生還はまず見込めない。あの白い泡のような閃光は、触れた物体の特性や性質に関係なく消滅させてしまう性質を持つ―――旧人類が栄華を極めたのも、そしてテンプル騎士団という外敵を呼び寄せ滅亡へと至ったのも、全てはあの対消滅エネルギーがあったからだ。
周囲の大気が対消滅エネルギーの側へと流れていく。爆風の周囲にある大気までもを消滅させている事で、周囲にちょっとした気流が発生していた。それはさながら地上に発生したブラックホールのようで、風化が進んでいた廃屋が圧力に耐えられず崩壊、瓦礫が吸い上げられ、白い泡の中へと消えていく。
工場の煙突が倒壊、敷地内に乱雑に積み上げられていたスクラップやフェンスも吸い上げられていく中、その爆風がついにミカエルとシャーロットが一騎討ちを演じていた廃工場にまで達したのを確かに見た。
あの2人が脱出したところははっきりとは見ていない―――よもや自分の主人が、と最悪な想像がクラリスの脳裏を駆け巡るが、すぐに理性がそれを押し留めた。
あの人は―――ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフという人間はそう簡単に死ぬような存在ではない。今までに数多の死線を潜り抜け、絶望を希望に、不可能を可能に変えてきた英雄の子孫なのだ。こんな寂れた廃墟の片隅で、理不尽に殺されるような事などあり得ない。
そう思うしかなかった。そうでなければ―――突きつけられた現実をそのまま受け入れてしまったら、今度は自分が壊れてしまいそうだったから。
そういう意味では、彼女の心が示した防御反応だったのだろう。現実を拒絶し自分の殻に閉じ籠る―――そういった行動にも似た反応は、しかし裏切られる事になる。
対消滅エネルギーが限界に達したのだろう。あれほどまでに周囲の物質を喰らい、乱気流を発生させていた対消滅エネルギーの爆風が減少に転じた。
まるで排水溝へと吸い込まれていく水のように、ぐるぐると渦を巻きながら収縮へと転じる対消滅エネルギーの奔流。やがてそれが完全に消滅すると、地上には完全な闇と静寂が再び訪れた。
しんと静まり返ったゴーストタウン。テンプル騎士団の空中戦艦『レムリア』も沈み、黒騎士たちもあの対消滅エネルギーの渦へと消えた今となっては、銃声すら聞こえてこない。
無音の闇、静かな夜。
月明かりが照らす暗黒の大地―――その中に揺らめく影のようなものが見えた気がして、クラリスとシェリルは奇しくも同時に迎撃態勢に入る。
剣と大型マチェットをそれぞれ構えたクラリスとシェリル。お互いにとっての敵が―――クラリスにとってのテンプル騎士団という敵、そしてシェリルとシャーロット、ボグダンを見限り裏切るような真似をしたテンプル騎士団という”敵”が残っているのであれば、打ち払わなければならない。
戦いの中に生きる命としてインプットされた本能故の迎撃行動。だが、夜風に紛れて運ばれてくる微かな薬品臭と、それから……ほんのりと甘いバニラの香りが、その影の正体を2人に告げる。
(まさか)
間違いない。
この甘い香りは、間違いなく―――。
「ご主人……様……?」
そっと剣を降ろすや、暗闇の中から小さな人影が姿を現した。
すっかりボロボロになり、装備品も大半を喪失していたが―――暗闇の中から傷だらけの姿で現れたのは、間違いなくミカエルだ。クラリスが一生支えると忠誠を誓い、仕える外ならぬご主人様だ。
そしてそんな彼女が背中に背負っているのは……。
「シャーロット……?」
無言で歩みを進めるなり、手から大型マチェットを落として歩み寄るシェリルへと、傷だらけのシャーロットを預けるミカエル。片腕を失い、機械の身体にはいたるところに傷が刻まれた痛々しい姿ではあったものの、シェリルにとっての戦友は―――血の繋がった家族のような存在の彼女は、確かに生きていた。
「シャーロット、シャーロット……ああ、よかった……無事だったんですね」
「……ボクは死んだと思ったんだけどね」
どこか申し訳なさそうに言いながら、ちらりと視線をミカエルの方へと向けるシャーロット。2人を見守るミカエルの目は、もう敵を見るような鋭いものではなく、死地から帰ってきた人を温かく見守るような―――そんな優しい目をしていた。
「あの子、ボクを死なせたくないらしい。”後味が悪い”ってさ」
「……そう、ですか」
「ご主人様、どういうおつもりですの? 敵を助けるなんて……」
「……」
駆け寄ってきたクラリスに質されるなり、ミカエルは迷いのない目を彼女へと向けた。
「確かにシャーロットのやった事は許されないとは思う……でも、救えない存在じゃあないと思った」
「救う……って」
理屈の問題ではなかった。
それを言葉にするならば、「感情に突き動かされた」と表現するべきだろうか。確かにシャーロットのやった事は許されないし、あのまま見捨てられ、対消滅エネルギーの奔流に消えてもおかしくなかったかもしれない。
しかしそれでも救いの手を差し伸べてその命を救ったのは、まだ救える余地があると―――本来の在り方に戻す事は出来る筈だと信じ、それに賭けようと決断したミカエルの優しい心ゆえであろう。
「……ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフ」
彼女に歩み寄ったシェリルは、複雑な表情を浮かべていた。
それもそうだろう。彼女からすれば倒すべき敵であり、自分の片腕を奪った相手である。そんな相手に大切な戦友を、今まで奉仕してきたはずの組織の裏切りから救ってもらったのだ。わずか数分の間に立場も何もかもが激動し、まだ理性がそれに適応していない。
だからきっと、混乱し嘘をつく余裕もないからこそ、此れから紡がれる言葉は本心なのだろう―――ミカエルはそう見抜いていた。
「―――私の家族を救ってくれて、ありがとう」
「……ああ」
「ほら、シャーロットも」
お礼くらい言えるでしょう、と言われながら頭を手で押され、半ば強引に頭を下げさせられるシャーロット。彼女も彼女で複雑そうな表情を浮かべていたが、しかし顔を上げるとすぐにその視線は先ほどまで空を舞っていた空中戦艦レムリア―――彼女たちの母艦が鎮座していた筈である夜空へと向けられる。
もうそこに、空中戦艦の威容はない。
全て、対消滅エネルギーの光の中へと消えた。
母艦も―――そして命を賭して2人を守った、ボグダンの魂と共に。
「……その、キミたちの指揮官の事は……申し訳なく思っている」
仕方がなかった、とは言わなかった。
こうするしかなかった、やられる前にやるしかなかった……正当な理由は確かにあった。しかし多くを失い喪失感に苛まれている相手に、それを免罪符にして”許されて当然”という態度を取るのも違うだろう、とミカエルは思う。
相手に歩み寄るためには、相手の痛みに寄り添う事だ。
「……いえ、良いのです」
目元を拭い、シェリルはいつもと変わらない冷淡な声で言った。
「そうしなければ、貴方たちの……そして私たちの命は無かった。それに同志ボグダンも、同志大佐の手に掛かって逝く事が出来たのです。きっと天国にいる特戦軍の同志たちにもいい土産話になるでしょう」
「……」
やはり、辛いのだろう。
それもそうである。計画のためにオルグしこの世界へ連れてきたとはいえ、まだ若い2人を組織の内紛に巻き込んでしまった事にボグダンはずっと負い目を感じていた。だからこそ2人に対し、父親のように親身に接していたのである。
彼女たちにとってみれば、単なる上司ではなく家族のような存在だったに違いない。
それを、やむを得なかったとはいえ奪ってしまった。
お互いに大切なものを失い、血塗れになりながらも戦い続けるのが戦争だ。その狂気の一旦、深淵を覗き込んだような気がしたミカエルは、何ともやりきれない気分になった。
―――ぞくり、と背筋に冷たい感触が生じる。
ミカエル、クラリス、シェリル、シャーロット―――4人が同時に第六感を働かせ後方に飛び退いた直後、ドドドドド、と4人の立っていた場所を上空から降り注いだ機銃弾が打ち据えた。
ごう、と頭上を通過していく黒い影。
鳥―――では、ない。艶のない黒で塗装された、戦闘機と呼ぶにしてはいささか小柄なボディ。各所に穿たれたスリットからは微かに紅い光が漏れていて、有人機であればキャノピーがある部位には装甲で覆われたカバーと複眼状の紅く輝くセンサーがある。
テンプル騎士団側のドローンだ。UF-36スカイゴースト―――データ取り用の試作機であるX-36をベースにサイズを調整、武装を搭載した戦闘用ドローンである。
母艦であるレムリアが沈んでもなお稼働しているという事は、あれもセシリアによる制御のオーバーライドを受けていると見ていいだろう。ミカエルとクラリス、そして裏切り同然の攻撃を生き延びたシェリルにシャーロットを合わせて消してしまおうという魂胆に違いない。
咄嗟にグロック17Lを引き抜くミカエルだったが、しかしいくら小型機とはいえピストルカービンで何とかなる相手ではない。成人男性2人分の背丈程度しかない小型機ではあるものの、それでもその機動性は本職の戦闘機と遜色ないレベルだ。
旋回し、機銃の狙いを定めるスカイゴースト。魔力もすっかり消耗し武装も残弾僅かという状況でどこまでやれるか……悪足掻きの算段を立てるミカエルだったが、しかしそこで敵のスカイゴーストの背後へまたしても別の影が忍び寄る。
次の瞬間だった―――ドドド、と重々しい12.7mm機銃の銃声と共に、発射された焼夷弾がスカイゴーストのエンジンノズルを撃ち抜いた。
瞬く間に火達磨になり、エア・インテークから爆炎を逆流させて錐揉み回転するスカイゴースト。墜落していく敵機の頭上を、背後に忍び寄り鎌を振り下ろした灰色の死神が通過していく。
全く同じサイズで、全く同じ仕様の、塗装だけが異なるスカイゴーストこそが死神の正体だった。
灰色に塗装された、血盟旅団仕様のUF-36スカイゴースト―――パヴェルが放ったドローンの内の1機だった。
敵機を撃墜したスカイゴーストたちは、しばらくの間ミカエルたちを守るように頭上を旋回し続けた。やがて人気のないゴーストタウンの向こうからトラックのエンジン音が近付いてくるのが聞こえ、ミカエルはやっと警戒心を解く。
憲兵隊のトラックではない。憲兵隊の車両であれば、もう少しエンジン音が甲高いからすぐに分かる。この重々しい、巨人の唸り声みたいなエンジン音は他でもないソ連製のトラック―――ウラル-4320のものだ。
やはり夜の闇を切り裂くようにしてライトを点灯させながらやってきたのは、デジタルフローラ迷彩で塗装された血盟旅団仕様のウラル-4320だった。敵車両への体当たりを想定しているのであろう武骨なスパイク付きのグリルガードに、延長されたキャビン。キャビンの天井の一部はくり抜かれてブローニングM2重機関銃が連装で搭載されており、ちょっとしたガントラックのようになっている。ルーフにはラリーレース用の車の如く、ライトが増設されていた。
キャビン及び荷台の大型化に対応するためなのだろう、8輪と化したソ連の大型トラックの運転席にはパヴェルが乗っている。
「よう、帰るぞ。子供はとっとと寝る時間だ」
安堵してトラックに乗り込むミカエルたち。迎えの車に血盟旅団の仲間たちがぞろぞろと(ルカは乗ってきた機甲鎧ごと)乗り込んでいくのを、シェリルとシャーロットは遠巻きに眺めていた。
さて、これからどうするか―――それが2人の胸中に渦巻く考えだった。
これまでテンプル騎士団に奉仕してきた―――しかしその組織があのように、2人を裏切るような真似をしたのである。一度ならず二度までも自分たちを殺そうとした組織に帰還し、今まで通りの忠誠心で任務を遂行できるかどうか……それどころか帰還が許されるかどうかも怪しい。
ならばこの世界で自力で生きていくしかない。知り合いも、何の伝手もないこの世界で、孤立無援の生活をしていくしかないのだ。
まあ何とかなるだろうさ、と踵を返そうとするシャーロット。
しかしその背中を、トラックの方から響いた声が呼び止めた。
「乗りなよ!」
「……え」
キャビンの窓から顔を出したミカエルが、大きく手を振っていた。
いいから早く、と急かされ、困惑するシャーロット。どうしようかとシェリルの顔を見上げると、シェリルもまだ困惑しているようだった。
彼らは敵だ。敵……である筈だ。なのにどうして、先ほどまで戦っていた2人にここまで手を差し伸べようとするのか。
何か裏でもあるのか、それとも単純な善意なのか。
「どうする」
「……お言葉に、甘えてみましょうか」
意外な提案に、シャーロットは目を丸くした。
正気かい―――しかしそんな言葉は、喉の奥から出てくる事はなかった。
彼女も心のどこかで、同じ考えに至っていたのかもしれない。
その後、ミカエル率いる血盟旅団の仲間たちは1人の死者も出す事なく、無事に列車に帰還した。
2名の”客人”と共に。




