雪辱のシャーロット
クラリス「ご主人様、実は密かに集めていたご主人様脱ぎたてパンツコレクションがついに4桁を超えましたの」
ミカエル「なんて?」
ボロシビルスク郊外、ちょうど大強盗計画の出資を募るために訪れた小さな銀行とは反対側の地域にはゴーストタウンが広がっている。
ノヴォシアという大国が、農業重視の姿勢から工業優先の製作へと急転換した事により、国内で大きな混乱が生じたのは周知の事実だ。北海の石油利権で争うイーランドの産業革命と急速な軍備増強・近代化に後れを取ってはならぬと息巻いたまではいい。しかしそれは産業を支える労働者や農民に更なる出血を強いる事となり、皇帝への反感の火種となったのは何というか……国民軽視の態度が表面化したと見做されても文句は言えないだろう。
そんな政策の大転換によって、一時的にこの場所は栄えた。工場がいくつも乱立し、帝国からの多額の出資を得て多くの製鉄所が旗揚げを果たして、しかしその後の混乱や財政及び経済の悪化に散々振り回され廃業へと追いやられていった。
だから一見華やかな大都市の郊外には、今でもこういったゴーストタウンが広がっている。
パヴェルはそんな場所に目を付けた。
指定されたガソリンスタンドに車を停めると、既にそこには見覚えのあるセダンが1台停められていた。盗難車からパーツを取り、継ぎ接ぎして作り上げた”存在しない車”。そんな真っ黒な車両でここまでドライブしてくる連中には心当たりしかない。
盗品を持ったまま車を降り、ガソリンスタンドの裏口へと回り込む。裏口のドアを固く閉ざしていた南京錠は既にボルトカッターらしきもので強引に断ち切られていて、表面のペンキが剥げ落ちた裏口のドアは風を受けてプラプラと揺れていた。
ドアの軋む不快な音。空気の流れが獣の唸り声にも似た音を生み、それが不気味さに拍車をかける。本当にここにモニカたちが居るのかと不安になったが、しかし意を決して一歩を踏み出すとその不安は瞬く間に霧散した。
裏口から従業員スペースに入ると、そこにはイルゼ率いるボレイチームの面々の顔があった。なにやらペタペタと、どこからか取り出した木箱の中から大量のC4爆弾を引っ張り出して、壁やら天井やら廃油のタンクやらに設置している。
この壁はレンガ造りなのかなと思ってよく見たらそれはびっしりと敷き詰められたC4爆弾で、あまりにもキモい事になっていて草生えた。
「あ、ミカ」
「敵の動きは?」
「こちらは何も。遭遇すらしませんでした」
だからボレイチームの方が速かったのか、と納得する。こっちはシャーロットの追撃を振り切ってからセーフハウスを目指したものだから、どうしても回り道になってしまったのだ。
メニュー画面を展開し、銃を次々と召喚。MG3にAPC9K、LG5……普段皆が使う武器の数々を召喚して、これから起こるであろう事態に備える。
テンプル騎士団があの程度の生温い追撃戦で諦めるとは到底思えない。連中の事だ、こっちの息の根を確実に止めるまで追撃の手を緩めるような事はしないだろう。シャーロットやシェリルを筆頭としたホムンクルス兵が投入される可能性も十分にある。
《デリバリーだ》
パヴェルからの通信を受け、裏口から外に出た。
ちょうどセダンを停めた辺り、その上空から5機の中型ドローン―――俺たちが『ペリカン』と呼ぶ中型ドローンが降下してくる。機体下部にあるレーザー誘導爆弾搭載用のパイロンにはコンテナが代わりに搭載されていて、中には俺の触媒である剣槍が収まっていた。
他のコンテナにはクラリス用の剣とか、他の仲間たちの新たな触媒が収まっている。
物資を受領するなり、俺は空になったドローンのコンテナに盗品を収めた。これからテンプル騎士団との激突が予想される状況で、せっかく盗んできた盗品を守りながらでは戦えない。しかも万一”黄金の大地”が戦闘の余波で破損、焼失するような事があれば、イライナは今度こそ独立のためのチャンスを断たれる事となる。
仮に俺たちがここで全滅するような事があっても祖国の悲願が潰える事の無いよう、これはパヴェルに託しておく。
モニカもやってきて、盗品の入ったダッフルバッグをドローンのコンテナへと押し込んだ。積み込み完了を確認するや、ペリカンたちが一斉に上昇を開始。5機のペリカンに随伴してきた爆弾搭載型のペリカンが1機、俺たちを見守るように上空を舞い始める。
ガソリンスタンド内に戻るなり、俺も戦う準備を始めた。
メインアームをMP5から、7.62×51mmNATO弾仕様のAK-308に変更。ACOGスコープと、接近戦、あるいはスコープ破損時のバックアップ用にオフセットサイトを用意。銃身はロングバレルに換装、銃身下部には火力を重視しロシアの新型グレネードランチャー『GP-46』を搭載した。
カスタマイズを終えたバトルライフルを手にしてみるが、やはりというかなんというかバチクソに重い。構えてスコープを覗き込んでみるが、やはりグレネードランチャーを装備するとかなりフロントヘビーになってしまう。おかげでランチャーに添えている左腕の方が先に疲れてくるほどだ。
だが、ホムンクルス兵を相手にするならばこれでも火力不足というのが、相手のヤバさを一層際立たせている。戦闘に特化した異世界の種族、竜人―――それを雛形とするホムンクルスはそれほどの相手なのだ。
しかしいつまでも、テンプル騎士団を相手にしている場合ではない。
祖国独立成就のため、イライナ300年の宿願のために。
だから連中との、特にシャーロットとの因縁はここで断つ。
絶対にだ。
ゴーストタウンをドローン視点で睥睨してから、シャーロットは静かにAK-12のセレクターをフルオートに弾いた。
テンプル騎士団の制服に身を包み、予備のマガジンを保持しておくためのポーチをいくつか取り付けただけの簡素極まりないチェストリグを身に着けた彼女は、もういつものマッドサイエンティストではない。組織の理想のため、ハヤカワ家100年の理想のため―――いや、今のシャーロットにとってはそんな事はどうでも良かった。
ただ、ミカエルとの戦いに決着がつけられるならばそれでいい。
二度も敗北の苦汁を舐めさせたあの忌むべき害獣に、然るべき鉄槌を下す―――そのために彼女は全てを捨てた。不要なものを、全て。
ヒトとしての尊厳は、しかし今のシャーロットには微塵もない。手元にあるのは殺戮機械の如く、ただただ標的を殺すだけの殺意のみ。
進め、と頭の中で思考すると、それを聞き届けた黒騎士たち―――テンプル騎士団仕様の戦闘人形たちがバイザーから漏らす光を蒼から紅へと変色させていった。
賢者の石の光だ。
テンプル騎士団の戦闘人形は、制御ユニット内の基盤や情報伝達ユニットに賢者の石を素材として用いている。それに熱や電力、魔力などの何らかの力がかかり一定以上の貯蓄量になる事で活性化、不活状態の蒼から活性化状態の紅へと変色するのである(つまり本来賢者の石の色は蒼なのだ)。
戦闘モードに入った黒騎士たち。途端に周囲の気温が急激に低下するが、しかしシャーロットの口元には白く濁った息は見られない。
―――ヒトであり続けることに、何の意味があるというのか。
時折自問自答するシャーロット。ヒトはなぜ、ヒトであり続けるために自らをヒトたらしめる要因に執着するのだろうか、と。しかしその答えは今日に至るまでついに得られず、頭の片隅では常に悶々とした日々が続いている。
シャーロットには、”人間らしさ”にこだわる事への興味が備わっていなかった。
無理もないだろう―――生まれつき身体中に障害を抱えていたが故に、生身の肉体は脆弱であり不便極まりなく、故に機械の身体こそが合理性の塊であって有用であると結論付けていたシャーロットに、人間の何たるかを推し量る感性は備わっていないのだ。
だからこそ、ヒトとしての尊厳も簡単に捨てられる。それこそコンビニで買ってきた安いスナック菓子の袋を、あるいはチョコレートの包み紙をゴミ箱に捨てるように、だ。
極端な話、シャーロットは自分の望む結果が得られるのであれば、肉体がどうなろうと知った事ではなかった。仮に肉体が滅び、巨大な装置の中に充填された培養液の中に浮かぶ脳髄だけになったとしても、あるいは自我と意識だけを電子化した電脳の海を生きるプログラムの一片と化したとしても、シャーロットにはどうでも良い事だ。
そういう部分にすら無頓着だからこそ、あるいは知り得なかったのかもしれない。
人間が―――脆弱な肉の殻が全てとなるヒトが、いかにしぶとく強かな存在であるかを。
先行した黒騎士たちが特殊部隊のように無駄のない動きで、素早くガソリンスタンドの裏手に停車してあるセダンの車内を確認する。間違いない、あれはシャーロットが市街地で遭遇した血盟旅団の逃走車両。ミカエルたちが盗品を乗せて逃げおおせる際に乗り込んでいた車両に違いない。
移動する時間も無かっただろうから、まだこの近辺に潜んでいる筈だ。
まずはミカエルから料理し、その間仲間たちは黒騎士たちとシェリルに相手をさせておけばいい。あるいは最初に仲間を全員殺し、絶望の淵に立たされたミカエルに引導を渡すか―――ショートケーキのイチゴを最初に食べるか最後に食べるか、子供がイチゴを食べるタイミングで悩むノリで考えていたシャーロットの目の前で、唐突に火の手が上がる。
ガソリンスタンドが唐突に爆発したのだ。内側で爆発が連鎖し、窓という窓が、壁という壁が吹き飛ぶ。そこから更に地下のタンクに充満していたと思われる気化した可燃ガスと残留のガソリンにも引火したのだろう、火の手は一気に勢いを増して天井を押し上げるや、周辺の建物と裏手のセダン2台を巻き込むほどの大爆発を引き起こした。
先行して突入した黒騎士たちは見るまでもなく全滅であろう(実際、義眼の網膜に投影されているデータでは突入した機体6機すべてがシグナルロストとなっている)。
追い詰められ、逃げ場がないと観念し自爆を試みた―――そんな筈はない。
分かっている―――血盟旅団は、そんな連中ではないと。
相手が格上だろうと何だろうと果敢に挑み、一矢報いようとする油断ならない相手だと。
だから今の爆発は、開演のベルなのだ。
ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフ主演、パヴェル・タクヤノヴィッチ・リキノフ脚本の血と火薬に塗れた演劇が、ついに始まったのである。
ガギュゥン、とシャーロットの後ろに控えていた分隊支援火器を携行していた黒騎士が、どこからともなく飛来した銃弾で制御ユニットを正確に撃ち抜かれたらしい。ゼリー状の冷却液と紅い人工血液を撒き散らしながら、そのまま仰向けに崩れ落ちていった。
「―――なぁるほど」
―――誘い込んだつもりか。
にぃ、とシャーロットは口端を三日月のように吊り上げた。
逃げる血盟旅団、追うテンプル騎士団―――そういう単純極まりない構図であると、シャーロットは思っていた。
確かに途中まではそうだったのだろう。シャーロットが追い、ミカエルが逃げる。狼の牙から逃れんとするウサギの逃走劇。
しかしウサギが逃げ込んだのは自分の巣穴などではなく―――獰猛な獣の住処。
そしてそのウサギ自身も、これまでに数多の格上の猛獣を仕留めてきた歴戦の戦士。
追い詰めたのではない、誘い込まれたのだ。
「そうかそうか……クックックッ、歓迎パーティーをしてくれるとは、実に気前がいい」
飛来した弾丸を首を傾けるだけで回避。すかさず護衛の黒騎士たちがAK-12を構え、弾丸が飛来したと思われる方向へ5.45mm弾の制圧射撃をかけ始める。
ドパパ、ダパパ、と小気味のいい銃声のワルツを聞き流しながら、シャーロットは両手を広げた。
「いいだろう、遊んであげようじゃないか」
やれ、と合図するなり、C4担当大臣(?)のモニカがスマホの画面をタップした。
通話アプリの連絡先の中からC4爆弾の起爆を選択。2、3回ほどの呼び出し音の後にC4爆弾が立て続けに起爆し、ガソリンスタンド内に突入した黒騎士たちに永遠の眠りをプレゼント(※クーリングオフ不可)する。
それだけではない―――床に撒き散らしておいた廃油や、地下にあるガソリンタンクのメンテナンスハッチを開けっ放しにしていたからもうたまらない。爆発で生じた炎と熱が廃油に引火、ガソリンタンクの上部に滞留していた可燃性のガスにまで火をつけ、ついにガソリンタンク内に残留していた燃料まで一気に燃え広がったのである。
さすがに星を焼くほどの威力はないが、ガソリンスタンドとその周辺を火の海にするには十分すぎる大爆発が生じた。廃業となったスタンドの建物が完全に崩落し、地上にさながら罪人を焼き尽くす地獄の口のような光景が広がる。
AK-308を構え、ACOGのレティクルをシャーロットの頭へと重ねた。
決着をつけようか、クソ野郎。




