父の背中
シャーロット「最近キミの抜け毛でぬいぐるみを作るのが流行ってるらしいから、戦闘中に回収したキミの抜け毛を培養して増やしてるところだよ。クックックッ」
ミカエル「なんて?」
「隊長……?」
退避に移っていたシェリルは、ハッとしながら顔を上げた。
こちらに砲口を向ける空中戦艦レムリア。その指揮を任されているボグダンと、遠く離れた地で戦闘の推移を見守っていたのであろうセシリアの口論するような思考が頭に先ほどから流れ込んできていたのである。
諸共に撃てというセシリアと、部下を死なせるわけにはいかないと抗うボグダン。その2人のやり取りは、映像としてではなくどこか遠くから聞こえてくる他者の口論のように、シェリルの脳裏に響いては消えていった。
レムリアの艦首側面にある放熱パネルが解放される。あれは発射の直前になると解放されるもので、あそこから内部を通過し蒸発、気体となった冷却液の蒸気が噴射される仕組みとなっている。
ボグダンが退避のために与えた猶予は10分―――しかしまだ3分程度しか経過していない筈だ。そんな馬鹿な、と思いながら網膜の内側にタイマーを表示したシェリルはそれを見て絶句する。
【00:58:39】
「―――」
全てを悟った。
ああ、同志団長は―――我らを見捨てたのだ、と。
団長権限による、タンプル砲発射制御のオーバーライド。テンプル騎士団という組織の最上位存在であるセシリアのみに許された、部下たちに対する絶対命令権の1つ。
つまりは膠着状態を続けることは好ましくなく、ならば敵が密集している間にタンプル砲で対消滅榴弾を放ち、部下2名諸共に血盟旅団を撃滅せよという命令だ。シャーロットとシェリルという戦力を失うのは大きな痛手だが、それでミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフを含む血盟旅団の主戦力を葬る事が出来るならば安い損害である。
切り捨てられた―――。
どうして、とシェリルは困惑した。
頭の中が真っ白になるのが分かった。
今まで、どんなに辛く苦しい任務でも組織のため、祖国のため、そして同志たちのためだと自分に言い聞かせながら淡々と従ってきたシェリル。テンプル騎士団の使命、ハヤカワ家100年の理想に殉じるために奉仕を続けてきた兵士に対しての仕打ちがこれか、と。
そして同時に、ボグダンが自分たちをどれだけ想ってくれていたかも理解した。彼のセシリアの命令に抗おうという思考は、彼女の脳にも届いている。
(ダメです……同志ボグダン、やめてください!)
必死に叫んでも、彼女の思考は届かない。
続けてボグダンの思考が流れ込んできた―――背中を銃で撃たれる痛み、それでもシェリルとシャーロットを救おうという折れぬ意思、そして血盟旅団側からの反撃の情報。
血盟旅団の列車から、合計4機の自爆ドローンが発射された―――タンプル砲が発射され、一帯が消し飛ばされる前に空中戦艦レムリアを撃沈、対消滅兵器の使用を阻止しようというのが狙いなのだろう。
きっとそれは、自爆ドローンを放ったパヴェル―――かつてウェーダンの悪魔の異名を欲しいがままにした、速河力也という男にとっても苦渋の決断だった筈だ。
ヴゥーン、と重苦しいエンジン音にハッとして顔を上げる。合計4機の自爆ドローンが編隊を組み、レムリアの左舷へと突っ込んでいくところだった。
『どうか幸せに』―――自分と、シャーロットに向けたボグダンの最期の思考。
直後、空の中で純白の閃光が生じた。
カッ、と眩い太陽を直視したような光。ドローンに搭載された弾頭内部に不活化された状態で封入されていた対消滅エネルギーが一気に活性化、真空状態での爆発的な増殖を遂げたそれらが大気中へと拡散するや、間近で生じた火種に触発されて爆発的に燃焼。さながら「光る泡」のように十重二十重に弾けながらアメーバのように広がって、空中戦艦レムリアの船体を舐め回す。
光の白い泡に触れた装甲が消し飛び、船体が欠けていく。触れた物質の性質に関係なく消滅させる対消滅エネルギーの爆風はみるみるうちにその体積を増し、レムリアの船体の半分を消滅させる勢いで燃え広がっていった。
ボグダンからの思考が―――途絶える。
対消滅エネルギーの泡が、彼のいたであろうタンプル砲制御ブロックにまで達し、制御ユニット諸共彼の肉体を消滅させたのだと理解するや、シェリルの両目が熱くなった。
まだ新兵の頃から手塩にかけて育ててくれたボグダン。
ホムンクルス兵たちに”親”という概念はない。肉片から培養され、ガラスの培養装置を母親の子宮代わりに生まれ落ちるホムンクルス兵たちを育てるのは、教育担当の個体たちなのだ。血の繋がりはあれど、そこに己の腹を痛めながら生んだ母親としての愛情はない。
だからシェリルは、時折思った。
もし父親が居たならば、きっとボグダンのような存在なのかもしれない、と。
「……おとう、さん」
掠れた声で、気付けばそう絞り出していた。
お父さん―――ホムンクルス兵には決して存在しない、親という概念の片割れ。
しかし今思えば、常に2人の身を気遣い、最期は絶対的権力者たるセシリアに反抗してまで2人を守ろうとしたボグダンの背中は、紛れもなく父親のものだったのだろう。
声を震わせながら、シェリルは地面に膝をついた。
今まで冷淡で、感情を宿す事などほとんどなかった紅い瞳から、ぼろぼろと大粒の涙が零れ落ちる。
「―――待ってください」
「……?」
傍らにいたクラリスが、声を震わせた。
彼女に魔力通信に介入する能力はない。それはあくまでも、後期生産型ホムンクルスの特権である。最初期にロールアウトした初期モデルのクラリスにそのような能力は備わっていない。
だからボグダンとの間に交わされた交信も、彼の意図もクラリスには分からない筈だが、どうやら彼女が声を震わせているのはその件ではないらしい。
涙を拭い、顔を上げた。
【空中戦艦レムリアよ―――テンプル騎士団に殉ぜよ】
「まだ……まだ生きて……」
モニカの絞り出したような、震える声。
対消滅兵器の直撃を受けたレムリアは―――信じがたい事に、まだ生きていた。
消滅を免れた艦首側のスラスターを全力噴射。辛うじて無事だった補助エンジンの二重反転プロペラ、そのシャフトから炎を芽吹かせながらも最大稼働で自重を支えているレムリアの艦首が、未だこちらを睨んでいる。
ボグダンの離反を見越し、艦そのものの制御をオーバーライドしたのだろう―――そんな事が出来るなんて、とシェリルが驚愕した次の瞬間、大きく展開していたタンプル砲の砲口が閃光を発した。
発射されたのだ―――対消滅榴弾が。
鼻腔の奥までツンとするような、薬の臭いがした。
清潔なベッドの並ぶ医療室の中。床から壁、天井に至るまで真っ白な部屋の中、そのベッドに横になっているのはただ1人だけ。
ぼさぼさの蒼い髪に光のない紅い瞳。ちゃんとご飯を食べていないのか、体格は普通の子供にしては痩せ細っていて、生きる気力を全くと言っていいほど感じない。
虚ろな目でぼんやりと、窓の向こうで遊ぶ子供たちを見つめている。
彼女が誰なのか、俺には分かった。
シャーロットだ。
幼少の頃の彼女―――そう理解した途端に、彼女の声が頭の中に流れ込んでくる。
【ねえ先生、どうしてボクの身体は動かないの?】
【もう注射もお薬もいやだよぅ】
【いつまでこんなどろどろしたご飯を食べればいいんだろう】
【ボクだって、こんな身体で生まれたかったわけじゃない】
【みんなと同じが良かった……自分の足で、大地を踏み締めたかった】
生まれながらにして多数の障害を持って生まれてきたホムンクルスの仔、シャーロット。
強いホムンクルス兵を生み出そうという狂気の計画の産物として生を受けた彼女は、しかし胎児になる前の段階から行われた遺伝子操作という非人道的な処置により大きく遺伝子のバランスを崩され、結果として他者の思考を読む能力を得たものの、その対価として多数の障害を持ったまま生まれる事となった。
色盲、記憶障害、味覚障害、下半身不随……それ以外にもたくさんの、普通の人間として生きていくための機能を大きく制限するような障害が列挙され、ただただ哀れに思ってしまった。
こんな仕打ちがあっていいのか―――ここまで救われない人間が居て良いのか。
《キミには分からないだろうねェ》
いつの間にか、後ろにシャーロットが居た。
首から下は機械の身体だった―――彼女は資金を集め、自分の技術力を総動員して、深刻な障害を抱えていた己の肉体を棄てたのだ。使い物にならない生身の肉体を取り除き、より合理的で優れた機能を多数内包した機械の身体に乗り換えた。
そしてそんな彼女を必要とし、手を取ってくれた相手こそが指揮官のボグダン―――。
《強い兵士として生まれる事を望まれ、しかし結果は障害だらけの使い物にならない子供……ボクにはキミみたいに、同じ側に立ってくれる理解者が居なかった》
『……』
《羨ましいよ、キミが。そしてちょっとだけ憎たらしい》
そう言いながら、シャーロットは俺の目の前で初めて―――悲しそうな表情になった。
なんでそんな顔をしやがる……。
ぼんやりとしながらも意識が戻ってくると、それとセットで身体中の激痛も戻ってくる。ほんの少し身体を動かそうとしただけで腹の辺りが悲鳴を上げ、鉄のような臭いがする熱い液体が溢れ出る感覚がする。
視線を向けると、腹にはマチェットで突き刺されたような傷口があった。
ああ、そういえばシャーロットに刺されたんだっけ……お互い相討ちになって、それから……それから、どうした。
視線を巡らせると、傍らでシャーロットも倒れていた。呼吸に合わせて微かに身体が上下しているからまだ生きているのだろう。しかし彼女も彼女で傷口からスパークを迸らせているし、人工血液とオイルの出血量も俺と同レベルだった。倒れている彼女の身体の周囲には、血とオイルの混じった水溜りが出来上がっている。
痛みでぶるぶると身体を痙攣させながらも、剣槍を杖代わりにしてなんとか立ち上がった。懐からエリクサーの容器を取り出し、中に入っていた錠剤を3つまとめて口の中へと放り込む。ハーブの香りがするそれが喉の奥へと消えていく感触と共に、肉の下でもぞもぞと折れた骨やら傷ついた内臓が蠢く感触がした。損傷した肉体が、一時的に付与された驚異的な治癒能力で本来あるべき姿に戻ろうとしているのだ。
折れた左腕も何とか動くようにはなった(ただし指先にはまだ力が入らない)。握ったり開いたりを何度か繰り返してから呼吸を整え、足元に落ちているグロック17Lを拾い上げてシャーロットの傍らへと歩いた。
今にも光が消えそうな紅い瞳と、目が合う。
クラリスと同じだ―――近くで見れば義眼だという事が分かるが、それでもルビーのように紅くて、綺麗な瞳をしていた。
「は、ははは……負けた挙句、記憶まで覗かれてしまうなんてね……」
「……何か言い残す事は」
「……屈辱だけど……でも、キミと全力で戦えて楽しかったよ、ボクは」
彼女にしては珍しく、真っ当な笑みを浮かべた。
まるで友達と遊んでいる子供のような―――そんな無邪気さがある。
「さあ……撃ちたまえよ。キミにはボクを……殺す資格がある」
息を呑み、スライドをやや後退させて薬室をチェック。薬室の中にはしっかりと、鋭い輝きを放つ真鍮の薬莢に収まった9×19mmパラベラム弾―――それも対ホムンクルス兵、あるいは黒騎士用に用意した”強装徹甲弾”が装填されている。
たった一発。たった一発だけで、シャーロットを殺すには事足りる。
「……」
銃口を向けた。
奇妙な感覚だった―――いつも使っている拳銃が、どうして鉛のようにこうも重く感じるのか?
頭では理解している。シャーロットは、この女は殺さなければならない。コイツは何の罪もない人々を資源として消費し、賢者の石の材料にしていた極悪人だ。自分たちの目的のためならば、他人がどうなってもいいとすら考えている人格破綻者なのだ。殺さなければ、また新たな犠牲者が生まれるかもしれない。
そして何より、コイツに賢者の石にされた犠牲者たちはきっと浮かばれない。
それは分かっている、分かっているんだ。
なのに、何故……何故、引き金が引けない?
そっと銃口を降ろすと、シャーロットは目を丸くしながらこっちを見ていた。
「……撃ちなよ。殺しなよ、ボクを」
「……」
その時だった。
ドン、と空が弾けたのは。
ぎょっとしながら視線を外へと向けた。戦闘の影響で壁に穿たれた大穴の向こうには、純白に弾ける光の泡のようなものが見える。それは段々と面積を増し、こちらに向かっているようだった。
あれには見覚えがある。
対消滅爆弾―――ゾンビズメイ討伐の際、帝国騎士団が無制限使用した禁忌の兵器。
かつてテンプル騎士団を呼び寄せるきっかけとなったそれが、ついに使用されたのだ。時間切れ……にしては随分と早いようだが、テンプル騎士団にはせっかちな奴でもいたのだろうか?
「……行ってくれ」
「シャーロット?」
床に倒れたまま、シャーロットは言った。
「せっかくボクに勝ったんだ……勝者まで共倒れなんて、笑い話にもなりゃあしない」
彼女を置いて逃げれば―――今の回復した状態ならば、何とかなるかもしれない。多少爆風に巻き込まれるかもしれないが、それでも致命傷は負わずギリギリ逃げ切る事も可能だろう。
それは分かっている。
頭では、理性では理解している。
けれども感情が、全力でそれを拒んだ。
気が付くと俺は、グロックをホルスターに収めてシャーロットに手を伸ばしていた。彼女の小柄な身体を背中に背負い、片手で剣槍を杖代わりにして、よろめきながら歩き始める。
「……キミは馬鹿なのかい?」
「うるせえ」
「置いていきたまえ。そうすればキミだけでも……」
「そんな後味の悪い結末、俺は認めない」
「後味の問題じゃあないと思うんだけどねェ……」
「やかましい、黙って救われろ」
そう言い切ると、シャーロットはびっくりしたように目を丸くして、それ以上は何も言わなかった。
出せる全力を出し、とにかく前へと進む。
けれどもその速度は何とももどかしいものだった。まるで夢の中で走ろうとしても走れない時のように、身体が糖蜜の中を進んでいるかのように鈍重になっている。
そうしている間にも、純白の閃光はもうすぐ背後まで迫っていて―――。
白い閃光が、ゴーストタウンの一角を呑み込んだ。




