バトルライフル
「命ある事を神々と、母なるエレナに感謝します」
首に下げたロザリオを両手で優しく握り込みながら祈るシスター・イルゼ。教会に避難していた村民たちも同じように両手を合わせ、目を瞑って神に祈る。
当たり前だが、宗教によって祈り方―――というより、信仰の在り方は異なる。神に祈る宗教、神に許しを請う宗教、神に贄を捧げる宗教。自らの信じる神が、存在を肯定する神が求めるもの、それによって信仰は変わってくるのだ。
彼女たちの真似をしながら祈る。今、こうして生きている事に感謝します。こうして凍てつく冬から身を守れている事に感謝します。こうして食べ物にありつける事に感謝します―――短い祈りが終わり、そっと手を放す。
エレナ教は、異教徒に対する扱いが比較的寛大な宗教であるらしい。教会に入れてくれたし、こうして夕食も用意してくれる。まあ、この世界では魔術と信仰が密接な関係にあるから、冒険者のパーティー内やギルド内に異教徒がひしめき合うというのは別に特別な事ではない。むしろ同じ宗派で統一されているパーティーの方が少数派なのだ。
しかし宗教によっては、異教徒の立ち入りを固く禁じているケースもある。自分たちの信仰する神が唯一の神であり、他は紛い物である―――そういう過激な思想の下にある宗教も少なからず存在しているのだ。だからエレナ教がそういう異教徒お断り的なスタンスの教会じゃなくてよかったと、心の底から安堵している。
そういう理由でも感謝というものは生まれるのだ。この季節に外に締め出されるなど、考えたくもない。だから英霊エレナの寛大さには、異教徒ではあるが感謝したい。
一応言っておくが、俺はエミリア教徒だ。『蒼雷の騎士エミリア』を信仰する宗教なので、もちろんエレナ教からすれば異教徒。けれどもこうして他の信者たちと同じ席に着き、食事を口にする事が許されているのは、エレナ教の寛大さ故だろう。
調べたんだが、エレナ教の理念は”弱者救済”であるという。
だからなのだ。誰にでも微笑みと共に手を差し伸べる寛大さが、この宗教の美徳なのだ。
目の前に置かれた黒パンに手を伸ばし、小さく千切って口へと運んだ。イライナ地方全土で口にされる、伝統的な黒パン。寒冷で冬の長い苛酷なノヴォシアでは保存が発達しており、こういった黒パンも代表的な保存食である。作られてからだいぶ経っているようで、食感は硬かった。
硬い、とにかく硬い。ふわっふわの食パンを想像している人には分からんだろうが、パンとは思えない程硬くてみっちりしている。微かに酸味のするそれを咀嚼しながら、用意してもらった缶詰に目を向けた。
ソーセージとグリンピースの缶詰だ。
これ、確か出発前にブハンカに積み込んできた物資に含まれてたやつだ。他にもニシンの缶詰とか豆とトマトの缶詰もあった筈だが、そっちはまた後で出すのだろうか。
缶切りに手を伸ばし、ライ麦パンを咀嚼しながらソーセージの缶詰を開けようとしていると、向かいの席に座っている幼い子供(たぶん3歳から5歳くらいだ)が、じっとソーセージの缶詰を見つめている事に気が付いた。
「……食べるかい?」
「!」
やっぱり子供だ、野菜より肉が好きなんだろう。
「こら、駄目よ。冒険者さんのものを欲しがっちゃ」
「だって……」
「ああ、いいんですいいんです。俺、菜食主義者でして」
さすがに無理のある噓。意気揚々とソーセージの缶詰を開けようとする菜食主義者が世界のどこに居るというのか。いや、多分探せば何人かは見つかるんじゃないだろうか。お肉の誘惑には抗えないだろうから。
でも、と断ろうとする母親に「気にしないでください」と言いながら、ソーセージの缶詰を子供に渡した。
「おねえちゃんありがとう!」
お、お姉ちゃん……。
やっぱりアレかね、女に見られてしまうのかね……男なんだけどね、お兄ちゃんなんだけどね俺。
いっぱい食べて大きくなれよ、と子供の頭を撫でてから、自分の席に戻った。グリンピースの缶を開けて中身を口へと運ぶ。ちょっとキツイ塩味が、グリンピースの風味を損なっているような気がするが……文句は言えない。今はとにかく食べておかなければ。腹が減っては戦は出来ぬ、である。
もりもりとグリンピースを口へ運んでいると、黒パンを傍らの子供に分け与えていたシスター・イルゼがニコニコしながら口を開いた。
「そういえば、ミカエルさんはどちらの出身で?」
「ええと、キリウです」
「キリウ……あら、そんな都会からいらっしゃったんですか」
「ええ」
前にも言ったけど、キリウはイライナ地方がノヴォシア帝国に併合される前―――”イライナ公国”だった頃の首都だ。その繁栄の痕跡は、帝国の版図となった今でもいたるところに見受けられる。キリウ駅のホームの天井は幾何学模様が描かれたガラスで覆われていて、晴れた日に見るとイライナ公国の国章が浮かび上がるのだとか。
なんでそんな曖昧な言い方かって? 仕方ねえだろ、ミカちゃんのパパがいじわるするから、屋敷から出たとしてもそんな人目の多いところに行けねえんだよ。スラムくらいしか行き先が無かったんじゃい。
まあ、一応都会っ子なのよミカエル君。行き先スラムだったけど。
「おねーちゃんキリウからきたの!?」
「ねーねー、おはなしきかせて! キリウってどんなところ!?」
キリウという地名が出ただけで、小さい子供たちが興味津々といった様子で問いかけてくる。きっとこの村を出たことがないのだろう。珍しい話じゃない、貴族であれば話は別だが、農民や労働者の身分であれば、他の街に行くなど海外旅行に行くくらいのハードルの高さがある。
本で読んだり、人から話を聞くことでしか情報を得られない。そうして得られる情報の輪郭は朧げで、欠けた部分は自分の想像で補うしかない。きっとキリウはこんな場所なのだろう。きっとキリウには綺麗な建物がたくさんあるんだろう。
きっと、きっと、きっと。曖昧に曖昧を塗り重ねていくほど期待は膨らみ、実物を目にした時にまた失望する。
さて、なんと説明するべきか……何から話そうか、と困惑していた頭の中をあっという間に一つの思考にまとめ上げたのは、教会の外から響いてきた警鐘だった。
村中に聴こえるよう、ガンガンと打ち鳴らされる鐘の音。子供たちがびくりと怯え、シスター・イルゼの目つきが鋭くなる。
―――敵襲だ。
缶詰の中に残っていた塩辛いグリンピースを口の中へと詰め込んで、咀嚼しながら椅子から立ち上がった。クラリスとモニカを連れて部屋へと戻り、鍵のついた木箱の鍵を開けて中から装備を引っ張り出す。AK-308のスリングに腕を通して背負い、一緒に入っているマガジンをチェストリグの中へ。7.62×51mmNATO弾のぎっちり詰まった20発入りマガジンでパンパンになったポーチを身に着け、魔術の触媒である鉄パイプを手に、同じく装備を整えた仲間たちと共に教会の裏口から外へ。
外は明るかった。そろそろ夜の9時になるというのに、吹雪の中でも灯りがある。村の中のいたるところに篝火が用意されていて、雪雲で覆い隠された星や月の代わりにそれらが光源となっている。
ガンガンと打ち鳴らされる警鐘の音は、外に出ると鮮明に聞こえた。見張り台の上、マスケットを背負った民兵が何かを叫びながら必死に警鐘を打ち鳴らしている。
ドパパパンッ、と早くも一斉射撃の音が聞こえ、アルカンバヤ村の夜の静寂を打ち破った。塹壕の方だ。もう既に警備班が戦闘を開始しているらしい。
防衛戦に加わるべく、民家や納屋からぞろぞろと騎士たちや民兵たちが出てくる。中にはパジャマの上にコートを羽織っただけの民兵の姿もあり、オイオイ正気かと我が目を疑った。
「ご主人様!」
「俺たちは遊撃部隊だ、防衛線の薄い部分に展開する」
「了解!」
近くにある納屋の上に、ミカエル君お得意のパルクールで素早く上る。ウシャンカを取ってからケモミミを立て、聴覚と、風に乗ってくる魔物の臭いで大方の位置を特定。詳細は分からんが、敵の規模は昼間とほぼ同規模と考えるべきか。
さてさて、味方の状況は……右翼の防御がちょっと甘い、か。
突然の奇襲で迎撃態勢が整っていないのもあるが、とにかく今は右翼を守ろう。その後は後続の部隊に任せて、俺たちは機動防御に徹する―――これが一番だ。
ハンドサインでクラリスに伝えると、彼女は頷いてから凄まじい速度で走り出した。肉食獣のような……いや、そんなもんじゃない。冗談抜きで新幹線と並走できるんじゃないかと思ってしまうほどの速度で駆け出したかと思いきや、もう右翼の塹壕の近くまで辿り着いている。
納屋の上からジャンプし、下で走り出していたモニカと合流。一緒に塹壕へと向かう。
「ね、ねえ!」
「何だ!?」
「クラリス足速くない!?」
「ウチのメイドだからな!」
「あのメイド服絶対走りにくいでしょ!」
「でも清楚そうだろ!? ロングスカートの方が!!」
「そういう話してるんじゃないわよこの馬鹿!」
「馬鹿じゃないもーん! 馬鹿って言った方が馬鹿なんだもーん!!」
大丈夫、まだふざける余裕はある。
遅れて塹壕に滑り込むと、もう既にクラリスはG3A3―――機関部の上にACOGをマウントしたバトルライフルでバカスカ撃ちまくっているところだった。80口径のイライナ・マスケットとは随分と違う銃声が響き、その度に雪原の中で紅い何かが弾け飛ぶ。
あっという間に20発撃ち切り、コッキングレバーを引いて後端部に引っ掛けるクラリス。流れるような動作で空のマガジンをダンプポーチへ放り込み、新しいマガジンを装着して、引っかけていたコッキングレバーを叩き落す。
薬室へ初弾装填、再び彼女のG3が火を噴く。
俺も塹壕の縁に雪を寄せ集め、その上にAK-308を乗せて依託射撃を開始。機関部上にマウントしたロシア製のPKS-07、スナイパーライフルにも用いられるスコープのレティクルの向こうで、ゴブリンの頭が木っ端微塵に弾け飛んだ。
やっぱりだが、バトルライフルは威力が違う。
元々、『軽量で』『フルオート、セミオート射撃の切り替えが可能な』『自動小銃』というのは、各国の軍隊が喉から手が出るほど欲していた。その歴史は第一次世界大戦、下手したらそれ以前(信じがたい事に第一次世界大戦前にイタリアでチェイ・リゴッティ小銃というアサルトライフルみたいなやつが開発されている)まで遡るのだが、まあそこは割愛しよう。
従来のフルサイズのライフル弾では反動がキツすぎて運用に難がある。だから装薬を減らした中間弾薬を使った銃をアサルトライフルとしたわけだが、バトルライフルはそれに逆行するかのように、フルサイズのライフル弾を使っている。
だから反動はキツく、反動対策を行っていてもなお半ば先駆者たちがぶち当たった壁を目前にしているわけだが、その威力と射程はこれ以上ないほど頼もしい。アサルトライフルをロングソードとするなら、こっちはバスタードソードのようなものである。
「照明弾いくぞ!」
「了解、照明弾!」
依託射撃していた銃口を夜空へと向け、左手をM203へ。マガジンを握りながら中指を引き金まで伸ばし、40mmグレネード弾を夜空へ放つ。
空へと放たれたグレネード弾が小さく炸裂、空中で落下傘を開き、夜空で激しい光を放ち始めた。マグネシウムが燃焼する真っ白な光だ。疑似的な太陽とまではいかないが、それでも十分な光源となり得る。
宵闇が薄れ、村へと忍び寄る魔物たちの姿が鮮明に映る。
視界が確保できれば、あとはモニカの出番だった。
「モニカ」
ジャキンッ、とコッキングレバーを引く力強い音。
隣で二脚を展開したモニカは、獰猛な肉食獣を思わせる笑みを浮かべていた。獲物はどれも、彼女の牙の射程圏内にある。
遮蔽物は無く、7.62mm弾の直撃に耐えられる防御力も無い。照明弾のおかげで視界は良好、吹雪も今は弱まり、雪原の向こうが鮮明に見える。
まさに絶好の狩場だった。
「痛いのをぶっ喰らわせてやれ!!」
「ひゃっはー!!」
もうちょっと生まれる環境が違っていれば、今頃は静かな屋敷の広間でピアノでも弾いてそうなモニカの白く華奢な指。
しかし彼女がこれから奏でようとしているのは、美しい旋律で人々の心を癒す楽器ではない。圧倒的な運動エネルギーと火薬の暴力で、敵対する者を精神的にも物理的にもブチ砕く、地球上で最も獰猛な”兵器”だった。
始まったのは、銃声のオーケストラ。
HK21Eのマズルブレーキが盛大に火を噴く。機関部下部へと伸びる7.62×51mmNATO弾のベルトが、まるで掃除機にでも吸われているかのように銃に吸い込まれていく。銃としては”大食い”な機関銃であるが、それで得られる破壊もまた次元が違う。
レティクルの向こうで、雪原の彼方で、魔物の肉体が次々に砕けていった。小柄なゴブリンの肩口から先が大きく欠け、上顎から上が消し飛び、後続のハーピーの手足が千切れ飛ぶ。大柄なチョッパー・ベアは何発か耐えてみせたが、それでも暴風雨の如く飛来するライフル弾の前には5秒も持ち堪えられなかった。
ケバブの肉が削ぎ落されていくかのように、チョッパー・ベアの肉体が被弾の度に削がれ、千切れ、抉られていく。そうして出来上がるのは身長3m、体重500㎏のチョッパー・ベア”だったもの”。
熊ケバブ、美味いのだろうか。
そう思いながら砲身をスライドさせて予備の照明弾を装填、狙撃で支援しつつ戦場を見渡す。
第一次世界大戦の戦場もこんな感じだったのかな、と思う。
機関銃と塹壕の登場が、従来の戦闘を一変させた―――なるほど、強固な守りと機関銃の破壊力を目の当たりにすれば、双方が塹壕で引きこもって泥沼の消耗戦にもつれ込むわけだ。
当時の戦闘との違いは、相手が機関銃の威力を目の当たりにしても突っ込んでくる魔物だという事くらいか。まあいい、突っ込んできてくれるならそれはそれでいい。こっちは挽肉を製造するだけだ。言葉も通じず人類を食料としか見做さない魔物と仲直りなんて御免被りたいものだ。
だから、徹底的にやる。
二発目の照明弾を空へ放ちながら、固く決心した。




