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謎は雪原の中に


 血の臭い。


 死体から溢れた血肉の臭い、膿の臭い。臓物の臭いに火薬の臭い。


 もっともおぞましい悪臭をかき混ぜたようなそれは、紛れもなく”戦場の臭い”だった。殺意と殺意がぶつかる戦場。兵器が咆哮し、兵士たちの屍が連なる死の大地―――行ったことは無いが、その情景は鮮明に頭の中に思い浮かべる事が出来た。


 実際、多少の差異はあれど似たような光景が目の前に広がっている。雪原の上に倒れ伏す無数の魔物たちの死体。風穴から流れ出た鮮血が雪を紅く染め、それにスノーワームたちがまるでピラニアのように群がっていく。


 ここは戦場だった。


 国家のイデオロギーを発端とする戦争ではない。もっと原始的で純粋な理由―――自らの生存をかけた、人々の戦場バトルフィールドだった。


 フックのついた棒や銃剣で、雪に半ば埋まった魔物の死体を引き寄せる民兵たちを見つめながらそんな事を思い浮かべた。ここにイデオロギーは無い。国家がどうとか、そういうのは関係ない。ただ戦わなければ生き残れない、文明社会が切り離したはずの食物連鎖のルールが、確かにここにはあった。


「何してるのかしら」


「食料にするのですよ」


 教会に向かって歩きながら呟いたモニカの問いに、クラリスが簡潔に答えた。


「ただでさえ食料が少ない状況です。食べられるものはなんでも食べる……そうしなければ生きられないのですよ」


 飢えに追い詰められた人類が取る手段としては、まだマシな方だ……食べられそうなものを口に入れ、飢えを誤魔化す。その辺の草でも土でも、家の隅にいるネズミでも虫でも何でもだ。栄養価もクソもあったもんじゃないし、衛生という概念を鼻で笑うが如き行為だが、これでまだマシなのだ。


 ―――人が何人か消え、次の日の飯に何の肉か分からん正体不明の肉が出てくるよりは。


 そこまで追い詰められていないのだから、ここはまだ恵まれている。


 雪の中から引っ張り出されたゴブリンやチョッパー・ベアの死体を見ながらそう思う。ゴブリンは食用には適さない。身体が小さく食べられる部位が少ないというのが大きな理由だが、その上肉は硬くて味も良いとは言えないし、何より人間に類似した姿であるが故に抵抗がある、という要因も無視できない。


 チョッパー・ベアはまだ食用にはできる。辺境のハンターは仕留めたチョッパー・ベアの肉を食べると聞いたことがあるが、少なくとも貴族向けの高級料理店はまだしも、一般階級向けのレストランでも出て来ない。そういう食材を専門に扱っているマニア向けの料理店でお目にかかれるかどうか、というレベルだ。


 噂だと、茹でると灰汁がすごい事になるんだとか。


 こりゃあしばらく魔物の肉だな。持ってきた缶詰はお預けだ。保存の利かない食材から使っていくのが常識なので、賞味期限の長い缶詰は基本的に後回し。だからノヴォシアの冬は最初は豪勢な食事も、年が明けた頃には缶詰やら保存食ばっかりになる。


 キリウに居た時もそうだった。下手したら親の顔よりも黒パンを見たかもしれない。黒パンツじゃないよ、黒パンだよ。ちなみにクラリスの下着は―――おっとこれは国家機密だ。悪いな諸君。


 教会に戻ると、シスターが不安そうな表情で出迎えてくれた。俺たちが無傷で、誰一人欠けていない事を知ってほっとしたようで、手を振ると片手でロザリオを握りながら、安堵したような顔で手を振り返してくれた。


「ご無事でしたか」


「何とか」


「村を守ってくださってありがとうございます」


「当然の事をしたまでです。それにしても、すごい数の魔物ですね……いつもこうなんですか?」


「ええ……一体どうしてこうなったのか」


「ちなみに、昨年はどうだったんです?」


 教会の中に通してもらいながらシスターに問いかける。もしこれが、たまたまこの村が魔物たちの徘徊ルート上にある、とかそういう理由ならまあ仕方ないところもある。最悪の場合は村を移転するとか、そういう対策も出来そうだ(とはいえ昔から住んでいる故郷を捨てるなど簡単にできる決断ではないし、強制するべきではない)。


 だが、そうでないのだとしたら?


 これが毎年恒例の襲撃ではなく、突発的な物であるのだとしたら奇妙だ。何か原因があると考えるべきではないだろうか。


 雪解けが始まり、ノヴォシアの冬が終わりを告げるまで、このペースで襲撃が続いたとしたらアルカンバヤ村は持ちこたえられない。何か原因があるのであれば、それを取り除かない限りこの悪夢に終わりはないのだ。


「昨年は何もありませんでした。魔物は襲ってこないし、みんな余った干し肉でスノーワームを釣ってましたよ。そのくらい平和だったんです」


 ならば、猶更おかしい。


「この襲撃に心当たりは?」


「何も……ボリス司令官は”冬眠に失敗した魔物の大攻勢”だと仰っていましたが」


 部屋に到着した。ここでやっと武器を下ろし、鍵のついた木箱の中へ装備を収める。物理的にも肩の荷が下り、身体が軽くなった。さすがにガチガチにカスタムしたバトルライフルにM203装備は身体への負担が段違いである。擲弾兵グレネーダーの苦労が良く分かるというものだ。


「とにかく、本日はありがとうございました。お疲れでしょう、ゆっくり休んでください」


「ありがとうございます、シスター・イルゼ」


 バタン、と扉が閉まり、彼女の足音が遠ざかっていく。


 狭い部屋に押し込められたベッドの上に腰を下ろし、少しばかり意識を自分の思考へと向けた。


 冬眠に失敗した魔物の大攻勢―――その言葉に、これ以上ないほどの違和感を覚えたからだ。


 魔物だって動物と同じように、冬眠に失敗する事はある。冬を越すのに使えそうな巣穴が見つからなかったとか、餌の備蓄が不十分だったとか、理由は様々だ。そういった個体が餌を求めて人里を襲い、騎士たちが必死に撃退するというのは珍しい話ではない。キリウでもちょくちょくあった話で、一週間に一回くらいは魔物の襲撃を知らせる警鐘が街に響いたものだ。


 だが―――それでも襲撃の規模はごく小さなものばかり。というか、むしろ大半が単独での襲撃であり、それが群れを形成するというのは稀なケースだ。


 あんな数の魔物が冬眠に失敗するのか?


 むしろ俺には、別の理由に思えてならない。


 まるで何か―――背後にいる何かに追い立てられているような、そんな感じがしてしまう。


 むにゅ、と柔らかい感触がその思考を断ち切ってくれた。左の頬に当たる柔らかい何か。石鹸のような香りがして、クラリスの息遣いが耳元で感じられる。


「さあご主人様、もう眠る時間ですわよ」


「お、おう」


 おっぱいを押し付けるんじゃない。


 とはいっても、身長差の関係で仕方のない事だ。密着するとどうしてもこうなってしまう。身長150㎝、ミニマムサイズのミカエル君と183㎝のクラリスでは、姉弟どころか親子みたいな身長差になってしまう。


 半ば押し倒されるような格好でベッドに横になると、するするとクラリスのドラゴンのような尻尾が伸びてきた。硬い外殻に覆われているイメージがあるが、彼女の尻尾を覆っているのはぷにぷにした感触の蒼い鱗。蛇ともまた違う未知の感触で、枕にしたら心地よさそうだ。


「ちょっとクラリス、”フジュンイセーコーユー”は駄目よ」


 腕を組みながらジト目でこっちを見つめてくるモニカ。言い慣れていない言葉だからなのか、イントネーションがちょっと違う。


「モニカさん、これは不純ではありませんわ。メイドと主人の健全な関係ですわよ」


「健全? どこが? どこからどう見ても胸でご主人様を誘惑するえっちなメイドにしか見えないんだけど?」


「これは仕方のない事なのです。クラリスの胸は大きいので、どう頑張ってもご主人様に当たってしまうのですよ……モニカさんならその心配はなさそうですが」


 ブチッ、と何かが切れたような音が聞こえたような聞こえないような。気のせいだろうか、腕を組むモニカの背後からどす黒いオーラのようなものが立ち上って……アレ何。


 ちなみにモニカの胸は多分BカップかCカップくらい。均衡の取れた健康的な身体つきである。クラリスがデカすぎるのだ。何だよGって。


 次の瞬間だった。動き回るネズミに飛びかかる猫の如く、オーラを纏ったモニカがクラリスに飛びかかる。


 横になっていた状態から瞬時に反応するのは難しかったようで、あっさりとモニカの奇襲を許してしまうクラリス。素早く伸びたモニカの腕があっさりとクラリスの胸を鷲掴みにしたの、ミカ君はっきり見たからね。


「ひゃあんっ!?」


「これか、この胸か! ご主人様を誘惑するエッロい胸はこれか!!」


「ちょ、ちょっとモニカさ……やめっ、んんっ!?」


「でっっっっっっっっっか!!!」


 魂の叫びやめろ、夜だぞ。


「でっか」


 小声。


「え、何よコレ。何食べたらこんな大きさになるのよ」


「も、揉むのをやめっ」


「えいえい」


「ちょっとモニカさん!?」


「まったくもう、悪いメイドよね。ミカだっておっぱい小さいのにこんなの押し付けて誘惑するなんて」


「俺男なんですが」


「あっ忘れてた」


 当たり前のように俺を男だと認識しない女たち。いっそのことミカ君女として生きるべきだろうか。


 なーんか似たような境遇だった先駆者(男の娘)の姿が脳裏にうっすらと浮かぶ……先輩、こういう時どうすればいいんスか。教えてください先輩。


 ガチャ、とドアが開いた。部屋のドアの向こう、暗い通路から部屋の中を覗き込んでいるのは、実に慈悲深い笑みを浮かべた―――しかし百戦錬磨の騎士すら裸足で逃げ出すような、破壊神の如き威圧感を発するシスター・イルゼさんでございました。


 俺、モニカ、クラリスの3人があっさりと凍り付く。蛇に睨まれた蛙という表現があるが、なんかそれに似ている。狐に睨まれたハクビシン……なんだそれ間抜けすぎやしないか。




「 夜 で す よ 」




「「「あっハイ……すいません」」」


 バタン、とドアが閉まり、再び遠退いていくシスター・イルゼの足音。しんと静まり返った部屋の中、誰のせいだよと犯人探しをするようなノリでクラリスの方を見ると、彼女は視線をモニカの方へと向けた。


 そりゃそうだ、モニカがクラリスの胸を揉まなきゃこんな事にはならなかったんだ。


「いやいやいやあたし? あたしが悪いの? 元はと言えばクラリスが挑発するような事言うから……」


「いえ、別に挑発なんて……」


「あーあ、どうせクラリスからしたらあたしも貧乳なんでしょーね!!!」


 声のトーンが上がってきたモニカ。彼女の口を素早く塞ぎ、しーっ、とクラリスと2人で親指を口の前で立てる。


 そろりと部屋のドアを開け、外を見た。


 暗い通路の中、修道服に身を包んだシスター・イルゼと目が合う。


「……あ、ども」


「おやすみなさい」


「ハイ、おやすみなさい……」


 バタン。


 ―――いやいやいや、待て待て待て。


 さっき足音消えたよね? 遠ざかっていったよね? え、何? 部屋の前にワープしてきた? あれか、ラノベちっくなサービスシーン絶対許さないウーマンなのかあのシスターは。


 というか、あの笑みで暗闇に立ってるの軽くトラウマなんだが。やだよ俺、シスターでPTSD発症するの。


 ちなみにこれで二度目―――。


 日本には”仏の顔も三度まで”という言葉があってね?


 シスター・イルゼの笑みはいったい何度目までなんでしょうね? ねえ、モニカさん?


 今度はこっちがジト目でモニカの方を見る。さすがにさっきのはモニカもビビったみたいで、「はい、すみません……」と何故か敬語で謝罪した。


 まあいい、もういいから寝よう。













 シスター・イルゼ怖すぎん?


 ちょっと部屋を出るのが怖くなったミカエル君。ガチャ、と部屋のドアを開けて暗闇を見渡すが、さすがにそこにシスターの姿は無かった。天井に張り付いてるとか、実は後ろに立っているとか、そういうホラゲー的なアレは……ない。


 ふー、と安堵しながら、懐中時計を取り出しつつ通路を歩く。


 時刻は午前2時。よりにもよって丑三つ時だ……うへえ、なんて嫌な時間に目を覚ましてしまったのか。しかし下半身に迫りくる尿意には逆らえず、やむを得ずトイレへ進撃開始。


 ちなみにベッドではというと、寝る前まであんなに胸の大きさで言い合っていた2人が仲良く抱き合いながら爆睡中。しかも寝相でモニカがクラリスの耳を甘嚙みするというとんでもない状況だった。


 童貞には辛い、良い意味で辛い。


 さてさて、トイレは確かこっちに……と教会のトイレの位置を思い出していると、窓の外で何かが動いたような気がした。


「?」


 視線を窓の向こうへと向ける。何やら人影が……重そうな何かが入った麻袋を肩に担ぎ、村の納屋から雪原の方へと歩いていくのが見える。


 夜間の警備兵かと思ったが、違う。警備兵だったらマスケットを背負っている筈なのに、その人影が身に着けているのは護身用のサーベルとピストルのみという軽装ぶり。


 あれってもしかして、ボリス司令官……?


「……」


 なんだか嫌な予感がした。


 こんな夜中にこそこそと、怪しいったらありゃあしない。そもそも今回の村の襲撃についても疑念を抱いていた俺は、すぐに行動をとっていた。メニュー画面を出現させてMP17を召喚、予備のマガジンを2つポケットに収め、足音を立てないように教会の外へと静かに出る。


 外に出ると、既にボリス司令官の姿はなかった。


 見失ったか……足跡でも残ってないかと視線を下に向けたその時、雪が深く降り積もっている辺りでスノーワームが飛び跳ねた。


 何だ、餌でも見つけたか―――そう思いながらMP17にマウントしたライトのスイッチを入れ、愕然とする。


「!?」


 川に落ちた餌に群がるピラニアの如く、スノーワームがさっきの麻袋に群がっていた。という事は中身は肉の類か―――さっきの戦闘で倒した魔物の死体でも詰まっているのかと一瞬ばかり思った。けれどもそれは千切れた麻袋の中から覗いた顔を見た途端に打ち砕かれることになる。






 麻袋の中身は、ボリス司令官だった。






 訳が分からない。


 だってさっき、ボリス司令官は麻袋を担いで……。


 じゃあ、あの中身はなんだ?


 頭の中が混乱しているせいで、何もできなかった。


 雪原の中、ぐちゃぐちゃという咀嚼音と共に消えていく麻袋の中身を、呆然としたまま見つめる事しかできなかった。




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