小さな希望
「不発、か……」
はぁ、と息を吐きながらチャイルドシートに腰かけたまま、後部座席の背もたれに背中を沈み込ませた。
情報屋というのは噓つきもそれ相応に多い。適当な情報を掴ませ金だけを毟り取らんとするハイエナの多いこと。だから情報屋を雇う際は実績があり、尚且つ信頼性の高い情報屋を厳選することが肝心とされている。それを怠れば嘘の情報を掴まされた挙句、相当な額の授業料を支払う羽目になってしまう。
しかし今回のは大分予想外だった―――テンプル騎士団が先手を打ち、本物の情報屋を殺して擬態型の戦闘人形を潜り込ませ、俺たちをおびき出して消そうとしてきたのである。あそこで気付かなければ今頃真っ先にクラリスが狙撃で消され、続いて俺が、そして最後にシスター・イルゼが文字通りの嬲り殺しにされていたに違いない。
《すまないな、ミカ》
「いや、気にしないでくれ。こういう事もある」
さすがに取引する予定だった相手がいつの間にか殺されて偽物とすり替えられていた……など気付く筈もない。こういう意味では本当にテンプル騎士団の戦闘人形は厄介な存在だと意識させられる。一度でもこういう事があると、実は運転席でハンドルを握るシスター・イルゼも、助手席に座り周囲に目を光らせるクラリスも実は擬態型の戦闘人形が潜り込んでいるのではないか、と考えると、手のひらにじんわりと手汗が浮かぶ。
そういう心理効果もあるのだろう―――万一擬態がバレても、敵対勢力の兵士を疑心暗鬼にする効果は絶大だ。設計者の顔も名前も知らないし知りたくもないが、相当に性格が悪い奴だという事だけは分かる。
「とにかく、俺たちはしばらく南部を拠点に調査してみるよ」
《了解した。無理はするな》
「はいよ」
俺たちで上手くやれるのか、という不安はあるが―――今はともかく、出来る事を全力でやらなければならない。
タイムリミットはあと1ヵ月。それを過ぎれば冬が本格し冬季封鎖が始まって、イライナへの道は来春まで閉ざされる。
テンプル騎士団とノヴォシア帝国、2つの勢力に命を狙われたまま無事に冬を越せるかどうか……万一俺たちの身に何かがあってもそれは暗殺だろうから、その時はイライナ独立のために祭り上げてくれて結構と姉上には話してある。自分で言うのもアレだが、『ズメイの首を討った英雄の末裔がノヴォシアで非業の死を遂げた』という分かりやすい悲劇は、イライナ人の反帝国感情を一気に燃え上がらせる燃料になる筈だ。
もちろん無事に戻りたいところではあるが、死んだ時の保険も掛けてある。願わくば帝室がそれを恐れて二の足を踏んでくれればテンプル騎士団との戦いだけに集中できるのだが。
オビ川の対岸に広がる南部の都市は、帝国魔術学園を始めとする教育機関や研究機関、貴族の屋敷と言った富裕層の住まいが集中する北部とは打って変わって、労働者向けの格安アパートや安宿が軒を連ねる”労働者の街”のようだった。
道行く人々は労働者や農民といった階級の人々なのだろう。厚手のコートに身を包み、ウシャンカで寒さをしのげる格好をしている人はまだ良い方で、大通りには薄汚れた服を重ね着し少しでも寒さに耐えようと努力を費やす労働者や、コートを買うお金もないのか寒そうに身を寄せ合う親子の姿が目についた。
路地には浮浪者と思われる痩せ細った男性の姿もあり、力なくぐったりと地面の上に座り込んでは、コインが2、3枚投げ入れられた目の前の缶をじっと見つめている。たった30ライブルではスープ代にもなりはしないだろうに……。
ただその浮浪者の近くを通りかかった労働者が、財布から取り出した1000ライブル紙幣を浮浪者に渡したのを見て、帝国の労働者も捨てたものではないなと思った。
交差点を通過してしばらく進むと、予約していたホテルが見えてきた。
ホテル・ボロシビルスク―――信じがたい事だがボロシビルスクには同名のホテルが格安高級問わず7件存在し、いずれも同じグループが経営しているものではなく独立したホテルだそうだ。オーナーは開業前に調べなかったのだろうか?
ホテルの駐車場にメルセデスベンツ G63 AMG 6×6を停車するシスター・イルゼ。全員が降りたのを確認してからロックし、荷物を抱えてフロントへと向かう。
二重になっている玄関を潜り、木製のドアを開けると、パチパチと薪の燃える音と共にラジオの音が聞こえてきた。フロントには少し大きめの薪ストーブが置かれていて、煤で汚れた服に身を包んだ用務員が蓋を開け、中に乾燥させた薪をくべている。
「いらっしゃい」
「予約してたリガロフです」
「ああ、お待ちしていました」
ラジオを聞きながら新聞を読んでいた鹿の獣人の店主(頭から角生えてるわ……)がこっちを向くや、柔和な笑みを浮かべながら出迎えてくれた。
リガロフ、という名前で「え、あの冒険者の!?」というリアクションにならないのは宿屋を経営する三として客に配慮しての事か、それとも冒険者界隈にあまり知見がないだけなのか。おそらく前者だろうな、と思いながら代金の支払いと書類への署名を済ませると、ルームキーを渡された。
「621号室ね。3人部屋なんでゆっくりしていってね」
「どうも」
621号室ねぇ……俺、学園の寮の部屋も621号室なんだけど何かの縁なのだろうか。それとも呪われているのだろうか……621に。
ルームキーを受け取り6階へ。やはりというかなんというか、料金の価格設定でも思ったがここは労働者向けの格安の宿らしい。1階には酒場も併設されていて、フロントから見える酒場には疎らに人が居るようだった。昼間っからウォッカをキメている強者もいたが、そんなに飲んで肝臓大丈夫だろうか?
安宿なのでエレベーターなどという便利なものはない。一歩踏み締める度にギシギシと軋む階段を踏み締めながら登っていくと、途中で労働者と思われる男性と、同業者と思われる男女の3人組とすれ違った。男性一人と女性二人のパーティーのようで、随分とまあイチャついている。別に構わないし、仲良くお楽しみする分には勝手にしてくれという思いではあるのだが、そういうのは場所を弁えてほしいものである。
ミカエル君を見ろ、クラリスの膝の上で丸くなったりお腹をぷにぷにされたり猫じゃらしで遊ばれたり喉を撫でられてゴロゴロ鳴らしたり、そういう動物的な事は自室と身内の前でしかやらない。だから決して今まさにミカエル君の尻尾を掴んでスーハ―スーハ―吸ってるクラリスのように場所を弁えないような事は決してしないのだ。そういう事はリガロフ家の名に泥を塗るに等しい行為だから。
分かってるかクラリス? お前の事だぞクラリス?
6階に上がりついに人気が無くなったのを良い事に、クラリスはミカエル君の事を抱っこし始めた。
「クラリス?」
「はいご主人様」
「歩けるよ俺?」
「ですが先ほどの戦闘でお疲れでしょうから」
「いやまあ、それはそうだけど」
恥ずかしいじゃん、俺いつまでも子供じゃないよと抗議しようとしたところで、クラリスはそそくさと621号室の鍵を取り出して部屋のドアを開け、中へミカエル君を連行してしまう。
清掃は行き届いているが、しかしどこか煙草臭い。それから微かなアルコール臭……どうやら前の宿泊客は随分と酒と煙草を愛する人のようだ。
「……くちゃい」
「換気しましょうか」
ぼふっ、とミカエル君をベッドに(襲うつもり?)降ろしてから窓を開けて部屋を換気するクラリス。冷たい風が流れ込んできて、寒さが苦手なミカエル君は身体を丸めてぶるぶる震えてしまうが、代わりに隣に来てくれたシスター・イルゼが優しく抱きしめてくれた。
ありがとうイルゼ、と言おうとしたミカエル君はとんでもない事に気付いた。
「……イルゼ?」
「スー……スッ、スー、スー」
こ い つ 吸 っ て や が る 。
いや、ダメと言うつもりはない。別に吸いたいなら吸ってもいいしモフってくれても構わない。別に減るもんじゃないからそれは良いのだが、しかしクラリスやモニカ、リーファならまだしも今までそういうのから一歩距離を置いていた真面目なイルゼがついにジャコウネコ吸いに目覚めてしまうとは。
ちょっとファンサしようかな、とイルゼの頬をもっふもふの尻尾で軽くなぞると、「ひゃいっ!?」と珍しくイルゼの驚く声が聴こえてきた。
お、おお。普段は落ち着き払った大人の女性といった感じのイルゼもこんな声出すんだな、と面白がっていると、ぽすっ、と隣に誰かが腰かける。
匂いで分かる、クラリスだ。
イルゼだけ吸ってるのが羨ましかったのか、それとも最大の障害だった彼女が陥落したのを良い事に思う存分吸う事にしたのか、ミカエル君は右側をイルゼ、左側をクラリスという巨乳のお姉さん×2(GカップとIカップ、とんでもねえ山脈である)に挟まれスーハ―スーハ―吸われる事に。
「ふふっ、お寒いでしょうご主人様。クラリスが温めて差し上げますわ」
「ミカエルさん、寒いのが苦手と言っていましたし……か、風邪をひいてしまったら大変ですからね」
下心なんてありませんからね、と分かりやすい反応をしながら身体を押し付けつつジャコウネコ吸いするイルゼ。段々と吸われる場所が頭の方へと移動していき、ケモミミに吐息がかかるようになるとくすぐったくなった。
ケモミミは人間の耳よりも鋭敏に周囲の物音を拾えるし、自分と同じタイプの動物(俺の場合ハクビシンが該当)と意思の疎通を図る事も出来る便利な器官だ。それ故にデリケートで長時間使うと疲れるので、普段はケモミミではなく普通の人間の耳を使っている。
今更こんな事を言うのもアレだが一応言っておくと、『第二世代型獣人には耳が合計で4つある』。
くすぐったくなってきたので「うにゃー!」とロリボを発しつつすぽんと2人の間から抜け出すと、背後から「「あっ……」」と名残惜しそうなお姉さん×2の声が聴こえてきた。
なんというか、エロ同人だったらそのまま食われる展開だよねアレ。もちろんこれはR-15、そういう描写はご法度なのでさすがにそこまでいかないけど……いかないよな?
天にそう問いかけながら、とりあえず飲み物でも買ってくるかと部屋を出る。
懐には護身用のグロック43が忍ばせてあるし、腰のホルスターには同じくグロック17Lのピストルカービン仕様が、ブレースを縮めた状態で収まっている。装填されているのは9×19mm強装弾、普通の拳銃弾よりも威力がある。
まあさすがにこれを使わない事を祈るよ、と思いながら部屋を出て背伸びをすると、ちょうど隣の部屋の宿泊客も出てきたようだった。
綺麗な人だな、と隣部屋の宿泊客を見て目を奪われる。
磨き抜かれた刃を思わせる銀髪と、月明かりを思わせる黄金の瞳。肌は雪のように白く、頭髪の中から覗くのはエルフのように長い耳だ。いったい何の獣人なのだろうか……。
微かに覗く口の中の八重歯がちょっと子供っぽさをアクセントに加えているが、しかしコートの上からでも分かる程の抜群のスタイルは明らかに大人びた女性のそれだ。
それはいいのだが……。
あれ、この人どっかで見た事あるような……?
「???」
視線に気付いたのか、女性はこっちを振り向いた。
瞬間、頭の中に電撃が走る。
見覚えがあるなんてものではない―――それは向こうも同じらしい。
目を丸くし口をぽかんと開けながらお互いに指差し合い、俺は思わず叫んでしまった。
「あ!!!!!! 梅毒!!!!!!!!!!!!(300㏈)」
「誰が梅毒よ誰が!!!!!!!!!!!!!!!(450㏈)」
そう、そこにいたのはいつぞやの性病の巣窟ことサキュバスのお姉さんだった。俺たちの列車に侵入しミカエル君とえっちな事をしようとしたやべえ女だが、最終的にクラリスに月まで殴り飛ばされるという、ギャグマンガの一幕みたいな結末を迎えた筈だ。
戻ってきたのか、月から……ひえ、すげえガッツ。さすがサキュバスといったところか。
「ん、待って? キミがいるということはまさか―――」
そう、そのまさかである。
基本的にミカエル君とクラリスはセットなのだ。
恐る恐る視線を左へと向けるサキュバスのお姉さん。ギギギ、と軋む音が聞こえてきそうなほどぎこちない首が向いた先には、ものすごい笑みを浮かべながら眼鏡を爛々と光らせ、すっ……と静かに握り拳を振り上げるクラリスの姿が。
「あ゛ぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
「ん?」
「ま゛、待゛っ゛で゛! 話せばわかる、 話゛ ぜ゛ ば゛ わ゛ が゛ る゛ !゛」
月まで吹っ飛ばされたのが相当トラウマだったのだろう。今にも泣き叫びそうな勢いで助けを乞うサキュバスに、クラリスの後ろから現れたシスター・イルゼが無言でロザリオを構えた。
「あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛―――きゅう」
ばたん、と口から泡を吹いて倒れるサキュバスのお姉さん。
クラリスには月まで吹っ飛ばされたトラウマが、そして元エクソシストのイルゼには魔族としての本能的な恐怖があったのだろう(アンデッドや悪魔、魔族に対しての特攻を持つ相手なのだから仕方ない)。
それに耐えきれず気を失ってしまったサキュバスのお姉さん。これどうするよ、と指差すと、クラリスはサキュバスの足を掴んでそのままずるずると部屋の中へ引き摺って行った。
え、なにこれ……なにこれ?
「へぇ、あなたたちキリウ大公の子孫を探してたの」
ずずず、と部屋に備え付けてあったマグカップに注がれたコーヒーを啜りながらサキュバスのお姉さんは言う。
聞いた話ではサキュバスの寿命は推定2万~5万年、それこそ神話の時代から生きている存在である。性病呼ばわりされて尊厳を破壊されたり、メイドとシスターを見ただけで泡を吹いてぶっ倒れるような女でも人類を超越した存在なのだろう。とてもそうは見えないけど。
けれどもそれだけ寿命が長いなら、この帝国の歴史も見てきたはずだ。長い人生の中で、歴史の転換点をなんども目にしてきた生き証人であれば、キリウ大公の子孫についても何か知っているのではないか―――半ば賭けのような感じで話してみると、意外にも落ち着き払った彼女は何かを知っているようなそぶりを見せた。
「キリウ大公ねぇ……昔、娘さんと会った事あるわよ。500年くらい前かしら」
「ご、500……年……」
まだギリギリイライナが独立国だった頃か。ついこの間の出来事のようにさらりと話すものだから、やっぱり人外なんだなと意識させられる。
「何か知らないか?」
「そうねぇ……イライナへの亡命事件の後、6人全員殺されてるのよねぇ」
「殺された!?」
そんな馬鹿な、と言葉を漏らした。
ノヴォシアにとってキリウ大公の血縁者はイライナ独立を呷りかねない危険な存在。故にその扱いは常にデリケートでなければならないのだが……よりにもよって殺してしまうとは。
本当なのか、と問うと、サキュバスはクラリスからコーヒーのおかわりを受け取りながら答えた。
「正確には凍死よ。拘束されて身柄を帝国へ移送されている間にね。冬季封鎖直前、命懸けの大脱走だったみたいだから」
「……」
記録では、子孫の内の1人が行方不明となり、他の血縁者は全員帝国内へ移送されたとされている。
となると残る1人、その行方不明となった血縁者を探す事になるが……絶望的だ。行方が分かっていない以上、探しようがない。
これはお手上げか、と諦めかけていると、サキュバスはコーヒーを飲む手を止めて告げた。
「―――これは噂話だけど」
「教えてくれ、頼む」
深々と頭を下げると、サキュバスは少し驚いたように目を丸くした。
「性病だのなんだの言った事は謝る。対価が必要なら用意する。他に必要なものがあるなら何でも用意する。だから頼む」
顔を上げ、彼女の黄金の瞳を真っ直ぐに見た。
「今はキミの記憶が頼りなんだ」
「……」
ふう、とサキュバスは息を吐いた。
「ヒントがね、残されているのよ。血縁者の元に至るヒントが」
「ヒント?」
「そう」
マグカップをテーブルに置き、サキュバスは言った。
「―――ボロシビルスク市立美術館の絵画『黄金の大地』。その裏に、制作を依頼された画家が書き記したらしいのよ。キリウ大公の血縁者、その最後の1人に至るヒントを」




