血戦
ジノヴィ「近所にジャコウネコカフェがオープンしたから毎日通ってるんだけど、そこにミカって名前のハクビシンの子いるから毎日指名してモフってる」
ミカエル「なんて?」
『先生、お聞きしても良いですか』
机の上に置かれた鉄屑に魔力を流し、物質の構造を変化させながら、ミカエルは錬金術を教えてくれたハインツ・ヒューベンタールに問うた。
窓際で腕を組み、コーヒーの入ったマグカップを片手に香ばしい香りを周囲に撒き散らしていたハインツは、錬金術の修練に集中しつつも問いを投げてきた覚えの良い教え子に顔を上げて応じる。
視線を机の上にだけ向け、魔力の力場の中で単なる鉄屑が翼を広げた竜へと姿を変えていくのを見守るミカエル。もちろん一瞥すらくれないが、顔を上げたのを察知したのだろう―――まるで背中に目が付いているような、そんな錯覚すら覚えてしまう。
『なんで俺なんかに錬金術を教えてくれたんです?』
錬金術は魔術の適正に左右されない。
どんなに優秀な魔術師だろうが、あるいはどんなに素質のない劣等生であろうが、物質変換に用いるだけの魔力を持つという必要最低限の条件さえ満たしていれば誰にでも扱えるのが錬金術である。分野としての戸口は広く、だがしかしその出口は極端に狭い。
物質の構造や特徴、化学式や原子記号など、理科で学ぶ知識を基礎としてそこから更に錬金術の分野で用いる知識も習得する必要がある事から、習得までのハードルは高い。名門大学で特定の分野について専攻するレベルの知識が必要とされる。
ここは帝国魔術学園―――あくまでも魔術を学ぶ場である。それにハインツも錬金術師の端くれではあるが、ここでは多くの生徒に魔術を教えている身だ。
ミカエルの問いに、ハインツは口の中に残るコーヒーの香りを確かめながら答えた。
『理由は2つ。1つは”コイツなら習得まで行きそうだ”と思ったから』
『……じゃあ、もう1つは?』
鉄屑から飛竜の模型に物質の形状を変化させ終えたミカエルがくるりと椅子を回し、ハインツの方を見つめる。
くりくりとした愛嬌のある顔を真っ直ぐに見つめながら、ハインツは本心を吐き出した。
『―――”面白そうだから”、かな』
コンクリートの床が盛大に盛り上がった。
地殻変動でも起こったかのような急激な変化。しかしそれは単なる地割れなどではない―――亀裂が生じ、爆ぜ、砕け散ったコンクリートの床だったものはすぐさまその形状を変化させるや、大地から突き出る無数の槍衾となって跳躍中のシャーロットを出迎えた。
そのまま着地すれば串刺しは免れない状況。しかしシャーロットはあろう事か、機械の身体の上からキメラの外殻を展開してそのまま槍衾へと飛び込んだのである。
キメラの―――ホムンクルス兵が纏う外殻の防御力は戦車に匹敵するレベルだ。銃弾はもちろん、大口径の機関砲ですらほぼ完全に防いでしまう。この防御の上からダメージを与えるには、最低でもRPGや対戦車手榴弾などの対戦車兵器を直撃させる必要がある。故にホムンクルス兵は”歩兵サイズの戦車”と呼ばれ、テンプル騎士団の黄金時代を支えたワークホースであった。
対戦車兵器でなければ正面からの貫通が期待できないレベルの防御力(※モース硬度に至っては14相当)である。鋭利な槍衾とはいえ、元はと言えばコンクリートに過ぎないそれは、何の障害ともなり得ない。
シャーロットの外殻の硬度に屈した無数のコンクリート片が舞い、うっすらとではあるが土煙が噴き上がる。
が、その程度の事をミカエルが想定していない筈がない。
「―――!」
コンクリート片が舞うその中に、一発のグレネード弾が飛び込んでくる。
それは紛れもなく、ミカエルの持つAK-308、そのアンダーバレルにマウントされたロシア製40mmグレネードランチャー『GP-46』から発射された、40mmグレネード弾であった。
しかもそれは、着弾と同時に起爆するような通常タイプの砲弾ではない。
弾頭部に黄色い塗装が施され、通常弾と識別されている―――時限式の信管を持つタイプのグレネード弾だった。
通常弾と比較すると扱いは難しいものの、屋内戦では壁や天井にバウンドさせて遮蔽物の向こうの相手を攻撃するというテクニカルな使い方ができるうえ、突進してくる相手の眼前に撃ち込む事で簡易的なトラップとして使う事が出来るとパヴェルが主張したため、一定数が生産、運用されている。
ミカエルが発射したのは、その時限信管タイプだった。
ちょうどシャーロットの眼前、そのまま飛来すれば胸板を直撃する完璧すぎるコース。
しかしそのグレネード弾はシャーロットに触れる事すら叶わない―――着弾するよりも先に、まるで糖蜜の中にでも飛び込んだかのようにグレネード弾の動きが緩やかになっていったかと思いきや、そのまま凍り付いたようにぴたりと静止してしまう。
シャーロットが纏う物理相殺装甲の作用だ。
使用者の周囲に魔力を用いた力場を展開させ、それを通過した物体の運動エネルギーを瞬時に計算。それと真逆のベクトルへと向け、全く同じ運動エネルギーをぶつける事で飛来してくる物理攻撃を無力化する、個人用のアクティブ防御システムの一種である。
弾丸から砲弾、ミサイルに至るまで、彼女の機械の身体に搭載されたジェネレータが賄える魔力の範囲内であれば問題なく作用する優秀な防御システムであるが―――だからこそ、そこでこのグレネード弾が輝いてくる。
時限信管―――つまり砲弾自体の運動エネルギーを相殺されても、時限信管が無力化されるわけではないのだから、シャーロットの至近距離で起爆させる事さえできれば彼女に爆風を浴びせかける事が出来る、というわけである。
先ほどの錬金術による攻撃は牽制であり、同時に崩落するであろうコンクリート片でグレネード弾の発射を悟らせないようにするための布石であった。
やられた、とシャーロットは悟りながら、咄嗟に両手を目の前で交差させた。
肉体はいくら欠損しても良い。所詮は機械の身体、予備パーツさえ確保できればいくらでも交換ができるのだ。それは生身の肉体には無い強みであるし、彼女自身もそういう身体であるから負傷を恐れる事はない。
が、首から上は別だ―――首から上だけは、まだ紅い血の通う生身の部位である。
どんな臓器よりも最優先で防護すべき部位。外殻で覆った両腕を盾にした直後、ミカエルの放ったグレネード弾が炸裂した。
あくまでも爆風と破片で歩兵の殺傷を目的とした対人弾頭。ホムンクルス兵相手には威力不足であろうが、しかし爆風を浴びせられながらシャーロットは悟る。
(弱点を看破されたか……!)
間違いない、ミカエルはこの防御システム―――物理相殺装甲の欠点を何となくではあるが見抜いている。
だから先ほどから多彩な攻撃を、まるで試すかのように惜しげもなく繰り出してきたのだ。銃撃がダメなら遠隔攻撃で、それでもダメなら錬金術で。防がれれば魔術、それでも通じぬならば白兵戦。ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフという女の攻撃は、兎にも角にも多彩だ。攻撃の選択肢が多い。
力を求めるために貪欲に修練に励み、モノにした結果がこれだった。確かに適性の低さが足を引っ張るが、それを補って余りある多彩な攻撃とそれらを組み合わせた連続攻撃は、選択肢の多さゆえに相手に心理的な圧迫も与える嫌らしい攻撃である。
そしてそれらを試す中で、ミカエルは見抜いたのだ―――防がれる攻撃と、そうではない攻撃の違いを。
爆風に煽られ、ぐらりと体勢を崩すシャーロット。如何に機械の身体であってもグレネード弾の至近距離での爆風には耐えられず、隙を晒してしまう。
そのわずかな隙を、ミカエルは見逃さない。
気が付くと、目の前にミカエルがいた。
肉球のある左手に、蒼く輝く電撃を迸らせながら―――!
「ッ!」
ガッ、とミカエルの手がシャーロットの頭を鷲掴みにする。
「―――とったァ!!」
バヂンッ、と蒼い電撃が弾けた。
身体中に生じる誤作動。機械の身体にあるありとあらゆる電子回路が、外部からどっと流れ込んでくる電流に耐えきれず誤作動を起こし、中には過負荷を受け溶断してしまう回路すら確認できた。
身体中から上がってくる損傷報告が、彼女の義眼―――人工網膜の内側に立体映像として投影される。凄まじい勢いで下から上へとスクロールされていくダメージ欄、しかしシャーロットの意識はそこには無い。
今は何とかして、目の前の敵を殺さなければ―――生身の肉体と共に捨てた筈の久しい痛覚に打ちのめされながらも、シャーロットは歯を食いしばる。
コイツには負けたくない、という意地。
そしてこんなところでもう戦いを終わらせたくない、という欲求。
その2つが複雑怪奇に絡み合うや、機械の身体は主の想いにスペックを超える形で応えてみせた。
溶断し使い物にならなくなった回路を切断、予備回路に切り替えるや、それが続く電流攻撃で溶断する前に素早く動作。持ち上がった右足が咄嗟に振り上げられ、ミカエルの左の脇腹へ深々とめり込む。
「う゛……ッ」
掴みかかってきた相手を引き離すための、咄嗟の蹴り―――特に力も込めず、ただ単に足を振り上げただけの動作ではあったが、ホムンクルス兵と獣人との間には絶望的なまでの身体能力の差がある。ホムンクルス兵にとってはただの蹴りでも、獣人からすれば肋骨を枯れ枝の如く易々とへし折る鉄槌と同義だ。
身体が浮く感触と、めり込んだシャーロットの足が左の肋骨をまとめて粉砕する感触―――そして腹の中で生じる激痛と、左の脇腹の中で漏れ出す熱い液体の感覚。
ああ、肋骨が内臓にぶっ刺さったか―――シャーロットの反撃を受けて手を放してしまったミカエルは、しかしそのままやられはしない。
激痛で悲鳴を上げる身体に鞭を打ち、左足を踏ん張ってあらん限りの力でバックジャンプ。直後、振り払われた顔面狙いの左のフックが眼前を掠め、ごう、と荒々しい空気を引き裂く音を奏でた。
食い縛った歯の隙間から血を滲ませつつさらに後退。磁力魔術で遠隔操作している剣槍を突っ込ませて時間稼ぎをしつつ、距離を取ったところで次回の範囲を一気に拡大―――自分を中心に半径10mまで広げる。
突っ込んできた剣槍を物理相殺装甲で押し留めるシャーロット。剣槍を払い除け、深手を負ったミカエルへ追撃せんとした彼女が見たのは、食い縛った歯の隙間から血を溢れさせながらもまだ戦う意欲を見せるミカエルの顔だった。
直後、ボゴン、と大きな音を立てながら、彼女の後方にあったコンクリートの壁から棒状の何かが突き出る。
鉄筋だ―――コンクリートの壁の中に、強度確保のために埋め込まれる鉄筋である。
ミカエルが無造作にそれを右手で掴んだ瞬間に、急激な変化が生じた。
コンクリートの割れる音。鉄骨が予想外の力に引き千切られ、破断する音をアクセントとして響かせながら、ミカエルは壁から突き出た鉄筋を掴み―――まるで剣を鞘から引き抜くように、そのままずるずると鉄筋コンクリートの塊を引っこ抜いたのである。
それはまるで、岩に刺さった伝説の剣を抜く勇者の姿を彷彿とさせたが―――彼女の手の中にある得物は、神話の時代の宝剣とは程遠い、荒々しい得物だった。
いたるところから、破断した鉄筋が突き出た巨大なコンクリートの塊―――コンクリート柱である。
直系にして50㎝、長さ2.5mにも達するそれは武器とすら呼べぬ荒々しいものだ。硬度と質量を頼りに相手を殴りつける、粗暴極まりない得物。しかもミカエルの筋力では到底保持できぬ質量である事は一目瞭然である。
しかしそれでも彼女がコンクリート柱を持っていられるのは、コンクリート柱から突き出た鉄筋を起点に、磁界を発生させているためだ。その反発作用を利用して、右手一本での保持を可能としているのである。
「―――まぁだまだァ!!」
「ハッ……ハハハッ、いいねぇ。そうじゃないと面白くない……!」
血沸き肉躍る、とはまさにこの事か。
もはや血が沸く血管も、踊る肉も大半を持ち合わせぬシャーロットではあったが、しかしこの戦の中でしか感じられぬ高揚感は確かに、彼女の内にあった。
出生を呪い、障害を抱えた生身の肉体に絶望し、シャットアウトする事も出来ぬ他者の思考の一方的受信に苦しむ地獄のような人生。生まれた事を後悔するほどのどす黒いその命の中で、しかしこの戦いだけは燦然と輝いている。
このような強敵に出会えたことに感謝しながら、シャーロットとミカエルは同時に踏み込んだ。
踏み込みながら、懐から取り出したマカロフPM拳銃を発砲するシャーロット。が、9mmマカロフ弾は1発としてミカエルを捉える事はない―――彼女が手にするコンクリート柱、そこから発せられる複雑怪奇な磁界の力場に逸らされ、あらぬ方向へと飛んでいく。
拳銃すら投げ捨て徒手空拳となったシャーロット。腹の底から血の混じった咆哮を発し、コンクリート柱を右から左へとフルスイングするミカエル。
両者が激突する壁の向こう―――廃工場の外では、ルカの放った120mm迫撃砲が一斉に着弾、派手な爆発を生み出していた。
両者の激突は、未だ終わらない。
戦闘描写と心理描写に力入れすぎて話進みませんでした……ゴメンナサイ




