機械のカラダ、ヒトの心
ルカ「ミカ姉……ここだけの話なんだけど、実は俺昨日の夜ミカ姉で抜」
ミカエル「なんて?」
自分の出生を呪った事は一度や二度ではない。
強いホムンクルス兵を作るため―――そんな目的のために、まだ物心つく前から……いや、培養装置の中に浮かぶ肉片の一片だった段階から遺伝子を弄り回されて、身体中に欠陥を抱えた子供として生まれたこの命。
窓の外で元気に遊ぶ同年代の子供たちを見ながら、何度も思った。
―――どうしてボクは色が分からないの?
―――どうしてボクはベッドから立って歩けないの?
―――どうしてボクは固形物を食べてはいけないの?
―――どうしてボクの身体はちゃんと動かないの?
―――どうしてボクは他の皆と違うの?
何度も憎んだ、何度も呪った。
自分たちのエゴのために生まれる前の命を弄び、いざ生まれてきた命が数多の障害を抱えている事を知るなり「失敗作」の烙印を押して、こんな薬臭い医療室に押し込めた大人たちを憎んだ。こんな残酷な人体実験ができるよう法整備を進めた政治家たちを呪った。
そしてボクを、こうなりたくてなったわけじゃあないボクを陰で嘲笑う連中を殺してやろうとすら思った。
満足に動かない生身の身体が恨めしかった。いっそのこと、SF映画で見たように、意識だけを電子化して電脳の世界に行く事が出来たら―――あるいは生身の身体を棄てて、脳だけをロボットに移植して機械の身体を手に入れる事が出来たなら、どれだけ自由になれるだろうか。
一度でよかった―――自分の足で大地を踏みしめ、自分の手で物に触れ、自分の目で世界を見てみたかった。
ごく普通の人間として、生きたかった。誰かに愛されてみたかった。
そんな鬱憤が―――積もりに積もった羨望が、欲求が、ありとあらゆる感情が、しかし戦の中で解き放たれていく。
まるで水門を解放したダムのように、もう二度と止められない。
誰にも、決して―――自分でさえも。
ミカエルの放った弾丸が、機械の身体の腕を強かに打ち据えた。ガァンッ、と耳を聾する甲高い音に顔をしかめつつ、網膜に投影される情報を確認。今の衝撃で腕の回路の一部が機能不全を起こしたようだが、それはすぐに予備の回路をバイパスさせることでダメージコントロール。
今の一撃は頭を狙った射撃だった。腕の一本、回路の一片、その程度の損害など安いものだ。
右手を突き出し、スチェッキンの引き金を引き搾る。ドガガガガガ、とスライドが激しく前後して、特注のドラムマガジンの中身をあっという間に食い尽くした。
9mmマカロフ弾の弾雨が牙を剥く。ミカエルはそれをローリングで回避しつつ磁力を展開し防護するが、彼女もまた限界を迎えている事は明白だった。
磁界に突入したマカロフ弾が次々に弾道を逸らされていく。拳銃弾の弾道すら狂わせるミカエルの磁力魔術には脱帽だが、しかし疲弊の影響なのだろう、その内の一発が弾道を狂わされながらも左足の太腿を掠め、ミカエルの顔に苦悶の表情が浮かんだ。
分かっている、磁力魔術の強さは魔術師の放出する魔力の強さに比例する。強力な磁界を展開するためにはそれ相応の魔力消費を覚悟しなければならず、消耗を恐れて魔力放射を控えればそれ相応の磁界しか展開できない。
拳銃弾すら完全に受け流せていない―――ミカエルの限界は、近い。
ならば勝負を決めるのは今しかない。
着地したミカエルがAK-308を向け、射撃してくる。
弱みを見せた相手に策を弄する必要もない。真っ向から挑み、一気に捻り潰す―――こちらも限界が近い以上、短期決戦に持ち込むのが上策と言える。
腕で生身の部位である頭を防護しながら、姿勢を低くして一気に突っ込んだ。勢いのままに飛び膝蹴りをお見舞いしようとするが、けれどもさすがは獣人、命の危機に瀕した際の危機察知能力は随一といったところか。
ミカエルの腹を打ち据え、内臓を破裂させるつもりで放った飛び膝蹴りは、しかし後方に回避したミカエルが手にしていたAK、そのハンドガードにマウントされていたグレネードランチャーを捉えた。ごしゃあ、と砲身がひしゃげ、その衝撃にたまらずAKから手を放してしまうミカエル。
とった―――今の一撃をやり過ごしたところで、しかし続く追撃をやり過ごす事など出来ないだろう。そう確信していたボクの脇腹に、しかし鈍い音と共に衝撃が走る。
「―――!?」
右の脇腹を、ミカエルが手にしていた例の剣槍が直撃していたのだ。まるで主を守ろうとするかのような挙動だが、あれもミカエルの磁力魔術により操作されているのだろう。もう無駄な魔力を消費できないほどカツカツである筈なのに、この女も無茶をする。
血涙を流し、鼻血に加え耳からも出血するミカエルの顔を睨みながら、そう思う。
それはまあ、ボクも同じだ。
この機械の身体はもう限界が近い。物理相殺装甲も機能しなくなったし、魔力残量も残りわずかだ―――先ほどから脳内に【Дas vam paallcяёd(魔力残量僅か)】という警告音性がひっきりなしに響き渡っている。
魔力は生命エネルギーの一部―――それはこの世界の人類とも、そしてボクたちの世界の人類とも共通の特徴だ。消費した魔力は時間経過で自然回復するが、しかしそれは生身の身体を持つごく普通の人間である場合の話。
ボクのような機械の身体の場合、魔力を消費すればそれっきりだ。母艦に戻るなり何なりして、ゲーム機やスマホを充電するように魔力の補給を受けなければならない。
ホルスターに手を突っ込み、超小型モデルのグロックを引き抜くミカエル。それを左手で握るや、至近距離でボクの身体にそれを突きつけて、何度も引き金を引きやがった。
先ほどの水素爆発(水素の音ってなんだ)で生じた傷口に、マズルガード付きの小型拳銃を押し付けて引き金を引くミカエル。剥き出しになった人工筋肉や配線類に飛び込んだ9×19mmパラベラム弾が容赦なく内部構造をズタズタにしていき、スライドが後退する度に網膜に新しい警告メッセージが増えていく。
痛みはない―――機械の身体なのだから、痛みを感じようもない。
だが、やられっぱなしは性に合わない。
視界にノイズが走り始める―――システムがダメージのせいでダウンしかけているのだ。
これ以上やらせてなるものか。こんなところで負けてなるものか。
―――もう、あの頃に戻ってたまるか。
歯を食いしばり、無造作に腕を振り上げた。ボキュ、と湿った音と骨の折れる感触。振り上げた拳がミカエルの左腕を捉え、荒々しくへし折った音だった。
「あ゛ぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
腕の骨が折れる痛み―――早々に生身の身体を捨てたから、ボクには人の痛みが分からない。
腕の中、肉の内側にある骨が折れる痛みというのはどういうものなのだろう。彼女の表情から察するにかなりの痛みである事は疑いようもないのだが。
ドッ、と衝撃が走った。何事か、と思う暇すらない。網膜の内側に投影された映像が、右腕が今の一撃で切断された事を告げてくる。
いつの間にか、足元からコンクリートの大剣のようなものが伸びていた。当然ながら先ほどまでそんなものは影も形もなく、それがミカエルの錬金術によって生み出されたものである事が分かる。
それに気を取られている間に、ミカエルの拳がボクの顎にめり込んだ。
頭が揺れる―――脳の処理が一瞬停滞し、義眼にもチカチカと何か光のようなものが映った。
脳裏に蘇る幼少の頃の苦い記憶。誰も助けてはくれず、苦しみだけがあった。
あの頃にはもう戻りたくない―――だからボクは同志ボグダンの手を取り、テンプル騎士団の門を叩いた。
こんなところで、負けるわけにはいかない。
いつの間にか、剥き出しになった感情がボクに獣のような唸り声を発させていた。そのまま追撃を目論むミカエルの右腕を左手で掴むや、勢いを利用して一本背負い。今時格闘訓練なんて、と個人的に軽視していたそれがこんなところで役に立つとは。
背中をコンクリートの地面に叩きつけられ、息を詰まらせるミカエル。そのまま彼の頭を踏み抜こうと脚を振り下ろしたけれど、ミカエルはとにかくしぶとかった。目をカッと見開くやごろりと横に転がって、頭を潰そうと振り下ろした一撃を回避したのだ。
あと少しで、と惜しい思いをしたが、その一方でこの死闘を楽しんでもいた。
ああ、やはりボクもホムンクルス兵の端くれなのだ―――対消滅榴弾が発射されるまでの10分間、その僅か10分という時間の中で、ここまで高揚する戦いができるとは。
今、ボクは自分の足で立っている。
自分の腕で戦っている。
自分の目で、倒すべき敵を見ている。
他の誰も介入する事の出来ない、一対一の戦い。
昔の自分では想像もできない程の自由が、湧き上がる高揚感が、確かにそこにある。
ああ、なんて事だ―――今のボクは、きっと他の誰よりも自由なのだ!
これだ、ボクが欲しかったのは。幼少の頃、薬の臭いが染み付いた清潔なベッドの上で外を見つめるばかりだった自分が知ったならば少しは希望を見出すだろう。それほどの高揚感が身体中を駆け巡って、自前の脳味噌を歓喜で震わせる。
10分と言わず、ずっと戦っていたい。この強敵と。この小さな英雄と。
振り払った回し蹴りを回避し、サイドアームのピストルカービン(グロック17Lにパーツを追加しピストルカービンとしているようだ)を引き抜き、性懲りもなく至近距離で連発するミカエル。左腕を盾にしながら急迫、そのままタックルしてグロックを落とさせる。
もう踏ん張る力すら残っていないミカエル―――しかし先人が『窮鼠猫を嚙む』という言葉を遺したように、袋小路に立たされた被食者というものは時に信じられない力を発するものである。
唐突に、ミカエルが叫んだ。
己の肉体を、魂を奮い立たせるための鬨の声。ゴッ、と頭に衝撃が走り、ミカエルの拳が頭を殴りつけてくる。
二度目のパンチを、しかし左手で掴んで止めた。このまま握りつぶしてやろうと力を込めると、指先はギリギリと音を立ててミカエルの柔肌へと食い込んで血を滲ませる。
しかしそこで、ミカエルは信じられない攻撃に打って出た。
身体を振るい―――なんと、先ほどの戦闘で折れたはずの左腕を鞭のように振るって、頭を打ち据えてきたのである。
気でも狂ったか、と思った。折れて満足に動かず、動かそうとすれば激痛で苛んでくるそれを振るい鈍器にするなど、まともな神経の人間では絶対に思いつかないだろう。
大したダメージはないが、しかし予想外の攻撃に体勢を崩されてしまう。
しまった、と思った頃には、目の前にいたミカエルは右手を突き出していた―――そこに収束されているのは、雷の球体。
大した大きさではなかったが、しかし今ここで魔術を喰らえばただで済む道理もない。疲弊し異常を来した身体では回避する事も叶わず、ボクは彼女の目論見通りに至近距離で雷球を浴びる羽目になった。
バヂン、と弾けるような音。身体中の回路に異常が生じるが、ミカエルも限界のようだった。あの様子では脈拍数も乱れているのだろう―――身体の内外から苛む苦痛に、たまらず目を瞑るミカエル。
エラーを表示する機械の身体。機械的にそれらを騙しながら強引に動かして、ミカエルの腹を思い切り蹴りつけた。魔力モーターの不調やオイル漏れ、配線の短絡など様々な要因が重なったせいで満足な威力は出なかったが、それでも常人にホムンクルス兵の蹴りは致命傷となる。
血を吐き出しながら後ろへと下がったミカエルだが、しかしその瞳には今もなお強い光が宿っている。
決して折れぬ心―――不屈の精神、というのはこういう事を言うのだろう。
磁力魔術を操作して、剣槍を手元に呼び戻すミカエル。
そろそろ決着をつけるつもりだ―――そう悟るや、名残惜しさも感じながら傍らに転がっていた大型マチェットを手に取った。
ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフ。
ボクは無神論者だ。神は存在するか否か、と問われれば首を横に振る。科学こそが絶対で、いずれは神という存在も科学で証明できるだろうと思っている。
けれども今ばかりは―――神とやらに感謝しようと思う。
こんなにも面白い相手とめぐり合わせてくれたことに。
そして、こんなに最高の戦いを経験させてくれたことに。
ミカエル―――お前は最高だ。
彼女と共に、前へと踏み出した。
お互いの武器の切っ先を向け―――小細工なしの真っ向勝負を挑む。
「シャァぁぁぁロットぉぉぉぉぉ!!」
「リガロフぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!」
―――ああ、良い顔だ。
突っ込んでくるミカエルの顔を見つめながら、そう思った。
目的のため、使命のために突き進む強い意思が確かにその双眸に宿っている。そしてそれはきっと、どんな相手にも止められない。
こういう相手を待っていた―――ずっと、ずっと。
自分の心が満足したのだと理解した瞬間、相手の身体を刺し穿つ感触と、自分の身体が貫かれる感触を、ボクは確かに知覚した。




