悪魔の選択
ノンナ「ねえミカ姉、お兄ちゃんのベッドの下にギッチギチになるまでミカ姉のえっちなイラストが描かれた本が隠してあったんだけど……」
ミカエル「なんて?」
好敵手との死闘。
戦の中で感じる、死の予感―――生の実感、死闘の楽しみ。
それは私にも分かる。
剣を、銃を握り戦場に出れば、そこに待ち受けているのはいつも決まって死の世界だ。兵士の叫び、銃声、爆音……人間世界の地獄がそこにある。
我々はそこで生まれた。ハヤカワの一族は戦に出て多くの敵を殺し、そうして栄達を重ねてきた。ゆえにこの遺伝子には、戦を求める衝動が刻まれているのだ。この私、セシリアという女を構成する細胞の一つ一つに、戦への欲求が決して消えぬほど深く刻まれ、そしてやがては未来へ受け継がれていくだろう。
シャーロットの思考も手に取るように判る。
確かにそうだろう―――あれほどの強敵との死闘は、きっと楽しいだろう。
1人の戦士として、彼女の選択を否定するつもりはない。むしろ私も同じだ。彼女と同じように、相手との決着を切望するに違いない。
―――だが、くだらない。
分かっている、それが矛盾に満ちた判断だというのは。
1人の戦士としての私はそれを認めよう。強敵との死闘に楽しみを見出してしまう、そんな種族として生まれてしまったが故の宿痾。決して消える事のないそれに、我々キメラは向き合っていかなければならない。
だが―――組織の長としての私は、それを認められないでいる。
今、ここで血盟旅団を逃がすわけにはいかないのだ。連中に逃げおおせられ、イライナ独立を許す事となれば色々と面倒なことになる。最終的に勝利するのは我々だとしても、その計画には大きな遅延が生じる事になるだろう。
それがどれだけの不利益を被るのか、どうやらあの部隊でそれを理解し戦いに臨んでいるのはボグダンだけらしい。
ボグダンはタンプル砲の発射態勢に入った。発射準備まで10分、という情報がすでに上がってきているが、それは味方の退避を含めた時間なのだろう。そんな悠長な事をしていれば、仕留めるべき敵には逃げられるし血盟旅団からの手痛い反撃を受ける可能性は考えなかったのか?
血盟旅団には対消滅兵器があるのだぞ?
心の中の苛立ちが伝播したのだろうか―――傍らで威風堂々を流していた蓄音機が、唐突にノイズばかりを発するようになってしまった。
「……団長閣下?」
傍らに控えているミリセントが心配そうに言う。
目の前にウインドウを呼び出し、コードを入力していった。
団長権限―――ボグダンのような一部隊を預かる指揮官のそれとは根本的に異なる、組織の最上位コマンド。
表情一つ変えずに、私はそれを承認した。
《最上位コマンド が 発令 されました》
《タンプル砲 発射シークエンス オーバーライド》
《カウントダウン 再設定》
《外部 からの 介入 全てを ブロック》
《タイマー更新 発射まで あと 120秒》
カウントダウンのタイマーが唐突に書き換えられた瞬間、ボグダンは何が起こったのかを一瞬で悟った。
頭では理解している―――どういう理屈でこうなったのか、という事は言われなくともよく分かる。
だが―――身体が、心がそれを理解できていなかった。なぜ、一体なぜそのような事を、という困惑が彼の胸中で渦を巻き、それはやがて現場で戦う部下を明確に切り捨てる決断を下したセシリアへの苛立ちに変わっていった。
ウインドウを呼び出しタンプル砲の制御システムにアクセス。無駄だと知りつつも認証番号を入力し強制停止を執行しようとするが、しかし脳内に響いた甲高い電子音と【Дo иo accёss(アクセス不可)】という短いメッセージに、ボグダンは愕然とする。
ならば、と身体を起こし、座席の脇にある強制停止スイッチのガラスカバーを開いた。中には紅く発光するボタンがある。艦の指揮を執る艦長に託された、タンプル砲の緊急停止スイッチだ。
複数の薬室を用いて口径200㎝の砲弾を加速させる要塞砲、タンプル砲。それを切り詰め、薬室の数も減らして空中戦艦へと強引に搭載したそれは、薬室への点火前であれば強制停止させることができる。もっともそれは友軍へ危害が及びそうな場合、あるいは標的が移動、または変更となった場合などの緊急時を想定しているものであり、組織の長である団長からの命令を遮る用途は想定されていない。
それを思い切り押し込んでも、何も変わらなかった。目の前のカウントダウンは淡々と秒読みを続けており、残り100秒を切っている。
《’冷却液強制注入ポンプ、動作開始》
《放熱パネル解放》
《照準微調整、仰角プラス1度》
感情のないAIの音声に神経を逆撫でされながら、ボグダンはこの思考を読んでいるであろうセシリアへと己の内で叫ぶ。
(団長、あなたは何を……!!)
【―――ボグダン、状況が変わった……すまないが撃たせてもらうぞ】
(冗談じゃない……! まだ前線では私の部下たちが戦ってるんですよ!?)
【気の毒だが……2人の尊い犠牲で使命は成される】
(部下に死ねというのですか!? あなたを信じてついてきた部下に!!!)
【……そうだ】
絶句した。
脳裏に浮かぶのはシェリルとシャーロットの顔だ。2人とも決して表情を表に出したり笑みを見せるようなタイプではなかったが、ボグダンとしてはそれなりに可愛がっていたし、組織に反旗を翻すとなったあの時から、できるだけ面倒を見てやろうと思っていた可愛い部下たちである。
指揮官である以上、部下の命と命令を天秤にかけなければならない時が必ず来る―――訓練兵時代、ウェーダンの悪魔の異名を欲しいがままにした速河力也大佐は、まだ青かったボグダンにそう言った。命令のために部下の命を危険に晒し、あるいは見捨てる時が来るかもしれない。指揮官を志すなら心を殺す事にも慣れておけ、と。
これがまさにそれだというのか―――ボグダンの心は、今までにないほど乱れていた。
(あなたがそれを言うのですか、大佐……部下を一度も死なせた事のないあなたが!)
歯を食いしばり、ボグダンは腰のホルスターから大型のリボルバー拳銃―――RSh-12を引き抜いた。角張ったシリンダーの中には5発の12.7×55mm弾が収まっている。
【ボグダン、馬鹿な考えはやめろ】
(……)
セシリアの声に呼び止められるが、しかしボグダンの歩みは止まらない。
最上位コマンドでシステム的に介入が出来ないのであれば、タンプル砲の発射を防ぎ部下の命を守るために取るべき手段は1つだけだ。
艦にあるタンプル砲の制御ユニットを物理的に破壊、システムを強制的にシャットダウンさせるしかない。
【ボグダン、分かっているのか。命令違反だぞ】
(分かっています。これは私の最初で最期の命令違反です)
テンプル騎士団において、団長の命令は絶対だ。
それに背いたどころか組織に不利益をもたらしたとなれば、死罪は免れないだろう。
だが、それでも良かった。銃殺刑にされても、部下たちの―――シャーロットとシェリルの2人を守る事さえできれば。
ボグダンにとってあの2人は、こんな自分について来てくれたかけがえのない部下なのだ。
敵艦がタンプル砲の発射態勢に入ったのは、映像を見れば一目瞭然だった。
間違いない―――ボグダンは、かつての自分の教え子は命令を撤回するつもりはないらしい。
空中戦艦の船体側面にある放熱パネルが解放され、冷却体勢に入ったのが分かった。タンプル砲は砲撃の際、複数の薬室を次々に転嫁する関係上、砲身やシステムに凄まじい熱量が生じる。だから砲身に沿うように配置された冷却システムを用い、注入した冷却液とそれで生じた蒸気をあそこから排出する仕組みになっているのだ。
そしてそれは、発射の直前になると解放される―――もしタンプル砲の仕様が、パヴェルがセシリアの腹心として戦っていた頃と変わらないのであれば、タンプル砲の発射まで2分を切ったという事になる。
もはや一刻の猶予もなかった。
既にドローンステーションにある大型発射機には、対消滅弾頭をセットした対艦自爆ドローン『スイッチブレードEX』が装填されている。システム認証も済み、後は手元にある発射スイッチを弾くだけでランチャーからそれが発射されるわけなのだが……最後の最後になって、パヴェルの脳裏に浮かぶのはまだ教え子だった頃のボグダンの顔だった。
敵を殺すのであればまだ分かる。名前も知らなければ顔も知らず、話す言葉も所属する組織も違う見ず知らずの兵士。そういった相手を殺せというのであれば、もう何の抵抗も感じない。相手にも家族がいるだとか、帰りを待つ人がいるという背景があったとしても「これは仕事だから」「これは戦争だから」と理由を付けて誤魔化せるし、罪悪感も何も感じない。
だが―――パヴェルは、速河力也という男は、敵を殺す事に長けてはいても教え子を殺す事には全くと言っていいほど不慣れだった。
スイッチにかけた手が、止まる。
(―――俺が……俺みたいな老兵が、まだ先のある奴を殺してどうするよ?)
頭では分かっている。撃たれる前にあの敵艦を沈めなければ、作戦展開地域で戦っているミカエルやクラリスたち、血盟旅団の仲間たちに危害が及ぶ。
だが―――仲間を救おうとすれば、教え子が死ぬ。
かつて組織の理想に燃え、愛国心を胸にテンプル騎士団の門を叩き、地獄のような特殊作戦軍の訓練を気合と根性で乗り越えてきた教え子の命が。
またしても悪魔のような選択を突きつけられ、彼もまた苦しむ事となっていた。
ミカエルの顔が思い浮かんだかと思えば、まだあどけなさの残るボグダンの顔も浮かんでくる。
目をぎゅっと瞑った。
赦せ、と何度も頭の中で繰り返した。
赦せ、赦せ、赦せ……それは仲間か妻かすらも選べず、こんな土壇場で決断を躊躇してしまう自分の弱さを詫びるものなのか。それとも、選ばれず切り捨てられる側への贖罪の言葉なのか。
クラリスたちは既に作戦展開地域から退避を始めているが、今からではとても間に合わない。ミカエルはシャーロットとの激闘の果てに相討ちに近い形となったのだろう、2人そろってコンクリートの床に倒れ伏したまま動く気配はない。
仲間たちの命を救うためには―――そうだ、撃たれる前に敵艦を撃沈するしかない。
天秤が傾いた。
血盟旅団の仲間たちの命か。
それともかつての教え子1人の命か。
(―――地獄で、待ってろ)
俺もきっと、すぐ行くから―――目の端に涙を滲ませ、パヴェルはスイッチを弾いた。
どう、と4連装大型発射機の中に装填されていた対艦型自爆ドローン―――スイッチブレードEXが発射された。装薬に押し出されるや、発射された飛翔体が合計4つの安定翼を展開。不活化された対消滅エネルギー弾頭を搭載した状態で、合計4機の自爆ドローンたちが敵艦へと向かって飛んでいく。
パヴェルは選択した。
仲間たちのため、1人の命を切り捨てる選択を。
ごうん、ごうん、と脈打つように鳴動する巨大な装置を前に、ボグダンは息を呑んだ。
それは機械の塊のようだった。無数の配線やら配管が血管さながらに絡みつき、中央にある球体状のシステムへと接続されている。
たかが500mの金属製の筒から、直系200㎝の砲弾を撃ち出すためだけにここまで大掛かりなシステムが必要になると考えてくると、そのダイナミックさがむしろ面白おかしく感じられた。どれだけ無駄な事に金をかけているのか、とすら思えてくる。
躊躇もなく、ボグダンはRSh-12の引き金を引いた。
ロシア製の50口径リボルバーが火を吹く。ガァンッ、と重々しく強烈な反動が手元に生じ、それに見合う威力の弾丸―――至近距離においてボディーアーマーすらもぶち抜く威力のある弾丸が放たれるが、しかし制御システムに命中したそれはさしたる損害も与えられていないようだった。
システムに穴が開き、スパークが生じる。だがカウントダウンは止まらない。
ならば、と続けて引き金を引くが、結果は同じだった。
シリンダーを横に振り出し、スピードローダーで弾薬を装填……していたところで、ドッ、と背中に鋭い痛みが走る。
「……ああ、そうかい」
喉の奥から溢れてくる、熱くて鉄臭い体液の感触。
ゆっくりと振り向くと、そこには3体の黒騎士が居た。サプレッサーとPK-120を装着したAK-15をこちらに向け、じりじりと接近してくる。
おそらく、セシリアの命令を受けたのだろう。命令違反を犯したボグダンに対し実力を行使するため、命令系統をオーバーライドされたに違いない。
続けて放たれた7.62×39mm弾を首を傾けて回避し、逆にヘッドショットを叩き込むボグダン。西部劇のガンマンさながらの素早い連続射撃に、3体の黒騎士たちが2秒足らずで頭を撃ち抜かれ、そのまま動かなくなってしまう。
ウェーダンの悪魔の教え子を舐めるんじゃない、と口元に笑みを浮かべつつ、ウインドウを開いた。
接近警報が発令されている。ミサイルか、それに類するものがこのレムリアに高速で接近しているのだ。
ボグダンには分かる―――タンプル砲の発射がもはや止められないのであれば、発射される前にこのレムリアを撃沈して阻止しようというのだろう。パヴェル……いや、速河力也という男ならばきっとそうするだろう、とどこかで期待していたボグダンは、安堵したような表情を浮かべながら壁にもたれかかった。
「は、はは……やっぱりな、あの人ならやると思ったよ……」
べっとりと自分の血が付着した壁を見上げ、笑みを浮かべる。
それでいい―――むしろ、このような出来の悪い教え子1人を切り捨てられないで何が”ウェーダンの悪魔”か、という思いすらあった。
彼は期待に応えてくれた。ならば、ボグダンもまた期待に応えなければならない。
被弾し激痛を発する肉体に鞭を打ち、制御システムの脇にあるパネルを展開した。
今のレムリアには対空迎撃システムが備えられている。いくら複雑な回避運動が可能なミサイルや自爆ドローンであろうとも、高度なこの迎撃システムの前では無力だ。どんな攻撃も問答無用で迎撃されてしまう。
タンプル砲の制御はセシリアにオーバーライドされているが、艦の防御システムまではオーバーライドする権限はない。その権限は艦長に委ねられている。
認証番号を打ち込み、艦の防空システムへとアクセス。ミサイル、速射砲、CIWS……あらゆるシステムをパッシブモードへと切り替えていくと、黒騎士たちの足音が彼の耳に届いた。
銃を向け、慌ててボグダンを止めに来た黒騎士を撃った。頭部の制御ユニットを砕かれた黒騎士が仰向けに崩れ落ちるが、後続の黒騎士が放ったRPDの掃射のうちの一発が、ボグダンが展開したキメラの外殻の間へと飛び込む。
目を見開き、血を吐きながらも応戦したボグダンは、激痛を何とか押し込めながら部下たちを呼び出す。
(シェリル……シャーロット……)
返事は、ない。
退避中でそれどころではないのだろう―――そうであると祈りたい。
(お前たちは、1人じゃあない……)
《警告 敵飛翔体 本艦に接近中》
《防空システムダウン 回避してください》
《警告 突入まで20秒》
警報が一気に騒がしくなる。
このレムリアを一撃で撃沈するのであれば、装填されている弾頭は通常弾頭などではなく―――虎の子の対消滅弾頭であろう。
命中すれば、ボグダンの命はない―――だが、この魔の要塞砲を地獄へ道連れにする事は出来る。
昔の自分では考え付く事すら無かった、セシリア・ハヤカワへの反逆。
それは大義のためでも理想のためでもなく―――娘同然に可愛がっていた部下2人を守りたいという、愛情にも似た感情によるものだった。
(2人とも……どうか、幸せに……)
《飛翔体突入まで 3 2 1―――》
カッ、と白い閃光が夜空で弾けた。
防空システムがダウンした空中戦艦レムリアは、回避もしなかった事もあって、血盟旅団の列車から放たれた対消滅弾頭搭載型自爆ドローンの格好の餌食となった。
真空状態で保存されていた対消滅エネルギーが活性化、急激に増殖しながら点火されたそれは純白に輝く光の泡となり、空間を瞬く間に侵食し始める。
空中戦艦の装甲だろうが、単分子構造の装甲だろうがお構いなしに、触れた物体を消滅させる恐るべき対消滅エネルギー。退避する手段を喪失した空中戦艦レムリアはあっという間にその光の泡の中へと呑み込まれ、船体の装甲を消滅させられていった。
エンジンが千切れ、装甲が消失し、剥き出しになった人工筋肉の層が光の中へと消えていく。それは船体表面だけでなく船内にも及び、艦内へ配備されていた装甲車両や黒騎士たち、そして制御室で自分の最期を覚悟していたボグダンの肉体まで呑み込んでいった。
船体の左舷、やや艦尾側にまとめて4発の対消滅弾頭を叩き込まれたレムリアの船体が悲鳴を上げていく。
空飛ぶクジラのような威容の空中戦艦が、ついに力尽き
その砲口に、光が宿った。
【空中戦艦レムリアよ―――テンプル騎士団に殉ぜよ】
今回の話を書いてて某ガンダムの「撃てぇー! マリュー・ラミアスぅー!」を思い出して鬱になりました。書いてる私だけ鬱になるのも不公平ですので、これを読んでいる読者の皆さんにもこの鬱をお裾分けいたします(鬼畜)




