猛追
パヴェル「実はなミカ、お前には内緒にしてたんだが……このギルドの運営資金の2割はお前の薄い本の売り上げで成り立ってるんだ」
ミカエル「なんて?」
やはり巧い連中だ、とつくづく思う。
過去に二度敗北した屈辱こそ忘れない。その記憶は脳裏にべっとりと張り付いて事ある毎に彼女に報復の炎を灯し続けている。
それはさておき、彼女らの手腕は称賛に値するべきだろう。敵ではなく味方だったら、もう少し”組織”も楽が出来た筈だとシャーロットは考える。
目を瞑り、シートに背中を深く預けて眠るようにしているシャーロット。しかしそんな彼女の意識は今、そこには無い。座席の上で眠るように脱力しているのはただの機械の身体であって、彼女の意識はオンライン上―――今まさに作戦展開地域を舞うドローンと共有されている。
ドローンの映像を拡大、暗視モードに切り替えながら逃走車両を追うシャーロット。美術館の警備兵は侵入者の存在にこそ気付いたものの、その侵入者が複数の絵画を盗んで逃走に移った事までは把握していないらしい。視線を一時美術館側へと向けると、まだ呑気に美術館敷地内の警備を固める警備兵たちの姿があって、彼女は思わず頭を抱えそうになった。
(なんて無能だ)
セシリアはノヴォシアの惨状を『病人』と呼んだ。床に伏し、自ら身体を動かす事も出来ず、停滞した時間の中で緩やかに衰弱していく病人のようである、と。
さすがにそれは言い過ぎではないか、と思う事もあったが、しかしあの有様を見ればその評価が正しかったのだと痛感せずにはいられない。
経済への破滅的なダメージ、貴族の腐敗、皇帝への不信感……帝国の崩壊は既に秒読みに入ったと言ってもいいだろう。帝国の惨状を見たイライナが、いつまでも泥船に乗っていられるかと切り捨てにかかるのも頷けるというものだ。
そんな腐敗した貴族の元でまともな兵士を統制できるかと問われれば、それには首を横に振るしかない。兵士の統制など夢のまた夢で、上層部が腐れば部下もまた腐るのが道理だ。腐敗し、実戦よりも民衆の弾圧が得意な警備兵では、血盟旅団の相手は荷が重すぎた。
やっとの事で憲兵隊が動いたが、あまりにも遅すぎる。
作戦展開地域内の状況を整理したところで、意識をドローンから自分の肉体へ呼び戻す。
途端に耳へと入ってくるのは、時折ブツブツとノイズを交えたピアノの旋律―――美しく、どこか悲し気なそれはベートーヴェンの『月光』だった。
音楽、というものにシャーロットはあまり興味がない。
彼女は合理的な人間だ。目標達成に必要なものだけを追求し、それ以外の無用な要素は徹底して排除して、実用性の純度を高める傾向があるシャーロット。四六時中研究室に籠って技術開発をする事が多かった彼女にとって、音楽―――特にクラシックの類は無縁の存在であった。
だからセシリアからレコードと蓄音機がセットで送られてきた時は、目を丸くした。
後方勤務を命じられた時だった。『キミは少し音楽でも聴いて考えにゆとりを持つべきだ』と諭され、それ以降は事ある毎に音楽を聴く事にしているシャーロット。今回もドローンに意識を向けている間、ずっと音楽を流しっ放しだった。
不思議と心が安らぐような―――まるで干ばつで亀裂が生じるほどに乾ききった大地に雨が降り注ぐかのような安心感が、今の彼女にはある。
他者の心を読めるが故に、本当の安寧を孤独にしか見出す事が出来なかったシャーロット。そんな彼女が久しく忘れていた感覚が、今まさにそこにあった。
ゆっくりと椅子から起き上がると同時に、シェリルの声が脳に届く。
《行かれるのですね》
(……ああ)
《お供します、同志シャーロット》
(それじゃあ、行こうか)
身に纏っていた制服の上着を、そっと脱ぎ捨てる。
壁面のスリットから漏れる紅い光がぼんやりと輝く薄暗い部屋の中―――上着の下から露になったのは、少女の柔肌などではなかった。
それこそが、度重なるミカエルとの敗北という結果に対してシャーロットが突きつけた、自分なりの最適解。
首から下が機械であるが故に、生身の身体よりも自由度の高い彼女の選択だった。
「嵐の前の静けさ」という言葉がある。
美術館を離れてからというもの、なんとも気味の悪い―――居心地の悪い空気を俺は鋭敏に感じ取っていた。強盗という犯罪行為を犯した事に対する罪悪感とか、当局に追われているという焦燥感ではない。
上手く言語化できないが……とにかく、備えていた方が良いかもしれない。
バックミラー越しにクラリスと目が合った。俺との付き合いが長い彼女はそれだけで何かを察知したようで、首を小さく縦に振るや周囲への警戒を一層強めた。
獣人の身体で良かったと思う事は、身体能力の高さもそうだが、一番はこういう自分に対する脅威により鋭敏になった事だろうか。動物……特に食物連鎖の下層に居る弱い立場の動物は、捕食者の気配に対し鋭敏だ。そうでなければ苛酷な生存競争を生き延びられないからである。
その感覚が、獣人たちにも反映されているのだろう。
MP5のマガジンを麻酔弾から実弾の入ったドラムマガジンに交換するや、隣にいる範三も無言で9mm機関拳銃のマガジンを実弾に交換した。
使い慣れてる方が良いだろう、とメニュー画面を開いて九九式小銃と予備の弾薬40発が入った弾薬袋を渡すと、範三は「かたじけない」と言いながらそれを受け取った。いくら大柄な人が多いノヴォシア向けにデザインされた車の後部座席とはいえ、第二次世界大戦の頃のボルトアクションライフルはさすがに嵩張るが……射角が後方へ限定されるのであれば問題はないのかもしれない。
何なのだろうか、この腹の奥底にずっしりと沈み込むような気配は。
単純な殺気とは違う―――殺気はここまで重くない。本能に直接訴えかけてくる類の感覚ではあるが、今感じているこれは何かが違う。
もはや何事もなく仕事を終える、というのは夢物語と化したと言ってもいいだろう。
憲兵隊の新兵器か、それとも……?
唐突に、夜空で一際大きな星が瞬く。
いや、あれは……星、か?
赤く輝いた星明り。しかしそれは夜空の星が発したものにしては随分と地表に近いように思えて……?
《―――各員に緊急通達。”ペリカン”が撃墜された》
「なんだって」
”ペリカン”とは、血盟旅団が運用している中型ドローンだ。
作戦展開地域の上空へと飛ばし、高性能カメラと各種センサーで上空から地上を監視する事に特化した機体である。主にパヴェルが作戦の指揮を執る際に使用しているほか、電波の中継機能も持つことからコマドリやキツツキのようなドローンの行動可能範囲を広げる効果もある。
それに加え、火力支援用のレーザー誘導爆弾を2発まで搭載可能という高性能ドローンなのだが……それが撃墜されたとはどういう事か。
信じられない報告に、頭の中が一瞬バグりそうになる。
ペリカンには高性能なステルス機能がある―――周囲に氷の粒子を展開し透明になる”ラウラフィールド”と呼ばれる光学迷彩システムがあるため、目視やサーマルでの探知は困難を極める。また機体形状もステルス性を重視しているほか、ステルス塗料も塗布されているのでレーダーでの探知も難しい機体である筈だが……あろう事かそれが撃墜された……?
じゃあ、さっきの赤い光はもしかして……。
《―――気を付けろ、”奴ら”が来た》
パヴェルが短く告げた言葉で、緊張の度合いが一気に高まったのが分かった。
美術館の警備隊や憲兵に、遥か上空で半ば姿を消しているドローンを撃墜する技術も装備もない事は百も承知だ。ということは消去法で考えるまでもなく、ドローンを撃墜した相手の正体は察しが付く。
「―――テンプル騎士団」
くそったれが。よりにもよってこのタイミングで……!
《ペリカン予備機、及び”ハヤブサ”緊急発進。各員戦闘に備えよ》
あまりにも最悪過ぎる。
一番嫌なタイミングで、一番嫌な事が起こりやがった瞬間だった。
麻酔弾の使用を前提にゼロインしたドットサイトを調整する時間もない。かといって麻酔弾で何とかなる相手でもない事は明白で、兎にも角にも実力で乗り切るしかない。不足した火力は逃げの一手と技量でカバー、不測の事態には臨機応変に……ああクソ、「臨機応変」ってのは便利な言葉だ。嫌いな言葉になりそうだよ本当に。
「範三」
「む」
範三の肩を叩いて銃を引っ込めさせると、後方からパトカーが接近してきた1台だけで、パトランプを点灯させてこそいるがこっちの正体を見抜いているわけではないらしい。これから検問所でも設置するところなのか、急ぎ足で俺たちのセダンの脇を通過していく。
いずれにせよ、今のままでは列車に戻れない。もちろん姉上が派遣しているであろう買い手のところに逃げ込むのもNGだ。
「フィクサー、意見具申。”プランB”移行を進言」
《プランB了解。フィクサーより各員、プランB発令。セーフハウスで合流しろ》
あらかじめ用意していたプランB。
ボロシビルスク郊外にある廃棄されたガソリンスタンドをセーフハウスとし、強盗失敗の際や逃走中にトラブルが発生した際の集合場所として定めてあった。
場所は作戦用のスマホ、マップデータに登録してある。
クラリスに「プランB、プランBだ」と告げた次の瞬間だった。
フロントガラスの向こう―――ついさっき、左側を追い越していったパトカーが遠ざかっていった方向で火の手が上がったのである。何事かと視線を向けると、噴き上がった火柱の根元には変わり果てた姿のパトカーがあった。
遥か上空から飛来した”何か”に、その質量と加速を以て派手に押し潰されたような、そんな有様だった。さながらレーザー誘導爆弾の精密爆撃でも受けたのか、と凝視した俺の視界の中で、エンジンルームから濛々と噴き上がる地獄のような炎を背景に、ゆらりと人影が立ち上がる。
パトカーに乗っていた憲兵が命からがら逃げだした―――わけではないようだった。
そう断じた理由は、炎を背に浮かび上がったシルエットにある。
頭には2本のブレード状の角が伸び、腰の後ろからはメタリックな光沢のある装甲に覆われた、機械の尻尾のようなものが生えている。それはまるで獲物をこれから丸呑みにせんと迫る大蛇のような威圧感を放っていて、神話に登場する魔獣じみた迫力と威圧感があった。
この世界に、どうしてあのような角と機械の尻尾を持つ獣人が存在しようか。
ぎらり、と暗闇の中で、その紅い瞳が光を放った。
「シャーロットか……!?」
忘れもしない相手。
ホムンクルス兵、シャーロット―――テンプル騎士団を支える頭脳にして、俺にとっては因縁のある相手。今のところ2戦2勝(とはいえいずれも辛勝だ)ではあるが、三度目の正直を実現すべく雪辱戦を挑んできたと言ったところだろうか。
向こうも俺がこの車に乗っている事に気付いたらしい。フロントガラス越しに目線が合うや、にたぁ、と口が耳まで裂けているんじゃないかと思ってしまうようなおぞましい笑みを浮かべ、大きく跳躍した。
「クソッタレ、テンプル騎士団が―――」
無線で仲間に報告しようとした次の瞬間だった。
べこんっ、とセダンのルーフが大きくへこむと同時に、そのルーフをぶち破って生えてきた拳が、ミカエル君の頭のすぐ脇を通過していったのである。
頭があと左に2、3cmずれていたら、今頃俺の頭はブローニングをぶち込まれたスイカの如くカチ割られていただろう。悪運が強いというか、何というか。
振り落とせ、とクラリスに叫ぶと同時に、ルーフに向けてMP5をフルオートでぶちかましていた。
相手がルーフの向こう側に居るのだから、照準を合わせようもない。だが腕が伸びている部分から相手の体勢を予測すれば、シャーロットが今どんな体勢で居るのか、そしてどこを狙うべきかが推し量れる。
ドガガガガガ、とフルオート射撃が始まるなり、セダンが右へ左へと大きく揺れ始めた。車に取り付いたシャーロットを振り落とすべく、クラリスが蛇行運転を始めたのだ。
対向車のライトとクラクションを浴びながらの蛇行運転、クラリスも気が気ではないだろう。だが俺だってそうだ。距離にして1m足らずの距離に、いかなる攻撃でも被弾すればワンパンされかねないやべー相手が迫っているのである。
そこで気付いた―――ルーフをぶち抜いて伸びてきたシャーロットの手が、人間の手ではない事に。
いや、彼女は首から下が機械なのだ。本人曰く「生まれつき大量の障害を抱えた生きづらい身体」だったらしく、それを克服すべく巨費を投じて機械の身体を作り上げ、首から上をそっちに移植したのだと。
しかし、以前までであれば彼女の身体はまだヒトとしての体裁を保っていた。金属製のフレームの上に人工筋肉を張り巡らし、その上に質感を精巧に再現したシリコン製の人工皮膚を配置して、人間そのものであるかのようにふるまっていた。
だが、今のシャーロットのこの腕はどうか。
人工皮膚などは見当たらない。メタリックな黒い光沢を放つ防弾装甲(よく見ると表面にうっすらと幾何学模様が浮かんでおり、対魔術用の処置を施している事が窺える)で覆われており、ヒトのそれとは異なる異形だ。人間としての尊厳まで捨てたのだろうか―――俺を殺すためだけに。
クソが、と悪態をついた次の瞬間だった。
「耳を!」
「!?」
運転席で弾けたクラリスの大きな声。何をするつもりなのかは、運転席からするりと伸びてきたクラリスの手を見てすぐに理解した。
そこに握られているのは、拳銃と呼ぶにはあまりにも大き過ぎる代物―――ハンドガンではなく『ハンドキャノン』とも言うべき代物。
【サンダー.50BMG】と呼ばれるシングルショット型の試作拳銃。その使用弾薬はかのバレットM82と同じ、12.7mm弾―――!
範三と一緒にケモミミをぺたんと倒し、耳を塞いだ次の瞬間だった。
ドガンッ、と大砲のような轟音が弾けた。
いかに得体の知れない機械の身体を持つホムンクルス兵でも、ルーフ越しとはいえ至近距離で50口径の直撃を受ければたまったものではないらしい。ルーフを易々とぶち抜くや、ガギュ、と装甲を派手に打ち据えるような金属音が響き渡り、後部座席側の窓とトランクの上をゴロゴロと転がっていくシャーロットの姿が見えた。
範三と一緒にシャーロットに銃撃を加えている間に、アクセルを踏み込んだクラリスによりセダンは一気に急加速。そのまま目的のセーフハウスを目指して走り去っていく。
銃を降ろし息を吐きながら、脈拍数の上がった心臓を手で押さえた。
まいったな……テンプル騎士団まで来やがったか。
これはどうやら面倒なことになったようだ……。
ハヤブサ
技術検証のため試作されたX-36を参考に開発されたドローンの一種。正式名称『UF-36スカイゴースト』。12.7mm機銃(または7.62mm機銃×2)及び空対空小型ミサイルで武装している他、機体下部に複合センサーを搭載した無人機。
テンプル騎士団で開発・運用された機体であり、その歴史は初代団長タクヤ・ハヤカワの時代まで遡る息の長い兵器。その後も生産規模を縮小しつつもマイナーチェンジが繰り返され、セシリア政権下のテンプル騎士団でも二線級兵器としてではあるが現役だった。
血盟旅団で運用されているのも、パヴェルがそれを数少ない資料と記憶を頼りに再現したタイプである。
※前々作『異世界でミリオタが現代兵器を使うとこうなる』が初出。




