大強盗作戦、始動
「……なるほど、絵画の裏にねぇ」
顎に手を当てながら、パヴェルは「なるほどよく考えたもんだ」と呟いた。
「黄金の大地、作者はイライナ出身の画家”ミハイロ・パラドチェンコ”。奇しくもお前と同じ名前だな、ミカ?」
なるほど、”ミカエル”と”ミハイロ”ね……ヘブライ語由来の大天使の名前ド直球の名前と、それを由来とするウクライナ語(※こっちの世界ではイライナ語)読みの名前の画家。単なる偶然だろうが、しかし何か奇妙な運命を感じてしまうのは気のせいだろうか。
エレノアの話ではその『黄金の大地』という題名が付けられた絵画の裏側に、キリウ大公の子孫、その最後の生き残りの血縁者に繋がるヒントが隠されているという。なんでも、その絵の制作者であるミハイロ・パラドチェンコ氏は冬季封鎖直前に祖国への亡命を試み、結果として行方不明となった1人を除いて全滅してしまったキリウ大公の子孫たちを哀れんだ。そこで彼は後日、もし祖国イライナのためにキリウ大公の足跡を追う者のため、当局に発見されないような形でヒントを遺したのではないか……との事だ。
残念ながらミハイロ・パラドチェンコは絵の完成と共に赤化病に罹りこの世を去ってしまい、彼の故郷であったザリンツィクから持ち出された絵画はこのボロシビルスクにある市立美術館へと収蔵される事となった。
元よりイライナの画家として名高かったミハイロ・パラドチェンコ。彼の絵は貴族たちの間で高値で取引される程で、ノヴォシアでも欲しがる貴族は多かったと聞いている。ボロシビルスクへと持ち込まれたのはキリウ大公の子孫に関するヒントが記されたからではなく、単に高名な作者の遺作を美術館に収蔵するためと言う目的だとは思うが……。
「……信じて良いんだな?」
腕を組み、椅子に背中を預けながら言うパヴェル。
彼が慎重になっているのも頷ける―――もし仮に絵画からヒントを得るとなれば、堂々と美術館に行って裏側を見せてもらう……なんて事は出来ない。
となれば、強盗だ。
美術館に強盗を仕掛け、絵を盗む―――これしかない。
しかし情報屋を雇って情報を得るのがそうであるように、強盗の準備にも多額のコストがかかる。逃走車両の確保、保管場所の確保、改造費、単純に燃料費、他にも弾薬費や各種装備品の調達費。目に見えないところでは盗品の買い手の手配と資金洗浄の手間賃、場合によっては警備員の買収など……。
ノーコストで強盗ができると思っているならば大きな間違いだ。強盗も意外と金がかかる。
しかもそれだけの手間暇をかけて今回もハズレでした、となったら冗談抜きで話にならない。今の俺たちにはただでさえ時間も余裕もないのだ。エレノアが「あくまでも噂話だけど」と前置きした話に全力投球していいものかどうか、二の足を踏むのも分かるというものだ。
「―――俺は、信じていいと思う」
忖度なしにそう言うと、後ろで話を聞いていたエレノアが驚いたように顔を上げた。
「彼女たち魔族は寿命が長い。それこそ、前文明やそれ以前の話だって知ってるような人たちだ……言わば歴史の生き証人。そんな魔族である彼女が聞いた話なんだ、賭けて見ても良いんじゃないか」
「ミカ……あなた……」
後ろを向いてウインクすると、エレノアは恥ずかしそうに目を背けた。
「それに第一、他の情報は何も掴めてない。なら進むべき道は一つだけだ」
違うか、とパヴェルに続けて問うと、腕を組みながら背もたれに背中を預けていた彼は息を吐いてから頷いた。
「―――そうだな、それもそうか」
ゆっくりと立ち上がり、義手を鳴らしてから俺の頭をわしわしと撫でまわすパヴェル。おかげでせっかくセットしてきた髪とケモミミの毛がぐちゃぐちゃになる。お前コレこだわってるんだからな俺。
「ミカがこのサキュバスと知り合ったのも何かの縁だ。信じてみるか、”縁の力”って奴をさ」
これでやるべき事は決まった。
目標はボロシビルスク市立美術館、そこに収蔵されている絵画『黄金の大地』。
学術都市を舞台にした、一世一代の大強盗作戦が発動された瞬間だった。
「いやぁ、これはこれはミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフ様。本日はよくお越しくださいました」
貴族や権力者にすり寄ってくる連中ってみんなこうなのかな―――そんな冷たい本性を柔和な笑顔の仮面で覆い隠しながら、出迎えてくれた美術館の館長に応じる。
でっぷりと肥え太った中年男性の館長は、額を脂汗でぎらつかせながら胡麻をする。庶子として育ち、一族の恥部として見做され屋敷の中で軟禁状態だった俺には知り得ぬ事だが、一族の跡取りとして育った姉上や兄上たちはよく貴族のパーティーに出席したりしたのだそうだ。
そしてそういう場には、こういう輩が良く出現したと聞いている。
没落したとはいえリガロフ家は大英雄の血脈に連なる一族で、腐っても公爵家。さすがに帝国中枢までは及ばないが、キリウ市内であれば意のままにできるほどの権力は堅持している(姉上が家督を簒奪した後はイライナ全土を掌握できるほどに強化されたと聞いてビビった。姉上強すぎる)。
そんな一族に少しでも取り入ろう、お零れにあずかろうとすり寄ってくる下級貴族や成金連中は数多い。姉上や兄上もそういう輩には嫌気が差したと言っていた。姉上に至っては獣の本能全開で威嚇した事もあったらしい(セクハラ紛いのアプローチをされてからなので正当防衛だと擁護したい、ミカエル君的には)。
姉上たちもこんな心境だったんだなぁ、と思いながらも笑顔で「手厚いお出迎え感謝します。ここでの体験が楽しみで楽しみで」とお世辞を述べておく。
俺がクラリスを引き連れて訪れたのは、言うまでもなくボロシビルスク市立美術館。学術都市の名に恥じぬ大規模な美術館で、帝国中や海外から集められた芸術作品はここか、モスコヴァにある帝国中央美術館のどちらかに収蔵される事になっている。
こちらには特に、美術的価値が高いものが収蔵されている。例えば新しい表現技法を体現した黎明期の作品とか、色の使い方や塗り方、アングルの取り方、他にも題材の移り変わりなど、美術の発展が分かるようなものがこちらに収蔵されているのだと聞いている。
さて、なぜ一介の冒険者が美術館を訪れただけで館長がわざわざ出向いてきてこんな胡麻をすりながらぺこぺこしているのかというと、答えは単純明快―――相手がゾンビズメイを殺したSランク冒険者で、しかもリガロフ家という公爵家の出身者だからである。
あわよくば取り入ろうという下心が丸見えだが、まあこういう相手の方がやりやすい。何を言っても余程無茶なものでなければ従うだろう。
それではこちらへどうぞ、と館長に促され、クラリスと一緒に美術館へと足を踏み入れた。
(なあクラリス)
(はいご主人様)
(なんで俺女装なの?)
帝国魔術学園の時も思ったが、なにゆえこういう場所でも女装を強いられるのか。
真っ赤なロングスカートに黒い上着。襟の部分にはイライナの民族衣装のデザインが取り入れられていて、赤を基調とした幾何学模様が編み込まれている。頭にはヒグマの毛皮で作ったウシャンカをかぶるという貴族ではよくあるファッションだが、しかし落ち着かない。
スカートに慣れていないというのもある。クラリスが用意してくれた黒タイツ穿いてるからそんなに寒くはないんだが、しかし学園の女子制服の時といい今回といいやたらとタイツを推してくるクラリス。さてはお前の性癖だなコレ?
そんな俺の一歩後ろに控えるクラリスは、普段の下心丸出しのド変態な感じはどこへやら。色欲はすっかり鳴りを潜め、今の彼女は主に仕える清楚なメイドのそれだ。いや、それが本来のメイドのあるべき姿なのだが。
さしずめ「綺麗なクラリス」といったところか。
「こちらが旧人類の遺構から発掘された”竜騎士の象”になります。材質は黒曜石、この光沢もさることながら精巧に再現された鎧といい装備品が美しいでしょう。完全な状態で発掘されたものなのですよ」
「なるほど……確かに成功ですね、保存状態も良い。旧人類の技術力を現代に伝える貴重な資料ですねこれは」
ゲームのキャラのフィギュアを見ているような気分で黒曜石の像を眺めながら、ふと思う。そういや転生前の俺の部屋、アニメキャラのヒロインのフィギュアとか結構置いてあったんだけど、ああいうの遺品として処理されてしまったんだろうか。願わくば中古ショップに売られ、理解あるオタクの手に渡って欲しいものである。
前世の世界の自室に思いを馳せつつ、美術館に並んでいる芸術作品の数々を鑑賞……するふりをして、美術館の構造や作品の配置、館内のセキュリティに目を光らせた。
右目にはパヴェルが3分で用意した(オイちょっと待て3分!?)特殊なコンタクトレンズを装着している。これを通してみる事で魔力の流れや結界が可視化されるという優れモノだ。んでそれを使って周囲を見渡してみるが、やはりというかなんというか、結界がその辺にうようよ展開されていてちょっと引いた。
しかし客が結界に触れているにもかかわらず反応しない辺り、何か結界の反応には特殊な条件があるのかもしれない。まあ、館内の様子はウシャンカの中に隠してある小型カメラでパヴェルもリアルタイムで見ているだろうから、分析は彼に任せる事にして俺は本番に備えて内部の様子をしっかりと偵察しなければ。
肥満体系の館長の尻を追いかけ続けること30分と少し。鑑賞の舞台が1階から2階、やがて3階へと移ったところで、その作品は俺の眼に飛び込んできた。
「これは……っ、これが……」
息を呑んだ。
大地を埋め尽くす麦たち。風に吹かれて揺れる姿はさながら黄金で編まれた贅沢な絨毯のようで、しかしそれはイライナの民に、遥か太古から豊富な恵みをもたらしてきた麦たちだ。世界一肥沃な大地と農業に適した地形、イライナが『世界のパンかご』と言われる所以である。
そして空は青く澄み渡り、雲一つない。どこまでも突き抜けるような晴天を、麦畑から見上げるのは民族衣装に身を包んだ金髪の少女だ。それはただ単に空を見上げているようにも、大地の実りを天に感謝しているようにも思える。
どことなくイライナ公国時代の国旗を思わせる配色のそれは、他の作品の中でも特に目立っていた。
綺麗な額縁に飾られたその絵画にはこう記されたプレートがある―――『ミハイロ・パラドチェンコ作、題名【黄金の大地】』。
作者の生涯についてと作品についての簡単な説明が記載されたプレートを一瞥し、その作品を食い入るように見上げた。
これは―――この絵は、ここにあっていいものではない。
これは祖国イライナにあるべきだ―――そう思いながらこれを是が非でも盗み出す決意をする俺の姿を、作品に魅了されたように受け取ったのだろう。隣にやってきた館長が得意気に話を始めた。
「気になりますか、この作品が?」
「え? ああ、はい。自分もイライナ出身なので」
「黄金の大地―――イライナ出身の作者が、自分の故郷をモチーフに描いたものなのだそうです」
「やはりそうですか。夏から秋になるといつも凄いんですよ、麦が本当に黄金の絨毯みたいに綺麗で……」
そんな他愛のない言葉を交わしながら、しかし俺は館長に一瞥すらくれてやらない。
この絵を盗む―――絶対にだ。
キリウ大公の子孫へ至るため、そして祖国独立成就のために。
この絵が―――俺たちの未来を握っている。
「さて、じゃあ早速だが計画を立てようか」
ホワイトボードを背に、パヴェルは乗り気で言った。
ホワイトボードには既に俺が偵察中に撮影した動画のスクショが何枚か貼り付けられている。セキュリティや結界の状態、内部構造に芸術作品たちの配置まで。
盗むべき絵画『黄金の大地』は、美術館の3階にある西側のブロックにあった。もちろんその辺は結界の濃度も凄かったし、警備員も巡回していて一筋縄ではいかないなとは思ったのだが……。
「まずセキュリティ、結界の数が尋常じゃない。いつぞやのバートリー家の時の3倍くらいはある」
「あれの3倍って、どんだけ金かけてるんだか」
腕を組みながら呆れるモニカに、黙って説明を聞いていたリーファが言う。
「據說那裡存放著一些你不想被偷走的東西(それだけ盗まれたくないものが置いてあるって事よ)」
「なんて?」
「それだけ盗まれたくないもの置いてある、分かりやすいヨ」
「とにかくセキュリティ関係についてはもう少し解析する時間が欲しい。こっちは俺と……カーチャでやる。他のメンバーには諸々の調達をお願いしたい」
調達、ね。
強盗で重要なのは、使用したものがいずれも足のつかないものである事。分かりやすいのが逃走車両で、自家用車とか公用車を使うわけにはいかない。当たり前だが車体の特徴とかナンバープレートなどの情報から俺たちの車だという事がバレてしまうためだ。
だから今までは、逃走車両はギャングやカルテルといった非合法組織から奪ったものを使っていた。
ぐるーん、とホワイトボードを回転させるパヴェル。素早く写真を何枚か貼り付けた彼は、説明を簡潔に始めた。
「まず車、それから強盗に使う資金の調達だ。車に関しては違法駐車されてる車を適当に何台か盗めばいい、後は俺がパーツをごちゃまぜにして”存在しない一台”を組み上げる」
「ん、待って? いつもみたいにギャングとかから盗むんじゃないの?」
「ここは学術都市よ、モニカ」
腕を組んでいたカーチャは視線をホワイトボードから動かさずに淡々と告げた。
「こんな治安の良い街にそんな連中居ると思う?」
「いない……いないのここ?」
「いない。だから車の調達はちょっと手間がかかる」
「んで、資金調達の方はどうするんだよ?」
「案ずるなミカ、既に郊外の小さい銀行に貴族の裏金が保管されている事が判明している。これを拝借して強盗の資金に充てよう。うまく行けばボロシビルスク市内の憲兵隊を郊外に誘引して手薄にできるかも」
よく考えたものだ。
強盗の準備に自分たちの金を使えば足がつく。だから盗んだ裏金を資金に充てて追跡されないようにしつつ、郊外で意図的な強盗事件を引き起こす事で憲兵隊の目を外へと向けボロシビルスクから逸らす……良い作戦だ、文句のつけようがない。
まあ、強いて言うならば今回は車両調達が面倒な事くらいか。
「兎にも角にも第一段階、まずは車だ。”クラウドファンディング”を募るのはそれからにしようぜ」




