狂気と狂喜
ロイド「助けてくれ。君の姉さんに毎晩搾り取られているんだ」
ミカエル「強く生きてください(無慈悲)」
《砲身展開完了》
《補助薬室アクティブ、全基連動》
《冷却システム、オールグリーン》
《気象条件による照準誤差修正。船体固定ヨシ》
パンゲア級空中戦艦『レムリア』の船体各所に搭載されたスラスタ-が蒼い炎を吹き上げ、その舳先をゴーストタウンへと向ける。
タンプル砲の砲撃準備は既に命じた。あとはレムリアに搭載されたAIが自動で発射シークエンスを進めてくれるし、主たる人間の承認なしに勝手に発射するようなこともない。
レムリア艦橋にいるボグダンがやることは、この後に控えている対消滅榴弾の発射に必要な認証コードの入力と、発射の命令だけである。
淡々と進んでいく発射シークエンスを、焦燥感と共に見守るボグダン。魔力通信でシェリルが離脱に移った事は把握しているが、問題はシャーロットだ。
彼女はあくまでも、ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフとの決着に固執している―――発射までの約10分を、彼女との戦いに費やすつもりらしい。
《シャーロット、シャーロット。急いで離脱を》
シェリルが魔力通信でシャーロットに離脱を促すが、しかしシャーロットは答えない。返答は沈黙だけだった。
聴こえていないわけではあるまい。魔力通信は傍受も妨害も出来ない新世代の通信、後期生産型ホムンクルス兵にのみ許された意志疎通の手段である。
シャーロットは全てを把握した上で、命令を黙殺しているのだ。
今までにこんなことはなかった。確かに命令に忠実で冷淡なシェリルと比較すると、シャーロットは暴走気味で制御が難しい一面もあった。
しかしそれでも命令には従い、組織に貢献してきたシャーロット。なんだかんだ命令には従っていたがゆえに、今回のこれは想定外だった。
―――いや、違う。
彼女は狂わされたのだ―――ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフというイレギュラーに。
(やはりか……あの害獣がバグの根元)
バグを放置すれば、いずれその影響はプログラム全体に及ぶ。ならば早期発見と駆除は必須であろう。
しかし、仲間を巻き添えにするような真似は許されない。
今の彼に出来るのは、シャーロットの勝利を信じることだけだった。
7.62×51mmNATO弾が、破損したシャーロットの機械の身体を打ち据えた。
ガァンッ、と散る火花と金属片。腕の装甲を盾にしてヘッドショットを防いだシャーロットが右手のスチェッキンを突き出して、至近距離でのフルオート射撃。激しいマズルフラッシュを背景に、無数の9mmマカロフ弾が迫り来る。
右へと転がり込みローリングで回避、躱しきれない分は磁界を展開して受け流すが、左足の太腿付近に鋭い痛みが生じた。
弾丸が足を掠めたのだ。
シャーロットに余裕がないように、こちらも余力がない。身体へのダメージは先ほど服用したエリクサーで帳消しに出来たが、しかし消耗しきった魔力は自然回復を待つ他なく、既に魔術の発動に支障があるどころか身体症状まで現れつつある。
生命エネルギーの一部たる魔力の枯渇は死を意味し、魔力の低下により魔力欠乏症の症状が出れば、それは限界が近いというサインだ。
今の被弾もその影響が大きい。普段であれば拳銃弾程度なら容易く防げるのだが、魔力欠乏症の症状が出た状態では僅かに弾道を逸らし、直撃を避けるのが精一杯―――それがいつまで続くか、という悲惨なレベルで笑いたくなる。
着地しAK-308で反撃を試みるが、もはやシャーロットは回避すらしなかった。両腕の装甲の強度を頼りに、唯一の生身の部位である首から上を防護して、アメフトの選手よろしく真っ向から突っ込んできたのである。
速い―――回避しよう、と思い至りイリヤーの時計に時間停止を命じるよりも先に、AKを保持していた両腕に凄まじい衝撃が走る。
AKのハンドガード、ちょうどグレネードランチャーがマウントされているところに、勢いを乗せたシャーロットの飛び膝蹴りがめり込んでいたのである。
ロシア製のグレネードランチャーがひしゃげ、両手からAKを離してしまう俺。好機とばかりに畳み掛けてくるシャーロットが、狂った笑みを浮かべながら拳を振り上げる。
ゴッ、と鈍い音。
それは彼女の拳が俺の顔面を砕いた音などではない―――どこからともなく飛来した剣槍が、シャーロットの脇腹を直撃した音だった。
「―――」
もう、あの運動エネルギーを相殺する力場らしきものは機能していない。その小柄な身体を守るのは、機械の身体を覆う装甲だけだ。
一撃をお見舞いしたは良いが、こちらも無傷とはいかない。
立ち眩みに脈拍数の乱れ、頭の奥が膨れ上がる感覚。鼻と耳、それから両目から鉄臭くて熱い血が溢れ出て、今にも倒れそうになる。
が、脳裏に浮かぶ仲間と家族の顔が、途切れそうになる意識を繋ぎ止めてくれた。
左手をホルスターに突っ込み、ターシャリとして持ち込んでいたグロック43を引き抜いた。マズルガード付きのそれをシャーロットの脇腹、さっきの水素爆発で水素された傷口に押し付け引き金を何度も引いた。
こんなところで負けてたまるか。
こんなところで死んでたまるか。
鉛のように重く、身体の感覚もおぼろ気になりながらもまだ戦えているのは、仲間たちのおかげだった。1人ではないのだ、帰りを待つ人がいるのだ―――それだけが、限界を迎えつつある身体を突き動かしていた。
ボキュ、とやや湿ったような、枝を折る音。
シャーロットにグロックを押し付けていた左腕が、あらぬ方向へと折れていた。弾切れし、スライドが後退したまま沈黙するグロックが、左手からこぼれ落ちる。
無造作に突き上げたシャーロットのアッパー……ただのパンチの一撃を受けた結果がこれだった。
「あ゛ぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
叫びながらも歯を食い縛り、だんっ、と足を踏み締めた。
直後、足元のコンクリートが一瞬で盛り上がり、瞬く間に巨大な大剣へと姿を変えた。唐突に生じた剣身が、怯む俺に追撃せんと迫るシャーロットの右腕の肘から先を斬り飛ばす。
右の拳を握り、振り抜いた。ゴッ、とシャーロットの顎を左側から殴り付け、彼女の頭が大きく揺れる。
そのままもう一発、と拳を振り上げるが、しかしシャーロットも意地を見せる。獣のような唸り声を発しながら俺の右腕に残った左腕を絡み付かせるや、そのまま勢いを利用した見事な一本背負い。力任せではなくこちらの勢いを利用したカウンターは予想外で、彼女のテクニカルさに驚かされる。
天地が何度も動転し、平衡感覚も滅茶苦茶になる。上下左右の区別もつかぬうちに背中に強い衝撃が走り、息が詰まった。
ホムンクルス兵に投げ飛ばされてもなお折れずに済んだ背骨の耐久性に感謝したいところだ。1mmでも1ミクロンでも身長を伸ばそうと、牛乳を過剰摂取した甲斐があったというものである(手に入ったのは健康で頑丈な骨だけだったが)。
半ば反射的に転がるや、先ほどまで頭のあった場所をシャーロットの脚が思い切り踏み抜いた。小柄な身体からは想像もつかぬパワーを受けたコンクリートの地面が陥没、放射状に亀裂を生じさせる。
ホルスターからピストルカービン仕様のグロック17Lを引き抜き、右手一本で射撃する(折れた左腕には力が入らない)。
ガンガンガン、とスライドが軽快に前後し9mmパラベラム弾を吐き出すが、些細な牽制にしかならい。左腕を盾にしながら急迫するシャーロットを撃つが、拳銃弾ではあの機械の身体を破壊するのに火力が足りなすぎた。
振り払われた回し蹴りを回避、至近距離でグロックを押し付け引き金を引く。
損傷した傷口に拳銃弾を撃ち込まれたシャーロットが、歯を食い縛りながらタックルしてきた。なりふり構っていられない、とでも言いたげな余裕の無さに勝利の近さを感じるが、しかしそれは俺も同じだ。タックルを受けても踏ん張る力がない。
押し倒されずには済んだけれどもグロックを落とし、さらには大きくよろめいてしまう。疲弊しているからなのかもしれないが、シャーロットのタックルはまるでラグビー選手を相手にしているかのようで、あの小柄な身体のどこにこんな重機じみたパワーが秘められているのかと疑問に思う。
―――勝負はここからだ。
息は切れ、スタミナは底をつき、脈拍数は乱れる。
出血も止まらず、折れた左腕の激痛も遥か彼方。もう、痛いのかどうかも判らない。
たがそれでも、勝つのは俺だ。
仲間の元へ―――家族の元へ凱旋するのは、俺だ。
己を奮い立たせるため、叫んだ。
ヒトというよりは獣のような鬨の声。それに突き動かされ、今にも倒れそうな肉体に力が宿る。
殴り付けた右腕を、しかしがっしりと掴む感触があった。シャーロットの傷だらけの顔を殴るよりも先に、彼女の左腕が俺の右腕を鷲掴みにして止めていたのだ。
ぎりぎりと指が食い込む激痛。このままでは腕の骨もろともに握り潰されてしまいそうで、既に指先は肌に食い込んで紅い血を滲ませている。
歯を食い縛り、腹を括った。
骨が折れ、あらぬ方向へと曲がった左腕。腰を入れ、それを鞭さながらにフルスイング。折れた骨が筋肉に突き刺さり、泣き叫びたくなるほどの激痛に苛まれながらも、それをシャーロットの顔面へと叩き込んだ。
まさか折れた腕で反撃してくるとは思ってもいなかったのだろう。力も入らず攻撃とも言い難い一撃ではあったが、彼女の攻勢を挫くには十分だった。
一瞬、ほんの一瞬ばかり体勢が崩れるシャーロット。その隙に至近距離で雷球を発動、電撃を彼女に浴びせかける。
魔力欠乏症の症状が出ている状態での魔術の発動に、身体が悲鳴を上げた。ドクン、と一際大きな鼓動に一瞬遅れ、異常な血圧が脳を苛む。血管という血管が破裂しそうな痛みに、思わず目を瞑った。
ミシ、と腹にめり込むシャーロットの脚。腸が弾け飛びそうな激痛にたまらず血を吐き出すが、しかしシャーロットもふらふらだった。
もはやお互い死にかけだ―――当事者は本気でやりあっているつもりでも、端から見ればゾンビ同士のどつき合いの様相を呈しているに違いない。
泥試合にも程がある……だが、これはもう意地の張り合いだ。
一歩も引いてたまるか。
「シャァぁぁぁロットぉぉぉぉぉ!!」
「リガロフぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!」
傷口からオイルと火花を散らしながら、傍らに落ちていた大型マチェットを掴むシャーロット。
俺も血を吐き出しながら、剣槍を磁力魔術で手元に呼び出し、切っ先をシャーロットへと向けて地面を蹴る。
狂気を滲ませた、しかしこれ以上無いほど充実した、まるで無邪気な子供のような表情のシャーロット。彼女の刃と、俺の剣槍が互いに迫り―――。
身体を貫かれる感触と、機械の身体を刺し穿つ確かな手応えが、その果てに生まれた。




