シスター・イルゼ
「血盟旅団です。冒険者管理局より援軍の要請があり、参戦しました」
見様見真似で敬礼しながら言うと、守備隊の隊長らしき獣人の男性―――多分アライグマだと思う―――は笑みを浮かべながら、本当の敬礼を見せてくれた。素人の敬礼ではなく、キレのある職業軍人の敬礼。やっぱりだが、迫力が違う。
挨拶するように何度も繰り返していけばこうもなるのだろう。適切な角度、力の入れ方、それら全てが身体に染み込んでいくのだ。そしてそれは何年時を経ても、決して忘れられることは無い。
「よく来てくれた。アルカンバヤ村守備隊隊長のボリスだ。見ての通り、物資も武器も不足している。無論、兵力もだ」
「はい、存じ上げております。3名のみですが、全力で防衛の一翼を担わせていただきます」
「期待している」
「それと僅かながら、物資に武器、弾薬も持参いたしました。ぜひ活用してください」
「ああ、感謝する。……それにしても先ほどの戦闘、見事だった。強力な武器を持っているようだな」
隊長のボリスと、その側近たちの視線が俺の背負っているAK-308の方へと向けられる。
確かにそれは、マスケットを運用している騎士団の団員たちからすれば異質なものに見えるだろう。銃剣に露出した撃鉄、木製の銃床。あまりにも古風なそれとは、形状も材質も、そして性能も違い過ぎる。
それは提供してくれないのか、というニュアンスも含まれているのを、俺もクラリスも、そしてモニカも感じ取っていた。
「我がギルドの独自開発です。希少な素材と高度な技術を必要とする関係上、ごく少数しか生産しておりません。我々が持つ分しか用意できていないのです。できる事ならば大量生産して持参したかったのですが……どうかご理解を」
「ああ、それもそうだ……しかし、本当に心強い。君たちの分の宿舎は用意できなかったが、教会が空き部屋を提供してくれるそうだ。エレナ教会に行くと良い」
「感謝します」
もう一度敬礼し、踵を返した。
守備隊が拠点としているのは村の酒場のようだった。小さく、歩く度に床も軋むような酒場。夜になれば仕事を終えた農民や労働者が集まり、大声で歌ったり、酔いつぶれるまで酒を飲んでいる光景が目に浮かぶが、今は騎士たちの指令所として使用されている。
中に居るのは地図に何やら(多分魔物の群れの予測進路だろう)書き込んでいる指揮官や、側近の騎士たち。部屋の奥では即席の武器を作っているようで、本当に彼らが追い詰められているのだという事が分かる。
第一、なぜこんな村を魔物が襲うのか。人口も少なく、冬の蓄えも今年の冬を乗り切るので精一杯なこの村を。
冬眠に失敗し餌がない、というならばまあ分かる。しかしこんなところを襲って腹を満たしたところで、人口は少ないし食料も満足に用意されていない。あれか、狼みたいに弱そうな相手を狙ったとか、そんな感じか。
90㎞南に行けばザリンツィクがある。そこなら人も物資も十分にあるが、それ相応に警備が厳重だ。大砲にガトリング砲、最新鋭のマスケット銃で武装した兵士たちに、技術陣が人間たちの技術を解析して開発した戦闘人形まで用意されているとなれば、確かにそっちに突っ込むのは死を意味するだろう。
魔物たちはそれを本能的に理解しているのだろうか?
外に出た途端、”人殺しの冬”とまで言われるノヴォシアの吹雪が牙を剥いた。コートやウシャンカにあっという間に雪がこびり付き、体温があっという間に奪われていくのが分かる。
全裸で冷凍庫に放り込まれたような寒さに苛まれながら、外に停めてあったブハンカに乗り込んだ。ルーフラックや後部座席にあれだけぎっしりと積み込んでいた物資の殆どはもう既になく、降ろされた後だ。だからなのか、ブハンカの車内が随分と広く感じられる。
これで車中泊とかやったら面白いんじゃないかな、などと吞気な事を考えている間にエンジンがかかった。吹雪の中で雪まみれになったブハンカが目を覚まし、クラリスの運転で村の真ん中にあるという教会を目指し進んでいく。
疎らな民家や納屋の脇を通過していくと、やがて教会の屋根が見えた。リーネにあった教会と同じく、その大きな屋根は騎兵用の槍を思わせる。鋭利な穂先には神々や英霊を称える象徴とされる十字架が掲げられ、吹雪の中で佇んでいた。
車を教会の裏手に停車させ、ブハンカから降りる。これ下手したら明日の朝には雪で埋もれてたりしないよな、と変な心配をしてしまうが、そう思ってしまうほど吹雪の規模はヤバかった。まともに目を開けている事すらできない。無理に目を開けていようものならば、眼球が凍り付いてしまいそうだった。
コンコン、と教会のドアをノックする。吹雪の音ばかりが響く中、ぱたぱたと中から足音が聞こえてきた。
「はい」
ドアを開けてくれたのは、修道服に身を包んだ金髪の女性だった。金髪、といっても少し赤みがかっているような色合いで、オレンジに近い感じと言えばいいだろうか。高貴さを感じさせる頭髪とは対照的に、その肌は雪のように白い。
修道服の後ろには穴が空けてあって(寒くないのか?)、そこからはもっふもふの、それこそ顔を埋めたくなるようなレベルでもっふもふの尻尾が伸びていた。狐の獣人なのだろうか。
もちろん彼女は俺よりも身長が高かった。モニカと同じか、ちょっと高いくらいだろうか。モニカ以上クラリス未満、と言ったところだ。さすがにクラリスの誇る破格の身長183㎝は超えられないらしい。
あともう一つ。
ええとですね……随分とスタイルがよろしいようで。
これ、下手したらクラリスより大きいのでは? え、何がって? そりゃあ馬鹿お前、アレに決まってるだろ……アレだよアレ、円周率。円周率がでっかいの。
いかんいかん、彼女は神々に仕えている身なのだ。そういう目で見ちゃいかん。煩悩退散、煩悩退散。除夜の鐘でも払いきれない煩悩、恐るべし。
「あ、冒険者ギルド”血盟旅団”の者です。本日から村の防衛に参加していたのですが……ボリス司令官から、こちらの教会に部屋を用意してもらっていると聞きまして」
シスターにギルドの名前と用件を伝えると、既に話を聞いていたようで彼女の警戒するような表情が、客人をもてなすかのような笑みに変わったのがはっきりわかった。
「ああ、冒険者の方ですね。司令官からお話は伺っておりました」
どうぞ中へ、と笑みを浮かべながら案内してくれるシスター。礼を言ってから中に入ると、どういうわけかモニカとクラリスが自分の胸を見てから複雑そうな表情をしていた。
うん、モニカは分かる。隣にいるメイドさんがその通りGカップですから。それでまあ、クラリスの方はと言うと今まで圧勝が約束されていたので、その分自分より上の相手が出てきた事に衝撃が隠せないのだろう……あ、どういうわけかミカエル君は知らないからね? いったいなんでこんなリアクションをしているかは、PCあるいはスマホの前の皆さんのご想像にお任せしますよ?
通路を進む途中で、ちらりと大聖堂の中を覗き込んだ。本来であれば祀られている神々や英霊に祈りをささげる場である大聖堂には、村中から避難してきたと思われる女子供や老人たちが身を寄せ合っていた。中には錆び付いたドラム缶が置かれていて、廃材や薪がその中で燃えている。
その中には働き盛りの男の姿は無い。何故か? 村を防衛するために動員されたからだ。
実際、先ほどまで居た酒場の中には私服姿の民兵たちが何人もいた。統一された制服に身を包んでいる騎士たちとは違い、私服姿なのだからそりゃあ目立つ。
結局、有事の際に盾になるのは男なのだ。
用意してもらった部屋は2階にあった。部屋、といっても元々は物置だったのだろう。扉の形状も簡素で、つい数日前までは埃だらけだったと思われる形跡がある。が、文句を言うわけにもいかない。むしろこの極限状況で部屋を用意してもらえたことに感謝するべきだ。
「こちらです。狭い場所に3人も押し込めるような事になってしまうのは心苦しいのですが……」
申し訳なさそうに言うシスター。笑みを浮かべながら首を横に振り、彼女たちからの厚意を素直に受け取る事にする。
「いえいえ、吹雪を凌げる場所を用意してもらえるのは本当にありがたい。私はミカエル。ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフと申します。こちらは仲間のクラリスとモニカ。何卒よろしくお願いしますね、シスター」
「ええ。私は”イルゼ・シュタイナー”と申します、お見知りおきを」
イルゼ……シュタイナー……。
この辺では珍しい名前だ。ノヴォシアではなく、西方諸国の出身なのだろうか。
考え込んでいると、シスター・イルゼは笑みを浮かべた。
「珍しい名前でしょう?」
「えっ? ああ、ええ」
「ふふっ、みんなそう言うのです。私の祖先は西方諸国、”グライセン王国”の出身ですから」
「グライセン王国ってあの軍事国家の?」
「ええ。どうも、軍拡ばかりの物騒な国に馴染めなかったようで……」
それはこの国も同じだ、と喉元まで言葉が顔を出そうとしていたが、それは口に出さずに呑み込んだ。いや、むしろノヴォシアの方が酷いのではなかろうか。国内はズタズタで、上層部も腐敗しつつあるとなっては……。
グライセン王国は先ほど述べた通り、ノヴォシアの西方に広がる国家の一つだ。隣国の”ポリシュランド”を挟んだ反対側に国土を持つのが、軍事国家グライセン王国。先進的な技術を持つとされているが、その実態は滅んだ人間たちの技術を解析したものではないか、と言われている。が、高度な技術を持っている事に変わりはなく、噂では”空を飛ぶ大型船”を建造する計画も上がっているのだとか。
随分と気の早い話だ。まだ飛行機すら発明されていないというのに。
「では、夕食の準備をして参ります。準備が出来たらお呼びしますので」
「何もかもありがとうございます、シスター・イルゼ」
「いえいえ、当然の事です。私たちに救いの手を差し伸べてくれたのは、あなた方だけですから……」
俺たちだけ?
いや、昇級試験だという事は知っている。が、そうじゃなくても他のギルドや管理局に同様の依頼が回っていてもおかしくない。
まさかとは思うが、誰も引き受ける事の無かった依頼を俺たちに回したって事か? そんな馬鹿な。村の運命がかかっているような重要な依頼を、管理局がそんなたらい回しにするような真似をするわけが……。
階段を降りていくシスターの後ろ姿を見つめながら、心の中に生じた疑問を一旦押し込める。
「ご主人様、これはどういう……?」
「あたしたちだけ? 何、管理局はこの依頼をたらい回しにしてたってわけ?」
「……わからん」
わからんが……なんか裏がありそうだ。
「ぶえぇぇぇぇぇぇぇぇっくし!!」
クソッタレ、何でこんなに冷えるんだ?
盛大にくしゃみをしながらボルトを締め、一息つく。すっかり冷えてしまった体を温めるにはウォッカしかない。冬場はこれだ、これで乗り切れ。職場で嫌な事があった時とか、辛い現実を受け止めきれない時とか。そういう時、アルコールはいつも労働者の味方だ。
俺だってそうさ、娘を亡くし、妻が精神的に病んでしまった日からアルコールの量が増えた。煙草も増えた。飲まずにはいられなかったから、というわけなのだが。
持ってきたウォッカの瓶をまた1つ空にし、さてそろそろボイラーの点検でもしますかねと指を鳴らす。
「ルカ、倉庫からスパナ持ってきてくれ。これよりデカいやつ」
「わかった!」
ルカにお使いを頼み、肩を回す。先ほどくしゃみと一緒に外に出た鼻水が軽く凍り始めていた……クソッタレが、なんて寒さだ。
ミカのやつ、凍えてないだろうな……車がスタックしたとか、遭難したとか、そんな事になってなきゃあ良いんだが。アイツに限ってそれは考えられんか、と仲間の事を心配していると、駅のホームにランタンを手にした厚着の人影が見えて、俺は警戒しながらホームに降りた。
警戒したのはまあ、例の襲撃者の一件があったからだ。おかげでいつも上着の内ポケットにマカロフ拳銃を忍ばせておく毎日を送っている。いつも胸に1丁のマカロフを、というわけだ。
冒険者管理局の制服だ。キリルだろうかと思ったが、違う。リスの獣人の女性だった。
「こんばんは、夜分遅くに失礼します。冒険者管理局の者です」
「ああ、はい」
「ええと、血盟旅団の列車はこちらでよろしかったですよね?」
「ええ」
答えると、女性は背負っていた鞄から一通の封筒を取り出した。封筒の表面にはノヴォシアの国章である双頭の竜が描かれている。
「おめでとうございます! ミカエルさんとクラリスさんに、イライナ支部より昇級試験のご案内です!」
頭の中が一瞬、ぐっちゃぐちゃになった。
しかしこちとら元特殊部隊の指揮官、状況の整理は素早い。まるで新型のPCみたいに情報を整理するが、それでも得られた情報は意味不明で恐ろしいものだった。
昇級試験? いや、それならもうミカ達はとっくに……。
「あの、試験だったらもう受けてるんだが……アルカンバヤ村防衛の」
封筒を受け取りながら言うと、試験を言い渡しに来た管理局の女性職員は目を丸くした。
「え……? それ、どういう事ですか?」
「この前、キリルっていう職員が書類を渡しに来た。何ならその書類を見せようか?」
確か俺の部屋に保管してたよな、と思いながら客車に戻ろうとすると、その女性職員が顔を真っ青にしている事に気付いた。一体何に反応したのか―――もしやキリルという名前だろうか。
足を止めて振り向くと、女性は震える唇を何とか動かしながら、ありえません、と同じように震えた声を発する。
「キリルは……彼は死んでるんです、二年前に交通事故で」
背筋が凍り付くとはこの事か。
死んだ筈の男―――キリル。
そんな男が持ってきた、昇級試験の依頼書と資料。
クソッタレが、迂闊だった。
管理局の職員が直接出向いての直接契約―――それだけでこの依頼は安心できると、そう思い込んでしまっていた。外部のクライアントであればそれが信用に足る人物か色々と調べるのが当たり前だが、管理局という冒険者を保護する立場の組織の人間であれば、そこまで掘り下げた調査はしない。
だから管理局に問い合わせたりとかはまずしないし―――それが本当の依頼か否か、確認することも無い。
やられた。
ミカ達が危ない―――!




