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閑話 交わらぬ道

モニカ「最近ミカの旋毛を吸いながら枝毛の本数を数えるのが日課なのよね」


ミカエル「なんて?」


 セシリア・ハヤカワという人物は、それまで音楽を嗜む事は無かった。


 生まれてからというもの、目の前で家族を皆殺しにされた彼女は全てを捨てた。自分を待っていたであろう将来の希望も、人間らしさも、安寧も……そして女としての自分も。


 全てを投げ打ち、復讐のための戦いに身を投じた。


 そんな歪な存在の彼女が音楽を嗜むようになったのは、同じく復讐のために戦っていた夫、速河力也という男が戦死してからだとされている。


 心にぽっかりと開いた大穴を、その傷口を埋めようとするかのように、セシリアは中古の蓄音機を作戦中も持ち込んでは古いレコードでクラシックを聴くようになった。


 そういう事もあって、親セシリア派の団員達もまた音楽を嗜む。


 パンゲア級空中戦艦『レムリア』の艦橋で艦長席に背中を預けるボグダンもまた、例外ではない。


 薄暗く、周囲に浮かぶ立体映像と壁面に埋め込まれたスリットからぼんやりと漏れる紅い光だけが光源となっている艦橋内。ドビュッシーの『月の光』が流れるそこに彼以外の人間はいない。


 本来であれば観測員や操舵士、航海士といったクルーが乗り込んでいるべき場所にはドーム状の機器が設置されている。艦の運航に必要な各部署の指揮を執る中間AI、その本体だ。それらが最上位のAIを経てボグダンによる指揮を受ける事になっている。


 徹底した省人化の行き着く先がこれだった。人間らしさをかなぐり捨て、人間のもちうる心と感情さえも削ぎ落した、合理化の果てに待ち受ける未来。これがかつて栄華を極め、”世界最強の軍隊”の称号を欲しいがままにしたテンプル騎士団の行き着く先であるとは、一体誰が思い浮かぶであろうか。


 創設時のメンバーが今の惨状を見たらどんな顔をするだろうか―――自分の原型となったオリジナルの事を考えていたボグダンの脳内に、反射的に意識を向けてしまうような音調の呼び出し音が響いた。


《超次元通信を受信》


 AIからの報告に、ボグダンは眉をひそめる。


 超次元通信―――次元の壁を越えたはるか先、複数の世界線を隔てる次元の壁の向こう側からの通信。


 作戦行動中だろうとお構いなしに通信してくる迷惑極まりない相手が誰なのかは、もう既に察しがついている。


 AIに通信接続をリクエストするや、艦長席の前方に投影された立体映像としてウィンドウが開かれる。しかし立体映像に映るものは何もない。灰色の激しい砂嵐とノイズだけがそこに表示されている。


 AIがすぐさまノイズ除去を試みるや、段々と次元の壁の向こう側からの声が鮮明に聞き取れるようになっていった。


【こち……プル塔、作戦……中の第73…………ちに原隊へ復……】


 ふう、とボグダンは息を吐く。


 何百、何千回と繰り返されてきた定型文。もちろんそんな言葉でボグダンの心は動かない。今の彼には成すべき大義があって、そのためにここに居るのだから。


 艦長席から立ち上がり、砂嵐が浮かぶばかりのウィンドウへと敬礼するボグダン。もちろん、相手からこちらの姿も見えないし、相手の姿もこちらからは見えない。だから何の意味もない行為に他ならないのだが、ボグダンが示したそれなりの礼儀でもあった。


 激しいノイズは仕方のないものだ。いくらテンプル騎士団が次元を超え、別のパラレルワールドへ至る技術を手にしているとはいえ、次元の壁を越えての通信は未だ不安定なものである。本来それが存在しない世界線へ異物を混入させる危険行為は、極めてアンバランスな要因たちの上に慎ましく成り立っているものなのだ。


「―――こちら”第73異世界遠征軍”、指揮官のボグダン」


 ノイズ交じりの通信に対し、ボグダンは自分の所属部隊と名を名乗る。


 第73異世界遠征軍―――今となっては懐かしい名前だ。


【こち……はテンプル騎士団本部、タンプル塔中央指令室。同志ボグダン、この通信が聞こえているなら現在進行中の作戦を即刻中止、帰還せよ。今ならば同志諸君らに恩赦を与えると()()()()も仰っている】


 同志団長、という言葉に、ボグダンの眉がぴくりと動いた。


 認めない―――その称号を名乗っていいのはこの世界にただ1人、セシリア・ハヤカワという女だけだ。強いテンプル騎士団、強い祖国を象徴する力の具現、そして二度の世界大戦を勝利に導いた英雄だけがその称号を名乗っていい。


 断じて腑抜けのための称号ではないのだ。


「残念ながらそれはできない」


【同志ボグダン、いい加減に現実を認めたまえ。戦争は終わった、キミたちが戦う理由はもうどこにも―――】


「戦争は終わってなどいません。今の祖国は腑抜けの巣窟、寄生虫を一掃するその日まで私は作戦行動を中止するつもりはありません」


 相手の言葉を遮り、きっぱりと言い放った。


 通信相手の男性も埒が明かないと思っているのだろう。ボグダンに投げかける言葉を詰まらせているように思えた。彼らからすればボグダン率いる部隊は本部の意に沿わず勝手に作戦行動を続けている反逆者に他ならない。


 しかし未だ実力行使に出ないところを見ると、二度の戦争と大災厄でテンプル騎士団が被った損害は予想以上に大きいのだろう。


 それか、今の()()()()()()()()()は反逆者を裁く度胸もない腑抜けなのか。


【―――同志ボグダン】


 通信相手の声が変わった。


 先ほどのオペレーターではダメだと判断したのだろう。懇願するようなオペレーターの声に代わって聴こえてきたのは、まるで駄々をこねる子供を諭す父親のような、優しい男性の声だった。


「これはこれは、()()()()()()


【―――まだ、私を団長とは呼んでくれないのですね】


「当然です。我らにとって団長はセシリア・ハヤカワただ1人。他は有象無象に過ぎません……特に、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 憤りを滲ませた言葉に、しかし通信相手―――”団長”を名乗る男は何も返さない。


 多少なりとも責任を感じてはいるのだろう。自分の母が積み上げてきた功績を、組織の方針転換によって崩し、分断を招いてしまった自分の判断を。


【同志ボグダン、あなた方が前団長の元で尽くしてくださった祖国への貢献と忠誠心はよく理解しています。今の祖国の繁栄は、あなた方や()()()()なしにはあり得なかった】


「その自覚があるならば、なぜあのような事を」


【もう、我らは武器を手放す時なのです。いつまでも世界を破滅へと導くような兵器を手に、海の向こうの敵と睨み合う時代は終わりました。これからは共に手を携えていく時代なのです】


「理解できません。そんな甘い考えでは()()()()()()()()()()


 彼だって知っている筈だ、とボグダンは思う。


 自分の母が経験した惨劇―――タンプル塔の陥落、クレイデリア全土の占領という悪夢を。


「記録を見た事はないのですか」


【それは存じ上げています。母の経験した苦難の時代、それを二度と繰り返してはならぬと―――】


「ならばなぜ、平和路線などという寝ぼけた真似を……そんな甘い姿勢を見せればいずれ付け込まれます。クレイデリアに必要なのはそんな融和姿勢などではなく、強大な軍事力です。手を出せば絶滅まで追い込まれるという恐怖を相手に与える、それだけの軍事力が我らに必要だとなぜわからない?」


【確かにそれも一つの手でしょう。軍事力を抑止力とする、それによって得られる平和も確かにあるのでしょう……ですが同志ボグダン、果たしてその理想にヒトの脆弱な心は耐えられると思いますか?】


 武器を向け合い、威圧し合う―――しかし互いが互いを滅ぼす力を持っているが故に手が出せず、結果として戦争勃発ギリギリでの平和が維持される。


 人間の欲望と悪意は、強引にでも抑え込まなければならない。


 しかしそれの長期化に、果たして人間の心は耐えられるだろうか。


 お互いに銃口を向け合い、いつ引き金を引くかも分からぬ状況。明日は撃たれるかもしれない、明後日には世界は滅ぶかもしれないという言いようのない不安の中、ヒトの脆い心は正常なままでいられるか。


 ”団長”の問いに、しかしボグダンは笑みを浮かべた。


「その程度で壊れてしまう脆い心など、捨ててしまえばよい」


【……】


「弱さは罪、力こそが絶対です。弱い相手に配慮するのではなく、ふるいにかけてむしろ祖国にふさわしい人間を厳選するべきです。同志セシリアがそうしてきたように」


【……そう、ですか】


 落胆したような声だった。


【同志、それがあなたの答えなのですね】


「何度もそう申し上げている」


 溜息をつきながらボグダンは言った。


「そういう貴方こそ、お母上の意思を受け継ぐつもりがないのであれば団長の椅子を明け渡すべきだ」


【あなたは何もわかっていない。母は自ら武器を捨てたのだ】


「嘘だ、そんな筈がない」


 あの人に限って、とボグダンは続けてから言葉を途切れさせた。


「……まあいいでしょう。”イコライザー”さえ手中に収まればすべてが変わります」


【同志ボグダン、それは越えてはならない一線だ。本当にやるというのなら―――】


「やるというなら、何です? 私は本気です、止めたいなら言葉ではなく行動で示せばいい。”特戦軍(スペツナズ)”でもなんでも、歓迎しますよ」


 通信を切れ、とAIに命じると、それっきりウィンドウの向こうは静かになった。


 もう、互いの道が交わる事もないだろう。


 元より袂を分かつつもりでここまで来たのだ。今更武装解除に応じるつもりもない―――目標達成のため、”強いクレイデリア”復古のためならば、今のテンプル騎士団本部と一戦交える事すら厭わない。


 そのために、ボグダンは水面下で準備を進めていた。資金を横流しし、空中戦艦まで手に入れ、組織内部で燻っていた団員たちに声をかけて組織化(オルグ)していた。今の本部内にもボグダンの賛同者は残っていて、動向については逐一情報を送ってくれている。


 全ては祖国のため。


 そして組織に、テンプル騎士団に殉じた同志たちのため。


 この計画は何としても完遂しなければならない。


 例えこの命に代えても。





 

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― 新着の感想 ―
やはり…本来のクレイデリア、あるいはセシリアの息子が率いるテンプル騎士団は、前の作品のエンディング通りの融和路線を取っており、ここにいる連中は「賊軍」でしたか。色々腑に落ちました。 あれほど財源が豊…
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