大強盗作戦、発動
強盗作戦時のTACネーム
ミカエル:グオツリー
クラリス:バウンサー
モニカ:バレット
イルゼ:ララバイ
リーファ:ターシオン
範三:ヤシャ
カーチャ:シャドウ
パヴェル:フィクサー
白銀の満月が、夜空に浮かぶ。
夜風は冷たく、薄着で外に出ればまるで無数の針が肌を突き刺してくるかのよう。まだ9月、と思われるかもしれないが、イライナではこれが当たり前だ。使用人に頼んで部屋に小型の薪ストーブを用意してもらったのは9月上旬の事だ。
私と、理想に賛同してくれた同志たちのもと、イライナ独立計画は着々と進みつつある。政治的根回しに各種工作、プロパガンダ……努力の甲斐もあってイライナの軍事組織の掌握には既に成功している。人民も独立を支持となれば、あとは蓄えを用意しながらその時を待つばかりであろう。
今のところ、金はある。資源もある。兵もある。
だがいざノヴォシアと開戦となれば、それは毎日のように莫大な勢いで消費されていくはずだ。いざとなれば私財を投げ打ってでも祖国独立のために貢献するつもりではあるが、それでも焼け石に水。如何に公爵家の財産だろうと戦争を支え切るには心許ない。
そのための資金調達を各所に依頼しているが……よもや姉弟の末っ子にもそれを頼むことになろうとは。
ミカの手腕を信じている一方で、罪悪感も感じていた。
幼少の頃から、あんなにも酷い目に逢っていたあの子にこんな事をさせてしまう自分を、私はただただ恥じた。
ただそれも、貴族としての―――庶子とはいえ公爵家に生まれ、晴れて正式な子として迎え入れられた宿命なのであろう。
ノブレス・オブリージュ―――貴族としての義務に殉ずる覚悟が、私にはある。
そしてミカにも、きっと。
「……」
頼んだぞ、ミカ。
同じ月を見上げながら、遥か遠方のボロシビルスクに居るであろう妹を想いながら、私は静かに祈った。
なんか遥か遠方の地で自分の尊厳が軽んじられているような、そんな気がした。
まあ尊厳破壊なんか今に始まった事ではない。ミカエル君の尊厳は羽毛よりも軽いのだ(涙)。
そんな思考を頭の隅に追いやって、空を見上げた。
無数の星が浮かぶ夜空。その中央には自分こそが夜空の主だと言わんばかりに、白銀の満月が居座っている。この星空を、そしてあの月を、イライナに居る姉上たちや兄上たちも見上げているのだろうか?
故郷への思いを募らせつつ、ピストルカービン化したグロック17Lに角張った形状のサプレッサーをくるくる回して装着していく。
いわゆる”オスプレイ・サプレッサー”だ。拳銃のアイアンサイトや光学照準器を使用した照準を阻害しないような形状になっているのが特徴的で、銃声の軽減と狙いやすさを両立した逸品だ。
フラッシュマグに装着した予備マガジンを引き抜いて、中身がちゃんと装填されているかを確認。通常弾と見分けがつくよう赤いテープが巻かれたそれの中には、弾頭部に赤い塗装が施された9×19mmパラベラム弾がダブルカラムの状態で収まっている。
対物用の”強装徹甲弾”だ。パヴェルが一発一発の装薬量を限界まで増量、弾頭の材質も見直して戦闘人形などの対物目標にも一定の効果があるよう調整を施した高威力弾。ライフル弾には及ばないものの拳銃弾としては十分な威力を誇るが、装薬量をUPし弾速を上げた関係上、サプレッサーとの相性は悪化している(ガスを拡散させ弾丸を減速させることで銃声を軽減するのがサプレッサーのメカニズムだからだ)。
なのであくまでもフラッシュマグに収まっているこれは強硬手段が必要になった時の保険。グリップに装着されているマガジンには亜音速弾を意味する青いテープが巻かれていて、サプレッサーとの相性の最適化を図られている。
同じくサブソニック弾(※実弾ではなく麻酔弾)を装填したMP5もチェックしてから、ブハンカの後部座席を降りた。幸運を、とハンドルを握っていたカーチャが言ってくれたので、彼女に礼を言ってから仲間と分かれる。
そのまま自分の分隊を引き連れ、暗闇の中、その辺の建物の壁をよじ登り始めた。久しぶりのパルクール、幼少の頃から積み上げた努力の結晶は感覚として身体に染み付いているようだ。当たり前のようにすいすいと昇っていく俺とクラリスに対して、こういうのにあまり慣れていない範三はちょっとしんどそうだった。
今回の強盗計画の目的は、キリウ大公の子孫に関するヒントが記載されているとされている絵画『黄金の大地』。イライナ国旗の由来ともなっている、麦で覆われた黄金の大地と青空のコントラストが実に美しい傑作だ。裏にあるヒントが目的だが、絵画自体の美術的価値も相当なものだろう。少なくとも、あれはノヴォシアにあっていいものではない。
美しい絵画はあるべき場所に収まっていなければならない。そしてそれはノヴォシアではなく、イライナだ。
今回の強盗にあたり、チームを2つに分けた。
まずは絵画『黄金の大地』奪取を主目的とする”アクーラチーム”。そしてもう一つ、可能な限り高価な美術品を奪い姉上からのオーダー達成を目的とした”ボレイチーム”の二つである。
こういうのはアルファとかブラボーみたいなフォネティックコードを割り振るものではないのかと思ったのだが、パヴェル曰くこれは『テンプル騎士団時代のフォネティックコード』なのだそうだ。アルファではなく”アクーラ”、ブラボーではなく”ボレイ”、チャーリーではなく”シエラ”……なんだか変な感じがする。
アクーラチームは俺、クラリス、範三。ボレイチームはイルゼ、モニカ、リーファ。
カーチャは狙撃やドローン中継での支援、パヴェルは列車のドローンステーションでドローンを操縦しつつ指揮を執る―――といった役割分担となっている。
《フィクサーより各員、フィクサーより各員。小包が発送された。繰り返す、小包が発送された》
事前に取り決めた合図だ―――サーマイト爆弾を搭載したドローンの起爆準備に入った、という暗号。
「グオツリー、位置についた。こっちはいつでもいい」
《ララバイ、位置につきました。こちらも準備万端です》
《了解。開封する……3、2、1》
カウントダウンの終了と共に、美術館内部の照明が落ちたのが分かった。配電盤に設置されたサーマイトドローンが起爆、電源を遮断したのだ。
やってくれ、と範三に目配せすると、彼は首を縦に振ってから背負っていたコンパウンドボウを取り出した。狩猟用、あるいは競技用の滑車が付いた現代の弓を構えた範三は、それを引き搾って美術館へと放つ。
音もなく飛んでいった矢の後端にはワイヤーが取り付けられていた。レンガの壁面に深々と突き刺さったのを確認するや、ワイヤーをその辺の煙突に括りつけてジップラインの構築を完了する。
お先するよ、とジップラインを使い、美術館へと渡る。
ブーツの底を美術館の壁面に打ち付けて止まったが、それほど大きな音はしなかった。強盗用にパヴェルが用意したステルススーツとステルスブーツの恩恵だ。靴底に術式を内蔵しているらしく、足音を検出するや真逆の位相の音を発して足音を完全に消してくれるのだとか。
ワイヤーを手放して窓枠に掴まるや、後続のクラリスもジップラインを使って隣にタッチダウン。足を踏み締めた衝撃で、ステルススーツに覆われた彼女のおっぱいがぶるんっと大きく揺れた。
いやーいいもん見れた……このステルススーツ、傍から見るとラバースーツみたいで肌に密着するデザインなので、ボディラインがはっきりと浮き出るのだ。鍛えてる人とかスタイルの良い人なら問題ない(むしろ美点である)が、そうじゃない人が見に纏うと悲惨な事になる。
これをベースに機甲鎧のパイロットスーツを開発しているらしく、そっちもちょっと楽しみである。
窓の前までやってくるクラリス。遅れて筋肉の塊こと範三もジップラインでこっちに音もなく着地した。
ちらりと視線を下へと向ける。屋外では右腕に折り畳み式ブレード、左手に水冷式機関銃を装備したカマキリみたいな戦闘人形の姿が見える。アリクイみたいな頭部にはバイザーらしき追加装備がある事から、センサー類を強化した改良型なのかもしれない。
戦車を護衛する随伴歩兵の如く、数名の警備兵が戦闘人形の周囲に展開して敷地内を巡回しているところだった。仕事熱心なのは良い事だが、よもや侵入者が壁に張り付いているとは誰も思わないだろう。
窓に手を付けるや、クラリスはゆっくりと力を込め始めた。やがて締め切られた窓の表面に亀裂が入り、そのままパキパキと小さな音を立てながら割れていく。
馬鹿力で強引に窓を押し割り、中にあった鍵を解除するクラリス。窓を開けて中に突入、MP5をセミオートに入れながら周囲を警戒。クラリスと範三も突入してくるまで警戒を継続したのち、ヘッドギアにマウントしていた暗視ゴーグルを下げてスイッチを入れた。
『GPNVG-18』という四眼の暗視ゴーグルだ。四眼となった事で従来の暗視ゴーグルよりも広い視野を確保することに成功した代物だが、傍から見れば四つの目を持つクリーチャーのように見えるかもしれない。夜の博物館でこれを装着した俺たちと遭遇した警備員は、きっと生きた心地がしない筈だ。
緑色に染まった視界の中、仲間たちと共に進んだ。絵画『黄金の大地』は、もう分かっている。
パス、とサプレッサーから放たれた1発の9mm麻酔弾が警備員の背中に食い込んだ。深く刺さり過ぎないよう配置されたスポンジとダーツの矢のような弾頭部。そこから体内に注入された麻酔薬によって、警備員は自分の身に何が起こったのかも把握できぬまま眠りの中へと落ちていった。
眠った警備員を通路の隅へと引き摺り、通路の中を確認する。
美術館内は照明が落ちた事ですっかり暗くなっている。けれども結界の方はというとその限りではないようで、暗視ゴーグルに追加された”マジックビジョン”(※魔力の流れを可視化するもの)機能を使って周囲を見てみると、確かに面積も狭く数こそ減ったものの、今なおスキャンを続ける結界の姿が見えてあたしはちょっと嫌になった。
電源落ちたんだし黙って沈黙してなさいよ、と言いたいところだけど、まあボロシビルスクの警備は伊達ではないという事で納得しておきましょう。
やるわよ、と言ってから前に出た。通路をスキャンしている結界が通り過ぎるのを待って通路を横断、姿勢を低くして定点をスキャンし続けている結界の下を潜り抜ける……触れたら終わりという緊張感に苛まれながらもなんとか結界を抜け、周囲を警戒。リーファとイルゼが後に続いてくるのを待つ。
2人が合流(イルゼちょっと危なかったんじゃない?)するのを待って、壁に飾られた絵画の前に立った。当然ながら表面はアクリルガラスで覆われていて、額縁を利用して固定する構造になっている。
工具を使って額縁を外し、そこからアクリルガラスを外す。中にあった絵画(竜の背に跨る少女の絵だ)を取り出すや、くるくると丸めてダッフルバッグの中へと押し込んでいく。
「これ売れるネ?」
「色使いが綺麗だし作者も聞いた事ある人のだからそれなりの値段はするわ。たぶん」
こう見えてもあたし、貴族の端くれなのよね。まあ一族の名も家督継承権も総てかなぐり捨てたけど。
けれども幼少の頃からの教養は無駄ではない。美術品の相場は分からないけど、「何となくコレ売れるんじゃね?」的な判断はつく。
同じように隣の絵画にも手をかけた。雪の降り積もった森の中、子熊と共に森を進むヒグマの親子の姿が油絵具で描かれている。雪の質感もそうだけどヒグマの毛の質感も繊細なタッチで再現していて、見る角度によっては絵ではなくカラー写真なのではないかと思ってしまうほど。
これも売れそう、貰っていきましょう。
盗んだ絵画を売ったお金はイライナ独立のための資金に回される。けれども売れたお金の一部はあたしたちの手元に還元されると約束されているので、盗めば盗むほどこっちの手取りも多くなる―――ミカのとこのお姉さん、お金で人をやる気にさせるのが本当に上手いわね。指導者というか経営者というか……そういう才能があるように思えるわ。
《フィクサーより各員、警備兵2名が裏手の配電盤へと向かった。手には工具箱を所持、復旧に向かっている模様》
「チッ」
あまりじっくりと芸術作品を鑑賞している時間はないみたい。
急がないと、あの過剰な結界がまた復活してしまう。そうなれば脱出は困難で、あたしたちはこの軽装で無数の憲兵隊を相手にしながら強引な逃走を強行しなければならない。
可能ならば誰にも見つからず、静かに脱出したいものね。
兎にも角にも、急がないと。




